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⑶アンカー

「何故、あんな言い方を?」




 乾いた夜風が頬を撫でる。リュウが目を細めて問い掛けた。

 明かりの無い病院の駐車場で二人きり。湊はポケットから携帯電話を取り出し、目を伏せていた。




「言い方があるでしょう」




 咎めるようなリュウの口調に、湊は笑った。

 彼の怒りは友愛から起こるものだ。それが擽ったい。




「今度から気を付けるよ」




 湊が答えると、リュウは盛大な溜息を零し、それ以上は何も言わなかった。


 駐車場の奥に黒いミニバンが止まっている。リュウがスマートキーで操作すると鍵の落ちる音がした。湊は後ろへ回り込み、荷室の扉に手を掛ける。リュウの操作でロックが解除されると、内部へ身を滑り込ませた。

 ミニバンの後列は全て倒され、代わりに機材がびっしりと詰め込まれている。地を這う配線は種別に纏められ、精密機器にはシルバーのシートが掛けられていた。

 奥からノートパソコンを引っ張り出し、ダッシュボードのモバイルルーターを取り出す。電波状態を確認していると、運転席にリュウが座った。




「まずはどうしますか」




 カーナビを起動すると、無機質な合成音声が聞こえた。湊はブルーライトを浴びながら、眼鏡を掛け直す。




「霊の狙いを絞りたい。あの女の子なのか、それとも、リーアムなのか」




 リュウが唸る。

 湊はキーボードを叩きながらこの近辺の地図を開いた。現在地が赤く点滅している。もう一つの青い点は病棟を示していた。航の携帯のGPSだ。


 別ウィンドウでリーアムの大学について調べる。彼が写真を撮った日は大会の決勝戦だった。大勢の観客が押し寄せていただろう。


 大学の学生が運営するローカルな掲示板を映す。パスワードが必要だったので、ハッキングした。便所の落書きみたいに、根拠不明の下世話な噂が横行している。中には思わず眉を顰めてしまうような悪質な話題もあったが、どのスレッドもそれなりに賑わっているようだった。


 片手間に件の心霊写真をパソコンに取り込む。霊と思われる少女のボディラインをマークする。違法すれすれのソフトを使って、SNSを利用している近隣の学生達から虱潰しに探して行く。情報量が膨大なので時間が掛かりそうだ。手作業では効率が悪いので、自動操作に切り替えた。


 並行して掲示板を眺めていると、リーアムについての噂があった。


 双子の姉が入院していること。余命幾ばくも無いこと。両親がいないこと。

 それに対して不謹慎な反応をする者も、勝手な同情を寄せる者もいる。匿名の書き込みは過激になり易い。話題に上がるということは、人気があるということだろう。これではターゲットを絞れない。


 運転席から身を乗り出したリュウが、ディスプレイを覗いて顔を顰めた。




「下世話で、勝手な人達ですね」

「人間なんて皆そんなもんだろ」




 まあ、見ていて気持ちの良いものではないが。


 ついでに近隣の心霊現象について調べてみると無数の報告があった。恐らく、リーアムがスピーカーの役割を果たしてしまっているのだろう。


 リュウが運転席に戻ったので、湊は行き先を指示した。カーナビに情報が送られ、最短距離が表示される。




「何処ですか?」

「リーアムの家」

「何故」

「だって、不自然だろ」




 人物照合ソフトを起動させたまま、湊はパソコンを閉じた。バックミラー越しにリュウと目が合う。




「何が不自然なんですか?」

「写真に写っていたのはリーアムだって同じだろ。どうしてあの子だけが被害に遭ってるんだ」

「ターゲットがあの子だということでは?」

「どうかな」




 湊が曖昧に濁すと、リュウが目を眇めた。




「リーアムがアンカーだと思うのですか?」

「……」




 アンカーとは、PSIの矛先になり易い先天的な被害者体質者のことだ。

 アンカーはスピーカー型とターゲット型に大別される。以前のポルターガイストの件から、リーアムは前者だろうと考えていた。


 スピーカー型は、霊障を含むESPの悪影響を本人以外の周囲に拡散する。つまり、リーアムを狙った霊の悪意が別の少女に移動したかも知れない。


 それは嫌だな、と思った。


 湊はリーアムと同じ先天的被害者体質だが、後者である。周囲が危険に晒されるリーアムとは逆に、湊の場合は自分自身が脅威に晒される。


 生まれ持ったものに文句を言ったって仕方が無い。どちらがマシかなんて不毛なことは考えたくないけれど、自分ならば堪えられないと思った。

 自分のせいで誰かが傷付くなんて、湊にとっては最も許しがたいことだ。だから、リーアムのせいじゃないという確証が欲しい。


 リーアムのせいじゃないよ。

 湊の頭に浮かぶのは、リリーだった。


 航が自分に言ってくれたように、彼等にも言ってやりたい。両親が死んだことも、頼れる親戚がいないことも、リリーの不治の病も、誰のせいでも無い。それを証明したいと思う。




「アンカー理論は不完全な推論です。データが少な過ぎる。湊はアンカーの存在を証明したいんですか?」

「さあね。でも、もしも証明出来たら、回避する方法も見付かる筈だ」

「其処に謂れの無いレッテルが付き纏うこともお忘れなく」




 リュウが冷たく言った。




「真実が優しいとは限りませんよ」




 湊は黙った。


 先天的な被害者体質。それが証明されたら、不名誉なレッテルを貼られる人がいる。疫病神と呼ばれるかも知れない。一方で、その原理を解明出来たら、不幸を回避出来るようになるかも知れない。


 不完全な理論ーー。


 湊の脳裏に過ぎるのは、ブルネットの後ろ姿だった。


 理論そのものに罪は無いわ。


 その言葉が今も耳に焼き付いている。

 自分達は科学者だ。結果を求めて倫理を失くしてはならない。最大多数の最大幸福。では、自分が選ぶべき最大多数とは一体誰なのだろう。何処で線を引き、誰を切り捨てる?


 お前のせいじゃない。

 不意に航の声が聞こえた気がして、湊は目を伏せる。いつの間にか車が発進している。エンジンの振動と低い唸り声が響いていた。






 6.執着

 ⑶アンカー






 時計の針は頂上を指し示す。

 午前零時。深夜と呼ぶ時間帯だ。


 航は暗闇の中で欠伸を噛み殺した。普段ならば寝ている時間だ。母にはリーアムの家に泊まると言ってあるが、女の勘は怖い。湊にも口裏を合わせられるようにメッセージを送っているが、返事は来ていない。


 リーアムは窓辺で膝を抱えていた。その視線はベッドで眠る少女に固定され、動かない。ソフィアは側の椅子に座り、間接照明の下で本を読んでいた。


 深夜の病院は不気味だ。

 呪詛の件では湊の入院に付き添ったが、慣れることは無いだろう。


 仮眠しようかと考えるが、止めた。何故なのか、今はそうするべきじゃないと思った。

 やることも無く退屈だったので、航はリーアムへ目を向けた。




「練習どうするんだ?」




 問い掛けると、リーアムは静かな声で答えた。




「休むよ。この子を放って置けない」

「そうか」

「航は?」

「朝になったら行く」




 以前、湊が言っていた。統計的に霊の活動が活発になるのは夜だと。それなら、夜明けを迎えられたら、一先ずは安心して良い筈だ。


 鞄から板チョコレートを取り出した。甘いものは好きじゃないが、カロリー補給としては効率が良い。ビターテイストのチョコレートを三等分に割って、リーアムとソフィアに手渡した。

 室内は暖房が効いている筈なのに、指先が冷えていたのでチョコレートは溶けない。緊張しているのだろうか、なんて他人事みたいに思った。


 受け取ったリーアムとソフィアがそれぞれ礼を言ったが、航は応えなかった。施しのつもりじゃない。




「航は真面目だね」




 苦笑しながら、リーアムがチョコレートを摘む。

 褒められているとは思えなかった。皮肉に近い。一々腹を立ててカロリーを無駄にしたくなかったので、航は聞こえないふりをした。




「どうして、またチームプレーをしようと思ったの?」




 不覚にも動揺した。チョコレートを取り落としそうになり、黙って掌に包み込む。

 指先がひんやりと冷たかった。




「以前はそうじゃなかったよね?」




 念を押すみたいに問い掛けられ、航は答えを躊躇う。

 リーアムは何処まで知っているのだろう。


 湊と同じチームでプレーしていたこと?

 それとも、自分が透明人間だったこと?


 聞くのが怖かった。自分の行為の結果を知るのは怖い。乗り越えた筈の過去が、他人の手で掘り返され、眼前に突き付けられる。それが恐ろしかった。

 何故だか此処にいない兄の名を呼びたくなってしまい、航はチョコレートを咀嚼することで堪えた。


 簡単なことだ。お前には関係無いだろうと突っ撥ねてしまえば良い。そう思うのに、リーアムの凪いだ碧眼がそれを許さない。


 航は両手を握った。




「自分が間違ってたとは思ってねぇよ。ただ、それが全てじゃないと知っただけだ」




 リーアムは黙っていた。到底納得しているようには見えない。だが、航にはそれ以上の説明が出来なかった。


 湊に対して説明が足りないと責める癖に、航だって自分の考えや気持ちを言葉で説明出来ない。自分の厚意が真逆に伝わることも多いし、誤解もされる。それを自分の欠点だとは思わない。


 説明しないと解らないような相手に、理解して欲しいと思わない。


 口の中にチョコレートの苦味が残っている。

 水分が欲しいと思う。鞄を引き寄せて中を探るが、スポーツ飲料は生憎と空だった。


 自販機にでも行くか、と航は腰を上げた。

 その時だった。


 かたかたかた。

 窓枠が小刻みに震える。はっとして振り向くと、カーテンが揺れていた。窓は締め切られている。

 隙間風だろうか。航が窓辺に歩み寄ると、ソフィアが腕を掴んだ。




「待って」




 かたかたかたかたかたかた。

 振動の間隔が狭くなり、大きくなって行く。咄嗟に周囲へ視線を巡らせるが、地震ではないようだった。鼻を摘みたくなるような生臭さが周囲を満たし、酷い湿気に息苦しくなる。

 剣呑な顔でリーアムが窓を睨んでいる。航は身構えた。そして、次の瞬間、凄まじい破裂音が響き渡って、窓硝子が弾け飛んだ。


 目に見えない衝撃を真正面から受け、航はリノリウムの床に倒れ込んだ。

 頬に熱を感じて手の甲を当てる。血が月明かりに照らされていた。


 非常ベルが鳴り響く。

 締め切られた扉の向こうから、スリッパが床を駆け回る音がする。航は床に倒れ込んだまま、窓の向こうに目を奪われていた。


 人が。

 頭の無い誰かが、窓から覗き込んでいる。

 頭部は闇に溶けてしまっているにも関わらず、首がぐるぐると何かを探している。


 手足が凍り付いて動けなかった。蛇に睨まれた蛙の気持ちが解る。今にも何かが飛び出して、自分の首筋に触れて来そうな濃密な空気だった。


 血の気の無い細い指先が窓枠を掴む。

 扉の向こうから、物音を聞き付けた看護師の狂ったような声がする。航の耳には、非常ベルも看護師の声も遠くに聞こえた。窓硝子の軋む音がやけに鮮明だった。


 入って来る。

 航はその何者かを睨み付けた。それ以外の抵抗の術が無かった。リーアムは石像のように固まって動けない。少女はこんこんと眠っている。

 剣の刃を渡るような危機的状況で、ソフィアが躍り出る。




「貴方の望みは何?」




 灰色の瞳が月明かりの下で煌々と輝く。

 正体不明の何かを相手に、ソフィアは勇敢だった。




「教えて。貴方の力になりたいの」




 ソフィアが窓辺に一歩近付く。

 相手の反応は解らない。頭が無いのだ。表情も、言語も解らない。




「お願いーー」




 ソフィアの腕が届く、刹那、それは嗤ったような気がした。

 嫌な予感が稲妻のように身体中を駆け巡る。航は思考を置き去りにして、ソフィアを引き寄せていた。


 頭の上で何かの破裂する音がした。

 ぱん、ぱん、ぱん。

 薄い硝子が雨のように降って来る。蛍光灯が割れているらしい。顔を上げられない。ソフィアを庇うように腕の下に隠し、航は奥歯を噛み締めた。


 かたかたかたかたかたかたかた。

 がた、ががががががーーがたん。


 一際大きな物音がして、航は身を強張らせた。部屋の中に並んでいた医療機器の数々が宙を舞い、嵐のように壁へと叩き付けられる。

 顔を上げることが出来なかった。航はそれを知っている。リリーの病室を訪れた時と同じだ。PSIーー否、PKか。

 それが霊という非科学的な存在による超常現象であることは最早疑いようも無い。掌に滲む汗を握り、航は身を守ることしか出来なかった。


 背中に何かが打ち付ける。

 リーアムか何かを叫んでいる。

 ソフィアの悲鳴が聞こえる。


 電子音が聞こえたのは、その時だった。


 航のポケットの中から、耳慣れた音がする。余りにも不釣り合いな明るい音だった。

 部屋中を飛び交っていた物がぴたりと停止し、思い出したかのように重量に従って墜落する。何かの割れる音が其処此処に響き、航は腕の隙間から様子を伺った。


 初めに見えたのは、呆然と立ち竦むリーアムだった。このPKの嵐の中、まるで台風の目にいるみたいに彼だけが無傷だった。


 彼の目は窓の向こうに奪われている。辿るようにして航も目を向ける。あの何かを伺おうと身動ぎした時、ポケットから携帯電話が滑り落ちた。


 闇の中でディスプレイが仄かに発光している。


 着信、湊。

 その名前を見た瞬間、痺れる程の安堵を覚えた。

 軋む関節に鞭を打って、航は震える指でディスプレイに触れる。異様な静寂だった。湊が何かを言っているが、聞き取れない。


 航の体の下で、ソフィアが俯せに身体をずらす。スピーカーに切り替えようとしているのだろう。航はソフィアの頭の横に腕を突いたまま、窓の向こうへ目を遣った。


 それは、何処か遠くを見ているようだった。

 頭が無いのだ。耳を欹てているのか、凝視しているのか、泣いているのか怒っているのかすら解らない。




『スピーカーを霊に向けて』




 指示通り、ソフィアが携帯電話を掲げる。窓の向こうにいる何かは、心を奪われたかのように何処か一点を凝視して動かない。


 携帯電話の音量を最大にする。

 静寂に包まれた病室に湊の声がそっと反響した。




『その子じゃないよ』




 意味が解らない。だが、頭の無い何者かは反応を示す。




『さあ、こっちだ』




 途端に霊は背中を向けて、霧散するようにして消えてしまった。途端に扉が蹴破られ、医師と看護師が雪崩れ込む。窓の向こうからサイレンが鳴り響き、自分が日常に戻ったことを理解する。


 でも、何故だろう。

 胸騒ぎが止まらない。


 航は立ち上がった。

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