十三
†††
それが、何人目の「家族」だったか、彩弓にはよく分からなかった。
時には誰かの養女として、時には一時凌ぎとして孤児院に、血のつながった親戚に回される事もあれば、どこの馬の骨とも分からない人間の所へと回される事もあった。唯一、幸いだったのは『商品』のように売買されなかった事だろうか。
彩弓は『幸福』という物を表面的にしか分からない。だけども、人の心はその裏の面まで見通す事が出来た。人が笑みを顔に張りつけて、心にも無い事を言う大人達を、幼い彩弓には理解が出来なかった。
本当の事を言うと、大人達は否定した。あまりにも、ぴたりと本当の事を言い当てると、大人達は喚いた。叫んだ。怒った。そして、最後には彩弓を捨てる。罵倒を浴びせ、彼女の存在そのものを拒んで。
彼との最初の出会いは「夢」の中だった。
――暗い、だが我々にはここしかない
彼は悲しげにそう言った。その言葉には幼い彩弓を惹きつける程の魅力があった。
――ここが、我々の居場所。こここそが、現実
それが嘘なのか本当なのか。もしかしたら、どうでも良かったのかもしれない。自分にとっての居場所があるならば。
――私と一つとなれ、その魂を私と
何よりも一人にされるのが嫌だった。だから、「彼」を受け入れた。
彼が姿を現したのは、それから半年後の事だった。もう何度目に出来た家族かも分からない。血のつながりがあるのかも怪しい「家族」の元に現れ、「彼」は彩弓を連れ去った。
「私達は『かぞく』なの?」
彩弓が訊ねると「彼」は微笑んで言った。
「いや、そんな物よりも、もっと偉大な繋がりを築けるとも」
思わず、飛びあがってしまいたくなる位、嬉しかった。二度とひとりぼっちにはならない。そんな気がして。自分が、特別な存在になったみたいで。
「お前様にも見せてやろう。華胥之夢というやつをな」
そして、彼女は『彼』の目となった。
彼の見る夢は彼女の夢、彼女の見る夢は彼の夢。
†††
古色蒼然とした常社神社は、破壊の爪と牙、悪意の咆哮と衝撃によって荒地と化していた。本殿だけは、かろうじて無事であるものの、その周辺の倉庫や拝殿は、柱が折れて屋根が押しつぶす形で崩れ、玉砂利は砕けて石と混ざり合う。石で固められた地面は窪んで地割れの罅が蜘蛛の巣のように、広がっている。
尤も、この惨状の仕業に加担しているのは物の怪だけではない。
足を天に伸ばすようにして引っ繰り返っている絡新婦、身体を中程から握りつぶされるようにして、真っ二つにされた大百足、赤い舌をだらりと垂らしたまま転がる物の怪、角を折られた牛の物の怪等々――物の怪によって積み上げられた山に、今また一匹の物の怪が放り込まれる。岩山に手足が生えたかのような巨大な物の怪――そのどちらも砕かれたが――その胴体を、白虎の両腕両脚が貫いた。
もがく物の怪に慈悲の心等見せず、腕が、脚が、その岩の身体を穿つ。物の怪の動きが完全に停止するまで、その身体が、塵と化すまでその暴虐は止まらなかった。
「これで全部かいな」
白虎もとい海馬は、息も乱さずに、物の怪の亡骸の山から降り立った。彼の足が地面に着くと同時に、山は下から崩れさり、消滅していく。物の怪は、人の邪気が具現した怪物だ。
彼らが形を保てるのは霊気のおかげだ。その霊気を使い果たしてしまえば、存在を維持出来ずに、消滅する。それは人で言う所の「死」だ。常社神社は建設されると同時に、人の手に負えない物の怪や式神の『廃棄場』としても利用された。――式神。それは陰陽師が使役する鬼神の事だ。人に使役される神霊であると同時に、人心の悪行、善行を見定める役でもある。
海馬が今、ここで殺した式神達も元は、未熟な術者が生み出したものだ。或いは式神としての形にすらなっていないような化け物もいる。
陰陽少女沙夜が物の怪と共に封印された時代――彼女が生きた平安期は、都に物の怪が溢れかえり、それに対処する為に、急場凌ぎの未熟な術者が、下級貴族の二男三男坊から輩出された。しかし、彼らは物の怪に対処するどころか、新たな脅威まで生み出してしまった。
恋人を喰い殺した物の怪を殺したい、家族を呪い殺した物の怪が憎い。そんな負の感情を元にして生み出された式神は、どれもこれも歪んで、醜い。人為的に作り出された分、余計性質が悪い。
「さて、手駒はこれで全てやろ? 出てこいや、霞、八鹿」
ふわっと巫女服を靡かせながら空中に現れたのは、二人の巫女だ。切れ長の細い瞳、尖った顎に、艶やかな白い肌、髪型こそ若干の違いがあるものの、二人はそっくりだった。
霞が不敵に、八鹿がおどけたように笑む。
「あら、思ったよりもやりますわね」
「本当、しぶとさだけは昆虫並みにありますこと」
海馬は、怒りよりもむしろ呆れを感じた。
「敵にまわっても、味方でも、その減らず口だけは達者だのぅ……俺、一応これでも四神の一人なんじゃが」
そのいつもの変わらぬ調子に、安堵するようなしないような。この怪異騒ぎそのものが海馬をからかう為に行ったのではないかと、錯覚させてしまうほど。
しかし、二人は冗談では済まない攻撃で、答える。
「眼結界」
霞の瞳に五芒星が煌めく。
「人形結界」
八鹿の周囲で人形が躍る。
海馬が取った行動は一つ。白虎を模した籠手を掲げただけだ。ただし、防御の為ではない。籠手の装甲と装甲の継ぎ目に仕込んだ術が、発動する。
「う!? あぁああああああああ――!!」
突然の絶叫。網膜に太陽の光を直接見てしまったかのように、霞は瞳を鷲掴みせんばかりの勢いで抑えている。
「霞お姉さま!?」
八鹿の動揺を、海馬は見逃さなかった。一蹴りで、宙を漂う双子の巫女に迫り、両の拳を合わせて、振りかぶる。一瞬の判断で、八鹿は人形達を前面に盾として出す。その機転は流石と称すべきだろうが、無駄だった。
「ぬおりゃああああ!!!!」
肚の底から絞り出すような気魄と共に、拳が人形の壁を叩き潰し、その衝撃波が人形の残骸を、術者ごと吹き飛ばす。八鹿の体が、くの字に曲がって、吹き飛び崩れた社の上に激突する。
「ま……たく」
苦し紛れに放たれる言葉。霞は海馬の攻撃を寸前で回避していた。彼女は両の目を未だ抑えつつ、悪態を吐く。
「とんだ馬鹿力ですこと」
「その馬鹿力をお人形で、受け止めようとしたあいつも、相当な馬鹿だな」海馬の言葉に、霞が美しい顔を憤怒に歪める。
「まぁ、酷い」
「酷いのは、どっちや。あいつは、お前を守ろうと人形を守りに使った。お前は、自分だけさっさと、逃げ出したんだぞ」
霞は唇だけで冷笑した。鬼の顔に、美少女の笑み。醜くも美しい。
「あの娘は、分かっていましたよ。それでもあえて引き付ける役を買って出たのです」
そこは双子の絆か。その事にこれ以上、口出す権利は海馬にはない。
「それにしても、お前ともあろうものが、とんだ失態だのぅ。まさかこんな初歩的な技に掛かるとも思わなんだ」
ひらひらと海馬は、籠手を振るう。霞の顔がその中で綺麗に歪んでいる。彼が仕込んだのは「鏡」だ。
「鏡反しが仕込まれているとは思わなかったか? 俺は、お前んの術を知っている。知ってて、対策を取らん筈がなかろうが」
霞の持つ術は、高度だ。結界は作るだけでも、術者に相当の技術と霊力を要求する。霞の技は結界を作るにとどまらず、結界そのものに特定の人物を引きずり込むことが出来る。
ただ、術の規模が大きい分、跳ね返された時のリスクも大きい。この術が使えるのは、相手がその効果を知らないときか、あるいは奇襲だろう。沖一真と彩弓に対しては、効果は抜群だった。
「で、どうする? お前さん一人で俺を相手にする気はあるか?」
降伏勧告。彼我の圧倒的な力の差をこの少女が知らない筈はない。霞はどうすべきかと悔しさで顔をしかめた。
「お前さん、あの常社が本当は何者か知らないんとちゃうか?」
そこに、海馬は言葉を拳の如く、ぶつける。彼女が拠り所としている信条すらも、叩き潰そうと。霞は怪訝に眉を寄せた。
「やはり、知らんか。お前さん、常社の事は全部、橘花から聞いたのと違うか」
霞は答えない。しかし、その沈黙から答えが全てを物語っている。
「やはりな。常社の本当の目的は、なんだったと思う? 一人の少女を世界の平和の為に殺す? あいつはな、彩弓の事についてこう言った。――思っていようといまいと、利用し、使い捨てにする事には変わりないのでしょう? とな。この世にとって害になるから排除しようとした筈の少女を、いったい何に利用するって言うんじゃろうなぁ?」
「それは、言葉のあやです」そう言う霞の言葉は、しかし自信なさげであった。海馬は鼻で笑い、続ける。
「疑問に思っていた点が幾つもある。ひとつ、何故、彩弓と笹井はお前たちの手を逃れる事が出来た?」
常社一人でも恐ろしい術師だが、それに加えて三人もの巫女がいた。霊力や術を知らない者が抜け出せるような穴などある筈が無い。
「二つ、そもそも常社はどうして今蘇った? 何故蘇ると同時に、世界の崩壊なんぞを食い止めようと思い至った? どんな高尚な者であってもふつうは考えないだろう」
京都の地下結界が解かれた事が、きっかけだとしても、余りに突然かつ都合が良すぎる。
「今一度、聞くぞ。霞。彩弓が、あの娘が世界に害為す存在であるならば、何故すぐに殺さなかった?」
海馬の質問に、霞は震えていた。自分の立つ場所が今にも崩れ去ろうとしている。
「そ、それは、適切な儀式の元に葬り去らないとあの者の力は、他の者に受け継がれてしまうと」
「橘花が言ったんじゃろ?」
霞はもはや、何も言えなかった。宙に浮かぶ霊力すら失ったか、ゆっくりと地面に落ちていき、着地すると同時にへたり込んだ。
「常社に立ち向かったのは、橘花姉様ひとり。しかし、戦いどころか、霊力のぶつかり合いすら行われなかったんです」
海馬が、傍に降り立つと霞が語り始めた。
「橘花お姉様が心配で、私達二人は本殿へと突入しました。しかし、なんということか。橘花お姉様は、常社様とお話ししていらっしゃった……私達が問いただすと、橘花お姉さまは言いました。常社様が封じられた訳、常社様がいかに素晴らしいお方か。そして、常社様が復活した理由」
「そのどれもが高尚すぎた話だとは、思わなかったんか」
海馬はため息をついて、問う。橘花が語った事は全てが嘘ではない。むしろ、嘘は一つだけだ。常社が復活した理由。彼が為そうとした事。
「私達は橘花お姉様と、常社様に騙されていたのでしょうか?」
霞が問う。その目には涙が浮かんでいた。
「いや、違う」
しかし、海馬は否定した。
「慰めのつもりなら」
霞が怒ったように言うと、海馬は首を振った。
「そんなつもりは全然ないから、安心せい――て、なんやその不満顔は……わかったわかった!」
更に顔をしかめた霞に、海馬は慌てて弁解するが、霞はそっぽを向いた。全く、罪を犯したのは、霞の方であるのに、これではこっちが悪者のようだ。海馬は咳払い一つ吐き、告げた。
「あいつら自身も利用されている。俺らが立つこの世界そのものが、誰かさんの掌の上なんじゃよ」
と、その時、海馬の胸元が震えた。この結界の中では余りにも不釣り合いな電子的な音。海馬はちらっと、二人の巫女を見、携帯電話を取り出す。
このような空間であっても、現代科学の通信端末は通じる。通信そのものに呪いをかけるような術や怪異も存在はするものの、使い勝手の良さから使用する術者も多い。
画面にはでっかく「ひりゅー」と表示されている。何故、彼が電話をしてきたのか。その意図を察しつつ、海馬は通話ボタンを押した。
「おう、火龍か」
『よーう、海馬君。生きているようで、何より』
「……悪意染みたものを感じるが、気のせいかいな?」
『悪意と言えば、お前も中々悪意一杯な事してるじゃねーか』
悪意一杯? とその言い方に疑問を持ったものの、あえてそこには言及しない。
「どこらへんが?」
『ふん、すっとぼけか。どこまで知っているかは、知らねぇからな。こっちの知ってる事だけ言うぞ』
知らなくても予測はついているだろうに。そんな事を思うが、やはり言わない。
「影夜。苗字については、ご想像にお任せするぜ」
「答えを言っているようなものやな」
海馬が苦笑すると同時に、通話が切れる。それだけを伝える為の電話。火龍の行動はまるで読めない。深い事があるようでない。ないようである。自由奔放と言えば、聞こえは良いが、海馬にしてみれば不気味でしょうがない。
ふと、背後の社を見上げつつ、海馬は呟いた。
「さて、彼らは真実に辿りついたかの?」
†††
常社が消滅すると同時に、未来の瞼が覚醒するように開いた。バッと起き上がり、辺りを見回し、ぽかんと口を開けている。笹井も同じように目覚めていたが、こちらも状況を呑み込めていないようだった。いや、この場にいる者で、状況を全て分かっている者等いるだろうか。
あの一瞬で、常社は何を悟ったのだろうか。彩弓を殺そうとしたその理由――いや、彼女は常社と繋がっていたのではないのか。ちらっと月を見ても、彼女はまだ常社がいたその床を眺めるばかりだ。
「一真……? それに月?」
未来の言葉にようやく、一真は思索の深みから引き戻される。
「未来、無事か? それに、笹井さんも……」
ふと彩弓を見る。彼女は目を閉じたままだ。縛られていた柱から歩いて数歩の所。結界に入り、常社に伝えたのは、彼女自身の意志だったのだろうか。一真達を助ける為に……。いや、起きてから本人に聞くしかないだろう。そう思い、彼女に近づいた時だった。
彩弓が目を覚ました。
「おや、ここは……おぉ、そうかそうか」
冷たい声音そして何よりも、虚ろでどこか遠くを見るような瞳に、思わず足が床に縫いつけられたように止まる。
「彩弓……ちゃん?」
未来と笹井が問いかけ、月はパッと一真の前に躍り出る。
「あなた……彩弓じゃない」
彩弓の身体を借りた何者かは、その月の言葉に哄笑を上げた。少女の物にしては、明らかに低く老獪。そして、彩弓の右腕が糸で繰り上げられたように、掲げられる。
宙に現れたのは、人の顔を宿した真っ黒な炎。一真は思わず、後退りする。また、また人を殺さなければならないのか? 常社を突き刺した時の感触は未だ手に残っている。呪縛のように、一真の手を縛り付けている。
「大丈夫、あれは疑似霊魂。人の魂じゃない。こんなもの、お化け屋敷のお化けみたいなもの」
月が前を向いたまま、力強く告げる。安心させるように……あぁ、そうかと一真は思う。護れなかった、その事を気にしているのかと。そんな事気にするなとは、言えない。その言葉で安心するのは、月だけじゃない。自分にとってもそれは、現実から「逃げる」ための言い訳にしかならない。
――強くあらなければならない
以前に心に浮かんだ願望と違う。それは、もはや使命感にも似た気持ちに変わっていた。
「では、誰だと思う?」
彩弓の口を借りて、そいつは問う。月は、ぐっと口を引き結びそれから意を決したように答えた。
「彩弓の血縁のもの。同時に、中原家の末裔である人物」
その答えに、一真だけでなく未来と笹井も驚いた。
「え、でも月? それは、どういう事なの?」
今まで気を失っていた分、余計に混乱した事だろう。未来の問いに月は少し考え込んでから言う。
「常社はそもそも復活なんかしてなかった。この結界の中で千年も前に死んでいた。違う?」
彩弓は答えない。月はそれを肯定と取ったのか、話し続ける。
「あなたは――彩弓の身体を通じて私達を見ているあなたは、常社の魂を、彼の世から呼び出した。生きていた頃の彼が沙夜の魂を蘇らせようとしていた事を知っていたあなたは、沙夜の復活を生きる目的として与えた。彼の魂を現世に定着させる為に」
「一度呼び出されても魂は、また彼の世の方へと引っ張られてしまうからね」と日向が柱の傍で、未来達を守るように立っていた日向が付け加える。
「彩弓を通じて、私達の事を見ている。常社はそう言っていた。血縁の者同士の術者の中には、お互いの様子を自分の事のように感じる事が出来る人達もいる。もしかしたら、常社も彩弓も、と思ったけど」
彩弓の口が左右にすーっと薄く広がる。小さな両手が虚ろにパンパンと称賛の拍手を刻んだ。
「流石、陰陽少女だ。冷静な分析だよ」
「冷静でいられるわけない」
月が、怒りを滲ませて言った。彩弓を否、彩弓を操る何者かを睨み据える。全ては、こいつの掌の上の出来事だった。彩弓を苦しめ、仲間を誑かし、挙句には常社すらも仕立て上げられた敵、捨て駒でしかなかった。沙夜そして彼女を想う常社の心もまた、穢された。
沙夜は、月にとっても浅からぬ因縁の相手だ。敵味方、滅する滅されるかの単純な関係ではない。彼女はこれから月が歩むかもしれない道の軌跡。沙夜は未だ過去に受けた陰陽寮からの仕打ちを、自らに課せられてきた運命を恨み続けている。
沙夜と戦ったあの時、月は言った。「あなたのために想う」と。一真が、仲間達が月を想うように。そうする事で、月は沙夜を救おうとしたのだと、一真は分かっていた。
彼女と同じ時代に生き、彼女を想った男の末路は、あまりにも無残。
「あなたは逃がさない。絶対に」
護身之太刀が白銀の光を増していき、彼女が発する霊気は、息が詰まる程にまで張りつめられている。哄笑は続く。童女の無邪気さには、似ても似つかない、姿無き声が挑発する。
「その太刀では、確実に倒せるのは一体二体が限度だろう? 私はその間に、そこの柱にいる者達を殺せる」
亡霊の動きは素早い。未来と笹井の目の前にそれぞれ二体ずつ現れ、じわじわと二人に近づいていく。しかし、それよりも月が言霊を発する方が早かっただろう。
「万物の霊気に命ず! 晃らかにせよ! 光は風となり、夜空に、霽月は閃け!!」
亡霊達は、剣戟に備えて身構え、或いは月の周囲を飛びまわって、狙いを付けさせまいとする。しかし、それらは何の意味も無かった。
太刀から発した銀光が刃の周囲から漏れ、陰陽少女の周囲に広がって、蛍の群れのように或いは、桜吹雪のように舞う。こんな術は一真自身も、見るのは初めてだった。しばし、敵も味方もその美しい光景に目を奪われた。その合間に、月は言霊を結んだ。
「行け、光風霽月」
月の光を乗せた風が、亡霊の炎を吹き消しながら駆け抜けていく。彩弓と笹井を消し炭にしようとしていた亡霊は、逃げる間もなく風に吹き流された。そして、その風は彩弓自身にも駆け抜ける。彩弓に両腕を交差させて、防ごうとしたが無駄だった。風は彩弓の身体をすり抜け、その中に入り込んでいただろう何者かを吹き飛ばす。
「いぎゃああああああぁぁぁ――」
吹かれた瞬間、彩弓が叫び、吹き抜けると同時に倒れた。
「ぁぁぁああ……あが……」
彩弓の背後に現れたのは、黒い影だった。先程の亡霊と同じ色の炎を纏っている。
「あれが本体?」未来の問いに、月は首を振った。
「違う。本体は別の所にいる」
影は苦痛の声を上げながら後退りした。逃がすまじと、月は寄っていき、一真もその隣につき、退路を断とうと近づく。そして、二人は壁の隅にまで追い詰めた。
「捕まえた。もう、逃がさない」
「ククク……、勝ったと思うかね?」
負け惜しみにしか聞こえない。それとも、まだ手があるのかと思っていると、影は更に言った。
「ここにいる私を捕えるがいい。そうすれば、私の居場所も知れる。私を捕えるなり、殺すなり、滅するなりすればよいだろう。しかし、それで君達は勝ったと思えるのかね?」
「何の話だ」
一真が問いを発した事に、満足したように影はより一層笑みを深めた。
「私が、何の為にここまでしたのか、こんな先祖の魂すら穢すような真似をしたのか、理解して欲しいね」
穢した――そう言いつつも、どこかその口調に、馬鹿にするような響きがあり、こちらの気持ちを逆撫でする。
「常社の狙いは陰陽少女、君だった。それは、彼が沙夜を復活させるための贄とする為だった。その行動動機は、私が植え付けた者だ。何故か? 月、君は私にとっても標的だったからだよ」
「何故、月を狙う?」
影は嘲るように小さく笑った。そして、答えなかった。
「知りたくば、必死に足掻いてみせろ」
影の炎が突然膨らんだ。呆然とする一真を、月が押し倒した。瞬間、影が破裂した。邪気の炎が辺り一面に吹き飛び、しかしそれは床に落ちるよりも先に消えた。
「今のは――」
言いかけて、一真はびくっと身体を震わせた。目の前に月の顔がある。その甘い吐息が掛かる。身体はさっきよりも密着しているのは、気のせいだろうか。狩衣の決して厚いとは言えない衣越しに月の肌の感触が伝わる。
「あの、ありがとう。月……」
その肩を押さえて、そっと離した。彼女は気が付いていたのかいなかったのか、言われて、ぱっと顔を赤らめた。
「え、う、うん……」
日向が、にやにやと顔を綻ばせながら、近づいてきた。
「もっと抱き合っていたかったよねー、月」
「そんなこと……」
残りは小声で聞こえなかった。「あるかも」と聞こえたのは幻聴だろう。恐らく。日向がうんうんと満足そうに頷いていたが、ふと顔を青ざめさせる。彼女の背後には険悪な表情で立つ未来がいた。
「で、何があったのか、私達は全然、分かんないだけど?」
「あぁ、知っている事なら全部教える……だけど、まずは」
ちらっと見ると彩弓はまだ気を失ったままだ。日向が近づき、その小さな身体に手を当てた。
「起きよ」
ただ、その一言だけで、彩弓は瞼をゆっくりと開けた。
「彩弓ちゃん!」未来が真っ先に駆け寄り、その身体を起こした。笹井がその後ろで心配そうに顔を覗きこんでいる。
「お姉ちゃん? 私、また怖い夢見てた……」
「大丈夫……皆、ここにいるから」
その様子に、一真はそのまま座り込みたくなる程の安堵を感じた。彩弓は助かった。怪異は解決した。もういいのではないか。もう、帰って皆で再び笑いあう、あの日常に戻っても。
「ありがとうな、彩弓」
「え、何の事?」
抱かれたまま、首だけを回して彩弓が聞いた。やはり、あれは彩弓自身の意志ではなかったのだろうかと思う。
「助けてくれただろ?」
そう問うと、彩弓は笑って答えた。
「だって、私達。家族でしょ?」
途端、場の雰囲気が一気に凍り付いた。呆然とする一真を、周囲は唖然と見る。
「え、は? なに、それ?」
しかし、彩弓は周りの温度など気にすることなく続ける。
「そうだといいなーって思ったから。私、お兄ちゃんの家族になる!」
「いや、それは……」
周りの視線が――主に女性――刃のように心臓に突き刺さる。
「一真は童女好き……!」
「あーあぁ、何を吹き込んだんだか……」
日向は笑顔のまま、何も言わない。とてもコワイ。
「いや、その……これは、子どもの微笑ましい発言ってだけでさ……」
そこへ彩弓が追い打ちを掛けた。
「そうだ、月お姉ちゃんも未来お姉ちゃんも家族になればいいよ」
二人の顔から表情という表情が消えた。虚ろな瞳に、一真は生命の危機を感じつつ下がる。
「いやいや、これは、そうだ。『お父さんと結婚したい』発言と同じだと思えばいい。意味も分からずに言ってんだって!」
なんだか、言い訳するたびに自分を崖に追い詰めているような、気もするが、どうにかして二人の気を鎮めなければいけない。だが、彩弓はわかっているのか――とすれば、相当に腹黒――いないのか、不思議そうに首を傾げる。
「好きな人同士で家族になっちゃいけないの?」
「うんうん、ダメじゃないよね」笑顔で頷く日向。月でもないのに、一真は護符をその体から引っこ抜きたい衝動に駆られた。
「二人でいる間にそんな話をしていたなんて……」
「見損なったわ」
女子二人のそんなきついお言葉。何故、ここまで辛辣な言葉を投げかけられなければいけないのか、理解に苦しむ。この二人の頭の中では一体どのような妄想が繰り広げられているのだろうか。そして、こんな時に「内なる幽闇」は的確な答えを出してくれたりはしない。
こつこつと近づいてきたのは笹井だ。未だ顔を青ざめさせ、混乱している様子だが、「家族」という日常的な言葉が出てきたことで、会話の糸口を見つけたようだ。
「家族にならなくても、誰かを好きだと言う事は出来るんだよ、彩弓ちゃん。大事なのはグループを作ることじゃない。相手をどれだけ想う事が出来るか、だ」
彩弓はぽかんと口を開けて、笹井を見ている。驚きと発見それが混ざったかのような瞳で。笹井は決してその純な視線から目を離さない。最初に会った時の印象と違い、彼の表情には強い意志が見えた。
「離れ離れにならない?」彩弓は熱のこもった声で尋ねた。笹井は、疲れから皺の寄った顔で笑んで頷いた。
「そうだな。本当に『すき」だと思うなら」
目を逸らしたのは、彩弓の方だった。目頭に涙を浮かべ、頬を仄かな朱に染めていた。長年、締め付けられていた感情が、堰を切り口から言葉としてあふれた。
「もう、嫌なの……おいていかれるのは。話しかけるだけで、人のこころを読むのは」その震える小さな体に覆いかぶさるようにして、未来が両手を伸ばした。
「大丈夫、そんな心配は私達の間では無用よ。ねー?」
「うん」「そうそう」未来に振られて、月と日向がにこやかに頷いた。そして、彼女の視線が、頷いた二人の視線が、一真に注がれる。
一瞬、何でこちらを見ているのか分からなかった一真だが、三人が睨むような焦れったい様な表情になるのを見てようやく察した。
「そうさ、彩弓。俺たちは見捨てない。じゃないと、ここまでして助けに来たりなんかしないだろ? 俺も他の皆も」
彩弓はようやく笑った。喜びがあふれそれが月の光のように、彼女を輝かせていた。
――お前は月を守るのだろう? なぜ、ここまでする。月はあと一歩で死ぬところだったぞ。
心の中で息づく闇が話しかけてくる。今の彼なら、無視することも出来た。栃煌神社では、この声を無視する為の鍛錬も積んでいた。鍛錬を積むうちに分かったのは、この声は一真が意識さえしなければ、ごく微かで曖昧なものであるということ。叔父がそこのところを意識して言ったのかは定かではないが、文字通り「幽闇」である。声ともつかない叫びに過ぎない。
だが、一旦囚われてしまえば、抜け出すのは至難の業だ。だから、あえて一真はこの声に逆らわなかった。
――この娘のことにしろ、無責任ではないか? 見捨てない? 見捨てざるを得ない、他の人間に責任を押し付ける時が来るのではないか。お前の言葉は、彼女の期待を裏切ることの恐れから来るものではないか。
確かにそう。それはある。彼女は一真達に期待を寄せている。この人たちなら信じてもいいかもしれない。そう思っている。
その気持ちを裏切れない、裏切ったら彼女は二度と自分を信用しないだろうと。この気持ちは彼女を守って戦う内に、いつの間にか強くなっていた。月と共に戦うと決めたその後の気もちにも似ているかもしれない。
だが、それだけじゃない。彼女を見捨てて裏切るのは、彼女の信頼だけではない。
――己自身の決意。今ここで、彼女を見捨てる俺に、月を守る事など出来ない。
その気持ちを彩弓に伝える為に。その決意を自分自身への答えとする為に。
「約束だ」
未来と月がその言葉に微笑む。以前ならば、こんな青臭い事、言うだけで顔が火照っていただろうが、今となっては実感を持った言葉として出せるようになっていた。それは、月や未来を守る為に戦ったその経験からくるのかもしれない。とはいえ、ここで慢心するわけにもいかない。そう、幼き頃の後悔は二度としない。その信念こそが彼に力を与えていた。
「これはこれは、幼きライバル出現、かな? ね、どう思う二人とも」日向が袖で口元を覆い隠しながら、わざとらしく月と未来にふった。目元だけで妖しく――というか、怪しく――笑んで、二人をたじろがせる。
彩弓の不思議そうな表情、その可愛らしい口から発せられた純粋無垢な言葉が追い打ちを掛けた。
「ライバルってなに? もしかして、お姉ちゃん達が彩弓からお兄ちゃんを取るの?」
未来の顔が引き攣り、月に至っては、手に持った月影を握りつぶさんばかりの勢いだ。月影の悲鳴が、一度は使い手になった一真の耳にも届く。とても怖い。身の危険すら感じて、一真は後ずさる。
「い、いや、待て。落ち着いて、理性的に話し合おうじゃないか」
「あん? 私達が理性のない性欲の馬鹿にでも見えるっての?」
「一真は……言ってた。ちゃんと言ってた」
あからさまに感情をぶつけてくる未来とぶつぶつと幽霊のように迫ってくる月。この二人が何を求めているのか、は分かる。多分。だが、それを言った途端何が起きるのか分かったものではない。
「その、いや、俺はだな……」
「なに、彩弓の前ではあんなに恰好つけられたってのに、私達の前に立つとどうしてそんなに怯えるのかしら」
「一真は幼女好き……」
胸に刺さる言葉と大変な誤解を伴った認識に、一真は笹井に助けを求めるように視線を送る。が、真実を伝えるのが仕事のジャーナリストさんは、そっぽを向いて我関せずと、その背中が語る。女関係は苦手か、苦い思い出でもあるのだろうかと一真は思う。
がしっと月の手が一真の肩に触れる。くそぅ、どうすれば生き残れるのか。と、救いの手は突然降ってわいた。
一定のリズムを刻んだ振動音。携帯だ。非通知と表示されていたが、一真は通話ボタンを押した。月の恨めし気な上目遣いを躱して、一真は携帯を横顔につける。
『よぉ、一真。真実には辿り着いたかいな?』




