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⑸Who are you?

 航は闇の中に立っていた。

 自分が何処にいるのか考える必要も無く、それが夢であることを理解していた。


 ええーーん……。

 えええーーん……。


 子供の泣き声が聞こえる。

 足元から蛍のような光の粒子が湧き上がり、闇の中を仄かに照らし出す。乾いた風が頬を撫で、航は声の方向へと歩き出した。


 ええーーん……。

 えええーーん……。


 淡い光に包まれた子供が膝を抱えていた。

 顔は見えないので男女も解らないが、恐らく、五歳くらいの子供だった。

 置いて行かれてしまった迷子みたいに、蹲って助けを求めている。その子供の泣き声を聞いていると、胸が軋むように痛くなった。


 航は子供の隣に膝を着いた。




「何で泣いてんの」




 ぶっきら棒に問い掛けると、子供は航を見た。

 光に包まれた子供はのっぺらぼうだった。だが、不思議と怖くはなかった。




「お母さんに会いたい」

「迷子なのか?」




 子供は首を振った。

 ぼやけていた光の輪郭が浮かび出す。金色の髪に青い瞳をした肌の白い子供だった。何処か儚いその面は、リリーに似ているように思えた。




「お母さんを探しに行こうぜ」




 航が手を差し出すと、子供は首を振った。




「お母さん、きっと怒ってるよ」

「だからって、いつまでもこんなところにいたって仕方無いだろ」

「でも、何処にも行けないよ」




 宝石のような青い瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。

 航は居心地の悪さを誤魔化すようにして、手を伸ばした。だが、航の手が届く前に、子供の腕が蛇のように一瞬で巻き付いた。

 骨が軋む程の力だった。航が顔を歪めると、伽藍堂になった青い瞳が至近距離から見詰めて来た。




「一緒にいようよ」




 闇の向こう、光が人の形を作る。

 一人や二人じゃない。何十人という子供の群れが、海底で揺らぐ海藻のように近付いて来る。

 子供の腕は離れない。じりじりと距離を詰めて来る子供の群れに、航は酷い焦燥を覚えた。生命の危機を知らせる警報が頭の中に鳴り響いている。




「独りぼっちは寂しいよ」




 置いて行かれた迷子。闇の中で蹲る子供。

 ああ、これは俺なのか。

 そう思うと、恐怖よりも虚しさが込み上げて来た。




「何処にも行かないで」




 光の子供達に取り囲まれ、既に逃げ場は無かった。

 航は目の前の青い瞳を見詰め返し、静かに答えた。




「俺は此処にはいられない」

「どうして?」

「湊が、待ってるから」




 湊。

 少女はその名を繰り返し、悔しそうに顔を歪めた。




「なんで、なんで、なんで貴方ばっかり」

「悪いな」

「ずるいよ。酷いよ。置いて行かないで」




 癇癪を起こしたように子供が地団駄を踏む。

 掴まれた腕がぎしぎしと鳴り、関節が砕けそうだった。航は目の前の少女から目を逸らさないようにするだけで精一杯だった。


 少女は涙に濡れた顔で、閃いたかのようにうっとりと笑った。




「湊がいなかったら、ずっと一緒にいてくれる?」




 戦慄が背中を走った。

 くすくす。くすくす。くすくすくすくすくす。

 子供達が口元を押さえて笑う。航が何かを言い返そうとした時、少女は手を離した。

 足元に穴が開いていた。転落の刹那、手を伸ばした。しかし、子供達はそれを取ることはしなかった。







 4.殺人人形

 ⑸Who are you?







 航が目を覚ましたのは、日の落ちた午後六時過ぎだった。目を開けると見慣れぬ天井が広がっていた。

 薬品と消毒液の匂いがする。見たことのない部屋の中央、応接用のソファに寝そべっていた。

 一日の記憶が曖昧だった。最後の記憶は湊が朝食を食べているところで、それから何があったのか思い出せない。


 頭が痛い。

 顳顬を押さえていると、扉が開いた。

 リュウが立っていた。長身痩躯で上下黒の服を着ているので、電柱のように見える。リュウはソファの側へ歩み寄ると、しゃがんで問い掛けた。




「目が覚めたんですね。具合は?」

「頭が痛ぇ。……湊は?」




 此処は何処だ。

 航が問い掛けると、リュウは感情の読めないポーカーフェイスで答えた。




「此処は僕等の大学の研究室です。湊はソフィアと調査に出掛けています」

「調査? 何の?」

「……あの人形です」




 あの人形ーー。

 航は言われて漸くその存在を思い出した。帰り道、ゴミ捨て場に置かれていたビスクドール。触れた覚えも無いのに家まで付いて来た不気味な人形だ。




「あの気味の悪い人形か」




 航が言うと、リュウは眉を寄せた。




「航。貴方は何処まで覚えていますか」

「はっきり覚えているのは今朝、湊が俺の分まで朝ごはんを食べてたところ。……ん? じゃあ、その後また何かあったのか?」




 嫌な予感がする。

 昨晩の自分は湊の首を締めて殺そうとした。手首には防御創が幾つも残り、まるで犯人は自分だと触れ回っているみたいだ。

 リュウは此方をじっと観察しながら、言葉を選ぶように恐る恐ると教えてくれた。


 自分が人形に異様な執着を持っていたこと。

 引き離す為にリュウが持ち帰ったが、戻って来たこと。応戦する湊を殴り飛ばしたこと。


 嘘だろ。

 航は頭を抱えた。

 湊を殴ったことは兎も角、自分が何者かに操られていたということが信じ難く、我慢ならない。怒りで頭が爆発しそうだ。


 航は深く溜息を吐いた。




「……それで、湊は何処にいるんだよ」

「場所は教えられませんが、教会へ人形を持って行きました。そろそろ帰って来ると思うのですが」




 リュウが携帯電話を取り出したので、航もポケットの中を探った。

 湊からの連絡は無かった。電話を掛けてみるが繋がらない。代わりにソフィアへ掛けると、あっさり繋がった。


 リュウの言う通り、ソフィアはとある教会にいるらしかった。其処で悪魔祓いを受け、人形を燃やした。ーーしかし、薪は綺麗に燃え尽きたのに、人形は焼け残ったのだと言う。

 二人はそのまま人形を教会に預けて、街へ戻った。場所を訊くと此処からそう遠くない田舎街だった。


 迎えに行こうかと問い掛けると、ソフィアは躊躇った。自分がまだあの人形に取り憑かれているのではないかと疑われているらしかった。腹は立つが、無理も無い話だった。


 湊は?

 航が問い掛けると、ソフィアは黙った。




『いなくなった』




 その言葉を聞いた瞬間、航は腰を上げた。

 先程の妙な夢が鮮明に蘇り、居ても立っても居られない。




「湊のところへ行くぞ!」




 リュウは目を丸めていたが、非常事態を悟ったのか頷いた。二人で車へ駆け込み、荒っぽい運転で目的地を目指した。スピード違反なんて糞食らえだ。


 街でソフィアと合流した。

 湊はいなかった。教会からの帰り道、街に立ち寄った二人はカフェに入った。湊はトイレに席を立ち、そのまま戻らなかったという。それが二時間前。


 リュウと手分けして街の中を走り回る。聞き込みをしても成果は得られない。今の湊があのオタク風の格好をしているのか、そうでないのか解らないからだ。


 二時間もあれば街を出ているだろう。此処に留まる理由は無い。湊は操られているのか。それとも、自分の意思で出て行ったのか。


 肺が破裂しそうだった。

 両膝ががくがくと揺れて、呼吸が苦しい。口の中が血の味で一杯で、今すぐにでも湊をぶん殴ってやりたかった。


 闇雲に探したって駄目だ。

 もしも湊が俺なら、行動範囲を絞る。


 操られている可能性は、恐らく無い。

 湊は霊が見えないし聞こえないし感じない。他人の意識が入り込む余地が無い程に理性的な人間だ。


 それなら、何故、単独行動を取った?

 航にはそれが解る。きっと、湊は最善策を選んだのだ。最悪の結末を回避する為の最良の選択。


 航は深呼吸した。

 耳鳴りが始まり、辺りから色が失われて行く。呼吸は深く、脈拍は遅くなる。

 頭の中、街の地図が浮かび上がる。湊の性格から行動範囲を予測する。ソフィアを危険に巻き込まない為に、自分達に邪魔されないように、湊は敢えて自分が行かない場所を選ぶだろう。


 街の南西部、寂れた教会がある。理論的な根拠は無い。航は自分の直感を信じて走り出した。


 砂利道を駆け抜けながら、航は頭が締め付けられるような痛みを覚えた。足元の感覚が曖昧で、視界が滲む。何故だろう。


 航が到着したのは、田舎街に溶け込む木造の白い建物だった。薄緑の屋根と格子窓。庭は白い砂利が敷き詰められ、痩せた欅の木が立っていた。

 心臓が激しく脈を打つ。航は導かれるように建物の裏手へ回った。


 青い芝生が波を打つ。

 其処は墓場だった。奥に見慣れた兄の姿が見えて、航は安堵で胸が潰れそうになった。

 湊の後ろへ立つと、漸く栗色の頭が振り返った。


 眼鏡はしていなかった。

 黒いスキニーパンツとシャツは喪服に見えた。湊は航を見て穏やかに微笑んだ。




「待ってたよ」

「……行き先くらい言って行けよ。ソフィアが心配してたぞ」

「うん」




 湊は心此処に在らずといった調子で、墓石を眺めていた。航が覗き込むと、湊が言った。




「調べなきゃいけないことがあったから」




 ごめんね。

 湊は目を伏せた。


 墓石には少女らしき名前が刻まれていた。航には覚えの無い名前だった。だが、妙な既視感があった。まるで、とても昔からこの場所を知っていたような。


 航が追求しようとした時、湊が顔を上げた。




「今から二十五年前、小さな女の子を狙った連続誘拐事件があった」




 機械のような抑揚の無い声だった。

 湊は墓場を指し示した。その時になって、航は花の供えられた墓石が一つではないことに気付く。

 雪のように真っ白な百合の花が、悲しげに首を下げている。死者への餞別。葬いの花。




「被害者は全部で七名。皆、無残な遺体で発見された」




 湊の横顔は、血のような夕陽に照らされていた。

 睫毛が頬に影を落とし、まるで泣いているように見える。




「拷問と暴行の形跡があった。生きたままに内臓を抉り、甚振るようにして殺害した後、遺体を辱めたんだ」

「ペドフィリアの犯行か?」

「当時の警察はそう考えていたみたい。ただ、気になることが一つ」

「何だよ」

「犯人は必ず記念品を持ち去った」

「記念品?」

「髪の毛さ。被害者は全て金髪だった」




 その瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。

 生理的嫌悪、恐怖。被害者の無念が自分の中に流れ込んで来るようだ。


 湊は墓場を眺めている。




「犯人は逮捕される前に自殺したよ。証拠は揃っていたし、事件は解決したんだ」

「そうか……」

「でも、気になることが一つ」




 此処まで来れば、航にだってそれが何なのか解る。

 湊は冷たい無表情をしていた。




「記念品が見付かっていない」




 記念品ーー被害者の頭髪だ。

 被害者は金髪の少女だった。航はそれを、知っている。




「あの人形の頭髪は人毛だった。DNAを調べたら、複数の少女のものを寄せ集めたことが解った。被害者遺族に協力を頼んで調べてみたら、あの人形の頭髪と一致した」




 つまり、あの人形の髪は殺害された被害者である少女の髪が使用されていた。殺人の記念品だ。では、誰がそれを作ったのか。


 なあ。

 湊が言った。


 形の良い眉を寄せ、怪訝そうに湊が問い掛ける。




「あの人形の中にいるのは、誰なんだ?」




 誰ーー?

 航は何故だか急に息苦しさを感じた。まるで、見えない手が首を押さえ付けているようだ。




「犯人か、被害者か。もしもあれが犯人なら、金髪であるソフィアが狙われる筈だ。でも、そうじゃなかった。じゃあ、あの人形の中にいる霊は、誰なんだ?」




 湊は見えないし、聞こえないし、感じないのだ。

 霊の正体も、その思いも、声も解らない。


 航には、それが解る。




「女の子が」




 航は言った。

 夢で見た少女は一人だった。この墓場で花を供えられた少女の内の誰なのかは解らない。だが、確かにあれは、少女だった。


 湊は顎に指を添えて考え込んでいるようだった。




「ソフィアも同じことを言ってた。仮に被害者の霊が人形に取り憑いているとしてーー、何を求めているんだ?」




 何を?

 航は、夢の中の少女を思い出していた。

 孤独を恐れて泣いていた少女。




「事件は解決しているし、遺体は遺族によって弔われている。生者である俺達に出来ることは何も無い。それなら、どうして航の前に現れたんだ?」




 それが解らない。

 湊は首を捻った。


 航は答えようとして、止めた。自分の夢に根拠は無い。不確定な情報は事態をより面倒にする。

 それに、言葉にするのが怖かった。口に出せばそれが現実になってしまいそうでーー。


 暫しの沈黙の後、湊は墓石に向かって頭を下げ、振り向いた。




「……考えても解らないことは仕方が無いもんな。帰ろうか」




 湊が笑った。

 作為的ではないが、意図的な明るい笑顔だった。


 じきに陽が落ちる。

 ソフィアやリュウも心配していることだろう。湊は背中を向けて歩き出す。航は一抹の不安を抱えながら、その後を追った。


 不安は夏の積乱雲のようにむくむくと大きくなって行く。やがて訪れる嵐に備え、自分には何が出来るのだろう。


 航は、あの少女の言葉を思い出していた。


 湊がいなかったら、ずっと一緒にいてくれる?

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― 新着の感想 ―
[一言] ゾクゾクしますね。 まだまだ解決には程遠い様子。人形って怖いですよね。 それにしても、この話ではリュウは結構キーパーソン的な役割なんですね。エンジェルリードでも結構印象の強い人でしたが、…
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