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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
11.天国に告ぐ
73/106

⑸Fucker

 これは、俺が選んだ地獄だから。

 まるで、何でもないことみたいに、湊が言った。航はそれが辛かった。湊は自分を守る為の嘘は吐かない。あれは全て真実なのだろう。


 拉致されたことも、暴行を受けたことも、仲間が拐われたことも、助けられなかったことも、全部他人事みたいだった。本人の中で乗り越えたからなのか、そうしなければ受け入れられなかったのかは解らない。湊が前を向いているのなら自分が何かを言う必要は無かった。この遣る瀬無さと虚しさは全て自分の勝手だ。


 湊という人間を思う。

 運動も勉強も何でも出来て、人当たりも良くて、非の打ち所が無いくらいの優等生で、けれど、誰より勤勉で実直だった。

 理不尽と不条理の雨の中を傘も差さずに歩き続け、弱音も泣き言も言わないで、今も崖の淵を進み続けている。そんな湊の挫折が、二度と取り返しの付かないものだったなんて、おかしいじゃないか。


 湊をバイクの後部座席に乗せて走って行く。一人で走っている時よりも重量は増えている筈なのに速く感じるのが不思議だった。




「……去年の夏」




 信号待ちの間、湊が言った。

 航はサイドミラー越しに後ろを見た。湊は片手でヘルメットを押さえながら、朝の街並みを眺めているようだった。




「夜中に電話したんだ。覚えてる?」




 航は答えなかった。

 覚えていないのだ。着信履歴は残っているけれど、会話した覚えが無い。先程もリュウに責められたばかりだ。




「航の声が聞きたくなってさ」




 信号が変わる。航はじわじわとクラッチをじわじわと離しながら、後方から聞こえる湊の声に耳を澄ませた。




「航の声を聞いたら、なんだか安心して、よく寝られたんだ。だから、ありがとう」




 航は舌打ちを漏らした。

 ふざけんなよ、と怒鳴ってやりたかった。


 俺はお前が拉致されて暴行を受けた時も、昏睡状態で生死の境を彷徨っていた時も、何も知らずに呑気に暮らしていたんだ。お前が縋るように、祈るように電話を掛けて来た時も、きっと自分は何も知らずに寝ていたのだろう。だから、覚えてすらいない。


 それを、ありがとうだと?

 ふざけんな!


 湊はいつも少しずれている。

 オリビアの件にしたってそうだ。湊には何の責任も無い。あんなレポートを送ったところで、オリビアが救われたとは思えないのだ。


 それは遺伝だから仕方が無いだなんて言われたって、納得出来ないだろう。彼女は自分の体質を恨んだのだ。だから、アンカー理論に固執した。


 ふと、思った。

 人工的に超能力者を作り出せるのならば、その逆も出来るのではないか? あのレポートは未完成だった?


 腹の底がざわざわとして落ち着かない。全てを知った筈なのに、身動きの取れない泥濘に嵌ってしまっているようだ。知れば知る程に全体像がぼやけて、真実から遠去かる。


 嘘は真実の中に紛れ込ませる。それが湊の常套手段だ。


 もしかして、まだ何か隠しているんじゃないか?









 11.天国に告ぐ

 ⑸Fucker









 病院のロビーは人で賑わっていた。一見すると健常に見える人間も、何かしらの疾病を抱えているのだろう。目に見えるものは少ない。ましてや、人の心なんて見えもしなければ聞こえもしない。


 湊が受付の前に立っている。

 面会手続きを済ませているのだ。航はその背中をぼんやり見ていた。


 不意に名前を呼ばれた。

 振り返るとリーアムが立っていた。その手には花瓶が下げられている。




「……リリーのお見舞いに来てくれたの?」




 何処と無く覇気が無かった。

 良い知らせは無さそうだった。受付に立っている湊は振り向かない。航は様子を伺いながら頷いた。




「湊は?」

「今、受付を済ませてる」

「ああ、本当だ」




 リーアムは受付を見遣り、吐息を漏らすようにして笑った。




「毎日のように来てくれてるよ。律儀だね」

「……リリーの具合は?」

「まあまあかな。薬のせいで、起きてる時間の方が少ないんだ。湊が来る時は起きてるから、不思議だよね」




 そんなに容態が悪化していただなんて知らなかった。

 自分がいない間、湊はどんな気持ちでリリーと向き合ったのだろう。何も出来ることなんて無いのに。




「リリーがね、湊の話をするんだ。嬉しそうに。……僕も感謝してるよ」

「そうか……」

「死にたくないなって、言ってた」




 胸が詰まるようだった。

 此処には紛争も飢餓も無いのに、理不尽な病によって生命を奪われようとしている人がいる。なんて、残酷なんだろう。


 受付を済ませた湊が戻って来ると、リーアムを見て驚いたように目を丸めた。社交辞令的な挨拶をして、湊は自分の両手を見遣った。

 見舞いの品が無いことに焦っているらしい。珍しい反応だ。航は苦笑した。


 三人並んで病室を目指す。春の日差しが廊下を満たしていた。擦れ違う人々の表情も明るく見えた。


 病室の前に立った時、湊が振り向いて妙なことを訊いて来た。




「俺、変な顔してない?」

「はあ?」

「なんか最近、リリーの前で上手く笑えないんだよね。笑いたいのに、泣きたいような気もするんだ」




 変だよね。

 子供みたいに湊が言った。




「リリーを心配させたくないんだ」

「……お前は大体変な顔してるよ。いつも通りだ」

「そうか。良かったよ」




 馬鹿にしたつもりだったのに、湊は心底安心したみたいに胸を撫で下ろす。


 あの子といると、少しだけ、世界が優しくなるんだ。

 以前、湊が言っていた。


 リリーの前で上手く笑えないのも、見舞いの品が無いことを気にするのも、頓着無い筈の服を選ぶのも、全部一つの結論に繋がっている。けれど、湊だけがそれに気付かない。


 あの湊が、誰かを特別に想うのか。

 誰かを、愛することが出来るのか。


 福音が聞こえるようだ。胸が温かくなる。何故か心臓がちくりと傷むけれど、気のせいだろう。




「湊は頭が良いのに、幼いところがあるよね。純粋なのかな」




 リーアムは苦笑していた。馬鹿にされたと思ったのか、湊が眉を寄せる。

 慌てたようにリーアムが手を振るのが可笑しかった。茶番のような遣り取りだ。現実は何一つ好転していないのに、咎めようとは思わなかった。


 リリーは眠っていた。

 リーアムが言うには、薬の副作用らしい。航は、久々に見る彼女の姿に愕然とした。頬の肉は削げ落ちて、眉毛は所々抜け落ちている。彼女に残された時間は残り僅かなのだと知らされているようだった。


 眠っているリリーの掌を撫でて、湊が何かを言った。航には聞き取れなかった。恐らく、リーアムにも。でも、リリーには届いていれば良いなと思った。


 病室を出て、このまま帰るのも何をしに来たんだという気がしたので、三人で喫茶店に入った。航はロイヤルミルクティー、リーアムはカフェオレ、湊はアメリカンコーヒーを頼んだ。コーヒーばかり飲んでいるから背が伸びないんだと言ってやったら、湊が憤慨していた。


 閑散とした店内の奥のボックス席が空いていたので、三人で座った。その時、携帯電話が鳴った。ポケットから取り出してみるとルークから着信が入っていた。


 折り返そうか迷っていると、メッセージが届いた。隣に座る湊に見えないように開くと、何かの音声ファイルが届いていた。


 コーヒーを啜った湊がのんびりと言った。




「ルーク?」




 危うくミルクティーを吹き出すところだった。

 何故、そう思うのだろう。まさか傍受されているのだろうか。航が睨むと、湊は笑った。




「あのファイルを送ったのもルークだろ?」




 航は舌打ちした。しかし、隠す手間が省けた。

 そのまま席を立つと、リーアムが不思議そうに首を捻った。湊は笑っている。




「また二人で悪巧み?」

「うるせぇ」




 怖い怖い、と湊がコミカルに肩を竦めた。

 湊を一人にするのも不安だが、リーアムがいるなら大丈夫だろう。


 ちょっと電話して来る、と告げると、二人は愛想良く手を振った。似た者同士だ。


 喫茶店の外に出てからルークに折り返しの電話を入れた。携帯電話の前で待ち構えていたのか、呼び出し音も聞こえず、通話が繋がった。




「何を送って来たんだよ」

『まだ開いてないのかよ』




 いつも飄々として掴み所の無いルークにしては、やけに切羽詰まった声だった。通話しながら音声ファイルを聞くことは出来ないので、航は渋々肯定した。




『SLCのデータバンクにハッキング掛けたらさぁ、湊専用のファイルがあって』

「なんだ、そりゃ」

『あのレポートと一緒に、さっき送った音声ファイルがあったんだよ』




 それで?

 航は先を促した。




「それで、結局何だったんだよ」

『多分、雑誌に載ってたハバナでの遣り取りだと思う。それから……、なんか、湊の叫び声みたいな』




 聞き捨てならない言葉だ。

 ハバナでの遣り取りは今の航が聞かなければならないものであるし、叫び声とは穏やかじゃない。あの図太い湊が叫ぶなんて余程のことだ。もしかして、拉致暴行された時の記録か?




「……すぐ聞いてみる」

『ああ。その方が良い』

「ルーク。色々ありがとな。でも、これ以上は介入するな。危ねぇから」




 スピーカーの向こうでルークが笑った。

 SLCは巨大な組織だ。しかも、成果の為に人殺しも厭わないような狂人の集まりである。ルークはこの情報を掴む為にSLCのデータバンクにハッキングをしたと言っている。目を付けられたら何をされるか解らない。

 彼のことだから痕跡は残していないのだろうけれど、巻き込みたくは無い。友達なら尚更のことだ。




『解った。俺はこれ以上は関わらねぇ。だけど、航はそういう訳にはいかないんだろ?』

「まあな」

『俺に出来ることがあったら、遠慮無く言えよ。俺はお前等の幼馴染みたいなもんなんだからな』




 幼馴染か。

 何となく擽ったい響きだ。


 航は通話を切った。店内にいる湊とリーアムの様子を伺いながら、イヤホンを取り出して、ルークから送られて来た音声ファイルを開いた。


 再生。ーーそして、次の瞬間、鼓膜が破れるかと思った。


 サイレンのような音が耳を劈く。航は咄嗟にイヤホンを外した。携帯電話の画面が真っ黒に染め上げられ、発火しそうに熱くなった。


 爆発するのではないかと思った。慌ててその場に投げ捨てる。通行人が訝しむように白い目を向けて来るが、それどころではなかった。

 黒い画面の中央に、赤い文字が浮かび上がる。


 ーーGAME OVER


 こんなアプリは入れていない。

 まさか、ウイルスか?


 文字の次にはピエロの首が映った。まるでホラー映画だ。ピエロは此方を嘲笑うように指を突き付け、歯を剥き出しにしてゲームオーバーを映す。


 携帯電話から白い煙が上がる。プラスチックのカバーが見る見る内に熱でひしゃげて行く。ピエロはけたけたと笑っている。気味が悪い。


 そのままにしておく訳にもいかないので、スニーカーの爪先で蹴って道端へ寄せた。通行人から離れ、航は距離を置きつつ画面を見詰めた。


 ルークはこんな性質の悪い悪戯はしない。

 じゃあ、誰が。まさか、SLC?


 突然、ピエロが消えた。その次に映ったのは、真っ赤な動画だった。何が映っているのか解らないくらい画面一杯が赤く染まっている。


 じっと見詰めている内に、それが何か解った。

 血だ。画面に映っているのは、サバトを連想させる不気味な儀式の様子である。台に括り付けられた子供を、マスクを被った大勢の人が取り囲み、刃で滅多刺しにしている。


 スプラッター映画のワンシーンなのだろうか。それとも、まさか、本物?

 航には解らない。状況に全く付いて行けず、ただただ困惑していた。その時、ノイズ混じりの音声がいきなり再生された。




『……貴方達の主義に共感することは出来ない……』




 湊の声だった。

 映像とは全くリンクしていないけれど、聞き間違う筈も無い。




『……大層なお題目を唱えてはいるけれど、……やろうとしていることは、力こそ正義という原始的で幼稚な子供の喧嘩と同じだ……』




 何だ、これ。

 もしかして、これがルークの言っていた音声ファイルか?




『科学とは、明るい未来を創る為のツールだ……俺はそう……思う』




 所々音が飛んでしまっている。

 航は周囲を見回した。通行人はいない。これを聞かれる恐れは無さそうだ。





『……誰かを否定し貶める為の技術ではない……連綿と受け継がれて来た……人類の叡智の結晶……未来を照らす可能性の光……それを虚栄心を満たす為だけに使われては……人類史に名を残して来た多くの偉人の功績を踏み躙ることになる……』




 何のことを言っているのかは解らない。

 映像は生贄の内臓を引き摺り出し、マスクを被った人々が生き血を頭から浴びているところだった。フィクションにしても、悪趣味過ぎる。


 映像と音声が余りにもちぐはぐで、湊の言葉の内容が全く頭に入って来ない。




『……主義主張の異なる人々が共通の目標を持ち……足並み揃える未来はまだ遥かに遠いだろう……今も海の向こうでは戦争が続き……少年兵は銃を取り……母は敵を殺せと教える……だけど』




 血塗れの生贄の手足は細かった。子供だ。

 恐らく、自分達と同じくらいの。


 湊の声が凛と響く。




『……だけど……歩みを止めない限り……いつかは届く』




 其処で、映像と音声は途絶えた。携帯電話の画面は再び真っ黒になり、間抜けな破裂音を響かせて動かなくなった。灰色の煙がもうもうと上がる。


 航は呆然と立ち尽くしていた。

 携帯電話が壊れたことも、トロイの木馬のようはウイルスが入っていたことも、腹は立つが仕方無い。それよりも我慢ならないのは、この映像を送って来た何者かだ。


 経緯は見えないけれど、湊は本当に大切なことを、真摯に訴えたのだ。相手に心があると信じて。

 それをこんな悪趣味な映像に合成して、何のつもりだ。馬鹿にするにも程がある。


 おい、湊。

 航は此処にいない兄へ心の中で呼び掛ける。


 こいつ等は、クソ野郎だ。

 お前の言葉は何一つ届いちゃいない。


 全ての人が悪人とは思わない。けれど、この世には救いようの無いクズが蔓延っているんだぜ。

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