⑷隠匿
葵君からの折り返しの電話が入っていた。
航が携帯電話を手に取ると、当たり前のように湊が耳を寄せて来た。特に指摘せずに応答すると、リーアムが苦笑した。
数回のコールの後、聞き慣れた葵君の声が聞こえた。
寝起きのような掠れた声には疲労感が漂う。葵君が多忙であることは知っていたので、申し訳無い気持ちだった。
話したいことがあった。けれど、此方の話には根拠も確証も無かった。荒唐無稽な御伽噺だ。葵君がどのように受け止めるのか解らないが、自分ならば下らないと腹を立てたかも知れない。
葵君は黙って話を聞いてくれた。
聞き終えると最後に湊と代わるように言ったので、航は携帯電話を渡した。
湊は暫く聞き役に徹していた。何度か相槌を打ち、そのまま通話を終えた。
「叱られなかったよ」
湊はそれだけを言って、口を噤んだ。
自分達の導き出した最低な可能性が否定されなかったというのは、喜ぶべきことでは無かった。真実ではなくとも、有り得ない話ではないということだ。
「話を聞いてくれるって」
恐らく、ルーカス氏のことだ。
航はリーアムへ目配せした。聡い青年は状況を察したかのように頷いて、バスケコートへ走って行った。
子供達の喧騒がやけに遠かった。航は周囲を窺いつつ話の先を促した。
「お互いの情報を共有する。鬼が出るか蛇が出るかは、解らないけどね」
航にはそれを咎めることが出来ない。
普段ならばこれ以上首を突っ込むなと留めたが、これは湊の出した結論だ。答え合わせをするなら湊は当然その場にいなければならない。
「俺も行くからな」
「うん」
湊は頷いた。
9.生贄
⑷隠匿
バスケを終えたリーアムが戻って来たので、話はそのまま終わりになった。湊は携帯電話を握って誰かと話していた。恐らく、あの気の良い仲間達だろう。
何の話をしていたのかは解らないが、問い詰めはしなかった。此処で追求すれば、湊を信じると言った自分の言葉が嘘になってしまう。
通話を終えた湊を後部座席に乗せて、航は葵君との待ち合わせ場所までバイクを走らせた。道中は互いに無言だった。夜の気配を連れた空は不吉に曇り、降雪を予感させる。
駅前の大通りにバイクを停め、湊に案内されながら裏通りを抜ける。落書きだらけの路地裏の先、寂れた喫茶店があった。半分だけシャッターが降りていて、扉には閉店を知らせるタグが掛かっている。
勝手知ったるとばかりに湊が扉を押し開けた。途端にコーヒーの芳ばしい香りが包み込む。頭上から涼やかな音が聞こえたので顔を上げると、両親の母国で見るような風鈴が飾られていた。
薄暗い店内に客はいない。磨き込まれた飴色のカウンターの向こうで、髭を蓄えた店主が軽く会釈した。夜はバーになっているのかも知れない。店主の後ろの壁一面は棚で、ウイスキーやワインの瓶が整然と並んでいた。
湊は小さく会釈を返すと、迷いの無い足取りで歩き出した。先へ視線を向けると、カウンターの奥に人影があった。その時になって漸く、航は透明人間の存在を知覚した。
透明人間こと葵君は、航と湊の後継人でもある。存在感が希薄なので、航は未だにその姿を見失う。
湊は葵君の隣へ座った。
葵君は此方を見て目を瞬いたが、特段、追求はしなかった。
「航には何処まで話しているんだ?」
葵君はコーヒーカップを片手にぼんやりと言った。
恐らく、自分に開示されていない情報があるのだろう。湊は小難しい顔をして唸った。葵君が溜息を吐く。
「この前の犯人、自殺したぞ」
航は息を呑んだ。
クラブで遭遇した殺人鬼だ。逮捕されてもなお抵抗を続けたあの男が自殺しただなんて想像も出来なかった。
「口内に青酸カリを仕込んでいたんだ。逮捕されることを想定していたのかも知れないし、死の危険に興奮する変態だったのかも知れない。どちらにしても、答えは闇の中だ」
葵君はコーヒーを啜った。
丁度、店主が二つのマグカップを運んで来た。温かいダージリンティーだった。豊かな茶葉の香りを吸い込みながら、両手でカップを包み込む。悴んだ指先が痺れるようだった。
「殺人罪の起訴は難しい。証拠が無いからな」
それはそうだろう。超能力で被害者を自殺させていただなんて、信じられる筈も無い。犯人が死んだ以上、立証出来ないのだ。
葵君はカップをカウンターに置くと、静かに言った。
「俺はオカルトが嫌いだ。だが、今回の事件のお蔭で、容易く否定することも出来なくなった」
葵君の声は疲れている。
航は黙っていた。
「被害者を検視したんだが、脳内状態が酷似していた。セロトニンの減少、ドーパミンの過剰分泌。あとはノルアドレナリンやエンドルフィンなんかも変化していたらしい」
聞いても正直、よく解らない。
詳細な説明を求めると、湊が答えた。
「状態としては鬱病の患者が、違法薬物の高揚感に支配されている感じだね。まあ、有り得ない状態ではないよ」
湊は言った。
「問題なのは、健常な複数の人が同じ状態になっているってことだ。それも、同時期に同じ場所で。大災害の後は精神を乱す人も多い。薬物に手を出す人もいる。でも、今回は違う」
有り得ないのだ。
生まれも育ちも異なる複数の人間が、或る日突然、精神を狂わせる。そして、自らの首を折って自殺する。
葵君が先を攫った。
「薬物は検出されていないし、被害者に精神病の既往歴は無い。腹立たしいが、現時点ではお前等の話す超能力って奴が最も有力だ」
葵君が顔を歪めると、湊が問い掛けた。
「公表はしないよね?」
「出来る訳ねぇだろ」
「うん」
俯いた湊は、何処か安心したように微笑んでいた。不謹慎だと航が睨むと、湊が言った。
「もしもこれが公表されたら、魔女狩りが始まるよ。世間は超能力者と殺人犯をイコールで繋ぐ」
超能力者。
例えば、ソフィアやリリーが槍玉に挙げられるのだ。虐げられる彼女達の姿を想像すると、堪らない。
航が俯いていると、湊が紅茶のお代わりを求めた。いつの間に飲み干したのか解らないが、気まずい沈黙を埋める兄の姿にほっとする。
「アメリア・ルーカスについても調べた」
葵君が言った。
湊は呑気にお代わりの紅茶を受け取っていた。丁寧に礼を言い、ふうふうと湯気を吹き飛ばす。葵君は此方の反応を待たずに続けた。
「ロイヤル・バンクからの入金も確認出来ている。お前等の言う通り、ルーカス氏は孤児院からアメリアを金で買ったんだろう」
FBI捜査官の葵君が言うのだから、事実も同然だ。湊の予言がまた一つ的中してしまった。
湊は両手でカップを包み込み、穏やかに言った。
「俺が調べたところによると、アメリアさんは病で亡くなっている。でも、死亡届を書いたのはロイヤル・バンクと繋がる大学病院だ。俺にはもう、その診断書を信じることが出来ない」
死亡も病も隠蔽することは容易い。
孤児院の時と同じ手口だ。金と権力に物を言わせ、個人的な不都合を隠蔽する。ロイヤル・バンクという大企業の闇を垣間見たような気がした。
葵君は眉を寄せ、口を噤んだ。言葉を躊躇っているようだった。湊には葵君の嘘が解る。それは、湊にとって葵君が他人だからだ。
「アメリア・ルーカスは自殺したんだよ」
航は息を呑んだ。
やはり、病は嘘だったのだ。
「病院から提出された届出には不審な点が多かったんだ。秘密裏に調査した結果、書類の改竄が認められた」
「糾弾しなかったのかよ」
「遺書が見付かっていないし、娘の為だと言われてしまえば、俺達にはそれ以上の追求は出来ない。死者と生者のどちらが大切かなんて解るだろ。それに、ロイヤル・バンクは米国最大の銀行だ。迂闊に手を出すことは難しい」
それでは、何の為の警察組織なんだろう。権力に屈したら司法はお終いだ。葵君だってそのくらい解る筈だ。
航は憤りを誤魔化すように紅茶を啜った。葵君は全くの無表情である。
「自殺する前の三年間、アメリア・ルーカスは鬱病で入院していた。遺書は見付かっていないが、他殺の可能性は無い。事件性が無い以上、捜査は出来ない」
「他殺じゃないって、どうして解るんだよ」
「まず、メリットが無い。ルーカス氏は愛妻家として有名だったしな。わざわざ孤児院に大金を積んで娶った妻を殺す理由が何処にあるんだ」
航は唸った。
事実を検証する為の情報が余りにも足りない。反論も出来ない。当時のFBIの捜査を責めることも、葵君の答えを否定することも無意味だった。
湊ばかりが口を開く。
「どうやって自殺したの?」
「睡眠薬のオーバードーズだよ。ルーカス氏と同じだ」
葵君は苦く言った。
「アメリアの怨念がルーカス氏を殺した。そんな非科学的な可能性が思い浮かぶくらい、奇妙な因果だろ」
湊は即座に否定した。
「怨念や呪いなんて自己暗示だよ。生前のルーカス氏が自責の念に囚われていたのなら、有り得るかも知れないけどね」
「アメリアの自殺の動機は解らない。そもそも大学病院は閉鎖的な世界だ。司法を嫌う傾向がある。関係者に伝手でもあるなら話は別だが」
其処まで言って、葵君は口を閉じた。
黒い瞳が何かを言いたげに見詰めて来る。航には、彼が何を考えているのか解った。
大学病院の関係者。司法を嫌う閉鎖的な世界。
一人だけ、思い当たる人がいる。
「親父に電話してみる」
湊が席を立った。航も葵君も止めなかった。
二人の父は、MSFとして中東の紛争地で医療援助を行っている。三ヶ月程の間隔で帰国するが、その間は近隣の大学病院で非常勤の医師として勤務していた。
年中人手不足の救命救急医として勤務することが多いらしいが、本来は精神科医である。情報を引き出すという意味では、父以上に適した相手はいなかった。ただし、医師には守秘義務がある。協力を仰ぎ、口を割らせるのは簡単なことじゃない。
喫茶店の外へ出て行く湊の背中を見送って、航はカウンターへ向き直った。紅茶は既に冷めていた。
店内には航と葵君と店主の三人だった。店主は不穏な会話をする自分達に見向きもしない。聞こえていない筈も無いけれど、何のリアクションもしない。葵君が指定した場所であることを考えると、信用出来る相手なのだろう。
「半年前のこと、湊から聞いているか?」
突然、葵君は切り出した。
航はカップをカウンターへ戻した。
「直接は聞いてない。でも、大怪我で入院したこととか、仲間の一人が死んだこととか、……カルト集団と衝突したことは知ってる」
葵君は「そうか」と短く言って、コーヒーを飲んだ。
「そのカルト集団ーーSLCについては?」
「あんまり。胡散臭いとは思うけど」
「胡散臭いどころじゃねぇ。俺から見れば、危険思想を持った異常者の集まりだ。一介の学生が立ち向かうべき相手じゃねぇよ」
どういうことだ。
航は身を乗り出した。
「湊は何でそんな奴等と関わったんだ?」
「解らない。俺が知ってるのは概要だけだ」
「それでも良い。教えてくれ」
葵君は喫茶店の外へ目をやった。湊が戻って来る気配は無い。
「半年前の夏、深夜の大学病院に湊が緊急搬送された。激しい殴打による多数の内出血、右腕の螺旋骨折。複数の臓器が損傷し、出血多量で意識が無かった」
息が出来なかった。
以前、ライリーから見せてもらった写真では、表面上は元気そうだったのに。
「複数名からの一方的な暴力を受けたと思われる。第一発見者は同じ大学の李瀏亮。場所は大学近くの山の中で、GPSで発見したらしい」
航は耳を疑った。
去年の夏の大怪我について、湊を問い詰めたことがある。その時には超常現象の調査でポルターガイストに巻き込まれたと言っていた。恐らく、嘘ではないのだろう。全てを話していないだけだ。
嘘は真実の中に紛れさせる。
湊の常套手段だ。
複数名からの一方的な暴力ということは、ただの喧嘩ではない。リンチだ。GPSで発見されたのなら携帯電話も持っていたのだろう。それでも、助けを求めることも、逃げることも出来なかったというのか?
どういう状況だ。
航は額を押さえた。
「湊も李瀏亮も、解らないの一点張りだ。それからあのギーク集団はSLCの本拠地へ乗り込んで、大立ち回りをしたんだ。時系列を考えると、リンチを行ったのはSLCだろう。その後、オリビア・スチュアートは死んだ」
頭の中を整理する。
全ての始まりは去年の夏。湊が大怪我をして緊急搬送された。それからSLCの本拠地へ乗り込み、大立ち回りを演じ、オリビア・スチュアートは死んだ。
解らないのは、オリビアの立ち位置だ。
彼女は何故死んだのか。そして、湊は何故狙われたのか。
考え込んでいると、葵君が言った。
「湊があんな格好をするようになったのは、その後からだ。意味の無いことはしない奴だ。理由は必ずあるだろう」
「ああ」
「お前、SNSやってるか?」
急な話題の転換に驚きつつ、航は首を振った。
やっていると言える程、インターネットに浸かっていない。アプリはダウンロードしていても、それだけだ。そもそも、ちまちま近況を上げて自己承認欲求を満たす遣り方は自分に合わないのだ。近況を知りたいと思う他人もいない。
「今は殆ど削除されているが、当時は湊の話題で持ち切りだったんだ」
「湊の何がそんなに話題になるんだよ」
「SLCと遣り合う為に、ハバナまで行ったんだよ。雑誌にも載ったし、有名人だったぞ」
だから、姿を隠したのだろうか。
湊は好い加減で大雑把だ。だが、自分の定めた目標を達成する為には怖いくらいの完璧主義でもある。
以前、ホセが言っていた。見知らぬ老婆の為に、見舞いの花を届けに行っていた。老婆が目覚めても名前を明かすこと無く、立ち去ってしまったと。
湊は妥協しないのだ。何か一つでも反省すべき点があれば、感謝すら受け取らない。
航の中で一つの可能性が浮かぶ。
オリビア・スチュアートは、殺されたのではないか?
服の下にじわりと汗が滲む。嫌な感覚だった。
「これは、俺がFBIだから知り得たことだ。普通の方法では知ることは出来ない」
「職権濫用だ」
「まあな」
葵君は可笑しそうに言った。
「湊は絶対に白状しない。そういう奴だ」
「ああ」
「だから、目を離すなよ」
航は頷いた。
面倒な兄だ。けれど航は、どんな時も折れずに進み続ける湊の正義が好きだ。その理想の高さが湊自身を追い詰めたとしても。
入口から風鈴の音がした。
目を向けると、湊が立っていた。不満そうに口を尖らせている。父と連絡が取れなかったのだろう。
航は紅茶を飲み干して席を立った。店主に軽く会釈して湊の元へ向かうと、背中で葵君が言った。
「湊、覚えておけよ。何でもかんでも、テメェが背負って行ける訳じゃねぇ」
湊は、はにかむように口元を緩めた。
「肝に銘じるよ」
風鈴が鳴った。




