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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
3.祈りの欠片
17/106

⑵リーアム

 ポルターガイスト現象。

 机上に広げた地図を指して、湊が言った。その目は爛々と輝き、まるで未開の地を開拓する冒険者のようだった。


 昨夜の出来事を振り返り、航は苦い思いになる。

 突然、ナイター照明が次々と割れ、火元不明の火柱が上がった。逃げ惑う人々の悲鳴が今も耳にこびり付いて離れない。

 あれが何だったのかと問われても答えられないが、湊のように超常現象と断言することも難しい。呪詛の時には自己暗示だと言っていた癖に、今回は初めから超常現象と言い切る湊がよく解らない。


 よく解らないという意味では、超常現象も兄も同じようなものだ。

 航にとって最も身近な超常現象は、赤ペンを取り出して嬉々として語り出す。




「この地区で同じようなことが頻発しているんだ。誰も触っていないのに物が動いたり、物音がしたり、火柱が上がったり」

「ポルターガイストって、室内で起こるんじゃねぇの」

「一般的には屋内だよ。でも、今回は特定の場所という意味では条件を満たしている」




 見て、と言って湊が地図を指す。

 自分達の住む地域の地図に幾つかの赤い丸が記されている。昨夜のバスケットボールコートに印が付いていることを考えると、超常現象の起こった場所なのだろう。


 確かに、湊の言う通り偶然とは言い難い件数が同地区で起きているらしい。印の横に日付が書かれている。

 自分の居住区で超常現象が起こっているというのも不気味だが、湊はこの情報をどうやって調べたのだろう。

 昨夜のように直に足を運んだとは思えない情報量だった。協力者がいるのか、公的機関のハッキングでもしているのか。


 航はふと目を留めた。

 昨日、航が試合をした体育館に赤い丸が付いている。日付と時刻はーー丁度、試合中だった。




「おい、これ」

「ああ」




 湊は何でも無いみたいに答えた。




「あの会場の入退場者の数が合わなかったんだ。だから、一応」

「数え間違えたんじゃねぇの」

「うーん」




 そうかな。そうかも知れないね。

 そんなことを呟いて、湊は地図を畳んだ。


 やけに引きが早いな、とは思った。

 違和感はあったが、湊が言わないのなら、追求する必要も無かった。

 それよりも、気になることがある。昨夜の青年は、どうなったのだろう。自分達の代わりにストリートファイトなんて無謀なものに挑んで、挙句に超常現象に巻き込まれてーー。

 しかし、暗闇の中で見たあの意味深な笑みは何だったのだろう。まるで、彼には彼処で起こることが解っていたみたいだった。


 地図を机に片付けた湊は、ノートパソコンを取り出していた。長い前髪が影を落とし、顔を隠している。

 話し合うことはもう無いらしい。湊はさっさと自分の作業に入っていた。航は特にやるべきことも見当たらず、机に頬杖を突いた。




「なあ」

「うん?」

「お前、何で超常現象なんて研究してんの」




 世間話の態を装って、問い掛ける。

 湊が凝り性なのは知っている。解らないことを放って置けない完璧主義でもある。だが、固執する理由が解らない。

 湊はノートパソコンから目を上げた。




「理由って、いる?」

「あ?」

「航がバスケを続けてるのと、同じだと思うよ」




 航は舌打ちをした。

 質問を躱されたことは、解った。


 湊はノートパソコンを閉じ、まるで逃げるみたいに腰を上げた。




「これから、病院に行かないといけないんだ。この前の呪詛騒ぎの時の経過を診てもらわないと」

「ふーん」

「お前も行く?」

「何で」

「退屈そうだから」




 他に理由は無いよ。

 湊はそう言って、微かに笑った。







 3.祈りの欠片

 ⑵リーアム






 運命なんて信じない。

 それは航の信条の一つだった。

 何か不都合があった時に運命だったからだなんて諦められないし、納得も出来ない。


 それでも、この世には運命としか思えない必然が起こり得る。

 航は、目の前の青年を見て頭を掻き毟りたくなるような焦燥を覚えた。


 昼下がりの大学病院、閑散とした待合室。

 周囲の風景が全てモノクロに見えるような強烈な存在感を放ち、惑星のような引力で視線を惹き付ける。

 背番号一番、彼はこの世の不幸など何も知らないような柔和な笑顔で立っていた。


 あ、と零したのは湊だった。

 その口元を押さえる間も無く、青年は振り向いた。一つ一つの動作は精錬され、コマ送りに見えた。




「やあ、また会ったね」




 青年は湊を見て笑った。

 航は込み上げる苦い思いを押し殺し、目を背けた。

 距離を詰めて来る気配がして、自然と眉間に皺が寄った。横目に湊が長い前髪を指先で払ったのが見えた。




「お見舞い?」

「ああ。君は?」

「健康診断さ」




 健康診断?

 航は内心、吐き捨てた。青年はさして気にする様子も無く、湊もそれ以外は追求も説明もせず、二人は奇妙な緊張感を漂わせた。


 そっと視線を上げると、湊が右手を差し出しているところだった。




「俺は湊。こっちは航」




 宜しく、と言って湊は悪戯っぽく笑った。

 握手を受け入れた青年はにやりと口角を上げた。




「俺はリーアム。宜しく」




 数年来の友人みたいに親しげに握手する二人を尻目に、航はこの場所へ来たことを後悔していた。

 存在感に溢れた二人は、最早視覚的な暴力に等しかった。自分がこの場所にいる理由を見失いかけたところで、受付から湊を呼ぶ声がした。

 リーアムは残念そうに肩を竦めた。その仕草さえ映画のワンシーンのようで目眩がする。


 航は悪態吐いて湊の首根っこを引っ掴んだ。

 蛙の潰れたような声がして、腹が立つ。何処までが演技で、何処からが本心なのか解らない。


 診察室へ向かう道すがら、リーアムは優等生みたいな口調で話し続けた。航は関わるまいと背を向けて歩き、二人は丁度付いて来るような形になっていた。用があるのは二人である筈なのに、立場が逆転している。


 目的地に到着したところで漸く別れることが出来て、航はほっとした。

 去り際に手を振るリーアムを見送り、湊は困ったように笑った。




「あの人、俺が弟だと思ってたよ」




 そりゃ、そうだろう。

 自分だって初対面なら、同じことを思うだろう。航は兄の旋毛を眺めながら溜息を零した。診察室の扉を開けた湊ばかりが、他人事のように小首を傾げている。


 馬鹿だなあ。

 オタクみたいな後ろ姿をぼんやり見ていると、ーー突然、湊が視界から消えた。

 物凄い音がして、航は目を剥いた。眼鏡が落下し、リノリウムの床を勢い良く滑って行く。足元で湊が後頭部を押さえて蹲っていた。


 数秒のタイムラグの後、湊が何も無いところでいきなり転んだことを理解した。

 しかも、そのまま側頭部を扉に強打したらしい。


 患部を押さえて蹲る湊が酷く滑稽で、航は情けなくて悲しくなる。




「何やってんだよ……」




 去り際まで完璧だったリーアムに比べて、湊は鈍臭いし間抜けだ。


 やれやれと思いながら眼鏡を拾ってやると、物音を聞いた看護師が顔を覗かせた。涙目で見上げる湊の腕を掴んで強引に立たせ、一応、患部を触ってみる。綺麗な頭蓋骨に不恰好な瘤が出来ていた。


 本当に何なんだよ、こいつ。


 患部を叩いてやっても良かったが、湊が早々に歩き出したので叶わなかった。

 医師と対面して座る湊の横に立っていると、催促するように掌を出された。




「眼鏡」

「あ?」

「返して」




 ああ、と短く頷いて、はっとする。

 無い。

 ポケットに入れたかと探してみるが、眼鏡は何処にも無かった。片付けた覚えも無い。確かに拾った筈だ。

 僅か数秒のことだった。航が忙しなく探し始めると、湊がやれやれと肩を竦めた。




「何やってんだよ」




 まさかその台詞を湊に言われるとは思わなかった。

 怒りで顳顬が痙攣する。湊は既に背を向けて医師と話し始めている。航は苛立ったまま診察室の扉を思い切り開いた。今度は転倒することも無かった。


 診察が終わるまでの数十分、待合室まで探しに行ったが眼鏡は何処にも無かった。


 持ち物を失くしたことなんて一度も無かった。自分がとんでもない馬鹿に思えて、消えてしまいたくなる。

 だが、次第に、必要も無いのに眼鏡を掛けていた湊が悪いんじゃないか思うようになった。責任転嫁みたいな結論を出しつつ、航は待合室のベンチで項垂れていた。


 その時、目の前に影が落ちた。




「どうしたの?」




 ゆるゆると顔を上げると、リーアムが立っていた。

 航は説明する気も起きず、何でも無いと曖昧に答えた。納得したようでは無かったが、リーアムは追求しなかった。


 隣に腰を下ろしたリーアムが、何かを思い出したように言った。




「そういえば、これ、湊のだろ?」




 そう言って差し出されたのは、湊の眼鏡だった。

 虚を突かれた航は咄嗟に言葉を失い、呆然と眼鏡を見詰めていた。




「入院病棟の受付に置いてあったんだ」




 入院病棟?

 航は復唱した。


 入院病棟は別の建物だ。診察室の前で転倒した湊の眼鏡がそんなところまで飛ぶ筈も無いし、航自身、出向いたことも無い。


 二の句を継げずにいると、丁度湊が戻って来た。

 リーアムの手の中にある眼鏡を見て不思議そうにしていたが、ほっとしたように微笑んだ。




「きっと、親切な人が届けてくれたんだね」




 楽観的に湊が言った。航は納得出来なかった。

 二人は和やかに笑い合っている。航が睨んでいると、察したようにリーアムが問い掛けた。




「どうしたんだい?」

「俺は失くしてない」




 無性に苛々して、航は舌打ちした。

 湊が宥めるように言った。




「ポルターガイストさ」




 堪らず、航はその後頭部を叩いた。

 打ち付けた掌から乾いた音が鳴り響き、待合室にいた数名の患者が振り向いた。リーアムが目を真ん丸にしていたが、どうでも良かった。




「俺を疑ってんのか?」

「違うよ。ポルターガイストでは物が所定の位置から離れた場所に移動することもあるんだ」




 湊は後頭部を摩りながら後退った。

 航の行為は意地に見えるし、湊の言葉は慰めにも聞こえる。航のミスなのか超常現象なのか、答えが無いことも解っていた。ただ、湊に慰められるということが堪え難く屈辱だった。


 摺り足で逃げる湊に詰め寄ると、リーアムが慌てて間に立った。




「待て待て! こんなところで喧嘩するな!」




 航の耳にリーアムの声が届き、その瞬間、頭から冷水を浴びせられたように我に帰る。周囲では患者や看護師が集まり、どよめいていた。

 此処が病院であることを思い出し、航は舌を打った。


 無神経な湊が、航の地雷を踏んだだけだ。喧嘩だったなら既に拳が出ているし、湊も黙ってはいない。だが、リーアムの言う通り、場所は配慮するべきだった。


 人集りを一瞥した湊が、仮面のような笑顔で手を引いた。早々に退場したいのは航も同じだったが、手を振り払って先を歩いた。


 病院の敷地内にある駐車場に、バイクを停めていた。

 酷く不愉快な気持ちだった。こんなことなら、初めから付いて来なければ良かった。

 ヘルメットを投げ付けると、湊は往なすようにして受け止めた。それがバスケットボールに見えて、一層腹立たしく思った。


 リーアムは、別れるタイミングを見失ったらしかった。視線を彷徨わせたり、伺うような目を向けて来たり、うざったい。沈黙を埋めるようにしてリーアムは言った。




「湊はどうしてバスケを辞めたの?」




 湊は痙攣のように瞬きをした。




「どうして俺がバスケやってたこと知ってるの?」

「君達は有名だったからね」




 リーアムは苦笑した。




「ジュニアハイスクールの地区予選でよく見掛けたよ。君達のインサイドは強力だった」




 湊は照れ隠しのように顎先を掻いた。

 湊はポイントガードと呼ばれるチームの司令塔で、コートの状況を俯瞰的に捉え、確率から勝ち筋を見付けるのが上手かった。

 航がディフェンスを振り切ってゴールを狙える時、パスが欲しいと思った時、魔法のようにボールが手の中へ滑り込む。あの心地良さを思い出し、苦い思いが込み上げる。




「ディフェンスを振り切る航の稲妻のようなドライブも、カットインした瞬間に舞い込む魔法のパスも、見ていて痛快だったよ。だから、ーー勿体無いと思った」




 リーアムは航へ目配せして、曖昧に笑った。


 航は二人の話を黙って聞いていた。

 会話に入りたくなかった。傷口に塩を塗るようなものだ。




「航は素晴らしいプレイヤーだ。衝突を恐れず、稲妻のようにコートを駆けて行く」

「負けたけどな」




 つい、皮肉が口から零れ落ちる。

 リーアムは困ったように言った。




「リバウンドとゲームメイクは君のチームの課題だよ。チームスポーツで誰か一人の責任になるなんてことは、絶対に無い」

「お利口さんの言葉だな」




 むかつく奴だ。ーーだが、きっとあの試合の後、もしも湊に意見を求めていたのなら、同じことを言ったのだろう。航にはそんな予感があった。


 敵に塩を送られる謂れも無い。リーアムの返答を待たず、エンジンを掛ける。拍動のようなエンジンの音に耳を澄ませ、航は言った。




「帰るぞ、湊」

「ああ」




 またね。

 湊が言った。リーアムが応えたのかどうかは解らなかった。バイクは弾丸のように駐車場を飛び出し、整列する車の群れを擦り抜けた。


 自宅へ到着した時、航は何となく問い掛けた。




「お前は、あの試合の敗因は何だったと思う?」




 湊はヘルメットを脇に抱え、微風のように静かに笑った。




「訊く相手が違うんじゃない?」




 くるりと向けられた湊の背中が、いつかコートで見た背番号一番と重なって見えた。

 ボールが零れ落ちたあの瞬間、航は確かに思ったのだ。ーー湊がいれば、と。


 振り向いた時、其処に湊はいなかった。

 ボールは敵の手の中にあり、まるで導かれたかのようにゴールリングへ吸い込まれた。

 絶対に口に出して認めてなんてやらないけれど、脳裏を過ぎった可能性を忘れることが出来なかった。


 何が足りなかったのだろう。

 力か、敏捷性か、ゲームメイク力か、才能か。自分には、他にどんな可能性が残されているのだろう。

 体格で劣るのなら速さを、力で劣るのなら技術を。それでも届かない才能の格差を何で埋めたら良い。




「今日の夕飯は俺が作るよ」

「……引っ込んでろ」




 航は吐き捨て、少しだけ笑った。

 どうせ、湊が作る料理なんて大味の焼き蕎麦かお好み焼きだ。

 冷蔵庫の中身を思い浮かべながら、航は湊を押し退けた。

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