⑸火中取栗
「航と湊は、本当に双子なのね」
ソフィアが言った。
航は片眉を跳ねさせた。つい最近も同じような言葉を聞かされた。確か、リーアムだったか。
その意味を問おうとした時、暖炉で薪が爆ぜた。咄嗟に目を向ける。追い掛けるように凄まじいタイピング音が聞こえて、二人で顔を歪めた。
音の方向を見る。眼鏡を掛けた湊が地べたに座っていた。リビングテーブル周辺は、ノートパソコンやら地図やら手当たり次第に広げられ、鳥の巣のような惨状だった。元来几帳面な性格の航にとっては、我慢ならない光景だった。
とは言え、今の湊は集中状態にある。自分達によくあることなのだが、集中してしまうと周りが見えないし、聞こえなくなってしまう。自己催眠に近い状態なのかも知れない。
そんな湊が何をしているのかは、よく解らない。耳障りなタイピング音を只管に聞かされ、荒れ果てた部屋の中で待ち惚けを食らうのは、忍耐力を試されているようだ。
ソフィアは暫し湊を眺め、溜息を吐いた。
「自分勝手なところ、そっくり」
「うるせぇ」
自分は湊程、勝手じゃない。
そう思うけれど、結局はお互い様なのかも知れない。
リュウは聞こえているのかいないのか、だんまりを決め込んで暖炉を見ていた。退屈になってテレビを点けた。
丁度、例のCMが流れていた。航と同い年くらいの少女が、服を試着している。何度も着替えるがしっくり来ない。鏡を見て溜息を吐いたところで、店の外が騒がしいことに気付く。そっと覗いて見ると、ハリウッドにでも出て来そうな優男が歩いて来る。彼は少女の浮かない顔を見て、コーディネートを提案する。
優男のコーディネートで少女はシンデレラのように変身し、初デートに臨む。最後は彼氏と思しき少年と腕を組んで歩いて行き、服屋のロゴが表示される。
CMは、ティーンエイジャーの恋愛模様というコンセプトで組み立てられているらしいが、何処に重点を置いているのか全く解らない有様だった。
自分が彼氏ならば、知らぬ男のコーディネートで初デートに臨む女は嫌だと思う。狭量なのだろうか。
「女って、皆、ああいうのに憧れる訳?」
「ああいうのって、何のこと? 格好良い男の子が助けてくれること? デートが成功すること?」
「全部。俺なら、知らない男の選んだ服とか着て欲しくないけど」
「頭が固いのねぇ」
「いや、逆の立場でも嫌だろ。男が知らない女の選んだ服着て来たら、浮気だって騒ぐだろ」
「まるで、経験談みたいね」
何だ、こりゃ。
何で、俺が責められなきゃならないんだ。
大体、女は良くて男は駄目という男卑女尊みたいな考え方が普及している世の中は狂っていると思う。レディーファーストを履き違えているのではないだろうか。権利を主張するなら、責任も義務も背負うべきだ。
「この男の子、リーアムに似ていますね」
ぽつりと、リュウが言った。
航はリーアムの顔を思い浮かべた。金髪碧眼で、通った鼻梁の印象的な青年だ。王子様というよりは、アクション映画の主人公みたいな逞しさがある。先程の線の細い優男とは違う。
リュウはアジア圏の出身だ。白人系の顔は見分けが付かないのかも知れない。
ソフィアは考え込むように俯き、静かに口を開いた。
「……さっきの質問だけど、王子様に憧れる気持ちは解るわ。窮地に陥っている時、何処からともなく颯爽と現れる。そんな存在を夢見るのは、女も男も同じと思わない?」
航には、解らない。
逆境には燃えて来るし、山を見れば頂を目指そうと思う。来るかも解らない助けを待って、立ち往生なんて自分の流儀じゃない。
「女の子が王子様に憧れるように、男の子だってヒーローを夢見るでしょう」
憧れのベクトルが違う。航はそう思った。
その時、パソコンとにらめっこしていた筈の湊が言った。
「ヒーローになりたいとは思うけど、ヒーローに助けて欲しいとは思わないよ」
眼鏡を置いて、目頭を揉む。これだけ目を酷使するのなら、確かにブルーライトカットの眼鏡も必要だろう。
何処から話を聞いていたのだろう。
航が睨むと、湊は疲労の滲む息を吐き出した。
「相談したい。結論は出ても、どうしたら良いのか解らないんだ」
「ごちゃごちゃ言わないで、全部話せ。お前の前置きは解んねぇんだよ」
湊は苦笑した。
6.執着
⑸火中取栗
航は携帯電話を手にしていた。
着信履歴の中から目当ての番号を呼び出し、耳へ押し当てる。数回のコール音。心臓が温度を失くし、鉄に変わって行くような奇妙な心地だった。
緊張はしなかった。焦りも無い。諦念も。名付けるなら、それは使命感。任されたのではない。自分で名乗り出た。
湊の相談内容を思い出す。
長々とした前置きは全部叩き切ると、とても端的な二択になった。
リーアムを呼ぶか、否か。
その二択が出るということは、湊は真実に行き着いたのだろう。渋る湊を急かして口を割らせると、信じ難い答えが返って来た。
答え合わせをする必要があった。その場には、湊とリーアムがいなければならない。探偵の推理ショーには、全ての関係者が必要だと思った。
リーアムは断らなかった。静かな声で肯定を示して、通話を切った。
バイクの後部座席に湊を乗せて、夕暮れの中を走って行く。これから起こることを考えると決して楽観的にはなれない筈なのに、湊を乗せていると安心する。
着いた先は、あの女の子の入院する大学病院だった。
駐輪場の端にバイクを停めていると、側の駐車場に黒いバンが見える。リュウの車だ。同時刻に出発したのだが、リーアムに電話したロスタイムで先に行ってしまったのだろう。車の中は空だった。
「リュウとソフィアは、もう着いただろうね」
ヘルメットを脱ぎながら、湊が言う。
予定通りならば、二人はあの女の子の病室にいる。護衛を頼んだのだ。頭の無いあの霊が現れた時、一人では心許無いと思ったから。
面会時間は間も無く終わる。
手短に済ませたいが、そうもいかないだろう。
エントランスでリーアムと合流した。生気の無い幽霊みたいな顔付きだった。
「僕が巻き込んだのか?」
人気の無い廊下を歩いていると、リーアムが言った。抑揚の無い、死んだような声だった。
航には答える術が無かった。湊は視線を前方に固定したまま答えた。
「逆だよ。リーアムは、巻き込まれたんだ」
庇っているのではない。湊は事実のみを語っている。
リーアムの表情は晴れない。航は黙っていた。
「あの写真を撮った日に、会場にいたと思われる人とその関係者を片っ端から探したよ。最初は絞り込む条件が性別しか無かったから、困った」
湊は足を止めた。大学病院の二階、角部屋。病室の名札を見るが、覚えは無い。恐らく、リーアムも。
「リーアム達が写真を撮った日、NACC地区予選決勝。沢山の観客が来ていた。この病室にいるのは、その中にいた一人だ」
「……僕と面識は」
「どうかな。生活範囲は重なっているけど」
そう言って、湊は病室の扉を開けた。
途端、むわっと消毒液の独特な臭いが漂った。薄暗い部屋の中、真っ赤な夕陽がレースのカーテンに透けている。
心電図が知らせる弱い脈拍が、静かに響いている。
部屋の中は茜色に染まっている。壁も、天井も、床も、ベッドも。
人工呼吸器を装着した女の子が一人、ベッドに横たわっていた。白い面には大判のガーゼが貼られ、薄っすらと血が滲んでいる。
小学生くらいだろうか。
頭部は包帯が巻かれ、痛々しい。
「試合の翌日、交通事故があった。この子はそれ以来、意識不明」
航は、湊が何を言っているのか解らなかった。
リーアムを此処へ連れて来たということは、心霊写真の霊と関係があるのだろう。
あの霊はリーアムと同い年くらいの少女に見えた。目の前にいる幼い女の子とは、年齢も容姿も掛け離れている。
「さっきも言ったけど、この子の生活範囲はリーアムと重なってる。この子が一方的にリーアムのことを知っていた可能性は高い。 そして、生霊には自覚が伴わない場合が多く、必ずしも本人の姿をしているとも限らない」
扉の前に立ったまま、湊が滔々と語る。
眼鏡の奥の瞳はやけに凪いで見えた。
膨大な情報の海から、この子に行き着いたのだ。
伊達に眼鏡を掛けていないな、と胸の内で賞賛する。
「願望の具現なんだと思う。これは、果たされなかった願い、欲求。それを解消する一つの手段なんだよ」
果たして、その願望とは?
小さな少女が、無意識的に発生させた生霊。その姿はリーアムと同じくらいの少女だった。
心霊写真に映り込み、リーアムの知り合った少女を狙い、正体を隠し続けた。その意味は?
リーアムは俯いて、何かを考えているようだった。顔を上げた彼が室内へ足を踏み入れようとした時、湊が腕を伸ばして制した。
「入らない方が良い」
「この子は、僕に用があるんだろう?」
「向けられる期待全てに応える必要は無いんだよ」
湊は更に言い募ろうとしたが、航が止めた。
信じられないものを見るみたいに湊が目を丸くする。航は低く言った。
「お前の言いたいことも解るけど、決めるのはリーアムだ」
例え、どんな結果になったとしても。
湊は顔を歪め、喘ぐように言った。
「違うよ。どうして頭が無かったと思う?」
「は?」
「正体を隠したいのなら、顔で良かった。でも、あの生霊は頭が丸ごと無かった」
リーアムは湊の腕を解き、部屋の中へ足を踏み入れた。等間隔に響く心電図の音、風を孕んだカーテン、目を覚まさない女の子。あの日の再現を見せられているようで、苦しい。
夕陽の眩しさに目が眩んだ一瞬の隙を突いて、湊が部屋へ飛び込んだ。
どうして、頭が無かったんだと思う?
湊はずっとそれを気にしていた。脳の中で情報が渦を巻く。この子の願望を叶える為に、頭は必要無かった?
ベッドの側に歩み寄ると、リーアムは女の子を覗き込んだ。
「応援してくれて、ありがとう」
それは、深く澄んだ声だった。
贖罪を終えた咎人だけが出せる悲しい声だった。存在感の塊である湊が背景と化す程、彼等の姿は美しく見えた。
「でもね、人を傷付けちゃいけない」
諭すような優しい口調だった。女の子の胸が穏やかに上下する。例えその声が届かなくても、きっと意味はある筈だ。航はそう思った。それが間違っているだなんて、思わなかった。
パンッ!
何処からとも無く破裂音がした。航が床を蹴ったのは殆ど同時だった。
部屋に置かれた医療機器の数々が音を立てて震え始める。予備動作も無く、心電図のモニターが飛んで来た。
湊がリーアムに手を伸ばす。その横っ面目掛けて、機材が飛んで来る。間一髪のところで湊の首根っこを引っ掴み、航は床へ転がり込んだ。頭上を通り過ぎた機材が壁へ打ち付け粉々に砕け散る。
病室の窓に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
それが弾け飛ぶ寸前、航はベッドから布団を剥ぎ取り、マントのように翻した。硝子が雨のように降り注ぐ。
硝子がリノリウムの床に打ち付け、悲鳴のように響き渡った。
「湊! 航!」
切羽詰まったリーアムの声が聞こえた。
答える余裕は無かった。湊は蛹のように身を丸めている。航はズタズタに切り裂かれた布団を投げ捨てる。
湊が狙われることは解っていた。
避雷針と同じなのだ。リーアムはただのスピーカー。
ラップ音は続いている。まだ終わりじゃない。
「どうしたら良い」
航は湊の肩を揺すった。
「目的は達成されていない。あの子が狙われる」
湊に外傷は無い。意識もしっかりしてる。
航は周囲を見渡した。携帯電話を取り出すが、電波が無い。超常現象とは、熟、此方の神経を逆撫でしてくれる。
「リュウがいるんだよな?」
「でも、」
湊が立ち上がる。その瞬間、人工呼吸器のホースが足に打ち付けた。派手にすっ転んだ湊が脇腹を押さえて蹲る。折れた肋骨が痛いのだろう。冷や汗を滲ませる横顔を見下ろし、航は舌打ちした。
「此処で待ってろ。俺が見て来る」
今の湊を連れては行けない。航は窓へ身を乗り出した。
耳鳴りがする。甲高い、ハウリングのような音。
航は振り返った。病室の中は酷い有様だ。湊は蹲り、少女は目覚めず、リーアムは立ち尽くしている。此処を離れて良いのか。懸念は尽きない。
航はリーアムの胸倉を掴んだ。
「湊のこと、見張ってろ。肋骨折れてんだよ」
「ああ……」
リーアムを離し、湊を睨む。
「余計なことするんじゃねぇぞ」
航は走り出した。