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⑹祈り

 女が消えた後、三人は予定通りのルートで脱出した。

 テラスから木に飛び移り、着地する。飛び降りたソフィアを抱き留めると、隣に湊が猫のように着地した。


 三人で屋敷を後にする。

 誰も何も話さなかった。色々なことがあり過ぎて、頭がパンクしそうだ。悪い夢を見ていたような気がするのに、耳の奥にあの赤子と女の声がこびり付いて離れない。


 携帯を取り出すと、屋敷に入ってから二時間しか経っていなかった。相対性理論なのだろうか。航にはもう考察する気力も無い。


 帰宅した時には母がいた。

 ソフィアがいたので、女の子を遅くまで連れ回すんじゃないと叩かれた。反論する元気も無い。


 ソフィアを送る為に母は車を出した。

 湊も付いて行くと言ったが、あっさり断られた。


 湊は地図を見ながら何かぶつぶつと呟いていたが、航は気にせずベッドへ入った。体が重かった。気絶のような状態で入眠し、怠くて昼過ぎまで起きられなかった。

 流石にバスケの練習へ向かう気力も無くて、初めて休んだ。


 空腹を感じてリビングへ行くと、ソースの香ばしい匂いがしていた。珍しく湊が昼食を作っている。

 提供されたのはキャベツともやしだらけの焼きそばだった。味付けも盛り付けも雑なのに、量だけは無駄に多い。

 胃の中が空だったので、航は三回お代わりして、結局大量の焼きそばは二人で完食した。


 空腹が満たされると、精神的に余裕が出来る。

 それでも昨日の疲労が抜け切らず、航はソファで体を休めていた。


 昼食の片付けを終えた湊が、あの地図を持ってやって来たのは午後二時頃だった。正直、もう関わりたくなかった。湊にも関わって欲しくない。

 湊は困ったように微笑みつつも、ローデスクに地図を広げた。




「あの屋敷のことなんだけど」

「ああ」




 思った以上に不機嫌な声が出て、自分でも驚く。しかし、湊は怯むこと無く続けた。




「二つの地下水脈が屋敷の下で合流してるって話はしたよね?」

「ああ」

「あの屋敷自体には何の問題も無い。あるとするなら、地下だと思う」

「はは」




 航は乾いた笑いを漏らした。




「今度は地下かよ。掘り返せってか?」

「違うよ。最後まで聞いて」




 航は体を起こした。

 湊は縋るような眼差しをしていた。感受性の乏しい兄は、あの屋敷で起きた心霊現象の殆どを感知出来ていなかった。

 ポルターガイストは地盤沈下で、突然発火は木材の腐食による酸化反応。赤子の声は地下水路から流れる風の音。あの時、兄は何が起きていたのか全く解らなかった。だから、そう結論付けるしかないのだ。


 航は大きく溜息を吐いた。

 このまま突っ撥ねて無視しても良かったが、事の発端は航が仕入れた噂だ。真相を知らぬまま捨て置くのは余りにも無責任に思えた。


 湊は航の目をじっと見詰めてから、今度はパソコンを出した。最新の薄型ノートパソコンだ。液晶画質がとんでもなく良い高価な品だ。

 湊はパソコンを操作すると、一つの記事を映した。


 其処には或る事件が取り上げられていた。

 三年前、ニューヨーク州キッチャワンに住む二十四歳の女性が行方不明となった。付近には川が流れていることから警察官五百人体制で捜索したが、未だに見付かっていない。

 女性はエミリア・ブラウン。誘拐と見て捜査していたが、一週間経っても見付からず、捜索は終に打ち切られた。


 顔写真が載っていた。

 黒いロングヘアの美しい女性だった。三人家族の一人娘で、人を救いたいと願い、看護師を志して実家を出た。彼女は学費を稼ぐ為にアルバイトを掛け持ちし、夢に向かって努力をしていた。


 航はその顔写真を見て確信した。

 窓から恨めしそうに此方を見下ろしていたのは、彼女だった。


 捜索が打ち切られ、失踪者として処理された彼女があの屋敷に幽霊として現れたということは、……恐らく、もう亡くなっているのだろう。


 胸が軋むように痛かった。

 写真の中の希望に満ちた彼女は、亡者となってあの屋敷を彷徨っている。それは何故なのだろう。

 彼女は探してと言った。何を? 自分の体を?


 湊は次の記事を映し出した。


 ニューヨーク州ニューキャッスル郡、ミルウッドで或る犯罪グループが逮捕された。未成年の少年達だった。航と同い年の少年もいる。一見すると何処にでもいそうな真面目な学生だったそうだ。しかし、その犯行は未成年とは思えない程に残忍なものだった。


 罪状は麻薬密売、恐喝、集団暴行、殺人。ターゲットとなったのは若い女性が殆どだった。仲間と連携して女性を暗がりへ誘い込み、拉致。被害者を薬物によって心神喪失状態にして暴行したり、線路の上に置き去りにして列車に轢かせたこともあった。


 反吐が出る。

 最低最悪の人間のクズだ。現在は揃って更生施設へ入れられているらしいが、到底納得出来る筈も無い。

 これだけの罪を犯していながら、罰を受けないのか。それがただただ腹立たしく、遣る瀬無い。


 航は顔を上げた。

 此処まで聞けば、湊の言いたいことは解る。




「あの人は、殺されて死体を遺棄されたんだ」




 航は目を伏せた。

 恨みも正当だ。あの人が湊を睨んでいた理由を悟る。顔立ちは兎も角、オタク風の外見が似ていたのだろう。




「……でも、これは俺の推測。こじ付けだ」




 その割には、確信を持っていたようだったけど。

 航は先を促した。




「葵君に連絡を取った。捜査資料は外部の者には教えられないって言われた。だから、自分で調べた」




 次に湊が見せたのは、有名なSNSだった。

 或る複数のアカウントを表示する。三年程前から書き込みは無いようだが、その内容は見るに堪えない下劣なものだった。

 酒と麻薬で理性を飛ばし、犯した罪の重さも知らぬまま、まるで、武勇伝のように犯行を語っていた。


 ざっと流し見しただけで、気分が悪くなる。

 航はスクロールする手を止めようとして、或る書き込みに目を奪われた。


 スラング塗れのめちゃくちゃな文法で語られていたのは、気の遠くなるような残酷な事実だった。


 少年達は一人の女性を拉致し、山奥で監禁した。

 そして、来る日も来る日も暴行を加えた。女性が幾ら懇願し許しを乞うても解放はされず、彼女は妊娠した。


 妊娠した彼女を少年達は面白がった。

 十月十日が経つ前に、少年達はその腹をナイフで切り裂き、胎児を取り出した。


 血塗れで返してと叫ぶ女性を足蹴にして、自発呼吸も儘ならない胎児を甚振り、殺害。最後は川に投げ捨てた。


 この遊びに興奮を覚えた少年達は、切り裂いた腹を無理矢理縫い合わせ、再び暴行を加えた。そして、妊娠すると胎児を取り出し、殺害。

 三年に及ぶ虐待の末に女性は死亡。遺体は川に流された。


 あの人の腹部には血痕が残っていた。

 腹部を何度も切り裂かれたのだ。死しても尚、苦しみ続けている。


 人を此処まで憎いと思ったのは、初めてだった。

 屋敷の中で自分達を見下ろしていた彼女を思う。もしかすると、あれは、何も知らずに屋敷へやって来た自分達への怒りであり、助けを求める声無き声だったのかも知れない。


 湊は再び地図を机に広げ、赤いマーカーを取り出した。




「見てくれ」




 幽霊屋敷、エミリアの住んでいたキャッチャワン、少年達の隠れ家だったミルウッド。それ等を線で繋ぐと、地下水路と見事に重なっていた。




「あの人は最後に、探してと言っていたんだよね?」




 航は頷いた。

 探して。それは、自分の遺体か、それとも、玩具にされて殺された胎児か。もしかすると、そのどちらもだったのかも知れない。




「探そう」




 航は言った。

 今更何をと言われても、このまま終われない。せめて、彼女とその子供達が安心して眠れるように。




「ソフィアを呼ぶべきか、迷ってる」




 湊は弱った声で言った。

 事件が事件だ。ソフィアには余り伝えたくない。

 航も同感だった。それでも、自分達には死者と会話する力が無かった。話し合った結果、事件のあらましは伏せて、地下水脈を彷徨う彼女の遺体を探すと言って連絡を取ることにした。


 二人の推理には確証が無い。だが、人が殺されている。罪には罰だ。命を弄び、人としての尊厳すら踏み躙った悪魔には相応の処罰を望む。


 航は葵君に連絡を入れた。

 葵君はルーカス氏の事件を見直しているらしかったが、退屈を持て余していたそうなので、捜索に協力してくれた。


 航と湊、ソフィアで再びあの屋敷へ向かった。

 事件を知った為か、恐怖は感じなかった。胸にあるのは燃え盛るような憎悪と、泣きたくなる程の同情だった。






 1.幽霊屋敷

 ⑹祈り







 葵君は地元の警察に呼び掛けて、屋敷の周辺の地下水脈を捜索してくれた。捜査員は百五十人。その場所にはエミリアの両親や友人も集まっていた。


 屋敷の地下を掘り起こす為には色々と手続きが必要だったが、全て葵君が済ませてくれた。

 庭先にボーリングマシンが運び込まれ、近所の住民が何事かと集まって来る。


 航は祈る思いで作業を見詰めていた。

 地下水脈を彷徨い続けたエミリアとその子供達。最早人の形を取っていないだろう。それでも、帰りを待つ人の元へ届けてやりたい。


 ソフィアも神妙な面持ちでいた。

 湊はフーチを使ってダウジングをしていた。その横顔は抜き身の刃のように冷たく研ぎ澄まされていた。


 そろそろ夕飯の時間だ。

 作業員達の為に炊き出しでもしようかと思った時、地下水路を探っていた捜査員の声が響き渡った。


 見付けたぞ!


 わあわあと騒がしいのは捜査員と野次馬で、被害者遺族は固唾を飲んで手を握り合っていた。地下から引き上げられた遺体にはシートが掛けられていた。遺体は腐乱し、原型を保っていなかったそうだ。


 彼女の遺体は二つの地下水脈の合流地点に引っ掛かっていたらしい。助けを求めることも出来ず、ただ霊となって迎えに来てくれる誰かを待っていたのかも知れない。


 後で葵君から聞いたのだが、彼女の両腕には二人の赤子が抱え込まれていた。それがどういう意味を持つのか、航には答えられない。湊もまた、説明出来ないようだった。


 シートの掛けられた遺体を前に、遺族の慟哭が響き渡る。

 辛かっただろう。苦しかっただろう。こんなに長い間、見付けてあげられなくてごめん。

 帰ろう。一緒に帰ろう。


 嗚咽混じりの呼び声は、航の胸の中に楔のように突き刺さった。


 きっと、生きていれば彼女は多くの人を救い、希望に溢れた人生を歩んだのだろう。あの悪魔達さえ、いなければ。


 エミリアは遺族によって手厚く葬られることになった。捜索に協力してくれた捜査員に頭を下げ、航は屋敷を見上げた。


 エミリアはもう其処にはいない。もう二度と現れないのだろう。地下から聞こえた赤子の声も、手招きする白い手も、もう二度と。


 犯人が捕まっても、被害者が見付かっても、解決には程遠い。この擦り切れそうな心をどうしたら良いのかも解らない。もしかすると、一生背負って行かなければならないのかも知れない。


 湊はダウジングマシンの調子が悪いと悪態吐いていた。航はその首根っこを掴んで、捜査官へもう一度頭を下げた。


 警察車両で運ばれるエミリアとその子供の遺体を見送る。夕暮れの街はやけに寂しく見えた。

 道を開ける野次馬達が葬列のように粛々として、街は静かだった。


 始まりはただの噂だった。

 肝試しくらいの軽い気持ちだった。

 其処にこんなにも陰鬱で残虐な事件が潜んでいただなんて予想も付かなかった。


 車両を見送っていたソフィアが、唐突に言った。




「あの人が」




 その視線の先には何も無い。少なくとも、航には何も見えない。




「見付けてくれてありがとうって。……微笑んでる」




 ぽつりと、灰色の瞳から大粒の涙が溢れた。

 真実は解らない。霊と呼ばれるものが本当に存在するのか、湊の言うように科学的な現象だったのか。


 それでも、最期に微笑んだと言う彼女が救われたら良いなと強く思う。他人の幸せなんて対岸の火事みたいなものだ。だけど、ソフィアのそれが本当だったら良いな。


 帰り道、湊が言っていた。




「俺、本当に霊が見えないんだ」




 知ってる。

 目の前でエミリアの霊に鉈を振り上げられていたのに、湊は気付かずへらへらと笑っていたくらいだ。

 だが、湊の協力が無ければ彼女は見付からなかっただろう。




「エミリアの霊は見えなかったし、赤ん坊の声は風の音にしか聞こえなかった。あの人達の助けを求める声も、嘆きも、悲鳴も、解らなかった」




 湊は拳を握っていた。軋む程に握られたそれが微かに震えている。




「それでも、救えたと思って良いかな」




 航は湊の旋毛を見下ろして、掻き混ぜるようにしてめちゃくちゃに撫でた。湊は文句も言わなかった。




「良いに決まってんだろ」




 それを否定する人間がいるのなら、今度は自分が兄に代わって殴ってやる。


 湊は力無く笑った。

 長い前髪に隠れた双眸が泣き出しそうに揺れている。


 湿っぽい雰囲気は苦手だ。

 茶化すように「前髪切れよ」と笑ってやった。湊は曖昧に笑っていた。


 一週間後、或る知らせが届いた。

 あの幽霊屋敷が崩落したのだ。湊の言う通り、地盤が緩んで屋敷は傾いていた。エミリアを捜索する工事の振動で地盤沈下が進み、後は一瞬で崩れたのだと言う。


 湊の推理に間違いは無かった。だが、説明出来ないことも多い。航は幽霊と呼ばれるものに否定的だった。

 だが、彼女が救われたのなら、どちらでも良いかと思った。

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