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⑶理性

 葵は子供が嫌いだ。

 衝動的で浅慮で、根拠の無い自信と甘えた言動。自分勝手ですぐ泣くし、面倒臭い。葵は基本的に人間が嫌いだった。


 前髪を目玉クリップで纏めた湊が沈黙を埋めるようにして近況報告をしていた。彼なりの気遣いなのだろうが、航もソフィアも一切口を挟まないので、気の毒になる。


 米国最高峰の大学へ飛び級で入学した湊は、見た目は兎も角、活き活きとして見えた。普段は研究室篭り切りながら、友達も出来たらしい。I.Qが20違うと会話が成り立たないと聞くが、大学で測定したところ、湊のI.Qは140を超えていた。今まで友達らしい友達がいなかった訳だ。


 一方、航も同じように飛び級制度を利用して大学へ進学したらしいが、地元のバスケットボールの強い大学を選んだ。野生動物のような身体能力と広い視野を持つ彼なら何処でも活躍するだろう。


 二卵性とは言え、昔はそっくりだった二人はそれぞれ異なった成長を遂げていた。モヤシみたいな湊に比べ、航は逞しい青年として成長し、異性からの人気も高いだろうと思う。


 葵が双子の近況報告を聞いていると、湊がぱちりと瞬きをした。




「ーーそれで、貴女はどちら様?」




 湊の視線の先には、ソフィアがいた。

 連れて来た葵ですら忘れていた。お蔭ですっかり臍を曲げてしまい、目も合わせないし、質問にも答えようとしない。

 こうなってしまうとお手上げだ。葵は食後のコーヒーを飲みながら、テレビを指し示した。

 下らないワイドショーで、馬鹿みたいに観客が盛り上がっている。件の降霊術に対して恐怖や驚嘆の声を漏らし、画面の向こうは芝居でも見ているような滑稽さを感じさせる。




「ソフィア・ハリス。死者と交信することの出来る霊能者」




 答えたのは意外にも航だった。こういった話題は避けるタイプだと思っていた。

 湊は合点がいったように手を打った。




「噂は予々」




 湊の言葉は嫌味では無かったのだろうが、航のつっけんどんな態度と湊の間抜けな格好のせいで馬鹿にしているような印象を与える。

 ソフィアはそっぽを向いたまま答えなかった。




「ブロンクスの幼児誘拐事件の解決、見事だったね。失踪していた女の子の埋められていた場所をぴたりと当てたのは驚いたよ」




 湊はにこにこしていた。




「交信する時はどんな風に集中するの? 何か条件があるのかな」




 湊の人となりを知っている葵には、彼が嫌味ではなく純粋な興味から訊いているのだと解る。だが、この空気では何を言っても無駄だ。

 葵と航は早々に諦め、奈々は洗濯物を干す為に退出した。湊ばかりが口を開き、空気がどんどん悪くなる。


 ソフィアが溜息混じりに口を開いたのは、その時だった。




「どうせ、貴方も信じないんでしょ」




 彼女の声には無数の棘が含まれていた。

 言われた張本人である湊よりも航が過敏に反応し、顔を顰める。湊は何を言われているのか解っていないような淡白な顔をしていた。




「何を?」




 湊が愚直にも問い返す。疑念も不信も嫌悪も無い。至ってフラットな面持ちだった。




「幽霊がいるかどうかは解らない。俺は見たことが無いけど、目撃証言は世界中に数え切れない程ある。いないことを断言する方が難しいよ。悪魔の証明だ」




 湊は机に頬杖を突いて、ソフィアを覗き込むようにして言った。




「それに、君は嘘を吐いていない」




 その言葉に、航が眉を跳ねさせた。

 湊のその言葉には意味がある。下手な超常現象より性質が悪いことに、ーー()()()()()()()()()()()()

 その精度は百発百中で、機械よりも正確である。彼が言うには発汗や呼吸、眼球運動、小さな仕草の違和感から嘘が見抜けるらしい。しかも、それは自分の意思とは無関係に行われるらしかった。




「俺は大学で超常現象を研究しているんだ。目撃証言の数から存在していることは確かなのに、誰にもそれが証明出来ない。超常現象を科学的に解明するのが俺の研究テーマ」

「お前、そんなことしてたのかよ」




 にしし、と白い歯を見せて湊が笑った。

 天才の考えることはよく解らない。




「ーーさて」




 湊は場の空気を切り替えるように言って、不敵に笑った。




「葵くんが彼女を此処に連れて来た理由をそろそろ話してよ。まさか、彼女の霊能力の真偽を確かめる為だけなんてことは無いよね?」




 葵は溜息を吐いた。

 こうなることは解っていた。今更逃げ場がある筈も無く、葵は腹を括った。









 序章

 ⑶理性









 葵が事件のあらましを話し終えた時、航は興味も無さそうにそっぽを向いていた。久々の兄弟の再会に水を差してしまったかと申し訳無く思うが、彼等にそういう感情は殆ど無いらしかった。


 それに比べて湊は聞き上手で、痒いところに手が届くように絶妙なタイミングで相槌を打ち、話を引き出して来る。彼等はパズルのピースみたいに、互いの欠点を補い合っていた。




「自殺だったんだろ」




 湊が答えを出すより早く、航が叩っ斬るように容赦無く吐き捨てた。

 ソフィアが眉根を寄せるのも構わず、航は淡々と続けた。




「この国の警察は無能じゃねぇ。その警察が捜査の結果、自殺と断定したなら、それ以上の答えは無い」

「違うわ! ルーカス氏は殺されたのよ!」




 ソフィアが悲鳴のような声を上げた。

 航の言葉は彼女を否定する意図は無かったと思う。どちらかと言うと、それは警察、延いては葵に対する信頼だ。葵にはそれが解るが、彼女が納得する筈も無かった。




「俺は幽霊なんて信じねぇ。死んだら脳味噌無いんだぞ。どうやって考えるんだよ」




 見えないものは信じない。

 航は断言した。


 湊が庇うように言った。




「でも、捜査資料には不審な点があるんだよね?」

「ああ」




 葵は答えた。

 不審な点ーー睡眠薬の所在である。

 ルーカス氏は瓶に入った錠剤タイプの睡眠薬を常用していた。これは医師の診断が無ければ処方されないペントバルビタールというバルビツール酸系の強力な鎮静催眠薬である。


 睡眠薬による服薬自殺とは度々耳にする言葉であるが、其処には安らかな死は存在しない。致死量の睡眠薬は死よりも先に筋肉の融ける合併症を引き起こす。これは生きたままに筋肉が融けるという拷問のような激痛を齎すのだ。


 この横紋筋融解症を経て死に至るのだが、助かった時にも下半身不随になったり、一生透析を受けることになったりと地獄である。


 死に際のルーカス氏が何を感じたのかは解らないが、少なくとも、眠るように死んだとは思えない。地獄の苦しみを味わいながら、後悔と罪悪感の中で息絶えたのだろう。


 ルーカス氏の自宅にはこの睡眠薬が常備されていた。だが、彼の命を奪った筈の睡眠薬の瓶が一つ見付かっていないのだ。自室は密室であったし、死者が持ち出したとは考えられない。仮に殺人事件だったとして、犯人はどうやって密室から逃げ果せたのか。




「瓶の所在についてはもう一人の捜査官が探している。だが、もしも犯人がいるのなら、これは不可能犯罪だ」

「いいね、その響き。まるでシャーロック・ホームズになった気分だ」




 湊は笑っていた。

 これでふざけている訳ではないのだから、性質が悪い。湊は乗り気だった。葵は科学者はオカルトを信じないものだと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。確証が無い限りは真実を探し求める。一方で航は飽きてしまったのか欠伸をしていた。




「霊能者を自称する大半の奴等は自己顕示欲の暴走だ。それか、統合失調症みたいな精神病」




 航は何処までも否定的だった。

 正反対の態度を示す双子を前に、葵は毒気を抜かれたような心地になる。


 葵は航の素直なところが嫌いではない。下手に取り繕ったり、媚び諂ったりしない。それは相手を尊重しているからこその態度だ。しかし、ソフィアは尖った口調で言った。




「貴方は私が精神病だと言いたいの?」

「あんたがそう思うなら、そうなんだろ。俺は一般論を述べているだけだ。それに、精神病が悪い訳じゃねぇ」




 航は悪い人間ではない。ただ、素直過ぎる。




「俺には、証拠も無く騒ぎ立てている今のあんたは、ただ虚栄心に突き動かされているように見える。遺族の気持ちを考えてねぇ」




 航らし過ぎる言葉だが、言い過ぎだ。

 葵や湊が弁解しようとしたその時、ソフィアは口角を釣り上げた。それはぞっとする程に冷たい微笑みだった。




「ーー貴方、バスケットボールをしているそうね」




 航が不機嫌そうに目を眇めた。

 室内の温度が急に低くなったのが解る。咄嗟に湊が立ち上がり、壁に掛けられた温度計を見に行った。


 デジタル表示の温度が不自然に下がって行く。あっという間に十度を下回り、肌が粟立つ。何が起きているのか全く解らないが、悪いことが起きていることだけは確かだった。


 湊ばかりが嬉々として温度計を観察していた。その目は爛々と輝いている。


 吐く息が白く染まる。

 何だ、何なんだ。何が起きているんだ?


 ソフィアの目は航を捕らえて離さない。




「この辺りの霊が言っているわ。貴方は独り善がりで傲慢。だからチームから弾かれる。人の気持ちが解らないのね。可哀想に」




 悪意に満ちたソフィアの声は、まるで呪詛のようだった。航は表情を失くしていた。




「貴方なんか誰もーー」




 乾いた音が鳴り響き、ソフィアの声は不自然に途切れた。一瞬、何が起きたのか解らなかった。

 ソフィアは目を真ん丸にしていた。愕然と言葉を失ったソフィアの横に、湊が立っていた。その時になって、彼が平手打ちをしたのだと気付く。




「もう喋らないで」




 湊が冷たく言った。元来の穏やかさを消し去ったその声は砂漠のように乾き切っていた。


 ソフィアは信じられないものを見るようにして、恐る恐ると湊へ目を向けた。絶対零度の瞳が彼女を見下ろしている。


 葵は職業柄、悪魔のように凶悪な犯罪者と対峙することがある。彼等は倫理観や共感能力が欠如しており、普通の人間がブレーキを掛ける場面で平気でアクセルを全開にする。


 彼等に共通するのは、悪意や嫌悪ではない。人を人とも思わない残虐な犯行の裏には、人間というものに対する徹底的な無関心がある。


 湊の瞳に映るのは、正しくそれであった。

 ソフィアという人間に対する侮蔑と嫌悪は呆気無く許容値を超えて、無関心の域に達していた。もしも彼の手にあったのがナイフであれば、既に彼女は死んでいたのではないだろうかとさえ思った。


 思わず腰を浮かせた葵が取り押さえようとすると、湊はへらりと軽薄に笑って両手を上げた。その瞬間、室内の温度はぐんぐん上昇し、元の気温に戻っていた。


 流石の航も言葉を失っていた。自分が言われたことよりも、兄の行動に呆気に取られているようだった。


 湊は無抵抗を示しながら、いつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。


 いいかい。

 幼子を諭すように湊は言った。


 片頬を薄っすらと染めたソフィアが身を強張らせるのも構わず膝を曲げ、その顔を覗き込むように視線を合わせる。語り聞かせる為というよりも、逃げられないようにしているみたいだ。




「人は笑われたり、馬鹿にされたりすると腹が立つんだ。知らなかったなら、教訓にしてくれると幸いだ」




 湊はそれだけを言って、リビングを出て行ってしまった。取り残された葵は航と顔を見合わせて、頭を抱えた。

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