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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
15.宴の始末
100/106

⑵清算

「統計データから乱数を生成して、犯罪を予測する……」




 和輝は呟いたきり、顎に指を添えて黙った。彼の脳は凄まじい勢いで回転し、凡ゆるリスクを想定しているのだろう。側で見ているとその集中力の高さに吸い込まれそうな錯覚さえ起こる。


 ライリーを始めとした研究室の面々が作り出したのは、数学を用いた犯罪予測装置であった。更に、並行して感情を持った人工知能を開発したという。熟、碌なことをしない奴等だ。




「……湊は元々、自分の能力の可視化を考えて、誰にでも使えるような装置を開発しようとしていました」




 葵は呆れたが、笑うことは出来なかった。

 誰にでも他人の嘘が解るようになったら、疑心暗鬼になって社会が成り立たなくなる。そんなことあの賢い子供なら解りそうなものなのに、開発に踏み切ったのは何故か。全くの好奇心からではないだろうと思った。


 医療導入を視野に入れていたとしても、敢えて理解され難い自分の能力を核にする必要は無い。では、何故か。湊は答え合わせをしない子だ。推測するしかない。




「寂しかったんだねぇ」




 和輝は、そんなことを言った。


 あの湊が?

 寂しい?

 そんな感情を持ち合わせていたのかと疑ったが、父を亡くした時の彼の自暴自棄な行動を振り返ると、妙にすんなりと納得出来た。


 開発を始めた頃の湊の気持ちを思うと、胸が潰れそうに苦しかった。表面上はいつも笑顔を絶やさず、堂々としていて、論理的で、冷静に見えた。だけど、まだ十七歳だ。


 物心付いた頃には他人の嘘が見抜けたという。葵や和輝がその性質に気付いたのは彼が六歳の頃。それまで湊は善人は真実を語り、悪人は嘘を吐くと思い込んでいた。


 湊の性質に気付いた和輝がすぐに軌道修正を図り、一旦は落ち着いて見えた。だけど、経験から培われた価値観はそう簡単に変わらない。

 自己否定と自己嫌悪。その中で自分の能力を模倣した装置を開発していたことを考えると、やはり、ーー寂しかったのだろう。




「湊は研究を途中で打ち切っています。悪用のリスクを回避出来なかったから」

「それで、オリビアさんの研究を手伝う内に、人工的な超能力者の開発に携わったのか。嘘発見器の一般導入、感情を持った人工知能に、犯罪予測装置……」




 幼い頃の湊を思い出す。

 湊は嫌だと言えない子だった。解っていて貧乏籤を引くような御人好しなのに、優先順位が常に明確で、目的の為なら手段を選ばない。

 正義感が強く、疑問はそのままにしない。走り出したら自分で止まれないエゴイストでもある。

 I.Qは140を超え、人間関係に線引きを行い、他人の嘘を100%の精度で見抜く。


 神様の依怙贔屓とばかりの美しい容姿も、高い身体能力も、類まれな頭脳も、何もかもが、普通じゃない。


 あの子は選ばれた子供だ。


 和輝は大きく息を吐き出して、椅子に凭れ掛かった。

 長い睫毛が頬に影を落とす。そんな横顔は息子にそっくりだった。




「……湊のことは、後で考える。兎に角、今は彼の話をしよう」




 ライリーは静かだった。敵意や警戒心は剥がれ落ちて、何処か悪戯っ子のような印象の少年に見えた。

 和輝はライリーに向き直った。




「身の回りの事象が数式に見えると言っていたね。……俺の知り合いに数学者がいるんだけど、同じことを言っていたよ」




 数学者の知り合いがいるなんて聞いたことが無い。

 だが、この男の交友関係や行動を把握するなんてスーパーコンピュータでも不可能なので、葵は早々に思考を放棄した。




「ビール飲んだ後の泡を見てベルヌーイ法則がどうとか、向日葵を見てフィボナッチ数列がどうとか、いつもよく解らないこと言ってる」




 数学者は変人が多いと聞くが、確かに、親しくしたくない種類の人間である。そんな人間と友達だと言うのだから、彼も相当な変人であることが窺えるというものだ。


 だからさ。

 和輝が言った。




「変じゃないよ」




 穏やかに、まるで息を漏らすような自然さで、和輝が言う。




「俺も他人の嘘が解るんだ。割り切って考えられるようになるまで、すごく悩んだよ」

「それって、いつからなんですか」

「中学生くらいかな。しんどいこともあったけど、それでも距離を置かないでくれた家族や友達がいたから、割り切れた」

「割り切るって……」

「だって、どうしようも無いじゃないか」




 平然と和輝が言う。




「恨んだり、卑屈になったりして、何か変わる? それって意味ある? 世の中を変えるよりは自分の考え方や捉え方を変えた方が早いだろ」

「……」

「君の目には人と違うものが見えてるんだろう。それって俺や湊と同じだろ。気味悪がったり、怖がったりしないよ。君は多分、脳の情報処理能力に意識が追い付いていないだけ。落ち着いて自分を見詰め直せば、少しずつ、マシになる」




 大丈夫。

 出会った頃と変わらない無邪気な笑みで、和輝が言った。




「明けない夜は、無いんだよ」




 ライリーが肩を落とすのが見えた。

 和輝はゆっくりと瞬きをすると、剣呑な眼差しでライリーを見詰めた。




「でもね、君の犯した罪について、俺は同情するつもりは無いよ。湊と航は被害届を出さないと言い張ってるけど、未成年だからね、代わりに俺が提出しても良い」

「……」

「君の仲間達はもう被害届を出してる。この意味が解るかい」




 ライリーが唇を噛み締める。

 彼がどんなに孤独に追い込まれ、その生い立ちが不幸だったとしても、許される罪ではないのだ。

 自分が苦しかったからと言って、他人を傷付けて良い訳じゃない。罪には罰だ。




「それは、許しだよ」

「許し?」




 ライリーが復唱すると、和輝は真顔で頷いた。




「罪を償えること、許してもらう相手がこの世にいること。それは君にとって、最大の救いだろう?」




 死んだら、謝罪も出来ないし、許してもらうことも出来ない。ゾーイもホセも生きている。罪を償えと言っている。




「履き違えたらいけないよ。俺はコネクションを最大限に活用してでも、君に厳罰を科す。湊や航が許しても、俺は許さない。君は、仲間からの信頼を裏切った。その罪を一生背負い続けろ」




 一息に言い切ると、和輝は立ち上がった。




「それが君の罰だ」




 和輝は眦を釣り上げて、そのまま部屋を立ち去ってしまった。


 自分の要件が済んだらさっさと帰ってしまう勝手なところも変わらない。


 葵は舌を打ち、ライリーに向き直った。




「……湊にそっくりですね」

「親子だからな」




 それにしても、一生背負い続けろとは、まるで死ぬなと言っているようなものじゃないか。

 罪を背負うというのは、裸足で針の山を登るように苦しいことだ。それでも、その罪が生きる理由になる。

 優しいのか、甘いのか、厳しいのか、よく解らない。


 まあ、何でも良いか。

 葵は口を開いた。




「ライリー・ホワイト。お前は殺人未遂、共謀罪、暴行罪で訴えられている訳だが……」

「はい……」

「諸々の罪はしっかり償ってもらう。それは前提として」




 葵は咳払いをした。




「犯罪予測装置。それが実現可能ならば、俺達にとっては有益だ」

「俺達?」




 葵は懐へ手を伸ばした。

 黒い革の手帳には、FBIのエンブレムが刻まれている。




「俺はFBIのBAUに所属する捜査官なんだ。お前を、正式にスカウトしたいと思う」




 愕然と両目を見開き、ライリーは言葉を失くしていた。その姿に葵は、過去の自分を見ているような形容し難い郷愁を抱いた。


 葵には犯罪歴がある。それも殺人だ。ただ、それが正当防衛であったり、立証不可能な犯罪であったが為に、葵の自供だけでは罪に問われなかった。


 社会に不適合と判断された自分が生きる術は、それこそ犯罪者として社会の底辺で泥を啜るか、このFBIしか無かった。当時、葵をスカウトしたのは黒薙だった。


 過去の幻影を振り払うように目を伏せ、葵は顔を上げた。手帳の間から名刺を一枚取り出して机に置いた。




「気が向いたら、連絡しろ」




 お前の嫌悪する能力を活かす道がある。

 何でも救える訳じゃない。でも、何もかもを諦めるにはまだ早過ぎる。昔、ヒーローに教えられたことだ。


 部屋を出る時、ライリーが何かを言ったように思った。呪いの言葉だったのかも知れないし、負け惜しみだったのかも知れない。けれど、そんなものはどうだって良かった。







 15.宴の始末

 ⑵清算







 取調室を出ると、ヒーローが誰かと通話していた。その横顔がやけに真剣だったので、葵は通話が終わるまでその場で待った。


 ライリー・ホワイトがどのような道を選ぶのかは解らないが、出来ることはやった。これでも転落するというのなら、もうそれは葵にはどうしようも無いことだ。


 ルーカス氏殺害に関与したマーティンという男については、未だに解らないままだった。孤児院の関係者は皆死んでおり、マーティン自身、戸籍が無かった。あの孤児院は、どうやらこれまで非合法的な行いをして来たらしい。


 アメリアをロイヤル・バンクに売ったことが槍玉に挙げられているが、それは氷山の一角に過ぎなかったのだ。あの孤児院で行われていたのは子供の人身、臓器売買である。身寄りの無い子供が大半であるが、あの日の襲撃で亡くなった子供を調べてみると、失踪届が出されている者もいた。自発的な家出だったのか、誘拐だったのかは解らない。


 葵が最も悍ましいと感じたのは、職員が児童に対して性的な虐待を行なっていた可能性が高いということである。


 孤児院の調査を行なっていたチームメイトが、失踪していた子供の家族に会ったらしい。問題のある家庭もあったし、そうではない家庭もあった。

 我が子を亡くした母親の慟哭が今も耳に焼き付いていると、仲間が言っていた。


 彼処は牢獄だった。

 だから、孤児院は襲撃された。


 マーティンという殺人鬼を思う。復讐に支配された彼の人生は地獄だった。一筋の光も無い。同情するつもりは無いが、余りにも、余りにも虚しいじゃないか。


 何処で何を間違えたかだなんて、もう誰にも解らない。誰にも彼を救うことは出来なかった。ただ思うのは、アメリアの遺骨を抱いたマーティンが最期の時、手を伸ばした先にヒーローがいてくれて、良かったということだった。


 あの日、足首を掴まれたヒーローは、振り払うことも、立ち去ることもしなかった。手を伸ばすこともせず、ただ、最期を看取った。それだけが、葵に考えられるマーティンの唯一の救いだった。


 通話を終えた和輝が、柄にも無く深い溜息を吐いた。その横顔は疲れ切っていて、年月の経過を感じさせる。




「湊は、どうするんだ」




 葵が問い掛けると、和輝は肩を落とした。

 元々、トラブルメーカーな子供である。これまでも色々と仕出かして来たが、今回は、規模が違い過ぎる。

 研究方針の違いとか、仲間との確執とか、そんなものはどうでも良い。ライリーは逮捕され、誰も死んでいない。それだけだったなら、きつい灸を据えてやれば済む話だ。


 問題なのは、SLCが湊を拉致した時に行った公開私刑である。あれはインターネットで拡散され、サイバー対策本部が削除に奔走しているが鼬ごっこである。


 湊は他人の嘘を見抜ける。

 あの動画だけでは真偽は確かめられないだろうが、実名が出てしまっている以上、穏やかには暮らせないだろう。


 ヒーローこと蜂谷和輝が、MSFの活動の傍で、フィクサーという世界を牛耳る裏の重鎮と繋がっていることもまずい。


 蜂谷湊という十七歳の少年には価値がある。悪用のリスクは人工知能や犯罪予想装置の比ではない。それこそ、誘拐され兼ねないのだ。


 自衛出来るとは思えない。自分の信念に反することを強制されたなら、彼は躊躇い無く死を選ぶ。そういう危うさを秘めている。




「証人保護プログラムが適用出来るかも知れない。上に訊いてみようか」




 証人保護プログラムとは、証言者を暗殺などの報復措置から身体を保護する為の制度である。


 該当者は状況により国家から生涯に渡って保護されることとなる。内通者による情報漏洩の可能性を考え、パスポートや運転免許、果ては社会保障番号まで全く新しいものが交付され完全な別人になる。当然、住居は国家から支給され、国家機密として秘匿されるのだ。


 安全を考えると、これ以上のものは葵には浮かばなかった。しかし、和輝は苦い顔をして首を振った。

 和輝が頷かないことも、解っていた。証人保護プログラムとは、社会的な死と同義である。湊には家族も友達もいて、未来もある。父親として快く受け入れることは出来ないだろう。




「奈々と相談してから決める。湊の意思はその後だ」




 まるで前方を睨み付けるかのような険しい眼差しだった。彼は現状を正しく認識し、最悪の事態を想定している。

 和輝の意見に反論は無い。だが、葵は不安だった。




「湊が納得するか? きっと、反対する」




 湊は普段は冷静で素直だが、納得出来ないことには徹底的に反抗する我の強さもある。また家出するかも知れない。幼い頃より知恵も付いた。姿を眩ましたら、探すのは非常に困難だ。


 葵が苦言を呈すると、和輝はきょとんと目を丸めてから、笑った。それは泣き笑いのような不恰好な微笑みだった。




「そう言ってくれる子だったなら、良かったのかな」




 どういう意味だ。

 ヒーローは背中を向けてしまった。葵は終に、その言葉の意味を追求することは出来なかった。

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