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⑵不協和

 薄暗い部屋の中に陳腐な電子音が響いたのは、午前六時のことだった。


 航が寝惚け眼を擦りながら携帯電話を取り出すと、リーアムからの着信が通知されていた。

 抜けているように見えて常識的なリーアムが早朝に電話を掛けて来るというのは、只事じゃない。航は覚醒し切らない意識のままに通話ボタンをタップした。

 応答する航の声に目を覚ました湊が、二段ベッドの下から惚けた声を出す。


 掌の携帯電話から、リーアムの切羽詰まった声がした。




『昨日、写真を見せた女の子から連絡があったよ』




 事故に遭ったって。

 感情を押し殺したような硬い声だった。

 冷や水を浴びせられたように航は覚醒した。心配そうに見上げる湊に状況を伝える。




「無事なのか」




 湊が問い掛けるが、航は答えられなかった。リーアムとて把握しているとは思えない。

 少女の搬送先を聞き、リーアムは見舞いに行くと言っていた。詳しい状況が解るのはその後だろう。

 通話を切った後、航はすぐに支度をした。今日は一日クラブの練習がある。


 リーアムの家族は入院中のリリーだけだ。

 一人きりの自宅でこの知らせを受けただろうリーアムのことを考えると、少しでも側にいてやりたい。




「俺も行く」




 数分前まで眠っていたとは思えない程にしゃっきりとした顔付きで、湊が言った。航は頷き、寝癖の残る頭を撫でた。




「お前のせいじゃない」




 航は言い聞かせるように言った。

 湊やリーアムの考えが手に取るように解る。彼等は病的に責任感が強い。きっと、彼女の事故を防げなかったのは自分のせいだと思うだろう。




「解ってる。今は後悔する時じゃない」




 予想に反して、湊はしっかりとした声で言った。


 そうだ。それでこそ、湊だ。

 航にはそれが誇らしく、痛々しかった。








 6.執着

 ⑵不協和








 春の夜明けは遅い。

 朝食も取らず家を出て、少女の搬送先へ向かった。面会時間にはまだ早い。クラブの練習を休むべきか迷っていると、リーアムがやって来た。


 存在感の塊みたいな男が、今はまるで幽霊のようだった。リーアムは青白い顔で力無く笑うと、状況を教えてくれた。


 あの写真を撮った日から、少女は悪夢を見るようになっていたらしい。夜中に金縛りに遭ったり、視界の端に人影が見えたり、無人の自室から呻き声が聞こえたりしていたと言う。リーアムに態々相談したのは、それなりの根拠があったのだ。


 そして、昨日の夜。歩道を歩いていた少女は何者かに足を引っ張られ、車道に倒れ込んだ。そのまま乗用車と接触し、右肩を打撲。命には別状が無いらしいが、その時の恐怖を思うと安堵してもいられない。




「お前のせいじゃないぞ」




 航はリーアムに言った。


 昨夜までの情報で、リーアムがこれを防ぐことは出来なかった。勿論、湊だってそうだ。誰にもそれは防げなかった。

 呪詛を受けた時、湊は信じないという最善を尽くした。それが間違っていたとは思わない。


 落ち込むリーアムを放っておけず、航は練習を休もうと思った。携帯電話で連絡を入れようとすると、湊がそれを阻んだ。




「俺が会う。航は練習に行って」

「何でだよ。俺も」

「俺の方が向いてる」




 確かに、そうなんだろう。

 自分よりも湊がいた方が良い。だからと言って、湊を置いて行けない。落ち込んでいるのは湊だって同じ筈だ。


 今回のことが心霊現象なのか如何なのかは解らないが、湊を置いて行くのは不安だった。湊には霊が見えないし、聞こえないし、感じられないのだ。その癖、狙われ易いという最悪の体質だ。




「リュウを呼ぶよ」




 そう言われると、航も頷くしかなかった。

 リュウならば、自分よりは役に立つ。不承不承頷き、航は何かあれば必ず連絡するように言い付けた。一日の遅れを取り戻すには三日掛かる。湊が大丈夫だと言うのなら、信じてやりたい。


 後ろ髪を引かれる思いで病院を後にし、航は練習に向かった。リーアム達が如何なったのか気に掛かったが、それで練習を疎かにしては何の意味も無い。

 練習の終わった午後五時。航はそのまま病院へ戻った。


 面会時刻の過ぎた病院は、夕暮れの中で不気味に静まり返っていた。正面口のエントランスでしゃがみ込んでいるリーアムを見付け、航は駆け寄った。




「どうだった」




 航が問い掛けると、リーアムは青い顔で黙り込んでしまった。丁度、缶コーヒーを持った湊とリュウが戻って来た。側から見ると異様な二人組だ。


 説明を求めて湊を見る。

 湊は缶コーヒーをリーアムに手渡し、すっと目を細めた。




「今朝聞いた以上の情報は聞けなかったよ。怪我は全治二週間の打撲」

「そうか……」

「それから、掴まれたっていう足を見せてもらった」




 湊は自分の右足首を指し示した。




「右足首に掴まれたみたいな手の跡があった。……辻褄合わせの解釈は出来るけど、必要無いよね」




 黙った湊に代わり、リュウが続けた。




「あれは、霊障でしたよ」




 霊による痕跡。航にも覚えがある。

 幽霊屋敷ではソフィアに、呪詛の時には湊に霊障と呼ばれるものがあった。




「写真も見せてもらいました。……彼処に写っているものが何なのかは解りませんが、僕には、悪意のようなものが感じられます」

「悪意か……」




 リュウの言葉を繰り返して、湊は俯いた。

 顎に手を添え、何かをじっと考え込んでいる。




「これが霊だと仮定して」




 湊は苦い顔で言った。

 心霊写真というものに否定的なのだ。仮定でも口にしたくないのだろう。




「これは誰なんだろう」

「解らないよ。顔が、無いんだから」

「いや、顔が無くても手掛かりはある」




 見て、と言って湊は写真を指差した。




「このコートは去年の冬に流行ったブランドものだ。それから、このブーツはファッション性は高いけど、雪道を歩くのには適していない。購入したのは秋頃かもね。コートの隙間から見えるブラウスは解らないけど、裾をスカートに入れるこのファッションも流行り始めたのは、そんなに古い年代じゃない。……まあ、ファッションなんて時代のローテーションだから、断定は出来ないけど」




 野暮ったいオタク風ファッションで湊が淀みなく語るので、今のダサい服装さえもちょっと知的に見えて来る。




「恐らくこの子は十代後半の女の子。それなりに流行に敏感で、自分に自信を持っている。何かスポーツでもしているんじゃないかな」

「何でそんなことが解るんだよ」

「内面と外見はリンクするものさ。特に女の子はね」




 じゃあ、お前は生粋のオタクじゃないか。

 こんなことを言っても湊は気にもしないだろう。航が肩を落とすと、湊は真剣な声で言った。




「人の命が懸かってる。調査するよ」

「ああ」




 航が頷くと、湊は神妙な顔付きで病棟を見上げた。




「誰か、あの子の側にいて欲しい」




 湊が言った。




「霊とは残留思念だ。彼等の時間は止まっている。だから、目的を達成するまで同じことを繰り返す。また、あの子が狙われる」




 断言するからには、何かしらの根拠があるのだろう。

 リーアムが手を挙げた。




「僕が側にいるよ」

「いや、リーアムは駄目だ。それから、俺も」

「どうして?」

「もっと危険になるかも知れない」




 航には湊の言葉の意味が解る。

 アンカー理論だ。先天的な被害者体質。湊はその矛先になり易く、リーアムはスピーカーの役割を果たしてしまうことがある。防衛という意味では、どちらも向いていない。


 とは言え、航にもその役割は果たせない。霊の存在を知覚出来ても、祓える訳じゃない。そもそも、被害者と面識が無いのだ。恐怖に震える少女が、見知らぬ他人を信用する筈も無い。

 消去法として選ばれるのはリュウだった。しかし、リュウは首を振った。




「湊は調査するんでしょう? 貴方を一人には出来ません」




 湊は眉根を寄せるが、リュウの言うことは尤もだった。


 航は溜息を吐いて携帯電話を取り出した。電話帳から番号を呼び出し、通話する。

 二言三言会話すると、相手は了承して通話を切った。三人分の視線を受けながら、航は言った。




「ソフィアを呼んだよ」




 初対面だが、同性である分、自分よりはマシだろう。

 湊は力無く笑った。


 病院の前で一時間程待つとタクシーが滑り込んだ。後部座席から降りて来たソフィアは、不満そうに眉を顰めていた。




「もっと早く相談してよね」




 誰も言い返せなかった。

 昨日の時点でソフィアに相談していたら、もしかするとこの状況は防げたのかも知れない。


 湊が謝罪するとソフィアは鼻を鳴らした。

 ソフィアの態度は当然だし、自分達の危機感の欠如は糾弾されても仕方が無い。だが、湊が謝罪する必要は無いだろう。

 庇うように間に割り込んで、航は状況を説明した。


 自分達は、霊に狙われている少女を守り、打開策を考えなければならない。その為には、霊の正体を知る必要がある。

 調査は湊が行う。だが、アンカーである湊が狙われる可能性も捨てきれない為、リュウが同伴する。航も付いて行くつもりだったが、クラブの練習がある為、掛り切りにはなれない。少女と面識のあるリーアムが保護し、ソフィアが同伴する。湊の調査範囲の広さを考えると、航は後者に付いて行くしか無い。


 二つの班に分かれて行動を開始する。

 ソフィアは病院の受付へ向かった。何のコネクションがあるのか、時間が過ぎているにも関わらず面会が許された。


 エントランスで軽く打ち合わせをする。ソフィアは悲しそうに写真を見ながら言った。




「憎悪のようなものを感じるわ。何かに縛られているみたい……」




 地縛霊という奴だろうか。

 航は専門家ではないので解らない。




「大丈夫。きっと、話せば解ってくれるわ」




 励ますようにソフィアが言った。

 その言葉に湊が弾かれたみたいに反応する。




「霊の思考は停止している。学習しないんだ。それはつまり、変化もしないってことだよ」

「何が言いたいの」

「降霊術や霊能力を否定している訳じゃないよ。だけど、霊と解り合えるっていう考えは、甘いんじゃないかな」





 この湊語を翻訳すると、慎重に行動しろ、だ。航にはその意図が解ったが、ソフィアは苛立ったように顔を歪ませた。




「科学者は可哀想ね。狭い見識で批評することしか出来ないんだから」




 痛烈な皮肉を吐き捨てて、ソフィアは背を向けてしまった。そのまま歩き出す背中をリーアムが慌てて追い掛ける。

 湊はこんな皮肉で傷付きはしない。フォローする必要も無いが、航は言った。




「俺達も気を付ける。だから、お前も気を付けろ」

「うん」




 湊とリュウを置いて、航は駆け出した。


 入院病棟は地上五階、地下一階の大きな建物だった。面会時間を過ぎた建物内部に人気は無い。白い蛍光灯の光がリノリウムの床を鈍く反射していた。

 巡回する看護師に会釈し、航はソフィアとリーアムの後を追った。先頭を歩くソフィアは八つ当たりのように床を鳴らして早足に進む。リーアムの隣に並ぶが、会話は無かった。


 まるで死地へ赴く戦士のように、リーアムの目は据わっている。少女を守ろうという強い意志を感じさせる。


 三階の角部屋の個室が少女の病室だった。扉の前に到着すると、リーアムが小さく深呼吸した。リリーの病室を訪れた時を思い出す。彼は責任感が強く、不器用なのだ。




「気負い過ぎるなよ」




 肩を叩けば、リーアムは下手糞な笑顔で頷いた。

 ソフィアが勢い良く扉を開け放ち、威勢良く入って行く。流石に真似出来ず、航は入り口から中を覗いた。リーアムは躊躇うように立ち止まり、小さな声で言った。




「僕は無力だ」




 航は振り向いた。




「それって、悪いことなのか?」




 リーアムが目を瞬く。

 航は病室内へ目を向けた。

 窓際に一つだけベッドが置かれていた。病に侵されたような青白い顔で、一人の少女が横たわっている。ソフィアはその側に立つと、簡単に自己紹介を始めた。




「あっちにいるのは、航。貴方に害を与える人ではないわ」




 ソフィアが指を差すので、航は軽く手を上げた。




「リーアムのことは知っているわね? その友達よ」




 少女はリーアムを見ると、ばつが悪そうに目を伏せた。憧れの相手にする態度ではないな、と思った。何かあったのだろうか。


 航はリーアムの腕を引っ張って病室へ入った。少女の側で膝を突き、短く挨拶する。

 少女はヘーゼルの瞳に涙の膜を張り、ぐしゃりと顔を歪めた。




「さっきはごめんなさい……。私、酷いことを……」




 何のことか解らない。

 航が視線をやると、リーアムが苦笑した。




「いや、いいんだ」




 どうやら、航が練習に行っている間に何か揉め事があったらしい。察するに、心身共に追い詰められたこの少女が何かをしたか、言ったのだろう。




「あの人にも謝らないと……」

「湊は大丈夫だよ」

「でも……」

「なあ、航。湊は何も気にしてなかったよな?」




 何のことだか解らないが、少なくとも湊は落ち込んでいなかった。航は肯定するように頷いた。少女は安心したのか大きく息を吐き出し、表情を緩めた。




「君を守る為に来たんだ。だから、安心して」




 リーアムが優しく励ます。先程までのしょげた様子は無い。その碧眼には力強い光が宿って見えた。

 航は彼等の姿をぼんやりと眺めながら、何処かへ調査に向かった湊を思う。今頃何をしているのだろう。腹立たしいけれど、今は湊の調査結果を待つしか無い。リュウが付いているのなら、心配はいらないだろう。そう思うのに、何故だか胸がざわざわして落ち着かない。何だろう、この胸騒ぎは。


 気休めではあるけれど、湊の調査器具を借りて来れば良かったな、なんて思った。

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