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⑴心霊写真

 I keep my ideals, because in spite of everything I still believe that people are really good at heart.

(私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当に素晴らしい心を持っていると今も信じているからです)


 Anne Frank







 リーアム・クラークとは所謂、選ばれし人間だ。

 均整の取れた体躯はすっと伸び、形の良い頭部がちょこんと収まっている。万人が羨むような精悍な顔付きで、宝石のような碧眼はいつも希望の光を宿している。


 趣味のバスケットボールでは素晴らしい身体能力とたゆまぬ努力により、常に賞賛され、活躍していた。他者を蔑むことなどせず、スポーツマンシップの体現者のようだった。

 コートでは光源のような圧倒的な存在感を示し、不屈の精神で仲間を鼓舞し、そのプレーでチームを引っ張って来た。


 責任感の強さから根を詰め易いが、欠点という訳でもない。完璧超人ではないところすら、彼の好評価に繋がるのだ。全く、人間とは熟、不平等なものだ。


 そんなリーアム・クラークが自宅を訪れたのは、昼過ぎのことだった。航は午後からクラブチームの練習があったので、軽いジョギングを済ませ、支度をしていた。

 不意に鳴った呼び鈴に応対してみれば、春の日差しを背負ったリーアムが立っていた。航の顔を見るなり、砕けた口調で挨拶し、早々に用件を告げた。




「湊はいるかい?」




 航は首を振った。湊は朝早くから何処かへ意気揚々と出掛けていた。行き先は知らない。そもそも、互いの生活なんて把握していない。


 リーアムは残念そうに眉を寄せ、出直すと言った。

 最低限のアポイントくらい取れよ、と言ってやりたかったが、彼の捨て犬のような情けない顔付きに毒気が抜かれてしまった。自覚は無いが、もしかすると自分は御人好しなのかも知れない。


 自分も出発の時間が近付いていたので、玄関で用件を尋ねた。湊と連絡を取ることは出来るので、代わりに伝えてやっても良かった。


 しかし、リーアムは首を振った。

 此方の親切は無駄になってしまった。航は面倒臭くなり、見送りもせずに追い返そうとした。其処に何の因果なのか、偶々ソフィアが訪ねて来た。




「湊は?」




 揃いも揃って湊に用事があるらしい。

 八つ当たりと解っていたが、此処にいない湊に苛立ちさえ覚えた。




「湊はいねぇよ。朝っぱらからどっか行った」




 つっけんどんに言い放てば、ソフィアが肩を竦めた。




「何を怒ってるのよ。別に貴方を否定している訳じゃないわ」

「うるせぇな。どうでもいいんだよ、そんなの」




 航が腹を立てているのは、劣等感によるものではない。それは自分の時間が無駄に消費されているこの状況に対するもので、延いては事前の連絡もせずにやって来たリーアムとソフィアと、何の説明もしない湊に対してだ。




「リーアムは何の用だったの?」




 航の苛立ちを他所に、ソフィアが玄関先で話し始める。これじゃあ、持て成しもしない自分の心が狭いみたいじゃないか。


 問い掛けられたリーアムは逡巡するように首を捻ると、おずおずと口を開いた。




「湊に相談したいことがあったんだ。ほら、彼は専門家だろ?」




 嫌な予感がする。

 航は玄関扉を閉めようとドアノブに手を伸ばした。だが、リーアムの足が邪魔で叶わない。

 何なんだ、こいつ等。俺の邪魔ばっかりしやがって。




「私で良ければ相談に乗るわ」

「いや、君に迷惑を掛けられないよ」




 湊なら良いってか。

 というか、現在進行形で迷惑を掛けている俺のことは無視かよ。


 靴箱の上に置いた時計を見遣る。出発時刻まであと二十分。どうせ、長くなるのだろう。航は舌打ちを噛み砕き、話題を叩き切った。




「湊はいねぇ。俺も時間が無い。だから、出直して来い」

「ああ。そうするよ」

「湊も夕飯の時間には帰って来るだろ。お前等が来たことは湊に伝えておいてやるから、今は帰れ」




 乱暴な物言いにソフィアが顔を歪める。だが、リーアムは心得たとばかりに表情を明るくして頷いた。









 6.執着

 ⑴心霊写真








 約束は守るタイプだ。

 航は二人を追い返してから、湊にメッセージを送った。返信が無いまま練習に出掛けてしまったが、夜に携帯電話を取り出すと湊から了解の連絡が入っていた。


 街は夜の闇に包まれている。航は冷たい夜風から身を守るように首を竦めて帰路を急いだ。


 自宅は明かりが灯っていた。

 玄関には三人分の靴が並んでいた。見慣れない靴だったので、湊がまだ帰宅していないことを悟った。


 リビングでは、母とリーアムが和やかに懇談していた。航の帰宅に気付いてもいない。

 何の話題で盛り上がっているのかと思えば、リビングテーブルにはアルバムが広げられていた。幼い頃の自分達の写真だった。


 気恥ずかしさと苛立ちから、鞄を床に叩き付ける。其処で漸く航の帰宅に気付いたらしく、二人はにやにやと笑いながら「お帰り」と声を揃えた。




「君達って本当に双子だったんだねぇ」




 染み染みとリーアムが言う。

 余計なお世話だ。航は鞄から洗濯物を取り出し、洗濯カゴに放り投げた。

 弁当箱を出す前にアルバムを奪い取り、押入れに戻す。リーアムが薄ら笑いを浮かべているのが心底憎らしい。




「笑った顔がそっくりだ。二人とも昔は可愛かったんだねぇ」




 何しに来たんだと、航は頭が痛くなる。

 母は何故か嬉しそうに微笑んでいた。




「この子達、父親に似て、顔だけは良かったからね」

「お母様もお綺麗ですよ」




 リーアムが笑う。航は居た堪れなくなってリビングを出ようとした。




「六歳の頃には空港まで家出したのよ」

「それは心配されたでしょう」




 その話をされてしまうと、航には何も言えない。


 六歳の反抗期。航は母に反発し、湊とは殴り合いの喧嘩ばかりをしていた。バスケットボールクラブでは疎外され、自分の居場所を見付けられず、逃げるように海の向こうにいる父の元へ行こうとしたのだ。


 当然、六歳の航は飛行機に乗ることも出来ず、貯金箱を抱えて空港のロビーで途方に暮れていた。あの時は海外の父が緊急帰国し、警察に捜索願が出され、大騒ぎだった。母も湊も憔悴し切っていた。


 親父に会いたい。

 航の中にあったのは、それだけだった。


 世界中が敵になったみたいで、いつも息苦しかった。父は自分を否定せずに正してくれた。自分を尊重してくれた。父がいると、呼吸が楽だったのだ。


 航は頑として謝らなかった。だが、幼さ故の衝動に任せて家を飛び出した当時の自分は、母や湊の気持ちに気付かなかった。


 母も湊も、自らが傷付くことを厭わず、どんな時も味方でいてくれた。自分は一番大切にしなければならない人の思いを踏み躙った。


 二人とも責めはしなかった。あの時の二人の気持ちを思うと、遣る瀬無さと自己嫌悪で苦しくなる。彼等はどんな気持ちで自分を探し、待ち続けたのだろう。


 航は逃げるように洗面所へ向かい、手洗いと嗽をした。冷たい水道水に目が覚めるようだった。

 リビングへ戻れば、母はキッチンに立っていた。ソファで寛ぐリーアムを押し退けて座ると、彼は柔らかく微笑んだ。




「良いお母さんだね。君達のことを、心の底から愛してる」

「うるせぇ」




 リーアムは、リビングに飾られた自分達の無数のトロフィーや母の似顔絵を見ていた。

 愛している。多分、そうなんだろう。自分達は恵まれた子供だった。




「湊、遅いな」




 話題を逸らすつもりで時計を見る。

 時刻は午後七時を過ぎている。携帯電話を確認するが、湊からの新着メッセージは無かった。




「湊に何の用だったの?」




 退屈凌ぎに航が問うと、リーアムは肩を竦めた。


 本当は湊に相談したかったんだけど。

 そう前置きして、リーアムは鞄から一枚の写真を取り出した。リビングテーブルに置かれたカラー写真を覗き込む。そして、心臓が握り込まれたみたいに言葉を失ってしまった。


 リーアムと知らない少女が写っている。

 場所は学校の屋上だろうか。赤く錆びた欄干を背景に、二人は親しげに微笑んでいる。ユニホーム姿のリーアムと、チアガール衣装の少女。一見するとそれは仲睦まじい恋人のツーショットだった。


 その写真の中に明らかにおかしなものが写っていた。

 少女の後ろに、誰かが立っている。年齢性別の判断は出来なかった。何故なら、その人物の頭部が無かったのだ。




「何だ、これ……」




 気味の悪さを覚え、航は身を引いた。


 その写真の異様な点はそれだけじゃない。

 首の無い何者かは欄干の向こうに立っている。更に、血の気の無い白い手が少女の肩に触れていた。


 足元から冷気が迫る。

 説明を求めてリーアムを睨む。




「……先週の試合の後、他校のチアガールにせがまれて写真を撮ったんだ。現像してみたら、この通りさ。相手の子も気味悪がって、僕に相談して来たんだ」




 確かにこれは、湊に相談するのが一番だ。

 真相は兎も角、この得体の知れない不安を解消する術を提示してくれるだろう。


 リビングが不穏な沈黙に包まれた頃、タイミングを見計らったようにチャイムが鳴った。鼻の頭を赤くした湊が、挨拶もそこそこに空腹を訴えて騒ぐ。


 リーアムの存在に気付くと、湊は「やあ」と微笑んだ。長い前髪を左右に分け、野暮ったい眼鏡を掛けたオタクスタイルだった。

 手洗いと嗽をする為に湊が洗面所へ向かう。焦れったい気持ちで待っていると、湊はいつもの馬鹿殿姿で戻って来た。




「春だっていうのに、夜は寒いね。もっと暖かいコートを着て行けば良かったよ」




 湊が呑気に話し始めるので、その鼻先に例の心霊写真を突き付けてやった。

 湊は一瞬動きを止めて、写真を手に取った。




「テンプレートみたいな心霊写真だねえ」

「呑気なこと言ってんじゃねえ」




 湊は吟味するように写真を眺めると、軽く笑った。




「心霊写真っていうのは、殆どの場合はトリックなんだ。この写真も頭部が消えているから不気味に見えるけど、それは決して珍しいことじゃないよ」




 ツーショット写真の背後に映った何者かを指差して、湊が言う。




「この写真は空を背景にしているだろ? 白い背景で、カメラのシャッタースピードが遅いと、その部分は透けてしまうんだ。例えば、頭に飛んで来た虫を振り払おうとした瞬間にシャッターを切ると、頭部はこんな風に消えて写る」




 具体的な説明を聞くと安心してしまうが、解明された訳ではない。航は糾弾するように問い詰めた。




「欄干の向こうに映ってんぞ」

「人が立っていた可能性は無いの?」

「無いよ」




 湊の質問に、リーアムが即答する。

 当たり前だ。幾らリーアムが呆けていても、背後に人が立っていれば気付くだろう。




「記憶は自分が思うより曖昧なものさ」

「後ろに人がいれば、流石に気付くよ。第一、この欄干の向こうに立てる場所は無いんだ」

「じゃあ、落ちて来たっていうのは?」

「は?」




 湊が何を言っているのか解らず、リーアムが間の抜けた声を漏らす。




「二人のいる場所は外階段の踊り場みたいに見えるんだけど、もしかしてもっと上の階があるんじゃない?」

「ああ」

「上の階から落ちて来た人が偶然此処に映り込んだ。それなら、辻褄が合うだろ?」




 湊は悪戯っぽく笑った。

 転落した何者かが写り込んでしまったというのは、或る意味では心霊写真よりも恐ろしい事態なのではないか?


 勝手な結論を出した湊はキッチンのカウンターから身を乗り出して、夕飯の献立を尋ねている。


 辻褄、合ってるか?

 航は不安になって、隣のリーアムへ目を遣った。どうやら同意見らしく、リーアムも眉を顰めていた。


 心霊写真に興味が無いらしい。航は湊の首根っこを引っ掴み、ソファへ投げ飛ばした。

 連れ戻された湊が不満そうに口を尖らせる。




「何するんだよ」

「適当なこと言うんじゃねぇよ。リーアムはお前に相談する為に朝っぱらから待ってたんだぞ」

「適当に言ってないよ。俺は過去のデータと照合して、一番高い可能性を提示してるんだ」




 湊は再び写真を手に取った。




「大方、この写真に写ってる可愛い子に相談されたんだろ? それなら、俺が今言ったことをそのまま伝えてあげたら良いよ。その子も安心する。それで解決さ」

「検証しないのかよ」

「必要無いだろ。だって、誰も真実なんて求めていない」




 らしくない言葉だ。

 普段は頼まれもしないのに調査へ乗り出す癖に、興味が無いとこの態度だ。散々待たされたことを思い出し、航は腹が立った。


 湊は写真を見詰めながら言った。




「俺は心霊写真なんて信じてない。目には見えないのに、写真には映るっておかしくないか?」

「お前だって心霊現象の調査にカメラを使うだろ」

「あれは霊じゃなくて現象を撮影してるんだよ」




 解ってないなあ。

 湊がそんなことを言って溜息を吐いたので、航はその後頭部を叩いてやった。


 毛程も効かないと言うように湊は笑っていた。




「あんまり気にしない方が良いかもよ? ノーシーボ効果みたいに、思い込みが身体に悪い影響を与えることもある」




 励ますようにリーアムの肩を叩き、湊はキッチンへと戻って行った。


 到底納得出来る答えではなかったが、食い下がる必要も無かった。湊の言うように、誰も真実を求めてはいない。


 キッチンから夕食のチゲ鍋の匂いが漂っている。

 航は急に空腹感を覚え、黙り込むリーアムの肩を叩いた。

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