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⑴窮追

 The search for truth begins with the doubt of all ‘truths’ in which one has previously believed.

(真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての”真実”の疑いから始まる)


 Friedrich Nietzsche


 





 SLC、SLC……。

 口の中で呟きながら、航は携帯電話を操作する。


 湊には訊かないと言ったが、調べないとは言っていない。米国のインターネットエンジンにキーワードを入力し、検索を掛ける。アルファベット三文字では無数の検索結果が表示されるだろうが、虱潰しに探すしかない。


 夜の海から一本の針を探すようなものだ。

 だが、航の覚悟とは裏腹に、答えは呆気無く表示された。


 SLCーーサイエントリバティー教会(Scient Liberty Church)とは、キューバのハバナに本拠地を置く新興宗教である。肉体的・精神的な困難に対し、科学の発展が人類を救済する。それがSLCの概要だった。


 病に対して独自に開発した新薬を積極的に投与し、肉体からの解脱を図る。近年、規模は拡大を続け、現在の信者の数は一万人にも登るという。


 以前、リリーやルークの言っていた記事もインターネットから探すことが出来た。


 ハバナの本拠地で登壇した一人の美少年が、大人顔負けの弁舌で教祖を糾弾。信者に囲まれた敵地にも関わらず、顔色一つ変えず論理的に語る彼は正に才能の権化であるーー。


 なんだ、そりゃ。

 航の感想は、その一言だった。


 記事に載っているのは、確かに湊だった。

 今のオタクみたいな格好ではなく、幼い頃から見慣れた兄の姿だった。髪だって短いし、服装だって洒落ているのに嫌味が無い。裁判所のような舞台の上に凛と立ち、子犬のような円らな瞳で前を見据えている。


 記事に詳細は書いていなかった。何処を読んでも、年齢に見合わない落ち着きや、整った容姿を褒め称える下らない内容しか書かれていないのだ。湊が何故こんな暴挙に出たのかも、何を糾弾したのかも全く解らない。ただ、このSLCの掲げる理念とは、水と油のように反りが合わないだろうことは予測出来た。


 もう一つ気に掛かるのは、時期だ。

 湊の仲間の一人であるオリビア・スチュアートが亡くなったのは去年の夏。そして、湊のこの記事も夏だった。無関係とは考え難い。




「猫背になってるぞ」




 背後から声を掛けられて、航の肩は引き付けのように跳ねた。振り返ると湊が立っていた。寝癖頭は整えて、インテリ風の大学生然とした姿だった。

 出掛けるのだろう。ショルダーバッグを担いだ湊に問い掛ける。




「何処に行くんだ?」

「ちょっと、野暮用。会いたい人がいるんだ。暇なら付いて来ても良いよ」




 後ろ暗いことなど何も無いと言うように、湊が軽く笑う。けれど、航にはそれが薄っぺらく見えた。


 木を隠すには森の中。湊は嘘の吐き方を心得ている。自分が何を調べているのかも察しているのかも知れない。見抜けるものなら、見抜いてみせろ。そんな声が聞こえるようだ。


 舌打ちを漏らし、航は立ち上がった。




「行く」




 売られた喧嘩は買う。

 航はポケットに携帯電話を押し込んだ。


 ガレージの前で待ち合わせ、航はバイクを引っ張り出した。ルークに見てもらってから調子が良い。今にして思えば、あの日の不調はもしかしたら虫の知らせだったのかも知れない。


 ヘルメットを投げて寄越すと、湊は片手で受け取った。反動で後部座席に飛び乗ったのを確認し、アクセルを回す。

 クラッチを握りながらギアを上げる。唸るようなエンジンの音が心地良かった。




「SLCのこと、調べたぞ」

「それで?」

「お前の記事が出て来た。オリビアって人が死んだのと、同時期だ。無関係とは思えない」




 さあ、どう出る。

 サイドミラー越しに様子を伺うが、湊はいつもの食えない笑みを浮かべていた。




「俺が答えるとでも?」




 そうだろうな。解っていたことだ。

 否定も肯定もしない。航は奥歯を噛み締めた。

 ヒントも無ければ答え合わせもしない。表面上に変化は無く、自分が果たして正しい方向を向いているのかさえ解らない。


 まあ、良い。

 航はアクセルを回した。


 到着した先は駅前の喫茶店だった。意識の高そうな若い店員が猫撫で声で接客している。先導する湊を追うと、角のソファ席に見覚えのある少女が座っていた。


 初春の脆い日差しを受けて、金糸の髪がきらきらと輝いている。俯いて文庫本を読み、マグカップからは柔らかな湯気が上がる。


 ソフィアだ。このところ色々あり過ぎて、随分と久しぶりに会ったように感じる。細い通路を抜けた湊が正面に立つと、ソフィアはあどけなく微笑んだ。




「頭にゴミが付いているわよ」




 湊が慌てて髪に触れる。ソフィアが笑って手を伸ばす。航は後ろから手を伸ばして、頭頂部に付いた糸くずを取ってやった。




「航も連れて来たの?」

「暇そうにしてたからね」




 ソフィアは青い瞳を瞬いていた。

 悪かったな、と悪態吐くと、ソフィアは機嫌を損ねたかのように口元を歪めた。




「会いたい人って、こいつのことかよ」




 航が口を尖らせると、湊は肩を竦めた。




「ソフィアにも会いたかったけど、今日の目的は違う」




 湊はソフィアの正面の椅子を引いて勝手に座った。仕方無く航も側にあった椅子を引き寄せる。文庫本を閉じたソフィアが嫌そうに眉を寄せるのも構わず、湊はテーブルに肘を突いた。




「トーマス・ルーカス氏の霊とは交信出来た?」




 ソフィアは目を逸らした。どうやら、状況は芳しくないらしい。航としては、湊にはこの事件から手を引いて欲しかったので、都合が良かった。

 湊は答えを予測していたかのように優雅に微笑むと、ウェイトレスを呼んでロイヤルミルクティーを二つ注文した。




「俺に考えがあるんだ。ソフィアの交信の助けになると思う」




 湊は片目を閉じて笑った。実に胡散臭い微笑みだった。


 注文したロイヤルミルクティーを飲み干し、三人で喫茶店を後にした。航は湊を後部座席に乗せ、ソフィアは待ち合わせ場所までタクシーに乗車した。


 湊のナビゲーションに従って到着したのは、見上げる程に立派な豪邸だった。屋敷の周囲を囲む黒い柵と赤い煉瓦の壁。白亜の建物に抱かれた庭は青々とした芝生が敷き詰められ、手入れが行き届いている。


 門扉の前には警備員の詰所があり、容易く侵入出来そうも無い。バイクに跨った航に気付くと、警備員が怪訝そうに目を眇める。


 立ち止まっていると不審に思われる。航が黙ってバイクを発進させると、前方からタクシーがやって来るのが見えた。


 流石に他人の家の前で集合する訳にもいかず、航は屋敷の裏手に回った。

 使用人専用だろう裏門にはオートロックが設置されていた。物々しい警備体制に驚きつつ屋敷を見上げる。豪奢な西洋建築の建物は、何処か殺風景で、寂しく見えた。




「此処は何なの」




 サイドミラー越しに問い掛けると、湊は屋敷を観察しながら答えた。




「ルーカス氏の自宅」




 航は溜息を吐いた。

 先に言えよと思うが、無駄なことだ。タクシーから降りたソフィアが不安そうに両手を握っている。紺色のブレザーから覗く白いタフタ素材のスカートが風に吹かれ、音も無く揺れた。




「ソフィアがルーカス氏の霊と最初に接触したのは、屋敷の裏手だったね?」

「ええ」

「同じ状況をトレースしてみれば、何か変わるかも知れない」

「……あのね」




 ソフィアは呆れたように肩を落とした。




「私は超能力者ではないわ。ただ、死者と交信出来るだけ。死者が話したくないと思えば、私に出来ることは無いの」

「そう?」




 湊は不思議そうに小首を傾げていた。


 以前、湊と超能力についての話をした。その中で、ソフィアの霊能力はPSIと呼ばれる一種の超能力だと言っていた。しかも、湊は霊とは人格ではなく、物質に残された思念で、交信とはそれを読み解こうとすることで起こる観測者効果だと考えているのだ。

 同じ状況で試そうという考えは、あくまで湊の理には敵っている。ソフィアがそれを受け入れるかどうかは別の話だが。




「じゃあ、当時の記憶を思い出して欲しい。何か手掛かりがあるかも」

「詳しいことは覚えていないわ。暗かったし」

「人の脳は、必要な記憶しか知覚させないように出来てるんだ。自分自身が忘れたと思っていても、脳の記憶は簡単に消し去ることは出来ない。俺は退行催眠も使えるから、きっと上手く行く」

「……航。何とか言ってやって」




 航は呆れていた。

 人の話を聞かない奴だ。ソフィアが出来ないと言っているのに、どうして食い下がるのだろう。


 湊は頭の上に疑問符を浮かべ、目を細めた。




「真相を解き明かしたいと言ったのは、ソフィアだろ」

「真相を知りたい訳じゃないわ。私はただ、ルーカス氏の無念を晴らしたいと思っただけよ」




 湊は納得したようではなかった。

 この二人の霊に対する考えの違いは相容れない。話は何処まで行っても平行線である。航は間に割って入り、湊へ向き直った。




「お前が言ってた会いたい人って、誰なんだ?」

「それはまあ、良いよ。今はね」




 そう言って湊は屋敷を見上げた。

 目的の人物は、この屋敷にいるのだろうか。目前で踵を返すなんて湊らしくない。追求しても湊は答えないだろう。




「無理強いするつもりは無いよ。ソフィアが本当に真実を知りたいと思うなら、俺には手段がある。それだけは、忘れないで」




 ソフィアは答えなかった。







 9.生贄

 ⑴窮追








 ソフィアとはその場で解散となり、航は来た時と同じように湊をバイクの後部座席に乗せて走り出した。何の収穫も得られなかったにも関わらず、湊は落ち込んでいなかった。むしろ、こうなることを予想していたかのようだ。


 帰路を辿るものと思っていたが、湊が次の行き先を告げたので、航は黙ってバイクを走らせた。

 初春の風が冷たく、頬を切り裂くようだった。空は鈍色の雲に覆われ、雪でも降りそうだ。


 湊が告げた行き先は、マダム・マリーの屋敷だった。ルーカス氏の豪邸程ではないが、立派な建物だ。玄関先には使い込まれたマウンテンバイクが一台停まっている。

 豪奢な門扉を潜り、インターホンを鳴らすと建物の奥から足音が駆けて来る。応対したのはノアだった。すっかり慣れた様子で、航と湊の姿を認めると廊下の先に向かってマダム・マリーを呼んだ。


 マダム・マリーは深緑のセーターを着ていた。読み物でもしていたのか、金縁の眼鏡を掛けて、航と湊の姿を見ると微笑んだ。初対面の時の棘のある態度が嘘のようだ。


 促されるままリビングへ行くと、ノアが慣れない手付きで紅茶を運んで来た。航は暖炉に手を翳して指先を温めながら、湊が毒味するのを待った。




「紅茶を淹れる時はね、温かいカップを使うと良いよ。茶葉を蒸らす時間にも気を使って、出来るならタイマーを。それから、お湯を沸かす時には鉄分の含まれるやかんは避けて……」




 湊が言い終わる前に、航はその後頭部を叩いた。突然押し掛けて、持て成して貰っていながら文句を付けるとは何様だ。ノアが申し訳無さそうに眉を下げ、マダム・マリーが気の毒そうに声を掛ける。


 普段、ハーブティーが趣味の母親の紅茶ばかり飲んでいるので、無駄に舌が肥えているのだ。航も同じ感想を抱いたかも知れないが、流石に目の前で文句を言いはしない。


 湊は文句を付けた癖に紅茶を啜っていた。このデリカシーの無さはもう直らないのだろう。




「それで、今日は何の用なんだい?」




 安楽椅子に腰掛けたマダム・マリーが穏やかに問い掛ける。すっかり孫思いの良いお婆さんになっている。湊は両手でティーカップを包み、口元に笑みを浮かべた。




「実は、知り合いからルーカス氏の事件の調査を頼まれているんだ」

「知り合い?」

「俺の親父の友達で、FBIに勤めてる」




 マダム・マリーとノアが目を丸めた。




「FBIってことは、事件かい? あたしは自殺だって聞いてるが」

「いや、まだ解らない。だから、調べてる」




 航は黙って遣り取りを聞いていた。

 確かに、きっかけは葵君だった。しかし、頼まれた内容はソフィアの証言の真偽を確かめることで、事件の調査ではない。そして、湊は今、ソフィアを置いて独自に調査を始めている。


 嘘を吐いていないが、全ての真実を話している訳ではない。これが湊の常套句なのだろうと思うと、苦い思いになる。航は余計なことは言うまいと紅茶を一口含んだ。湊の指摘が的を射ていたことを悟り、誤魔化すように飲み下した。




「それで、此処に来たってことは、あたしに何か訊きたいことがあるんだろう? 残念だけど、あたしはルーカスさんとは親しくなかったんだ。旦那が生きていれば訊けたかも知れないがね」

「ルーカス氏のことじゃないよ」




 湊はティーカップを置いて、覗き込むようにしてマダム・マリーを見た。




「ルーカス氏の奥さんーーアメリア・ルーカスさんについて教えて欲しい」




 航は顔を上げた。

 マダム・マリーは不審そうに目を細めた。




「アメリアさん? どうしてだい?」




 湊は曖昧に微笑み、答えなかった。

 マダム・マリーは暫し湊を見詰めていたが、やがて根負けしたかのように溜息を吐いて立ち上がった。そのまま壁に掛けられた写真を持って戻って来た。


 マダム・マリーとルーカス氏の家族が並んで写っている。緊張しているのか硬い表情をしているが、マダム・マリーは最愛の夫と娘に囲まれ、笑っていた。

 彼等の先には悲劇が待ち受けている。だが、写真の中の彼等は幸せそうだった。

 ノアは若かりし頃の母を見て、眩しそうに微笑んでいた。




「隣にいるのが、ルーカスさん夫妻だよ。アメリアさんは若い奥さんだったが、優しくて賢い人だった」




 ルーカス氏の隣、一人の若い女性が立っている。

 透き通るように美しい女性だった。絹のブラウスに金色の髪を垂らし、口元に微かな笑みを浮かべている。


 若い奥さん。確かに、ルーカス氏とは親子くらい歳が離れて見える。恋愛の形は様々だから、とやかく言うつもりは無いけれど、一体何歳差なのだろう。




「結婚した時は十四歳だったかな」




 航は噎せた。




「十四歳?!」




 紅茶が喉の変なところに入ったせいで、酷く苦しい。激しく噎せていると湊が背中を摩って来たので振り払った。鬱陶しい。


 法的に許される年齢は十三歳だから、違法ではない。だが、それにしたって。




「アメリアさんは孤児院で生まれ育って、天涯孤独の身だった。そんな彼女にルーカス氏が猛アプローチして、結婚したって聞いたよ」

「ルーカス氏は何歳なんだよ」

「あたしの旦那と同級生だったから、四十五歳かね」




 おいおいおいおい。

 航は天を仰いだ。年の差結婚もあるだろうが、四十五歳と十四歳だ。しかも、少女は孤児院育ちの天涯孤独の身の上だと言う。下衆な勘繰りをされても仕方が無いじゃないか。


 そういえば、ルーカス氏には娘がいた。確か九歳だった。記憶と照らし合わせて照合すると、アメリアは十代で子供を産んだことになる。




「恋愛は人それぞれだろ。何を驚いてるんだよ」




 湊が指摘する。デリカシーの無い湊に言われると、自分がどうしようもなく駄目な人間に思えてしまう。

 偏見の無い湊からすれば、年齢の差なんて瑣末な問題なのだろう。そもそも、この男は年齢どころか性別すら瑣末なことと思っている節がある。





「アメリアさんは、どういう人だったのかな」

「どうって言われても、良い人だったよ。気が利くし、穏やかで」

「何か変わったことは無かった?」

「変わったこと?」

「そう。例えば、……まるで、心の中を見透かされているように感じたとか」




 何言ってんだ、こいつ。

 航が咎めようとした時、マダム・マリーは俯いて訥々と言った。




「あ、いや、確かにそんなことが……」

「失くしていたものの場所を言い当てたり、スプーンを曲げられたり。気が利き過ぎて、まるで此方の行動を先回りしているように感じたことは無かった?」

「……」




 ふふ、と湊は息を漏らすように笑った。

 確証があるのか、それともコールド・リーディングなのかは解らない。だが、全ては湊の掌の上であることだけは確かだった。


 部屋の中に不気味な沈黙が広がって行く。居心地の悪さを感じて航が声を上げようとすると、湊が席を立った。




「話してくれてありがとう」




 空になったティーカップを丁寧に並べ、湊が言った。




「紅茶、ご馳走様」




 そう言って、湊はさっさと歩き出してしまった。

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