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陰陽少女  作者: 瞬々
華胥之夢
95/234

十九

「さて、相手が余程のバカでなければ、手持ちの『研究成果』がこれだけとも、思えないんだがな」


 井戸からは相変わらず、何かが囁いているかのような言葉が漏れてくる。人の声のようだが、何を言っているのかは耳を澄ませば、出来そうな気もしたがやめた。


「この先に控えているかもしれないな」


 一真は、広場の壁の向こうに空いた道を指さす。地図に間違いが無ければ、来た方と同じ一本道となっている筈だ。


「あぁ、確かに。先に控えているだろうな」


 あまりにも素っ気ない答え。もしも、そうする事が出来たのならば、天は興味無さげに一瞥したことだろう。


「奴の残りの秘法は、奴自身と共にある可能性が考えられるな」


「俺たちを迎え撃つ為に、か?」


「陰陽少女に白虎、金蛇の使い手相手にするとなりゃぁな」


 自分は勘定に入れて貰えていない。冷静な判断かそれとも、まだ怒っているのかは測りかねるところだ。


「だとしても、やることは変わらないさ。あいつの元まで辿り着けばいい」


 むしろ、これで辿り着く事に関して言えば、楽になった。その先が問題なのではあるが。天は何も言わなかった。いいとも、駄目だとも。進んで良いものか、悩んでいるとややあって、天が笑う。


「何をしている? お前がそう決めたのならば、そうすればいいだろう?」


 天の言葉に、一真は不敵に微笑んだ。


「なんだよ、さっきまであれこれ言っていたのに」


「……あのな、さっきのあれこれを単なる小言だと思ってたのなら、俺はお前の相棒やめるぞ?」


 体温が二、三度下がったかのような感覚だった。手の震えを感じてか、天は慌てて付け加える。


「勿論、違うとは思うがな。そんな軽い奴じゃねぇと。そう、だからよぉ、自分で判断したことなら、誇りくらい持てよ」


 一真は頷き、そして歩き始める。広場を抜けようとした瞬間、何かの声が背後でしたような気がした。一真を呼び止めるような少女の声。


 だが、一真は振り返らなかった。


――ごめん


 一真にはどうする事も適わない。故に、振り返らない。手に携えた懐剣状態の天が、励ますように仄かに光り、胸元で日向の護符が温かくなる。立ち止まるわけにはいかない。一真は歩き続けた。


「館への侵入路」霧乃が書き込んだ場所へと、一真達は辿り着いた。そこにあったのは梯子だ。一真達が使ったようなあり合わせの物ではなく、上り下りする為に作られたもので、結界でも張られているのか、埃ひとつ付いていない。


 念のために、天をその梯子に当ててみるが何も起きない。意を決して一真は上った。行き着いたのは天井だった。叩いてみると、響く。


 仕掛け扉の類だろうかと思い、叩いたり触ってみたりして、確かめる。そうして何度目めか、強く叩くと扉はあっさりと外側へと開いた。


 用心深く、一真は覗き込み、危険が無いことを確かめると、足に軽く霊力を送り込み体ごと飛んで着地した。陰陽師には遠く及ばないかもしれないが、身体を強化する霊術――身固め――が今の彼には使える。屋敷内はしんと静まり返っていた。物音は自分の足元からしないと思うと、言い知れぬ恐怖に駆られる。


――そんなことでどうするんだ


 奮い立たたせ、一真は周りを注意深く見た。廊下の両側を挟むようにして、襖で囲われた部屋が幾つもある。いや、幾つもあるのは障子の方で、中は繋がっているのだろう。


 注意深く気配を探るが、一真自身は陰陽師程の感知能力は無い。部屋に結界を張られてその中で戦われてしまったら、どうする事も出来ない。


 一真は用心深く、襖の一つ一つに天を近づけて見て回る。


「海馬さん達はどこに……あ、もしかしてこの部屋か!?」


「なんで、わかる?」


 驚いたように言うということは、間違いではないのだろう。天の声に、一真は襖の枠の部分――化粧縁を指さす。角に傷がついていた。そうと言われなければ気が付かないが、一度気が付いてしまえば嫌でも気になる。


「ここだけ損壊が激しい。中に何かいるって確信して開けたんだろうな」


「ご名答だ。今、海馬達は中で戦っているようだぜ」


 引手に手を掛け、引いたがびくともしなかった。


「くそ……それなら!」


「よせ! それよりも影夜の所に行くんだ!」


 結界を破敵之剣で押し切ろうとする一真に、天が叫ぶ。一真は、ぐっと歯を食いしばり天を下した。


「奴の所に行くんだろう? 恐らく、上の階だな。地図じゃ三階まであるが、あいつの性格からして」


「最上階にいる可能性が高い、か?」


「だろうな、行こう」


 一真は、海馬達が戦う部屋を一瞥し、それから背を向ける。もしも口に出せば、あの二人は自分の心配をしろと、どやすに違いない。或いは笑うか。どやすのは、どちらかと言えば天の方だ。


――生き残ってくれよ


 一週間前と違い、これは人間同士での戦いだ。


 だが、本質的には何ら変わらない。相手は物の怪と化した亡霊を駒として使う。闇に呑み込まれるか……それとも、闇を退けるか。


 そこまで思考して、ふと違和感を覚える。閃いたと言った方がいいのだろうか。だが、またしても確信が持てなかった。それにこれを試すまでも無く、終わる可能性もある。だが、もしもそうでなければ――


――勝利の一手となる、か?


 疑問のまま、階段を駆け上がった。三階まで一気に行きたいところだったが、三階の階段は廊下と部屋を挟んで向こう側。部屋を横切ろうと、襖を開き、部屋に踏み入れた瞬間だった。


 誰かに上から見下ろされているかのような、息が詰まる程の寒気――これはあの時と同じ……。


「避けろ!!」


 天の警告。その半秒前に、一真は前へと走るように跳んだ。影のような薄黒い刃が断頭台の刃のように振り下ろされ、床をぶち抜いた。


 一真は驚愕と共に刃が当たった空間を見る。ぶち抜かれた床の周辺が黒ずみながら、崩れていく。


「おわっ!? なんや!?」


 下からの声に、一真は我に返る。どうやら海馬達が戦っている部屋が真下だったらしい。


「すみません! 海馬さん」


 謝りつつも、一真は敵の強さに愕然としそうになる。天井に結界が張られていなかったならば別だが、恐らくあの刃は結界ごと切り裂くことができるのだろう


――それとも、あれは切り裂いていたわけではないのだろうか?


 今度は霧乃がいつも通り過ぎる声で、不平をこぼした。


「折角、面倒な奴を倒したところなのに、仕事増やすなよなぁー」


「ごめん……て?」


 戸惑う一真を、置いてきぼりにする形で下では戦いが始まっていた。


 刃と刃がぶつかりあうかのような金属音、霊力を発することにより出る独特の甲高い音、そして闇が光を食いつぶすどこか叫びにも似た気味の悪い音が、混じり合い潰しあう。


 天が光る。天井を突き破り、またあの影色の刃が一真の頭に振り掛かる。今度は避けなかった。破敵之剣を掲げ、受け止める。瞬間、その影の刃は染み込むように、金色の刃を包み始める。


「チィ!!」


 本能的に危険と判断して、一真は飛び退き、破敵之剣を振るった。


 血を払うように影が払われ、残った刃の大部分は床を貫いて海馬達のいる部屋へと落ちた。払った影の刃の欠片は霊力を失ったのか、ぐずぐずと煙を上げて消えた。


 すぐさま引いたおかげか、この程度であれば、敵の霊力で構成された術そのものを打ち破る、破敵之剣はなんともない。それでも、一真は聞いた。


「大丈夫か、天」


「あぁ、少しだけ『喰われれそう』になったがな」


「喰われそうになった」その表現に、恐怖を抱いたものの、一真はやはりかと思った。あの刃は物理的に切り裂くのではない。触れたものを喰らうのだ。物の怪が人の心を喰らうように……。


「影の刃、か。厄介極まりないな」


 天が苦々しげにつぶやく。敵の狙いは恐らく一真自身だろう。同時に海馬達を足止めするための駒としても使っている。


 実に、効率的だ……が、果たしてそれだけの為だろうか。もしも、影夜が一真自身の位置を分かっているのであれば……。そして、傍らに月がいないと知っていたとしたら。


――挑発か? さっさと来ないと下の二人が危ないぞってか?


 海馬と霧乃が負けるとは思わない。だが、このまま影夜が延々と、刃を落として行けば二人も無傷では済まないかもしれない。


「海馬さん! 霧乃!! 悪い……俺は行く」


「はん、何を言ってんや。最初からそういう計画だっただろうが!!」


 海馬が下から怒鳴る。まだ余裕はあるようだった。


「そうそう、さっさとしてくれないと、俺達も帰れないじゃんか」


 霧乃に至っては、笑みを浮かべたその顔が脳裏に浮かぶ程に軽い。一真は二人に感謝しつつ、駆けた。また、あの刃が今度は二本、背後を駆け抜けた。狙って等いないだろう。ただ、こちらを焦らせて楽しんでいるだけだ。


「くそ、趣味悪ぃ奴だな!!」


「ガタガタ言ってる間はねぇぞ! 駆けるんだ!!」


 天に叱咤されつつ、一真は階段を二段飛ばしに上る。蛮勇なままに、駆け上がった先の三階。


 廊下の両側に襖は一つも無かった。


 壁がひたすらに続き、そしてその先の襖は開いていた。


 そこに彼がいた。


 こちらに背を向けて、障子から帳の外を眺める少年の姿が。一真は迷わず、駆けこみ部屋へと踏み込んだ。途端、背後で襖が静かに閉まる。


「おまえが中原影夜か」


 一真が聞くと、ようやく青年は振り向いた。


「まさかまさかと、思ったよ、沖一真。自分自身の式盤の精度を疑ったのは、修行中以来の事だ」


 その手に抱えられた何やら、複雑怪奇な盤の上に、立体的な地図が浮かび上がっており、その中でぼんやりと人魂のような光点が映っている。あれで、こちらの動きを予測していたのだろうか。下の階では二つの光と四つの影が、荒れ狂う空のようにぶつかっては離れ、離れてはぶつかっていた。


「質問の答えになっていないぞ」


 一真は声を一段と低めたが、聞きたかった事は、既に手に入っている。彼こそが影夜だ。肩口で切りそろえられた髪、目鼻の整った細面。黙っていさえすれば、誠実そうな人間に見える。勿論、一真はその外見には騙されない。


「驚いたぜ。声だけ聞いた時は、もっと年老いているのかと思った」


「よく言われる」


 否定する事を諦めたように、或いは飽きたのか、影夜は答えた。唇すら殆ど動かさず声に抑揚は無かった。


「さて、先ほどの続きだがね。私は驚いているよ。まさか、彼女を護る為か? 彼女自身が最大の武器となると知っていて、あえて参加させなかったのか?」


「お前と戦う為にどうするか、なんて俺達の勝手だろ」


 一真は内心、氷の城壁にでも閉じ込められたかのように震えていたが、おくびにも出さなかった。少なくとも悟られていないと思いたい。影夜はそんな一真を見て、一段と高い殺気を込めて、目を細める。


「見くびられたものだ。それとも蔑んでいるのかな?」


「何?」


 思わず、怪訝が声に出てしまう。影夜は更に殺気立った。表情には出ないが、分かる。感知能力に関しては並みの陰陽師程にも無い一真にも。


 殺気の熱に炙られたかのように、影夜の足元で影が「揺らめく」


「知らない、か。まぁ、『僕』に勝てたら教えてあげてもいいか」


 一瞬、口調が変わった。が、それを意識する暇は無かった。影夜の影が、命を吹き込まれぎくしゃくと立ち上る。死体が火に炙られて起き上がるように。


――来る


 影が両手を広げ、抱き込むように跳びかかる。一真は横跳びに飛んだ。敵はバカ正直に突っ込んでくる。直角になるように跳べば躱せる。だが、躱すだけに留めない。金色の刃が水平に閃き、外から漏れる月の光に煌めいた。


 影夜の影は、あっさりと真っ二つにされ壁にぶち当たって、床へ落ちた。切り裂く瞬間、体に、液体が流れるような感覚が走ったが、一真は無視した。


「影夜っ!!」


 一真は駆けた。影夜は動きもしなかった。避ける素振りも受け止める素振りも見せない。ぞくりと寒気が走る。踏み込む直前、一真は摩擦の熱が肌を引き裂く程に床を踏みしめ、鋭角に飛び上がった。


 影色の刃が地面から飛び出し、一真の鼻先を掠めた。あのまま踏み込んでいたら今頃、跳びかかってきた影と同じ末路を辿っていた事だろう。


「臆病だ――が、観察力と追い詰められた時の反射は、中々のものだな」


 影夜は無味乾燥な表情で、着地する一真を評価した。その足元では影が蠢いていた。それは人の影ではない。影その物が意志を持っているかのようだ。


「だが、見破った所でどうなることではないさ。僕の『影結界』はね」


 蠢動する影を見やりつつ、一真は見極めようと試みる。その影の正体を、ではない。一真はそもそも、陰陽師ではないし影夜の言う通り見破った程度ではどうにもならない。彼が考えるのは、突破口。


――あの影を全て退けて強引に?  いや、無理だ。それには手がいくつあっても足りない。では、遠距離から攻撃? 遠隔力場という陰陽師や方術師が得意とする技があるものの、一真には到底使えない。


 影夜は余裕綽々とするでもなく、待ち構えている。表情はまるで有機物で出来た彫刻と言っても良いかもしれない。人間に限りなく似せられて作られた人形ではない。人形に限りなく似せて作られた人間のような印象を与える。


 奇妙な事に、一真の意識は、ここからいかに勝つのか以上にそこに向けられてしまっていた。


 胸の内であの幽暗に閉じ込められた闇が、そうさせているのかもしれないと直感的に感じる。今、この闇に身を委ねれば彼に勝てるだろうか。そんな誘惑が無いとは言い切れず、そんな自分にうんざりとする。


「結界、結界か。もううんざりだぜ。彩弓と一緒に常社神社に閉じ込められた時に、うんざりする程味わった」


 堪えきれず、一真は話しかけていた。ある意味では時間稼ぎだが、それが一番の狙いではなかった。ただ、期待した程の効果は――少なくとも見た目では――無かったようだ。


 影夜は瞬きすらしない。常社神社では少なくとも、感情らしいものくらいは感じれた筈なのだが。


「彩弓の名を出して、動揺でも誘ったかね。あの娘は期待した程ではないにしろ、役に立ってくれた。私の目耳としてね。しかし、策略好きの聡い白虎殿は最初から勘付いてはいただろう。私の――いや、常社のと言うべきか、その狙いが彩弓ではない事くらいはな」


 しかし、あえて乗ってきた。彩弓が敵の狙いであると信じているかのように見せかけて彼女を餌にして、相手に仕掛けさせた。敵にしてみれば、食いつかないわけにはいかない。おかげで、月や海馬は門をこじ開ける労力を節約できた。


「昔から、私は将棋のような駆け引きや策略が苦手でね。それに彩弓は憑依するには、居心地の良い体とは言えないな。どうしても、意識が彼女と合わせて半々になってしまう。腐っても中原の血を継ぐ者ということか。結果的に、だが私は彼女の体を使って君たちを始末するような芸当は出来なかった。正直、あれに頼ったのは間違いだったかもしれん」


 散々利用しておいて、「腐っても」等と言い、「あれ」呼ばわりする。怒りが湧きそうになるが、それと同時に、ある種の予感が確信に近づいた。


 怒り故に興奮が増幅するのか、それともその逆かはわからない。相手への怒りと確信から来る歓喜を混ぜ合わせたかのような、残虐な感情が湧きあがってくる。


 孵化しそうになる「そいつ」をどうにか押し込みつつ、一真は剣を構える。影夜の足元の影が僅かに動きを変える。


「やろうと思えば出来たんじゃないか? あいつに憑依するのも。常社神社にいた時は出来ていたじゃないか。何故、今までしなかった?」


「これから戦う敵だ。挨拶と名乗りくらいはしておくのが、当然だろう?」


 そう。そして、いかにもこの男――今まで散々人間の葛藤や悲劇を利用してきた

――ならではの方法だったと思うし、嗜虐心を満たしたいが為にやったのだとすれば、合理的ではないにせよ納得出来る。だが、その悪癖が今回ばかりは行き過ぎた。


 影夜は気が付いているのだろうか。或いは、気づいているが故に震えているのだろうか――その影は。


「もしかして、だが……、お前は前に彩弓に憑依したことがあるんじゃないのか?」


 常社神社で彩弓に救われた時を思い起こす。常社がまさに一真の体から、魂を引き剥がそうとしたあの時に起きた現象を。それに、この戦いの直前に未来が教えてくれたことが頭を過った。


「怖いんだろ? あいつに」


 最後まで言わせず、影が影夜の足元から噴き出した。蛇が毒を吐くように。だが、速過ぎる。


 影は刃の形を取るよりも前に、金色の刃に防がれ、霧散する。影の霊力そのものを「打ち破った」感覚が無かった。正確に言えば、殆ど無かった。が、その霧を破るようにして、影――こちらは蛇のように真っ黒な牙を持つ――が飛び掛かり、一真はさっとしゃがむ。同時に、剣を振り上げ一刀で両断。


 休む間もなく、続けざまに影が襲い来り一真は防戦、受け身一方となるが、それでも着実に影を仕留めていく。


 真っ直ぐに飛んでくる刃も、床を這いまわり唐突に仕掛けてくる蛇も恐ろしい速さだが、その動きには殺気が伴い、あまりにも予測がつく。おまけにさっきと比べて狙撃の精度が落ちている。


「やっぱりか」と一真が呟くと、影夜の眉間に言われなければ分からない程に微かな皺が、寄る。


「何もかも知ったような口を利くな、貴様は」


 いきなりの「貴様」呼ばわり。しかし、一真は気にも留めなかった。相手がいかにこちらを無知だ無学だと罵ろうとも揺るがない。二方向から飛んできた影の蛇を軽くいなし、一真は続ける。


「何もかも知ったわけじゃない。だけどさ、これくらいは俺でも分かる。その術、心が乱れると操作出来ない類のものなんだろ?」


 複数の影を同時に操り、攻撃する。それはいかにも神経の要る仕事のように思えた。以前、碧に聞いた事を一真は思い出しつつ、一真は踏み込む。


――霊気を飛ばして遠くの敵を攻撃する遠距離攻撃霊術――「遠隔力場」、式神に霊気を送り込んで戦う「使役法」どちらも、相当の集中を要するわ。一糸乱れぬ心を……まぁ、あなたみたいに不器用な人には到底無理ね。


 相当な罵倒だったが、今のこの状況は、その遠距離攻撃霊術の弱点を突いた形だろう。迫りくる影の触手をまとめて切り払い、一真は跳ぶ。


 天が叫び、光が咆哮を発する。


「破り、断ち切る! それぞ剣の極意!」


――破断斬


 霊力そのものを打ち破るその刃を、影夜の足元へと突き立てた。


 影夜が何かする暇もない。弾けるような音と共に、影が四方八方に飛び散り、破敵の刃の光に消される。一真は殆ど座り込むようにして膝をつき、刃を沈めた。そこに溜まっていた影が残らず霧散するまで。やがて、残らず灼かれ霧すらも消えたのを確認し、頭を上げたその時、一真は戦慄した。


「何もかも知ったような口を利くなと言ったはずだが」


 見下ろす影夜の目は、影すらも呑み込むほどに暗い。一度見せた心の乱れどころか、先ほど見せていた作り物めいた顔ですら、まだ感情があるのではないかと思わせる。もはや、影夜は一個の魂としては機能していない。


 一真が打ち破った影、その残滓が影夜の体に溶け込むように、惹きつけられていく。


「半分も理解していないな。君は。心が乱れると制御出来ないだと。今ここで

『発狂』してみせようか」


 悍ましいその声は、腐った果実のように不愉快だった。彼が先ほどから攻撃に使う影の正体が何なのかは、分からないがそれがどことなく、『ある物』に似た感覚を発しているのには気が付く。


――それでも、今の状況はまだ、決して不利ではない筈……だけど


 一対一に持ち込めたにも関わらず、少しも楽になったような気がしない。何よりも自分の直感が外れたことに、動揺を覚える。


――影の動きが乱れたのは、心が乱れたせいではないのか? それともあれすらも演技なのだろうか……いや、そうする意味が無い。と、そこまで考えたが、不意に障子からの光が途絶え、一真の心臓が跳ね上がる。光が単に引っ込んだのではない。まるで夜の帳そのものが、景色を塗り上げたかのようだ。


「影を呼びその穢れで以て瘴気の結界と為す。まさか、君程度の人間相手にその本領を発揮しなくてはならないとはね。恐れ入るよ」


 唯一の光となった破敵之剣の刃が、ほんの薄らと影夜の顔を照らし出していた。その顔は、狂喜に笑っている……ように見えるように造りあげられた人形とすら思える程に生気が無い笑みだ。


 影で肉を象り、闇でもって塗り固められた人間。


「ちゃんと奴の顔を見ろ、一真」


 怯え、思わず後退りそうになる一真を、天の短い叱咤の言葉が留める。


――いや、そう見えるだけ。見せかけているだけだ


 相手の見せかけに騙されてはならない。一真は先ほど見た光景を思い返し、自嘲気味に笑う。彩弓の話を持ち出した時の影夜の表情。あれだけ、はっきりとそれと分かる動揺を見ていながら……。


 気をしっかりと保ち、改めて周囲を見回す。何も見えなかった。建物の中にいるという事すら忘れてしまいそうな程に、闇が左右上下に広がっている。


 自分の右腕すらも満足に見えない。分かるのは破敵之剣――天の光と、目の前の影夜……が、その彼の顔が急激に歪み後ろへと引っ込んでいく。画面がフェードアウトする感じに似ている。


「逃げるな!! 影夜!!」 叫ぶが、答えはない。視界の隅、右側で何かが揺らめく。反射的に剣を構えたが、捉えきれない。飛翔した何かは、ざくりと肩を切り裂き血肉が舞った。


「いっぐぅあああ――!!」


 焼きつけられるような痛みに、一真は思わず肩を抑える。目に見えないのは幸か不幸か。ドロッとした感触が手につく。一瞬、戦う事よりも恐怖の方が勝り、自然と剣先が下がる。


 敵がその隙を逃してくれる筈が無かった。眼前からあの刃が迫る。もしも先程の明るさであれば、いや傷さえ負わなければ見て反応出来た筈だが、今の彼は来ると分かっていながら反応するだけの時間が無い。その意地汚さは、まさしく影夜らしい。


 共に歩むと決めた少女の顔を浮かべる瞬間すらなく、霊力の刃は、一直線に部屋の壁を切り裂いた。


 ただ、胸元のポケットに入れた金の折鶴だけが、生きた証のように光り輝く。彼がそこにいる事を確かに、示していた。


「……あ」


 一真の口から思わず漏れたのは、純粋な感動。


 窓を開け放ったかのように溢れる光が、影夜の体を照らしていた。影を纏った彼の異形じみた姿が、はっきりと見えたが、光の中にぽつんと映るのはどこか、間抜けだった。


 下弦の月のように煌めく白銀の太刀と、闇の中にあって一層輝く艶やかな黒髪と珠のような白さを放つ肌。その双眸は紫水のような透明さ。



「見つけた」



 風に狩衣をはためかせ、少女が言った言葉は果たして、二人のどちらに向けられたものか。陰陽少女こと、月は光を纏い音もなく空を翔けた。

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