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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
12.テンペスト
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⑴しあわせの王子

 If one is lucky, a solitary fantasy can totally transform one million realities.

(たった一人で見た夢が、百万人の現実を変えることもある)


 Maya Angelou








 スキール音が小気味良く響いている。

 リングを潜るボールが床板に跳ねて転がって行く。コートの外に流れたボールを大きな掌が掴む。


 速攻。

 変声期を終えた逞しい声が聞こえた。


 筋骨隆々な青年達がボールを追い掛け、汗だくになって走り回る。オレンジ色のボールを視界の端に捉え、パスの先を予測する。

 投げ放たれたボールが指先を掠め、僅かに方向を変えた。眩い天井灯の光を浴びながら、ボールは仲間の元へ吸い込まれるように落下した。


 攻守が入れ替わる。

 コートの中の青年達は、海中を泳ぐ鰯の群れのように方向を切り替えた。

 床板の上を弾みながら、ボールが3Pラインのギリギリで止まる。照準を合わせて放たれたボールは、リングに届くことも無く大きな掌に弾かれた。


 世界がモノクロに変わる。

 人の動き、視線、呼吸、立ち位置、試合時間。コート内の情報が一気に頭の中へ流れ込む。思考回路は何処までも明瞭で、体が軽かった。ボールの落下位置も、敵の動きも手に取るように解る。


 右手を伸ばせば、ボールが吸い込まれるように静かに落ちた。

 一歩を踏み出して重心を移動させ、再度、白線の手前に立つ。海面から跳ねる飛び魚みたいに青年達が腕を伸ばした。コンマ数秒の間隔を空け、膝に力を入れた。


 打ち出したボールは上空に浮かび、美しい放物線を描いた。降り注ぐ天井灯がまるで粉雪のように見えた。

 ボールがリングを潜った瞬間、試合終了のブザーが鳴った。俗に言う、ブザービーターだ。


 拳でも突き上げたかったのだけど、ディフェンスに集中していた青年がぐらりと体勢を崩し、目の前を覆い隠した。避けようとは思わなかった。着地の瞬間に右腕を突いて、肘に大きな負担が掛かる。そういう姿勢だったから。


 受け身を取りつつ青年の下敷きになって倒れ込むと、蛙が潰れたような声が漏れた。流石に重い。

 大きな身体の下から抜け出そうと藻掻いていると、周囲から笑い声が溢れた。笑われていると解っても、不思議と不快感は無かった。


 起き上がった青年が手を伸ばしたので、厚意に甘えた。思い切り引っ張り起こされ、大きな掌が頭をくしゃくしゃにした。


 子供扱いするな、と言い返す。

 青年は笑っただけだった。


 体育館の入り口に、黒い電柱みたいな青年が立っているのが見えた。リュウだ。怒っているような笑っているような複雑な表情で両手を打ち鳴らしている。




「ヒヤヒヤしましたよ」




 リュウが困ったように眉を下げて言った。

 朴念仁に見えるが、意外と表情豊かである。切れ長の瞳に興奮の色が見えて、何となく嬉しくなる。


 リュウと初めて出会ったのは、入寮式の夜の新人歓迎会だった。アルコールと香水、ジャンクフードの臭いに包まれた領のホールで、しこたま酒を飲まされて壁際でぐったりしていた。

 同じような酔っ払いは他にもいたが、彼は連れがいないようだったので、放っておけず介抱した。


 彼は中国から来た留学生だった。アルコール解禁の年齢に達していた為に、無礼講とばかりに飲まされたのだろう。時刻を考えると量は少ないのだろうけれど、耐性が無かったのかも知れない。


 対して自分は未成年だったので、ノンアルコールのソフトドリンクばかりを消費していた。新入生が次々に酔い潰れていくお祭り騒ぎの中、一人だけ素面でその光景を眺めるのは、まるで遠くの花火を見物しているみたいな奇妙な心地だった。


 水を飲んだリュウの顔色が戻って来たので、ほっとして、自己紹介をした。そして、名前を告げた時、リュウの瞳に冷たい光が見えた。




「日本人ですか?」




 軽蔑するような低い声だった。

 少し驚いたがなるべく顔には出さないように気を付けて、首を振った。両親は日本人だが、自分は生まれも育ちもアメリカである。何を持って人種を分けるのか解らないし、興味も無かった。


 リュウは汚れたものを見るような嫌な目付きをしていた。


 リュウの祖父は第二次世界大戦の生き証人であった。戦時中、日本軍に虐げられ、終結後もその非道な振る舞いを語り、リュウは幼い頃から恨み言を聞いて育ったのだと言った。


 それが悲しくて、腹が立った。

 だから、言った。


 人種の違いに何の意味があるんだ。

 俺は今、初めてあんたと出会ったんだ。

 そんな相手の何が解るって言うんだ。


 捲し立てるように言い放つと、リュウがぽかんとした顔をして、突然、腹を抱えて笑った。多分、アルコールがまだ残っていたのだろう。

 馬鹿にされているのは解ったが、笑っているリュウを見ていると怒りは波が引くように消えて行った。


 それから二人で、喧騒の外でぽつぽつと話をした。

 リュウの家族は中国にいて、発展途上国の凄まじい経済の中、所謂貧困層に当たるらしい。弟が四人いて、国からの奨学金を受けて進学しつつ、アルバイトで稼いだお金を仕送りしている苦学生だった。


 嘘は吐いていない。

 褒めるのも同情するのも違うと思い、代わりに自分の家族の話をした。主に、弟の話だ。同じ兄の立場にいることから意気投合して、二人きりで会話は妙に盛り上がった。


 それから何となく一緒にいることが増えた。

 その日はリュウが初めてバスケの試合観戦に来てくれた。大男達の犇くコートで、自分がいつ踏み潰されるのかと肝を冷やしたようだった。

 確かに、自分は体格に恵まれなかった。強く当たられたら吹き飛ばされるだろうし、ゴールポストは高過ぎる。怖くはない。それは、コートにいる選手を信じているから、バスケが好きだからだった。


 クラブチームの練習後、リュウと昼食を済ませた。外食はお金が掛かるので自室に招いてお好み焼きを出した。リュウが「ソースの味しかしない」と不満そうに言うので、笑ってしまった。


 夕方にリュウが研究室に行くというので、付いて行った。単純にやることが無くて、退屈だったのだ。

 伝統と歴史を刻んだ大学構内の廊下を並んで歩く。時々、擦れ違うチームメイトが声を掛けてくれた。どうやら、童顔の上に飛び級で進学した自分はとても幼く見えるらしい。見世物になるつもりは無いが、気に掛けてくれる人がいるというのは、純粋に有り難かった。


 リュウは言語学を専攻しているのだが、研究室では超心理学を研究しているらしい。それは、彼の家系が陰陽道に造詣が深いことに起因する。


 幽霊とかお化けとか妖怪とか、そういう非科学的な言葉は好きじゃなかった。脳科学を専攻していたので、全ては脳の引き起こす錯覚だと考えていたのだ。


 話を聞いている内に、超心理学には幽霊のような心霊現象だけではなく、超能力や地球外生命体などの未知の領域が含まれることを知り、面白そうだと思った。


 研究室には男女二人ずつの学生がいた。リュウが来たことを知ると軽く挨拶をしたが、窓辺でパソコンに向き合う眼鏡の青年は見向きもしない。

 壁は灰色のラックと無数の本や書類で埋め尽くされていて、ブラインドには埃が溜まっている。航が見たら怒りそうだな、なんて思いながら、自己紹介をした。


 見覚えのある顔を見付けて驚く。チームメイトのホセ・ルイスがいたのだ。抜群の運動神経と広い視野でチームを勝利に導く頼もしい選手だった。


 気の強そうな美女、ゾーイ・アンダーソンは犯罪心理学を専攻している。自分の後見人がFBIに所属していることから、親しくなり、別け隔て無く接してくれる彼女を尊敬していた。


 窓辺の陰気な眼鏡の青年はライリー・ホワイト。此方を指して気の合わなそうな陽気な人だと嗤ったが、話してみると面白く、情に熱い人柄なのだと解った。


 そして、ブルネットの穏やかな女性、オリビア・スチュアート。彼女は超心理学を専攻し、生物学の観点から研究を進めていると言った。


 彼等と話している内に研究室へ誘われて、断る理由も見当たらず、参加するようになった。彼等の研究は、自分の研究する脳科学に通じるものがあったからだ。

 とは言え、普段はバスケの練習があったので、研究室に顔を出せるのは週一回程度だ。彼等はいつでも快く受け入れてくれた。


 春の或る日、寮の自室が荒らされていることがあった。施錠をしていたし、金品も無事だった。だが、クローゼットの中が引っ繰り返されていて、下着の類が数点紛失していた。


 女の子なら兎も角、どうして自分が?

 防犯カメラの設置を検討し、機械類に詳しいライリーに相談した。その時、彼等は目を真ん丸に見開き、眉間に深い皺を刻んだ。


 それからライリーが防犯カメラを設置し、ゾーイのプロファイリングから犯人像を導き出し、ホセとリュウが犯人を捕まえた。犯人は同じ寮に暮らす学生だった。


 誰にも言わないでと懇願する学生に、オリビアが冷たく突き放す。それは犯罪行為だとゾーイが叱り付ける。ライリーにどうすると問われて、改めてその学生を見詰めた。


 反省している。嘘じゃない。でも、全てを語ってはいない。この人は何かを隠している。そう解った。


 問い掛けると、学生は全てを白状した。

 彼は先輩に脅されて、誰でも良いから下着を盗めと命令されていた。女子を狙うことが出来ず、比較的狙い易い、力の弱そうな自分を狙ったらしかった。


 同情は無い。だが、此処でこの学生を捕まえても意味が無いと思った。諸悪の根源を叩くべきだ。

 ライリーが憤慨して、それはイジメだと言った。同意見だ。


 それからライリーはインターネットを活用して、件の先輩達の弱みを掴んだ。リュウとホセと一緒に彼等の元へ出向き、もう二度とするなと叱った。自分一人では見縊られただろうが、二人がいたお蔭で呆気無く話は纏まった。




「どうしてあの人が隠し事をしていると解ったのですか?」




 帰り道、リュウが訊いた。

 誤魔化しても良かったけれど、止めた。本音を隠さなければならないような関係性ならば、維持するに値しないと思った。


 自分には他人の嘘が解る。

 その精度は今のところ百発百中であり、自分の見えているものの正体を突き止める為に脳科学を研究していることを話した。


 リュウが少しだけ悲しそうな顔をした。

 何故なのかは解らなかった。




「話してくれてありがとうございます」




 感謝される謂れも無いので、曖昧に濁した。

 これで態度が変わるなら、新たに予防線を引けば良い。そう思っていたのに、彼等は何も変わらなかった。


 事の顛末を聞いたライリーが不満そうに口を尖らせていた。えらく憤慨していたものな、と宥めようとして、彼の過去を知った。


 ライリーの両親は幼い頃に離婚しており、彼は母子家庭で育った。幼少期は家庭環境や恵まれない体格から陰湿なイジメのターゲットにされ、学校へ通うことも儘ならない有様だったそうだ。

 大学への進学が決まった頃、母は過労死した。ベッドの中で、まるで本当に眠っているみたいだったとライリーは言った。


 人は誰も見えない傷を抱えている。

 それを代わることは出来ない。自分には何が出来るのだろう。こんな自分を受け入れてくれる優しい彼等に何を。


 大切なものは目に見えない。

 それなら、俺はそれをどうやって大切にすれば良いんだろう。







 12.テンペスト

 ⑴しあわせの王子








「新人歓迎会の時、貴方を見付けたの」




 研究室は自分とオリビアの二人きりだった。

 パソコンと睨めっこしていたせいで頭が痛い。眉間を柔く揉みながら振り向くと、オリビアが微笑んでいた。


 その頃、自分の能力の汎用についての研究を放棄したところだった。実現の目処は立っていたけれど、リスクが余りにも高かったからだ。

 他人の心なんて覗くべきではないし、嘘が見えても真実が解る訳じゃないからだ。自分の能力は歪で、不完全で、虚しいものなのだ。


 代わりに仲間の研究を手伝っていた。

 オリビアはアンカー理論という先天的被害者体質について、その改善方法を探っているらしかった。


 正直、どうだろうな、という気持ちだった。

 リスクはある。これが証明されたら、魔女狩りのような弾圧と排除が始まるかも知れない。だからこそ、彼女は改善方法を探っているのだろうけれど、リスクとメリットが釣り合わないのだ。


 オリビアは机に頬杖を突いて、悪戯っぽく笑った。




「ビンゴ大会があったでしょ? あの時、貴方の周りは皆何かしら景品を貰えていたのに、貴方だけは何も手に入らなかった」




 そういえば、そんなこともあったな。

 リュウが当てたジューサーは使い道が無いと言うことから自分の部屋にある。どちらにせよ、そんなお洒落な家電は使わないのだけど。




「ポルターガイストの調査をした時も、貴方ばかりが避雷針みたいに狙われてたわね。……私の研究では、アンカーはスピーカー型とターゲット型に分類される。大抵の人はどちらの傾向も持ち合わせているけど、アンカーと呼ばれる人は明確に偏っているの」




 オリビアは天涯孤独の身である。

 父親は彼女の生まれた日に交通事故で亡くなり、母親はアルコール中毒になった。幼少期より彼女を虐待し、やがて死んだ。彼女の周囲は不幸に満ちていて、目に見えない何かの意思を感じさせる程だった。だから、アンカー理論の研究に固執するのだろう。自分の身に降り注ぐ不幸に理由が欲しかったから。




「俺がアンカーだって?」

「ええ。恐らく、貴方はターゲット型のアンカーよ」




 ターゲット型は珍しいのよ、と何故かオリビアが得意げに言った。




「ターゲット型は周囲の不幸を引き寄せてしまうから、短命なのよね」

「……」




 自分も他人のことを言えた義理ではないが、彼女も大概デリカシーが無いだろう。




「ターゲット型って、幸せの王子に似ていると思わない?」




 オスカーワイルドの寓話、しあわせの王子。

 つまり彼女は、ターゲット型は不幸を引き寄せているのではなく、自分の幸福をばら撒いているのではないかと考えているのだ。


 この違いにどんな意味があるのかは解らない。彼女にとって大切なことであるとは解るけれど、それをどうしたら同じように大切に出来るのか見当も付かないのだ。




「神を信じない貴方を最期の時に救ってくれるのは、一体誰なのかしら?」




 自分に神はいない。

 概念として人知を超越した存在については理解しているが、自分には必要が無かった。先日もアーロン助教授と激しくディスカッションして言い返したばかりだった。


 自分に神はいらなかった。

 窮地に祈り、幸福に感謝する相手なら他にいる。




「俺は不幸だと思ったことはないよ。俺の幸運が誰かの為になるなら、それで良い」




 欲の無い人ね、とオリビアが言った。

 そうかな、と首を捻った。


 だって、そうだろう?

 自分の幸福が誰かの為になって、自分が不幸な時は誰かが必ず助けてくれる。情けは人の為ならずと言うくらいだから、禍福は巡り巡って自分の元に帰って来るのではないだろうか。


 そう考えると、アンカー理論は中々に面白い。

 因果応報に似ている。彼女のばら撒いた不幸が自身に返って来るように、自分の配った幸福が舞い戻る。これは不幸の証明と呼ぶよりも、救済なのではないかと思った。


 自分には血肉を分けた双子の弟がいる。

 性格は苛烈で粗暴。けれど、繊細で心根の優しい弟だ。自分が通り過ぎてしまった風景や取り零した感情を、航が拾ってくれる。幸も不幸も、脅威も航が知覚している。航がいるということが、自分にとっては救いだった。




「アンカー理論は面白いね。特に、救済策があるところがね」




 オリビアは不思議そうに見詰めて来た。


 パソコンに向き合う。

 自分の研究して来たものが、彼女を救うかも知れないと思った。遺伝と超能力の関係。彼女の体質は彼女の責任ではないし、それは誰にでも起こり得ることだ。


 祈るようにキーボードを打ち続けた。


 願わくば、彼女が孤独にならないように。

 差別と弾圧の雨に晒される人を守る傘になるように。

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