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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
11.天国に告ぐ
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⑶示唆

 夜明け前の薄闇をバイクで切り裂いて行く。初春の冷たい空気が頬を撫で、航は不意に背中に寒さを感じた。

 思えば、ここ数日は湊を後部座席に乗せていた。一人でバイクに乗っていると何となく軽くて、寒いのだ。


 悴む手を擦り合わせながら、航は目的地である駅裏の喫茶店へやって来た。目当ての人物はカウンター奥で悠々とコーヒーを啜っている。


 糊の効いたグレーのスーツと皺一つ無い真っ白なシャツ。品の良い落ち着いた色合いのネクタイは金色のピンで留められていた。普段は仕事に忙殺されている筈なのに、彼は完璧に身支度を整えている。




「葵君」




 航が呼ぶと、葵君は微かに口の端を上げた。

 空席を一つ挟んでカウンターチェアに座ると、口髭を蓄えた店主がダージリンを運んで来た。航は会釈をして、立ち昇る湯気を眺めていた。




「湊は?」

「家にいるよ。俺が出る時は起きたけど、また寝たんじゃないかな」

「そうか」




 葵君は一度話を区切った。何かを考え込むような沈黙がまどろっこしくて、航は問い掛けた。




「湊とSLCの間で何があったのか解ったの?」




 葵君は徐に懐へ手を伸ばした。すぐにしまった、みたいな顔をして、ばつが悪そうに目を逸らす。煙草を探したんだろうか。昔は喫煙者だったと聞いているから、その名残が未だに抜けないらしい。


 調査結果に期待は出来ないと判断した航は、ポケットから携帯電話を取り出した。




「見て欲しいものがある」




 表示したのはルークから送られて来た湊の研究レポートだ。


 超常現象の中でも超能力に焦点を当て、遺伝子学と脳科学の観点から科学的に解明しようとしているらしい。そして、それは複数の臨床実験から根拠を示し、超能力は身体機能である為に遺伝すると述べている。


 気になるのは臨床実験の時期だ。

 この論文を書き上げたのは夏。湊は大学一年生。しかし、臨床実験はそれ以前に行われている。その頃はまだ寮にも入っていなかったし、航と同じ学校だった。

 そうなると、この臨床実験は別の人間が行ったことになる。湊はそれを受け、論文を書き上げた。


 気になる点はまだある。

 遺伝の根拠として挙げられた或る例である。


 他者の思考を読み取る能力を持った子供だ。父も同じ能力を持っており、更に祖父も同様であった。それは世代を超えるに連れて強化されていった。


 祖父はぼんやりと解る程度であったが、父は高校時代にそれを発現し、かなり高い精度を誇った。そして、その子供は六歳の頃に発現し、百発百中であったと言う。


 暈してはいるが、これは湊のことだ。湊は自分自身の能力についての研究をしていたのだ。そうして行き着いたのが脳科学。


 葵君は論文を読み終えると、深い溜息を吐いた。




「これは、公式に発表されているのか?」

「……解らない」

「もしもこれが公式に発表されていたなら、軍事的な争いの火種になるだろうな」




 航は頷いた。

 人工的に超能力者を作ることが出来るとしたら、それは浪漫では済まない。湊は超能力発現の一因として特定の脳内物質について言及している。汎用性が高いだけに、悪用の方法は幾らでもありそうだ。


 葵君は足元に落としていた鞄からタブレットを引っ張り出して、方眼の画面に線を引いた。どうやら、時系列を纏めてくれるらしい。時系列を遡る。


 湊が変装する。

 オリビア・スチュアートの死。

 ハバナでの大立ち回り。

 湊の入院。

 論文の完成。

 入学。


 航は顳顬の辺りに痛みを覚えた。


 SLCはハバナに本拠地を置く信仰宗教。科学による精神の解放を謳い、積極的に独自に開発した新薬を投与する。


 湊とSLCの繋がりが見えない。接点が無いのだ。科学という一点でも、方向性が違う。


 その時、葵君が言った。




「ルーカス氏もSLCの会員だった」




 背筋に冷たいものが走った。

 ルーカス氏の妻は薬物によって自殺させられた。それはもしかすると、SLCの開発した新薬だったのではないか?




「ルーカス氏が死んだのも夏だ。時系列としては、論文が完成した後だな」




 航は唾を飲み込んだ。




「……湊が言ってたんだけど、ルーカス氏は超心理学の軍事的応用に莫大な資産を投資していたって」

「本当に、あいつは何処でそんなこと調べてるんだろうな」




 独り言みたいに、葵君が言った。




「湊は自分の能力について研究をしてた。それで、この論文を書き上げた。……でも、なんか、湊らしくねぇ」

「どういうことだ?」




 解らないけど、と前置きして、航は言った。




「湊は自己顕示欲とか無いんだよ。他者評価も求めない。それなのに、何でわざわざ研究結果をわざわざ論文にしたんだろう」

「偽物だとでも?」

「いや、文章の癖は完全に湊だよ。ただ、何となく、これは成果を求めた研究レポートって感じじゃないんだよな」




 言いながらも、航自身よく解らなかった。

 内容は超能力についての研究レポートである。だが、文章の其処此処に散りばめられた言葉には祈りのようなものが感じられた。




「最後のページ、湊のサインがある。その下に小さく書かれてるだろ。ーー大切な友達に捧ぐって」




 それが誰を示すのか、航にはもう解る。




「これは、オリビア・スチュアートに宛てた手紙なんじゃないか?」




 手紙?

 葵君が眉を寄せた。




「これが手紙だとして、何故こんなものを書いたんだ? いや、個人的な手紙をどうこう言うつもりは無いが」

「そっちはどうでも良いよ。問題は、これがどうして此処にあるのかってことだろ」




 個人的な手紙を、どうしてルークが入手出来たのか。

 遣り方を咎めるつもりは無いが、これはそもそも、何処に保管されていたのだろうか。


 湊か、オリビアか。それとも。




「俺の友達が送ってくれたんだ。だから、何処で入手したのか訊いてみる」

「ああ」

「葵君はうちの前に出る不審者をどうにかしてくれよ」

「解ってる」

「俺はこれから湊の友達に会ってみる。何か良くないことが起こる気がする」




 冷めたダージリンを飲み干して、航は席を立った。財布を取り出そうとしたら、葵君に止められた。奢ってくれるらしい。


 喫茶店を出てから、最初に湊へ電話を掛けた。

 微睡んだ声が応答する。どうやらまだ家にいるらしいが、外出の予定があると言う。しかも、その行き先がリリーの元だったので、止めることは躊躇われた。




「俺も行く」




 航の提案を、湊は断らなかった。強請るように家まで迎えに来て欲しいと言って、少しだけ笑ったようだった。

 スピーカーの向こうで微かな金属音が聞こえた。キーホルダーでも弄んでいるのかと思ったが、それが自分の首元からも聞こえたので、音の正体を悟った。


 シャツの下、金色の華奢なネックレスが掛かっている。鎖の先には鳥籠のような金属が巻き付けられ、中には小さな天然石の欠片が入っていた。


 幼い頃に父から貰った土産の品なのだ。航はラピスラズリ、湊はターコイズ。所謂パワーストーンらしいが、よく解らない。

 アクセサリーの類は好きじゃなかったが、湊が嬉しそうにしていたので、まあ良いかくらいにしか思っていなかった。


 ネックレスを握る。

 自分に神はいない。窮地に祈り、幸福に感謝する相手はいつも自分だった。全部自分で成し遂げたいと思っていたし、そういう自分が一番だった。けれど、それを変えたのは湊だった。


 悲しい時に一緒に泣いて、苦しい時に励まし合って、楽しい時には腹を抱えて笑い、嬉しい時には抱き合って喜んだ。そういう存在がいることを、幸福だと思った。

 だから、湊が苦しいのならば自分は助けるし、立ち止まるなら背中を押すし、蹲るなら手を引いて歩く。自分達は双子の兄弟だ。


 湊。

 スピーカー越しに呼び掛ける。兄が目の前にいないことが心底残念だった。湊は穏やかな声で「うん」とだけ答えた。

 自然と掌には力が篭っていた。何が起きているのか、何を抱え込んでいるのかは解らない。それでも、この声が届けと祈るように、航は口を開いた。




「必ず迎えに行く。だから、お前は待っていれば良い」

『……うん』




 沈み込むような声で湊が返事をした。




『待ってる』




 其処で、通話は切れた。







 11.天国に告ぐ

 ⑶示唆







 ルークからのメッセージが届いていた。


 それを見た時、航は居ても立っても居られず、今すぐに湊の元へ駆け付けたいと思った。けれど、確認しなければならないこともあった。どちらを優先するべきなのか航には解らなかった。携帯電話をポケットに押し込み、全ての真相を知っているだろう人物の元へ急いだ。


 田舎町の片隅、藪に覆われた獣道をバイクで進む。露出した石に操作を奪われて何度もシートの上で跳ねた。

 砂利の敷き詰められた庭先にバイクを停めると、エンジンの音を聞き付けたのか、何処かで見張っていたのかは解らないが、既にライリーが玄関先で待っていた。


 発信機の類でも付けられているのだろうか。スパイ映画さながらのハイセキュリティに驚いている暇は無い。病院の面会時刻に間に合うように湊を迎えに行かなければならなかった。


 ライリーは野暮ったい眼鏡を掛けていた。分厚いレンズの向こうにある瞳は、此方を品定めするかのように眇められている。

 航がヘルメットを脱ぐと、玄関の扉が開いて、もう一人の青年が現れた。


 喪服のように上下黒一色の青年、リュウは愛想の欠片も無い仏頂面だった。連絡の一つもせずにやって来た航を快く思っていないのだろう。尤も、彼は元々自分に敵対的だった。


 ライリーはリュウを見遣ると、苦笑いを浮かべた。




「……よぉ。何かあったか?」




 警戒を隠し、好意的な顔でライリーが言う。その程度で絆される気は無かった。彼等には訊かなければならないことがある。




「あんた等、このこと、知ってるのか?」




 航は彼等の眼前に、湊の研究レポートを突き付けた。ライリーは眼鏡のフレームに触れ、小さな画面を覗き込んだ。一方で、リュウは目もくれなかった。それがまた、航の苛立ちを煽った。




「俺の友達が調べてくれたんだ。このデータ、何処にあったと思う?」

「……」

「SLCのデータバンクだ」



 

 ライリーはまるで痛みを堪えるかのように眉根を寄せた。リュウの鉄面皮に、微かに違う色が浮かぶ。しかし、航にはそれがどのような感情なのか解らない。


 以前、航は友達のルークに、湊の調査を頼んだ。

 ルークは調査を進める内にSLCとの繋がりに気付いた。そして、SLCのデータバンクに侵入し、湊の研究レポートを見付けたのだと言う。


 湊がどのような意図でこのレポートを書き上げたのかはこの際どうでも良い。問題は、どうしてそれがSLCの手に渡ったのかということだ。湊がSLCに送る理由は無い。ならば、答えは一つだ。




「オリビア・スチュアートは、SLCの一員だったのか?」




 ライリーの表情筋が痙攣した。

 自分は湊ではないけれど、ライリーの思考が読める気がした。




「去年の夏、湊が入院したって言ってたな。暴行したのはSLCだろ。オリビアがやったのか」

「……」

「……あんた等、一番近くにいたんだろ?! 何で!!」




 ライリーが顔を歪めて、何かを答えようとした。それが言い訳でも弁解でも、許すつもりは無かった。

 その時、それまで石像のように黙っていたリュウが、ライリーの言葉を遮った。




「それを、貴方が言うんですか?」




 どういう意味だ。

 航が睨み付けても、リュウは眉一つ動かさなかった。




「湊が入院したことは聞いてますね。その概要も調べたようですね。では、詳細を教えてあげましょう」

「リュウ」




 ライリーが咎めるように呼ぶが、リュウは無視して続けた。




「SLCの会員に拉致されて、暴行を受けたんです。……僕が見付けた時は血塗れで、身体は痣だらけでした。搬送されてから三日間は昏睡状態で、目が覚めた時には右耳の聴力が著しく低下していて、平衡感覚が狂っていて歩けませんでした。内臓も損傷していたので食事は流動食で、薬の副作用で毎日嘔吐していました」




 まるで、何でもないことみたいに。

 リュウの吐き出す言葉一つ一つに毒が込められているかのようだった。調べれば調べる程、知れば知る程、残酷な真実が現れる。底無し沼に片足を取られているかのように身動きが出来ない。




「僕が一番側にいました。助けて、守ってやるべきだった。僕の責任です。……ですが、湊がそんな状態の時、航は何をしていましたか?」




 航は答えられなかった。

 リュウは具体的な日付を挙げた。それは、湊から深夜に着信があった頃だった。




「湊の携帯には発信履歴が残っていましたよ。航は何も聞いていないんですか。何も気付かなかったんですか」

「湊は、そういうの、言わねぇよ」




 運動をした訳でも無いのに、何故だか呼吸が苦しい。

 航が喘ぐように言うと、リュウは呆れたように返した。




「そんなこと、知っていたでしょう。湊の怪我は湊の勝手で、誰のせいでもない。湊は僕等のことも、貴方のことも責めない。だから、僕等も貴方も責めるべきじゃない」




 違う。

 その言葉は、喉の奥に張り付いて声にならなかった。


 湊がどうとか、関係無いのだ。

 自分は自分が納得出来ないから調査して、我慢ならないから彼等を責めた。


 ライリーは深々と溜息を吐くと、腰に手を当てて言った。




「お前の推理が正しいのか、俺達は答え合わせはしねぇ。オリビアが何をしたのか、湊が何を隠しているのか、これ以上答えるつもりも無ぇ」

「……」

「訊きたいなら、湊に直接訊け」




 航は舌を打った。

 手当たり次第に八つ当たりをしたい気分だった。不意にポケットに押し込んでいた携帯電話が震えた。取り出してみると、湊からの着信が入っていた。予定時間を過ぎていたので、文句だろうか。


 航はリュウとリーアムを睨みながら折り返しの電話をした。しかし、電話は繋がらなかった。

 待ち切れずに家を出たのではないか。そんなことを思い、携帯電話をポケットに戻す。怒りのせいか指先が震えて、携帯電話は砂利の上に落ちた。


 踏んだり蹴ったりだ。

 航が俯いて拾おうとした時、首元に下げていたネックレスが服の下から溢れた。鎖が微かな音を立てる。




「……それは」




 頭の上から、リュウの声がした。

 顔を上げると、リュウは信じられないものを見たかのように目を丸め、呆然としていた。


 何だ、その顔は。


 航はネックレスを定位置に戻し、リュウを睨んだ。其方が何も答えないと言うのなら、此方だって答える義理は無い。


 リュウは航の視線に気付くと、気まずそうに目を逸らした。彼がそんな反応をするのは初めてだった。




「僕が湊を見付けた時、胸元を握っていました。それから、入院中も。……癖だと思っていましたが、違ったのでしょうね」




 湊にそんな癖は無い。

 じゃあ、何故?




「あれは、ネックレスを握っていたのでしょう。君とお揃いのそれを」




 それがどんな意味を持つのか、解らない程鈍くはない。込み上げる遣る瀬無さに舌を打つ。


 なあ、湊。

 お前、何を隠してる。

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