表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
15.宴の始末
101/106

⑶虹の袂

 消毒液の匂いが肺を満たす。

 病室の白さに目が眩んでしまいそうだった。呼吸器を装着された友人は血の気の無い面で無防備に眠っている。心電図の知らせる脈拍を硝子越しに確認し、湊は拳を握っていた。


 ゾーイとホセが襲撃を受け、銃弾を受けたことは航から聞いていた。


 孤児院に潜んでいたマーティンがいきなり銃口を突き付けたのだと言う。航の話では、最初の一発はゾーイの頭部だった。


 頭部に受けた銃弾は頭蓋骨を貫通した。彼女の意識は其処で途絶えたようだが、マーティンは更に至近距離から腹部を銃撃された。

 彼女の横にいたホセは複数箇所に銃弾を受けた。内臓を損傷し、失血によるショックで心肺は一時停止したと言う。


 即死してもおかしくない傷だった。マーティンの殺意や執念を感じさせるには充分過ぎる程の傷である。


 輸血されながら搬送され、緊急手術を受けた二人は奇跡的に一命を取り留めた。数時間後には意識を取り戻したらしいが、今は静かに眠っている。


 生きていればそれで良いと、笑うことは出来なかった。後遺症が残る可能性は高いし、生涯植物状態になるかも知れない。


 ゾーイの両親が面会に来ていた。

 彼女によく似た意志の強そうな母親と、厳格そうな父親だった。湊が会釈をすると、母親は両目に涙を溜めて、縋り付くようにして咽び泣いた。


 顔を赤くした父親は、警察から全て聞いているとだけ言って、湊の肩を力強く叩いた。警察がどんな説明をしたのかは解らない。けれど、対応した警察はきっと、湊を責めなかったのだろう。


 ゾーイは反対していた。

 人工知能の研究を止めたのも彼女だ。

 湊はそう言おうとして、黙った。彼女の父親が、強い眼差しで此方を見ていた。




「真実は娘の口から直接聞く。君に正義の心があるように、我々にもそれはある。ーーどうか、私達を悪役にさせないでくれ」




 地を這うような低い声は、微かに震えていた。

 そう言って去ってしまった彼等に、自分は何を言うべきだったのだろう。


 ホセの両親は、来なかった。

 彼が性的少数派であることをカミングアウトしてから、両親とは絶縁関係だと聞いている。けれど、こんな時くらい。実の息子が死に掛けているこんな時くらい、側で手を握って、声を掛けようとは思わないのだろうか。


 罪は赦される日が来るし、傷跡はいつか癒える。湊はそう信じていたし、信じるしか無かった。けれど、怨みというものはどうやら、いつまでも、何処までも残るらしい。炎が野原を焼き尽くしても、地中深くに張り巡らせた根は滅ばない。湊はそれが遣る瀬無く、虚しかった。


 二人の眠るICUを離れ、通話可能エリアに移動する。

 大きな窓から取り入れられる日差しが眩しかった。


 昨晩、寮に戻った時にホセの部屋から実家の電話番号を調べた。携帯電話をタップし、耳に押し当てる。呼び出し音が鳴って、すぐに留守番電話に切り替わる。ずっとそうだ。ホセの両親は沈黙を守っている。


 残すべきメッセージも見付けられず、湊は通話を切った。自分が何をすべきなのか全く解らなかった。まるで、濃霧の中を一人で彷徨い歩いているみたいだ。


 立ち止まっていると、卑屈な考えに取り憑かれてしまう。不毛なことばかり考えて、身動き一つ出来なくなってしまいそうだ。


 湊は携帯電話をポケットに押し込むと、病院の出口に向かって歩き出した。もうすぐ、大学の授業が始まる。


 急がないと。

 何かにせき立てられるように、湊は歩き出した。







 15.宴の始末

 ⑶虹の袂









 病院を出た時、見覚えのある黒い車が停まっていることに気付いた。湊が近付くと車窓がするすると下りて、リュウが仏頂面を覗かせた。

 促されるまま助手席に座ると、リュウが言った。




「ライリーに会って来ましたよ」




 湊は目を伏せ、一度だけ頷いた。

 知っている。航と葵君と父と面会に行くことはリュウから事前に聞いていた。

 其処で何を話したのかは、どうでも良かった。自分には何も出来ないということだけは解っていた。


 リュウは此方の反応を窺うように沈黙し、深い溜息を吐いた。




「罰が欲しいようですね」




 そうなのだろうか。否、そうなんだろう。

 誰かに責めて、罰して欲しかったのだろう。そうして、許して欲しかったのかも知れない。


 謝れと言うのなら、手をついて頭を下げる。賠償金を求めるなら一生を掛けて払う。では、責められもせず、罰も受けない自分は、どうやって彼等に償えば良いのだろう。


 それが一番辛くて苦しいのだと、知っていた。知っていて、ライリーに同じことをした。

 醜悪で、残酷で、卑屈。それが自分の本質だ。




「湊に罪があるとするなら、僕も同罪です。楽になろうとは思いません。……湊が最善を尽くしたことは僕が解っています。それでお終いにしましょう」




 余りの頼もしさに、涙が出そうだった。

 謝罪も後悔も贖罪も、今やるべきことじゃない。過去は活かしても囚われるものではないし、時を巻き戻す方法は未だ発明されていない。そんなこと、誰より解っている筈なのに。




「僕は、SLCやライリーが思う程、貴方の能力が特別で絶対とは思っていません」




 それは、叩き斬るような鋭い口調だった。


 僕は。

 リュウが、言った。




「僕は、貴方が自分の能力を開示した時、愚かだと思いました。貴方は、話す必要の無いことを口にして、晒す必要の無い弱味を見せた」




 喉が詰まって、言葉が出なかった。

 何もかも、その通りだった。その結果がこれだ。身から出た錆だ。それで仲間を、家族を巻き込んで、自分は一体何をしているのだろうか。


 湊には返す言葉が無かった。しかし、リュウは相変わらずの仏頂面で、淡々と言った。




「ーーですが、それがあの時の貴方が示せる、最大の信頼の証だったのでしょう」




 だから、否定はしません。

 リュウは呆れたみたいに言った。


 湊に兄はいないけれど、リュウはまるで歳の離れた兄みたいだった。

 どうして、彼は当たり前みたいに、自分のことを解ってくれるのだろう。自然なことみたいに、欲しかった言葉をくれるのだろう?


 湊が顔を上げた時、リュウの黒曜石みたいな瞳はフロントガラスの向こうをじっと見詰めていた。人気の無い駐車場は何処か荒廃的で、病棟が蜃気楼のように霞んで見える。




「僕は貴方の仲間で、友達です。貴方が信じたように、僕も貴方を信じます。だから、どうか僕にその荷物を背負わせて下さい」




 相槌を打ちながら、湊は鼻を啜った。

 堪えなければと思う程に何かが眼窩の底から込み上げて来る。




「……ごめんな……」




 自分でも驚くくらい、掠れた声だった。

 瞬きの間に熱い雫が落ちて、手の甲を滑って行った。湊は両目を擦り、咳払いをした。


 謝罪に意味は無いし、リュウも求めていない。けれど、それを口にしなければ、後悔で押し潰されてしまいそうだった。


 リュウの腕がすっと伸びて、肩を抱いた。しっかりとした筋肉に覆われた腕だった。きっと、想像も出来ないくらいの苦労をして来た。


 日本人嫌いのリュウが伸ばしてくれたその腕の意味が解らない程、薄情ではない。喉の奥から溢れそうな嗚咽を唾と一緒に飲み下した時、目から雫がまた落ちた。


 リュウが真正面から覗き込み、幼子に語り聞かせるように言う。




「ゾーイもホセも、大丈夫です。二人は生きている。僕等に出来ることは、信じることだけです」




 湊は奥歯を噛み締めた。




「後悔する気持ちも解ります。僕だってそうです。今も悔しくて遣る瀬無くて、犯人が憎くて堪らない。でも、今することはそれじゃない」

「……解ってる」




 今の自分に出来ること。

 後悔はある。罪悪感も消えない。あの時、あの場所で違う選択をしていればと考えないことは無いし、失くなることはきっと無い。


 だけど、立ち止まっていれば、今この手にあるものも取り零してしまう。後悔や懺悔はいつでも出来る。


 湊は唇を噛んだ。錆び付きそうな思考回路を巡らせる。




「SLCのせいで貴方の能力が過剰評価されています。狙われますよ」

「ああ」

「何を選ぶにせよ、僕には事前に相談して下さいね。黙って消えられたら、心配します」




 つい、苦笑が漏れた。




「優しいね」




 これから消息を絶つと言っても納得しない癖に。

 リュウは不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。湊は顔を上げ、深呼吸をした。




「やらないといけないことがある」




 君だけが守れるものが何処かにあるよ。

 オリビアの死に際の言葉が耳の奥に蘇る。今になって、彼女の言葉の意味を知る。あれは恨みでもなければ憎しみでもない。きっと、最後の鼓舞だった。


 真意は解らない。解釈するしかない。少しでも救いのある方を選ぼう。ーーもう、失わないように。




「身の振り方を考えないといけない。このままじゃ皆を巻き込む」




 リュウが睨むので、湊はそれを真っ直ぐに見詰め返した。




「死ぬつもりは無いよ。俺には見届ける義務がある」

「当然です」




 リュウは少し怒っているようだった。

 湊は静かな病棟を睨んだ。




「一度、大学に戻ろう。何が出来るかは解らないけど、きっと俺にしか出来ないことがある」




 リュウは何かを言いたげにしていたが、頷いた。

 低い唸りの後、足元でエンジンが拍動する。カーナビに大学までの地図情報が表示されたところで、湊の視線は奪われた。


 大学病院の入口に、壮年の男が立っている。その隣には上品なワンピースを纏った女性が寄り添っており、夫婦のように見えた。

 苛立ったように革靴が地面を叩く。男は腕時計を気にしていた。女性は目を伏せ、まるで能面みたいな無表情だった。




「ホセの御両親ではないですか?」




 湊の視線に気付いたらしいリュウが、眩しそうに目を細める。確かに、その男性にはホセの面影があった。

 見舞いに来たようには、とても見えなかった。まるで部下の不始末を憤るような形相で、男は携帯電話を握っている。


 ホセは両親と絶縁状態にある。

 他人の家庭の問題に口を出すつもりは無いけれど、何故だか嫌な予感がして、湊は車を飛び出した。

 リュウの声が背中に突き刺さる。それでも湊は止まらなかった。その衝動が何処から湧き出すものなのか全く解らない。ただ、立ち止まってはいけないという強迫観念が臓腑に焼き付いていた。


 彼等は湊に気付くことなく、エレベータに乗って上層階へ向かったようだった。液晶パネルに表示された階層は集中治療室である。湊はエレベータを待たず、階段を駆け上がった。


 到着した頃にはすっかり息が上がっていた。運動不足は否めない。肋骨が治ったら、まずは筋力を取り戻そう。

 廊下の角を曲がった時、声がした。




「あいつは家を出たんだ。私達とはもう関係無い」




 突き放すような冷たい声だった。

 病院のスタッフが彼等の名を呼ぶ。其処で漸く、湊は彼等がホセの両親であることを確信した。




「あいつは落第者だ。何処でどうなろうとも構わん」

「貴方」




 宥めるように夫人が呼び掛ける。

 湊は立ち尽くしていた。


 こんな時、何と言えば良いのか。

 男の言葉に嘘は無かった。


 他人の家庭の事情に、口を出すべきじゃない。

 ホセは自分にとって大切な友達で、信頼に値する人格者だ。そんなこと、自分が解っていれば良い。


 湊は言葉を呑み込み、俯いた。

 言うべき言葉は何も無い。そうして黙り込んだ時、声がした。




「テメーの息子だろ」




 吐き捨てるようなその声に、湊は目が熱くなった。

 顔を上げると、松葉杖を突いた航が立っていた。


 どうして此処にいるのだろう。

 湊の疑問など御構い無しに、航は足を引き摺って歩み寄る。




「落第者だとか何だとか、勝手なレッテル貼ってんじゃねぇよ」

「誰だね、君は」




 航は視線を上げ、此方を見た。研ぎ澄まされたような静謐な瞳には、一切の翳りも無い。

 何かに背中を押されるように、腹の底から熱いものが込み上げて来る。湊は包帯に覆われた両手を握り、声を上げた。




「俺はホセの友達です」




 ホセの父が振り返る。見定めるような目付きで此方を睨むと、合点行ったかのように頷いた。




「君のことは知ってるよ。SLCに拉致された子だね」




 途端、男の瞳は柔らかく、同情が滲んだ。


 今の自分がどういう立ち位置にいるのか解る。湊はSLCに拉致され、仲間に裏切られた被害者なのだ。そして、自分の能力が世間的にはそれ程に重要視されておらず、超能力というものに人々は懐疑的なのだ。




「確か、十七歳だったか。大変な目に遭ったね……」




 彼の言葉に嘘は無い。純粋な労りと慰めの声だった。

 重傷のホセも、世間のレッテルも後回しにして、目の前にいる自分のことを案じてくれている。

 悪い人じゃない。むしろ、彼等は社会の大多数を占める、守るべき善人なのだろう。




「でも、ホセが助けてくれました」




 男の顔が苦渋に歪む。湊はその眼前まで歩み寄り、口を開いた。




「ホセは勇敢だった。優しかった。いつも仲間のことを守ってくれたし、励ましてくれた」




 人工知能を作った時、人格の元となる感情データを入れた。人が育つ過程を辿るように、快不快から、喜怒哀楽。それが心理作用の元となるように細かなデータを作り上げて行った。


 湊には、人の細かな心理作用が解らなかった。だから、ホセと一緒に作り上げた。

 どんな時に喜び、どんな時に怒り、どんな時に悲しみ、どんな時に憐れむのか。その憐れみこそが人を助けようとする心理作用に繋がると信じた。


 ホセがいなかったら、今の湊はいなかった。

 サンダルフォンを止めてくれたのは、ホセの持つ善性だったのだ。




「彼は立派だった。どうか、それだけは信じて下さい」




 湊が言うと、男は俯いた。妻はその側に駆け寄り、怪訝そうに眉間に皺を寄せた。




「貴方……、本当に友達? 本当は」

「止せ。私達が詮索するべきことじゃない」




 二人のやりとりの横、航が舌打ちした。

 苛立ったように松葉杖を床に打ち付け、航は湊の側まで来ると二人へ振り返った。




「ホセは苦しんでるぞ。あんた達とは違って、自分の感情をぶつける相手がいなかったから」




 彼等は、ホセの苦しみを解ってやれなかった。

 何でもかんでも受け入れられる訳じゃない。彼等を責めるのは簡単だが、部外者の自分達にそれをする権利は無い。


 何でもかんでも救える訳じゃない。

 信じるしかない。ホセが目覚めた時、優しい世界でありますように、と。




「俺はホセがいてくれて良かったと、心から思います。だから、ーーありがとうございます」




 湊は頭を下げた。

 祈ることしか出来ない自分が歯痒かった。




「行くぞ」




 航はそう言って、湊の腕を引いた。漸く追い付いて来たリュウが、荒い呼吸をしながら膝に手を突く。航はそれを冷ややかに見下ろしながら、歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ