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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
8.愉快な仲間達
53/106

⑸真綿

「ずっと気になっていたんだけどさ」




 寂れた街の裏通り。徘徊する浮浪者と酒精を漂わせるサラリーマン。自然界なら即座に毒と解る派手な衣服を纏った若者が交差する。

 件のクラブを前に、航はホセへ声を掛けた。




「アンタ、ゲイでしょ」




 ホセは驚いた風も無かった。

 隠してはいないのかも知れないが、敢えて公言する理由も無い。航はマイノリティと呼ばれる人々の事情に詳しくないので、配慮することが難しかった。


 そんで。

 航は続けた。




「湊みたいのが、タイプ?」




 明け透けに尋ねると、ホセは苦笑した。




「何て答えて欲しいの?」

「別に。俺が訊いておきたかっただけ」




 ずっと、気付いていた。

 ホセが湊に向ける目は、ゾーイやリュウの友愛とは異なる。焦がさんばかりの熱い視線と、慈愛に満ちた笑顔。それは仲間達に向けるものとは違う。湊だけが、特別だった。


 ホセはそっと後ろを振り向いた。

 黒いシールドの貼られたボックスカーが、闇に紛れて停まっている。車内では、今頃、湊とライリーが監視カメラ映像と睨めっこしているだろう。


 航は言った。




「俺はそういうの、よく解んねぇ。でも、アンタは力付くで湊をどうこうしようって感じじゃないし、好きにすればって思う」




 家族がマイノリティだと思うと複雑だが、否定するつもりは無い。多分、自分が嫌悪してしまったら、湊が居場所を失くしてしまう。それは、嫌だった。




「湊はストレートだろ? 君の許しが出たと思って、俺が強引に行動したらどうするの?」

「湊が簡単にどうにかなるとは思わないけど、アンタはそういうの、出来なそう」




 きっと、航には解らないような苦労もして来ただろう。だからこそ、人の痛みが解るタイプだ。




「あいつは理解され難いから、味方は一人でも多い方が良い。アンタがあいつを大切に思うなら、俺がどうこう言う必要無い」




 優しいね、とホセが笑った。

 どうかな、と航は思った。




「君のことは必ず守るよ。……湊の為に」




 航は吐き捨てるように笑った。








 8.愉快な仲間達

 ⑸真綿








 異様な視線を感じて、航は振り返った。

 踊り狂う男達の中、ビール瓶をしゃぶる男が一人、じっとりと此方を見ている。その視線の先が自分なのかホセなのか解らないが、兎に角不快だった。


 クラブは昨日と同じように賑わっている。アルコールと煙草と噎せ返るような汗の臭い。青いレーザースポットとミラーボールの細かな光が羽虫のように飛び回る。


 昨日と同じようにバーカウンターに陣取ったが、囮ならばもっと動き回った方が良いのかも知れない。ダンスフロアに飛び込むには勇気がいる。航が腰を浮かせると、隣でホセが腕を掴んだ。




「君はああいうの、苦手だろ。ライリーの家でもそうだった。他人との接触に嫌悪感を抱くタイプだ」




 否定はしない。満員電車だって嫌いだ。

 しかも、正直なところ、他人に限らないのだ。家族であっても、直接触れ合うのは抵抗がある。湊は家族に対してのパーソナルスペースが狭いので慣れているけれど、航から積極的に距離を詰めたいとは思わない。


 掴まれた腕を振り払うと、耳に付けたインカムから雑音混じりの声がした。




『昨日の二人組、見付けたぜ。取り敢えずリュウが接触するから、その場で待っていてくれよな』




 ライリーの底抜けに明るい声がして、肩の力が抜ける。件の二人組が見付かれば、囮捜査の必要も無くなるのだ。




『航、大丈夫か。無茶はするなよ』




 湊の声が続く。

 お前に言われたくないんだよ。そう思うと、何故だか少しだけ笑えた。無線を共有しているので、ホセへ向けた言葉も筒抜けだった。




『ホセ。航のこと、頼んだぞ。大事な弟なんだ』




 むず痒いような感覚になり、航は目を背けた。

 ホセが何か一言二言告げると、通信はライリーと替わった。ホセの目が蕩ける程に優しくて、虚しかった。彼は好意が伝わるとも、伝えようとも思っていない。湊は鈍感だから永遠に気付かない。彼等の問題に部外者の自分が口を出す必要も無いけれど、遣り切れない。


 異性での友情は成立するのかと議題に上がることがある。航は否定派だった。ただ、同性間でさえ、好意の種類が変わることがある。友情とか愛情とか、目に見えない其れ等の脆さに愕然とするしか無かった。

 例えば、ホセが気持ちを伝えたら、湊は傷付くのだろうか。距離を置くのだろうか。湊なら何も変わらないと思うが、それはホセにとって最良の未来なのか。


 詮の無いことを考えていると、ホセが言った。




「実はね、研究室のメンバーにはカミングアウトしてるんだ」




 航は顔を上げた。ホセは穏やかに微笑んでいた。




「夏だったかな。皆でキャンプに行ったんだ。夜は焚き火を囲んで、グリーングリーンを歌った。その時に、カミングアウトした」




 グリーングリーン。

 湊もよく、バイクの後部座席で口ずさんでいた。




「誰も何も言わなかった。俺も気まずくて、言わなきゃ良かったと思った。そうしたら、湊が言った。ーーそれって、大変? って」




 馬鹿な兄だ。そして、残酷な男だ。

 航が俯くと、ホセは明るい声で言った。




「少しだけ辛いよって。でも、悪いことばかりじゃないよって答えた。湊が微笑んで、君と出会えて良かったよってさ」




 事情を知っている航からすれば、大馬鹿野郎と罵倒してやりたいが、湊はそうではなかったのだ。湊はカミングアウトしたホセの勇気と友情を純粋に喜んだのだろう。




「その時にはもう、湊から目が離せなかったな。彼が当たり前のように零す誠実さとか、見知らぬお婆さんの為に見舞いに行く繊細さとか、名乗りもせず花だけ置いて帰るようなプライドの高さを、大切にしてやりたいと思った」




 ホセは、湊の本質をちゃんと見てくれている。

 湊は誤解され易い。偏見の無さを愛情の薄さと置き換え、冷静さを冷酷さと思い込み、勝手に離れて行く人を沢山見て来た。そんなものに傷付く兄ではないけれど、ちゃんと見てくれている人がいるのは、嬉しかった。


 沈黙を守っていたインカムから雑音が聞こえた。地下にいるせいで電波が届き難いのだろう。




『リュウが二人組を捕まえた。このまま合流する』

「解った」




 航は通信を切った。ふと気付いたのだが、ホセのこの声は、インカムに拾われていないのだろうか。もしも伝わっていたら、今頃、向こうは相当気まずい空気になっているだろう。


 まあ、良い。

 湊が泡食って困る姿を想像するのは痛快だ。

 航は腰を上げた。取り敢えず、地上に出ても良いだろう。


 インカムの向こうから、再び雑音が聞こえた。

 ちりちりと顳顬を火で炙られるような緊張を感じ、航は勢いよく振り返った。しかし、其処には変わらぬ喧騒があるだけだった。


 気のせいだなんて楽観はしない。航は自分の直感を信じている。ぐるりと周囲を見回す。人。人。人。

 頭が痛い。何だ。何があるって言うんだ。


 ハウリングが聞こえる。じわりと冷や汗が頬を伝った。超感覚的知覚。ぐるぐると視線を巡らす、刹那。

 ダンスフロアから伸びて来た掌が、航の腕を掴んだ。意思とは無関係に身体が強張った。航の一瞬の躊躇を逃さず、その手は凄まじい力で人混みの中へ引き摺り込んで来た。


 呼吸を失くす程の人口密度だった。密着した他人の熱が伝わって来るのに、生理的な嫌悪感に寒気がした。

 身動き一つ出来ない頭の上に、掌が覆い被さる。

 湊の仮説が蘇った。


 超能力による脳の扁桃体の破壊。

 そして、破壊された脳は元に戻らない。


 掌が頭を掴む。閉塞感に酔いそうだった。




「航!」




 ホセの声がした。

 背後から伸びて来た手が首根っこを引っ掴む。力強い腕が、溺れそうな人の中から引き上げる。頭を掴んだ掌が遠去かるのがスローモーションに見えた。


 人の群れから解放され、航は噎せ返った。

 ホセがダンスフロアを睨む。犯人は逃げただろうか。

 軽く咳き込み、航は立ち上がった。膝が震えていた。俄かには信じ難いが、脳に影響を齎す超能力があることを痛感した。


 リリーのPKような人知を超越した力が、直接脳へ注ぎ込まれたら、人はどうなってしまうのだろう。自分の頭は無事なのか。


 膝を突いたホセが覗き込む。航は振り払った。

 震える両足を叱咤して、顔を上げる。頭の中で警報が鳴っている。脅威はまだ去っていない。


 犯人は手口を変えて来た。

 個室に引き摺り込むのではなく、直接、強引に。

 それはきっと、航が湊と似ていたからだ。探し求めた獲物が現れたと思い込んで、我慢が出来なくなったのだ。


 獲物ではなかったと気付いて、止めたのか?

 いや、違う。見付けたんだ。だから、航はどうでも良かった。


 どうやって?

 犯人は気付いたかも知れない。航が餌であることを。そして、その糸の先に本当の獲物がいることを。




「湊……!」




 あの湊がどうにかなるとは思えない。自分と流血沙汰の殴り合いをして来た兄だ。易々とやられる筈も無い。ーーだけど、相手が超能力だったら?

 触れるだけで脳を破壊するという凶悪な能力を相手に、湊が何か出来るのか? 俺達の常識が通じる相手なのか?


 堪らなくなって、航は走り出した。途中、何度も体格の良い男にぶつかったが、構っていられなかった。

 ただ、恐ろしかった。もしも、湊が、あんな力に襲われたら。


 地上への階段を駆け上がる。乾いたアスファルトの向こうに黒いボックスカーが停まっていた。二人の男を連れたリュウの背中が見えた。扉が開く。中から湊が顔を覗かせた。


 航が安堵の息を漏らした、その瞬間だった。

 後ろから何かが猛スピードで駆け出して、航を突き飛ばして行った。アスファルトの上に投げ出され、航はその背中を絶望のまま見付けた。


 あの男だ。

 稲妻に似た衝撃が体を駆け巡った。航が合流すると解って、虎視眈々と機会を伺っていたのだ。


 弾丸のように一直線に男が走る。その先で、湊はリュウと何かを話しているようだった。二人の男が死角となって、見えていないのだ。航は兄の名を叫んだ。

 驚いたような顔で湊が此方を見る。同時に、目の前に迫る男に気付いたようだった。だが、既に男は照準を湊へ定め、その手を、頭に。


 にゅ、と黒い腕が伸びる。

 リュウが、まるで見えていたみたいに男の腕を掴んでいた。そのまま関節技を押さえてアスファルトへ叩き付ける。骨が軋む嫌な音が聞こえるようだった。


 地面に縫い付けられた男は、それでも湊へ手を伸ばす。ぞっとする程の執念だった。追い付いたホセが状況を察し、加勢する。


 二人掛かりで拘束されても尚、男の殺意は消えなかった。飢えた肉食獣のような瞳で、ただ湊だけを見ていた。




「警察を」




 リュウに言われて、ライリーが慌てて携帯電話を取り出す。少し躊躇って、ライリーは通話を始めた。

 応援が駆け付けるまで、リュウもホセも拘束を緩めなかった。男はまだ諦めていない。見れば二十代後半に差し掛かろうかと言う筋肉質の男だった。航が殴り合いになっても勝てそうも無い。ましてや、近接戦闘で湊が太刀打ち出来るとも思えなかった。


 荒い呼吸を繰り返しながら、男は抵抗を続けた。

 リュウが下がるように言ったが、湊はその場に残った。男の一挙一動を具に観察しているようだった。


 少しして、サイレンを鳴らした覆面パトカーがやって来た。降りて来たのは、葵君だった。

 葵君は航と湊を苦々しく一瞥すると、地に伏す男に手錠を掛けた。応援に駆け付けた警察官が拘束を代わる。その途端、男は雄叫びを上げて凄まじい力で暴れ出し、鍛え上げられた二人の警察官を投げ飛ばした。


 狂気に染まった目で、男は突進する。その視線の先には、湊しか映っていない。

 男の手が届く寸前、葵君が発砲した。乾いた音が鼓膜を揺らす。アスファルトに鮮血が散った。


 銃弾に右足を撃ち抜かれ、男が倒れ込む。葵君は男の上に片足を乗せ、銃口を突き付けた。氷のような冷たい目が言っている。お前をいつでも殺せるぞ、と。


 葵君と無言で睨み合い、ついに男は弛緩した。

 応援のパトカーが何台も押し寄せ、辺りは野次馬で騒然となっていた。パトカーに押し込められた男が振り返る。粘着質な笑みを浮かべ、獲物を見ている。まるで、網膜に焼き付けるように。


 航は咄嗟に湊を隠そうとした。けれど、既にホセが立っていた。男は嗜虐的に笑うと、そのままパトカーの中へ消えた。


 規制線の張られる現場で、航達は事情聴取の為に残された。当然ながら、葵君もいた。


 葵君が湊の元に向かったので、航はその間に立ち塞がった。




「湊は悪くないぜ。俺が提案したんだ」




 航が言うと、葵君はいつもの仏頂面で鼻を鳴らした。

 沈黙を遮るように、ゾーイが口を挟む。




「いいえ。私が巻き込みました。罰するなら、私を」

「そりゃ、あんまりだ。俺だって片棒を担いだんだ」




 ライリーが割って入る。コントみたいな庇い合いを前にしても、葵君は欠片も笑わなかった。




「……だそうだ。湊。説明しろ」




 湊は無表情だった。航を押し退け、葵君の眼前に立つと、裁きを待つ罪人のように答えた。




「俺が巻き込んだ。皆は助けてくれた。俺が我慢ならなくて、堪えられなくて、暴走した」




 誰も悪くない。

 湊が言い切ったので、航は拳を振り上げていた。澄ました横っ面をぶん殴ってやるつもりだった。

 初動で読んでいたらしいリュウが腕を掴む。格闘技でもやっているのか、精錬された無駄の無い動きだった。


 葵君は黙って聞いていたかと思うと、徐に手を上げた。湊が受け入れるように奥歯を噛み締める。航は益々暴れた。腹が立って堪らなかった。


 葵君は、殴らなかった。

 肩を震わせた湊の頭をさらりと撫でて、そうか、と小さく呟いた。




「お前の無茶や無謀は織り込み済みだ。無事で良かった」




 殴られることを覚悟していた湊が、怯えたように目を開ける。




「怒ってないの?」

「怒ってるよ。でも、無事で良かったと思ってる」




 湊は居心地悪そうに目を背けて、消え入りそうな声で「ごめんね」と言った。行為そのものではなく、心配をさせたことに対する謝罪だった。




「反省してるなら、次からは事前に相談しろ。お前等よりも、俺の方が出来ることが多い」

「うん……」




 葵君はそれだけ言って、パトカーに乗り込んで行った。気勢を削がれ、航は掴まれた腕を振り払うことも忘れてしまっていた。

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