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斧と渡り人  作者:
1/1

赤い世界



挿絵(By みてみん)



 そこはただひたすらに赤かった。

 空が赤い。黒すんだ赤が広がっていて、とても雲が漂っているようには見えない。

 道が赤い。時折赤い草が生えているが、ほとんどは熱を帯びた赤茶色の石が道を埋め尽くしていた。

 建造物が赤い。赤紫の朽ちた建物が点々と立ち尽くしている。砦の残骸のようにも見えるが、いずれにせよ人が住んでいるようには見えない。


 赤い世界を、一人の少女が歩いていた。

 外見は十代半ば程度。肩までの長さの銀髪に、赤いヘアバンドをしている。肩が隠れる程の短い黒のケープを羽織り、フリルつきの黒い服を身に付けていた。

「暗いね」

 少女が呟くと、右手に持っていた斧がうんざりしたように応える。

「でも赤ばかりで目が痛いよ」

「マグは目がみっつもあるもんね」

 マグと呼ばれた赤い斧は、斧頭にある三つの目をぎょろぎょろと動かした。三つの目を繋ぐようについている大きな口から、不満の声が漏れる。

「もう赤は見飽きた」

「自分も赤いから?」

「ああうん、それだ、間違いないよ、スイ」

 スイと呼ばれた少女は少しだけおかしそうに笑って、マグのグリップを握り直した。

 それから十分程度歩いても、見える景色に変化はなかった。その代わり、道端に人間が倒れているのをスイとマグは見つけた。

 先に気付いたマグが声を上げる。

「人が倒れているね」

「ほんと? ああ、うん。見えた。大丈夫かな」

 スイは倒れている人間に近付き、少し観察してから一応、という様子でマグに訊いた。

「生きてる?」

「死んでる」

 倒れている人間は男だった。背中には刃物が突き刺さり、身に付けていた衣服は至る所が破けていて、明らかに何者かに襲われたように見える。

 スイは男の顔を見た後、静かに目を閉じた。数秒後、再び目を開けてマグに声を掛ける。

「マグ、もう良いよ」

「分かった」

 マグは返事をすると、斧頭にある口を開けた。ただでさえ大きい口が何倍にも開き、その様子には「変形」という言葉が相応しく見えた。

 マグはそのまま男を丸呑みにして、元の形へと戻る。男の姿は綺麗さっぱりなくなり、まるで初めからそこに存在しなかったかのようだ。

「旅人だったみたいだ。彼もこの赤い世界に辿り着いて、あてもなく彷徨っていたみたいだね。そこでとある集落に辿り着いて、手厚くおもてなしを受けていたようだけど、そこから先は分からないな」

 男を丸呑みにしてから、マグは男のこれまでを語り出した。

「集落か。ちょっと探してみよう」

「分かったよ」

 スイはマグの返事を聞くと、もう一度男が倒れていた場所をちらりと見てから、その場を離れた。


「あそこかな」

 あれから更に十分ほど歩いたマグとスイは、朽ちた巨大な建造物の影に隠れるようにぽつりとあった集落を見つけた。

 見たところ、簡素な住居が点々とあるが、しっかりとした造りの建物はないようだ。証明はランタンがところどころにあるだけで、集落全体の雰囲気は暗く、人が出歩いている様子もない。だが、この集落に存在するものは、ここに来るまでに見たもの同様、全てが赤かった。

 一通り集落を見渡したマグが先に口を開く。

「寂しいところだね」

「決めるのはまだ早いよ。中ではお祭りが開かれているかも」

「血祭りでないことを願うよ」

 マグの冗談を聞き流し、スイは一番大きな石造りの建物の前まで来た。

「ごめんくださーい」

 少し大きな声でスイがそう呼び掛けると、中から慌てた様子で一人の男が出てきた。真っ赤な服を着た四十代くらいの短髪の男で、酷くやつれている。

「ああ、も、もしかして貴女は、旅の方でしょうか!?」

「はい。スイといいます」

「スイさんというんですね。私はこの集落で長をやっている者です。どうぞ上がって。長旅で疲れているでしょう」

 長を名乗った男は、半ば強引にスイとマグを家の中に招き入れた。スイは長に気付かれないようにマグに目配せをして、長の後に続く。

「さぁ、どうぞ。紅茶です」

 壁も床も棚も食器も赤い家の中で、スイは赤い椅子に座りもてなしを受けていた。もう一つの椅子にマグを立て掛けている。

 出された紅茶にスイは礼を言ったが、それには手を付けず長の方に視線を移す。

「あの、お聞きしたいことがあるんです」

「ええ、何でしょう。私に答えられることならば」

 長は酷く疲れた顔をしているが、穏やかな表情でそう言った。

「数日前に、私と同じような旅人が来ませんでしたか? 男性の方なんですが」

 スイの質問に、長の表情は暗くなる。

「……ええ。来ましたよ。明るい青年でした」

「あの男性はここで何を?」

「一日だけ、この集落で宿を借りただけです。観光をするといっても、ここは珍しいものもない小さな集落ですから。彼は翌朝すぐに旅立ちました」

 長はテーブルの上で手を組み、何かを悔いるように目を伏せた。

「私たちが、もう少し彼のことを気遣っていれば……」

「その様子だと、あの男性が命を落としたことはご存知なのですか」

「ええ。彼の死は、私たちの責任でもあります」

「何かに襲われたように見えましたが」

「そう、ですね。できればあの日のことは、思い出したくはありません」

 そう言うと、長はますます暗い表情をして黙ってしまった。スイは特に掛ける言葉も思いつかないので、同じように黙ることにした。

 しばらくして、はっとしたように長が顔を上げる。

「あ、ああ。すみませんね。スイさんも今日は泊まっていってください。奥に空き部屋がありますので」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

 スイの返事を聞いて、長は嬉しそうな顔になる。彼はスイに「少し待っていてください」と言うと、奥にあるという空き部屋の手入れをしにいった。どたどたと慌ただしい音が何度か聞こえ、数分後、部屋の片付けを終えた長が戻ってくる。

「さぁ、どうぞ」

 スイは側に立て掛けていたマグを手に取り、長に案内された空き部屋へ移動する。

 スイは、一度も紅茶に手を付けなかった。



 空き部屋も当然赤かった。スイは身に付けていた衣服は一切脱がずに、マグを握ったままベッドで横になっていた。案内されてから二時間ほど経過した頃、僅かに扉の開く音がした。

 何者かが入ってくる。それも一人ではなかった。明かりが一切ない部屋の中で、彼らはゆっくりとスイが寝ているベッドを囲うように並んだ。

 数秒後、彼らは一斉にベッドへと飛び掛かった。物凄い力でスイが寝ているであろう場所を押さえつけている。

「お、おい! おかしい! 誰も寝ていないぞ!」

 押さえつけているうちの一人が言った。その言葉を受け、他の者たちもベッドに誰も寝ていないことに気付き、そこから離れる。次の瞬間、部屋の証明が点いて、ベッドを囲んでいた者の姿が明らかになる。それは六人の人間だった。いきなり明るくなったので、ベッドを囲んでいた六人は目を細める。六人の中には、スイを招き入れた長の姿もあった。

「こんな夜更けにどうしたんですか」

 部屋の入口から声がして、皆はそちらに視線を向ける。そこに立っていたのはスイだった。冷静な表情で、右手にマグを握っている。

「あ、ああ! 起きていらしたんですね! ええと、これはですね――」

「そうやってあの男性も殺してしまったのですか?」

 わざとらしい笑顔で弁解しようとした長だったが、スイにそう言われ、笑顔を作るのを止めた。

「……違う。違うんだ。あのときは、やっと赤以外の色に触れることができて嬉しかったんだ。だから皆で引き留めようとしたのに。彼が暴れるから、事故が起きてしまった。命を落として、服も血で赤くなってしまった」

 長は拳を握り締め、悔しそうに事情を話し始める。他の者も同じような表情だった。

「最初から、彼が抵抗する前に拘束してあげられれば、殺すことにもならなかったのに。ああ、本当に申し訳ないことをした。だから今度は、寝ている間に拘束しようと思ったんだ。これは我々の気遣いなんだよ、スイさん」

 子供を諭すような口調の長に、スイは不思議そうに尋ねる。

「何故拘束をするのですか?」

「そんなもの、赤以外の色をしているからに決まっているじゃないか。この世界は赤しかない。私が生まれたときからずーっと赤しかないんだ。だからスイさんのように赤以外のものを身に付けている旅人と会うとね、嬉しくなるんだよ」

 長の説明に、他の者もうんうんと相槌を打っている。

「最初は歓迎して、食事会を開いて、別れのときが来たら見送る。それだけだった。でも最近は、渡り人がめっきり来なくなってしまった。赤以外の色を知ってしまった我々は、もう赤だけを見ていることに耐えられなくなってしまったんだ。赤以外を手放すなんてできなくなってしまったんだ」

 そこで、熱く語っている長の目付きが変わった。

「だからね、スイさん。君はずっとここにいるべきなんだ。心配いらないよ、食事も排泄も全部我々が面倒を見よう。君は存在しているだけで我々の癒やしになるのだから。君は何もしなくて良いんだ」

 じりじりと歩み寄る六人を眺めながら、スイはいつもの調子で言った。

「それはあなた方の事情ですよね。私はここにはいたくないです」

「もう遅いっ!!」

 六人が一斉にスイへと飛び掛かった。

 スイは静かにマグを構えると、ふぅ、と息を吐き、六人に向き直る。

 まず、一人目の男の大振りを最低限の動きで躱し、相手の体にマグを添えるように置くと、男の体は真っ二つになった。

 男から飛び散った血をマグが吸収し、残りの五人に向けて一斉に噴射した。五人が血の目くらましに怯んだところで、スイはマグを振って四人を両断した。

 そうして、あっという間に長だけが取り残された。

「あ、あ――」

 目に掛かった血を拭い終わったところで、長は自分以外が殺された状況を目の当たりにし、その場で尻餅をついた。

 スイは長を見下ろして、先程と同じ調子で言った。

「もう一度言いますね。私はここにいたくないです。だから出発しようと思います」

「う、うるさいっ!! お前の事情なんて知ったことか!! 俺はもうずっと赤しか見てないんだぞ! それがどんなに辛いことか分かるか! こ、こここんなに辛いんだからお前だって少しは辛い思いをするべきだ! ずっとこの集落にいるべきなんだ!」

 子供の癇癪のように大声を張り上げる長に、スイはうるさそうに顔をしかめた。マグの三つの目が、ぎょろりと長を見つめる。

「ひぃっ!」

「これ以上邪魔をするなら、貴方も殺します」

「ひっ、ひぃぃぃぃ!!」

 スイの言葉に長はすっかり取り乱して、部屋の隅で頭を抱えて丸くなってしまった。スイはその長の姿を数秒見つめてから、血塗れになった部屋を出た。

 スイが部屋からいなくなったことが分かってから、長は「人でなし!人でなし!」と叫び始めた。

 その叫び声は、スイが集落から出ていくまで聞こえていた。



 青色に淡く輝くゲートから身を出すと、そこはスイのよく知る世界だった。どこまでも続く草原は目に優しい緑色をしていて、空は青く澄んでいる。元いた世界に戻ってきたことを確認すると、スイは手を広げて大きく深呼吸をした。

「戻ってきたね」

「もう赤はしばらく見たくないよ」

「そうだね」

 疲れた声でぼやいたマグに、スイは苦笑して応えた。

「スイ」

「なぁに?」

「どうしてあの人は、世界を渡る方法を探さなかったんだろうね。きっと必死に頑張れば、あの世界から脱する方法だって見つかっただろうに」

「ああ、それはね」

 スイは何かを諦めたような声で、淡々と言った。

「最初から探す気がないからだよ」

「ええ?」

 マグは納得がいかないというような声を上げた。

「でもあの世界にはうんざりしていた様子だったよ」

「うん、でもね、ああいう人っていうのは、何かと理由を付けて解決策を遠ざけようとするんだよ。こっちから助言をしても、それは無理だ、自分にはできないって」

「脱出する方法は考えないのに、旅人を拘束する方法は考えるのかい?」

「そう。探す気がないからあんなねじ曲がった方法に辿り着くの。赤以外が見たい。旅人は赤くない。だから自分のものにしようって。その方が楽だからね」

 ざぁ、と風が吹いた。側に生えていた木々の枝が揺れ、葉が風に吹かれている音がする。

 しばらくの沈黙のあと、マグは怪訝そうに呟いた。

「人間って、変な生き物だねぇ」

「うん、私もそう思う」

 スイはいつも通り淡々とした調子でそう返すと、マグのグリップを握り直す。

 そして、いつもそうしているように緑の草原を歩き始めた。

 また、別の世界を見に行く為に。

 




 

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