表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陰陽少女  作者: 瞬々
華胥之夢
87/234

十一

†††

 燭台は廊下の奥、階段の奥をも照らしていた。影は光に沿って長く伸び闇へと同化していく。

 光と影がくっきりと分かれるこの空間が、むしろ不気味である事に未来は気付いた。

家で震えていた時は、部屋を真っ暗にするか、完全に明るくするかのどちらかだった。多分、自分は闇が怖かったんじゃない。光と対比的に映る影が怖かったのだ。

 自分が楽しく暮らすその裏では、物の怪が暗躍している。その事実を思い起こすようで。

 身をよじろうとしたが、彼女を縛る縄は予想以上に強い。

 なんとか後ろを振り返ると、柱が見えた。そして、反対側に縛られている彩弓や笹井の姿も。縄には護符のような物が括り付けられている。注連縄だろうか。もしかしたら妙な術でも掛けられているかもしれない。想像が勝手に膨らみ、彼女の恐怖をよりかき立てる。

 人柱。終いにはそんな単語までが浮かんできて、未来は震えた。思わず嗚咽が漏れる。彩弓を必死に追いかけていた時は、ただ助けたいと思った。それだけだ。だけど、こうしてここに縛り付けられ、時までもが止まったかのような感覚を味わうのは……。こうなる事も覚悟だった筈なのに。

 彩弓が首を限界まで曲げて、未来の方に向き直る。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん」

「……ごめん、私何考えてたんだろ。誰一人として守れない上にこんな……」


 言葉が続かない。そんな自分が情けなく思える。多分、それはどうしようも無い事なのだろう。それでも。


「お姉ちゃんと一緒で、彩弓は寂しくないよ」


 彩弓の笑みが、痛く未来の心に刺さる。彼女だけでも守ってあげなければ、せめてここから出す位は出来ないのか。そんな事を考えた時、ふと頭に引っ掛かりを覚えた。しかし、それがなんなのかを考えようとしても、分からない。

「あぁ、ま、そうだ。三人一緒ってのがせめての救い、かな」


 笹井が自虐じみた言葉を投げかけたせいで、未来は今考えていた事も忘れる位に怒った。


「笹井さん! なんて事を言うんですか!! それじゃ、まるでこれから私達……いや、やめておきます」


「おや、何を言うつもりだったんだい?」


 ハハハと、力なく笑う笹井の顔を叩きたい衝動に駆られるが、どうにか抑える。勿論、抑えきれずとも叩けないのだが。


「助けを待つしかないさ。僕が来た時よりもずっと、状況はいい、よっと」


 笹井は上着のポケットから何やら取り出して言った。それは、ボイスレコーダーのようだった。


「何か、いい作戦でも思いつきました?」

「いや、落胆させたら悪いが、記録を取っておこうと思ってね。私は彩弓と出会ってから何度か、声で記録をとってきた。その時の生の感情が一番上手く残る方法だ」


「そんなもの……誰が信じるんですか」


 落胆と皮肉を込めて、未来は聞いた。ただ、口にした割には興味はあった。声の記録。こんな現実離れした経験、それを誰が信じるかは別として。


「ハハハ、心から信じる人はいないかもしれない。ただ、もしかしたら本当の事かもしれないと、そう思う人も出てくるだろうよ」


 殆ど、断定するように、言ったのは、経験があるからなのだろう。


「私の声が入っても構いませんか?」

「あ、彩弓も入れたい!」

「断る理由が無いね。君達にも関わりのある事だし」



――笹井城阪の記録

 以下の記録は、笹井城阪が常社レポート作成の為に残した最後の音声記録である。記録は活字化され、霊文新聞に掲載され発表されている。


笹井:随分と時間が空いた……気もするが、最後に収録してからまだ一日しか経っていない。不思議な気もする。今、私は再びあの神社に戻り……。


少女の声:あ、あー、もう入ってる?


幼い少女の声:あー、あー! 彩弓だよー。


笹井:あぁ、入ってるよ。最初に話したのは永田未来さん、次が彩弓さん……て、名前公開しても良かったかな? 後でこの部分だけ消してもいいけど。


未来:あ、別にいいですよ。私もこれで有名人。


彩弓:ゆーめーじん!


笹井:そうか……、そのすまないが。


未来:あ、うん、ちょっと黙っていてくれないか?


笹井:(溜息の音)あぁ、そうだよ――今、私は再びこの神社に戻ってきた。二度目だが、慣れる事は無い。常社神社、ここには不気味なものが溢れている。現実離れした恐ろしい怪物で溢れている。だが、その現実離れした姿にも関わらず、私は妙に親近感……とも違う、身近な物のように感じられる。


未来:そうね


笹井:永田さん?


未来:物の怪。それが怪物の名前。あれは、人の負の感情が生み出した姿。どんなに人間離れしていても、妙に親しい気がするのは当然ね。


彩弓:(しゃがれ声、恐らく「人が生み出せし、悲しきいきもの?」)


未来:彩弓――?


(風の音)


彩弓:彼が来る……、哀しみを糧に動き続ける人とも、物の怪とも違う、ただの――(しゃがれ声、雑音多く聞き取り不可)


男の声:――来る……彼女が


〈記録終わり〉


――ただの××××


 彩弓がまるで何かに操られているかのように、抑揚を失くした声で言いかけたその時、未来の頭にノイズが走る。ラジオの周波数を乱したかのような不快感。周囲の壁に目でも生えたかのような、冷たい視線を感じて、全身の毛が逆立つ

 部屋の中にも拘わらず風が吹いて、未来の髪を嬲った。

 三人とも声どころか呻き一つ漏らせず、咽喉を凍りつかせた。

 下から誰かが“昇って”くる。助けではない事は確かだった。階段を素直に登ってくるとも思えず、壁からすっと浮き上がってくるのではないかと未来は身構える。

 しかし、そいつは階段を使った。影が闇に吸い寄せられるように、光から出てすっと伸びる。ゆっくりとよたよたとした動きは、ともすれば弱弱しくすら感じられる。

 やがて現れたその男は狩衣をまとっていた。

 顔は分からない。それもそのはず。その男の顔には護符が貼り付けられていたからだ。ただ、ちらっと見える顔は、まるで。


 まるで、髑髏のように見えた。屍が動く……とすれば、まさしくこんな感じだろう。そいつは今にも朽ち果てそうな口をゆっくりと動かして言った。


「彼女が来る……この常社の元に再び、戻ってくるのじゃ」

「彼女って誰?」


 彩弓がそっと聞く。彼女自身の意志なのか、それともいつもの譫言なのか、未来には分からなかった。半々と言った印象だ。


「……よ」


 屍は必死に口を動かして言う。


「沙夜……儂の愛弟子……今夜、地獄より救い出してやろうぞ……」


†††

「何か聞こえた?」


 扉が閉じた瞬間、月が訊ねた。一真は何も聞こえなかった。なので、それを正直に答える。


「いいや、何も」


 途端、大袈裟な溜息が聞こえた。日向だ。


「あぁ、もう、駄目だなぁ。月の事しか考えてないからぁ、そんな風になるんだよ、莫迦だなぁ」


「酷い言われようだが、今俺が考えていたのは月じゃなくて、未来の事だ」


「ぬわ!! 余計悪いわ!! 月は毎晩毎晩、一真君の事ぐぬわあ!!」


 何事か口走りかけた日向の身体に、月の腕が突っ込む。色気とはまるで縁の無さそうな、どこか間の抜けた悲鳴を上げながら日向の身体が消えて、護符に変わる。


「勝った」

「いや、何にだよ」


 いつもの茶番を終えて、月は護符(日向)を床に捨てた。一真は流石に慌てて護符を拾おうとするが、月に止められた。


「放っておいて!!」

「日向が言うなら分かるが…」


 どうやら、式神のセクハラに相当ご立腹のようである。日向が神がかり的な力を持っている事は知っているが、紙切れ(護符だが)一枚になってそこらへんの塵みたいに捨てられていると、流石に不安になる。


「いいのか?」

「いいの、置いてこう」


 引き下がるべきか。だが、この先にとてつもなく強大な物の怪が、沙夜と同じような物の怪がいると思うと、彼女をここに残していくのは得策とは思えなかった。


「なんだか、妙だよ」


 月は怒った表情のまま、天井をにらんだ。これは、日向のせいではない。多分。


「妙って、ここがか?」

「うん。ここにいるんだよね。常社が」

「あぁ、そうだよな。残念ながら俺は気配感じ取れないけど」

「私も」


 そうかと答えそうになって、一真は思わず月の顔を見た。月は目を瞑り、遠くの物音を聞きとろうとするように、首を傾げた。その様子が美しく、一真は、不覚にも思わず見惚れた。


「微かに感じる。でも、これは何? もう一つの存在……橘花の方が、よっぽど強い霊気を放っている」

「なんだ、そりゃつまり、こういう事か? 復活した常社よりも、橘花の方が強い?」


 月は目を開いた。額に手をやりながら、辺りを見回す。


 目の前には廊下、そして長い階段が続いている。廊下の両側には障子と燭台が並んでいる。これが単なる見かけだけの物である事は、一真にも分かった。障子の向こうには誰もいない。人も物の怪も。


「頓智が要るような結論。千年も生き続けて、力を蓄え物の怪と化した……なら、もっと圧倒的な強さを発揮してもいいはずなのに」


「わざと隠しているとか? 弱く見せかけてるとか」

「何の為に? 向こうもここに、私達が来ている事はとっくに知ってる筈なのに。弱く見せかける必要なんてどこにもない」


 どこかに偽りが、あるいは全てが偽りなのか。

 海馬は、何かを知っているのか、それとも彼も踊らされていたのか。そもそもこの怪異は何処が始まりなのか? 


「なぁ、月。考えていても始まらないんじゃないか? これが罠だとしても、俺達は飛びこむしかない。そんな気がしてならない」

「うん……そうだね」


 月は何故か悲しげに応じる。一真はその反応に対して、妙な勘が働いた。


「まさか、また気にしてるんじゃないだろうな。俺を巻き込んだと」


 図星だったらしい。月の白い顔が茹でられたように真っ赤になる。


「あ……え……そんな、そんな事は」

「……無理するな」


 流石に哀れに感じた。気まずい雰囲気が一瞬流れる。ややって月は答えた。


「未来が言ってた。一真が戦いを止めてくれたらって。強い信念を持ってた」

「だけど、俺が戦いを止めたら、月の傍にはいられなくなる……」


 月は頭を振った。まだ話は終わっていないぞと言うように。

「だから私も信念を持つ。戦う事ではなく、一緒にいたいという願いだけで、一緒にいられるような世界を作る」

 まるで夢物語を語るように。触れただけで、崩れてしまいそうな程に儚いその笑みが、燭台に照らされている。


「具体案はまるで無いけどね」


 月が落とすその肩に、一真はそっと手を振れる。


「あいつだって、別に具体的な事を思い描いてるわけじゃないさ……だけど、信念、か」


 一緒にいたい。これは願望だ。ただ、感情のままに願う。その為の信念は持っているようで、持っていない。しかし。


「あぁ、駄目だ。考えたけど、どれも陳腐すぎる」

「え、何? 言ってよ、私だけに言わせてずるい!!」


 何がずるいのか分からないが、月は必死だ。だが、これは教えられない。恥かしさゆえにではなく、口で言うだけでは、何の意味も無い事だからだ。


「俺の信念は口で言うよりも行動で示してこそ意味があるんだよ」

「ヒャヒャヒャ、なんだよ、口にしてもいいだろうに」今まで黙っていた天が豪快に笑い飛ばす。

「言ってもいいが、興醒めだぞ?」

「聞けば呆れる……どうせ心の中で悦に浸っておるのだろ」と辛辣な言葉を浴びせたのは、月では無い。彼女が握る太刀、月影からのものだった。

「月影! 黙ってて!! う、うん……分かった、もう聞かない」


 口にして言ってしまった月は、どこか恥ずかしそうに答え、階段に視線を戻す。


「行こう」


 二人は階段を登る。長い長い階段だが、両側に立った燭台がとりあえず目の前だけは照らしてくれる。だが、奥はちっとも見えない。不思議な空間だった。尤も、ここでは不思議でない事の方が日常なのだが。

 ふと、一真は月に訊ねる。これから相対するであろう敵の事を。


「橘花ってのは強いのか」

「うん。霊気もだし、力の使い方も。ただ……」


 月が言い淀むのを見て、一真は彼女が言わんとしている事を探した。


「心が弱い?」


「違う。その逆。我が強い」


 成程ね、と一真は頷く。考えてみれば霊力とは精神の強さが関係してくる力だ。心が弱い筈が無い。そして、ふと一真は、未来の事を思った。


――あいつは、心が弱いわけじゃない。決して


 恐怖を振りほどいてでも、誰かを助けようとする人間の心が、弱い筈があるだろうか。


――多分、優しすぎるんだろうな。


 学校では、その剣道の類まれなき強さに、嫉妬する者、畏怖の念を持つ者もいる。かつては、一真も似たような事を思った。だが、今になって考えてみると、彼女がどれほど優しかった事か。

 友人が全く出来ずに戸惑う一真に、最初に近づいてきたのは未来だった。


――へえ、一つの真って書いて、一真なんだ。いいじゃん、正直者って感じで。


 部活に最初に誘ってくれたのも彼女だったか。


――剣道できるのに、なんで、入らないのさ! 勿体ないだろーが!


 先輩の愛沙や斉藤と組んでの、半ば強制的な入部だった。部活が廃部寸前だったという危機感もあったのかもしれない。だが、あえて一真を誘った理由。一真を物の怪との戦いから遠ざけようとする、その覚悟。その覚悟を安直な言葉で退ける事など出来ない。

 ひたすら、自分の事しか見ていなかった過去の姿が頭に浮かぶ。


――何が力だ。そんな自己満足の為に……


 顔をしかめる一真を心配そうな顔で月が覗き込む。


「一真、大丈夫?」

「大丈夫だ……未来に、未来の信念に全力で応える。それが、俺の信念だから」


 月はフッと笑って、顔を戻した。丁度、階段が終わる。廊下が前に広がり、そして左右に道が分かれている。一階同様、両側に広がる襖と部屋は見せかけに過ぎない、そう割り切り二人は走り抜ける――


「一真!!」


――月が叫びつつ、飛び退り蜻蛉返りを打ち、一真は横飛びに足を蹴る。邪気を纏った槍が、一真の頭のあった空間を貫き、鎌が宙を裂いて床に深々と刺さる。


 一真は着地した足を軸に振り返り、間髪入れずに腰を回し破敵之剣を振るう。槍を持った腕が飛ぶ。赤い血ではなく、腐敗した肉が舞い、地面に落ちると同時に消滅した。

 月は壁に足をつけ、ぐっと力を込める。蹴ると同時に、護身之太刀を突き出した。刃の先が、鎌を持った襲撃者の頭に吸い込まれていき、衝撃で体が後方へと吹き飛ぶ。

 頭を失った体は、壁に当たって弾きかえり、床に倒れる。

 乱れかける息を整え、襲撃者達の姿を改めて見、一真は絶句した。当然、物の怪であると思われたそれらは、人間のようだった。ただ、彼らの身体はあちらこちらが腐って崩壊しており、蠅が湧いている。皮肉にも、その腐食している姿こそが、彼らが元は生きていた人間である事の証となっている。


「こいつら……?」


 肚の底から酸味のある液体が込み上げ、一真は膝をついた。槍と右腕を失った襲撃者が、左腕を伸ばしてくる。一真は視線を逸らす事も出来ず、固まる。と、襲撃者の首の辺りを、銀色の光が駆け抜けた。襲撃者の首が不自然に横に傾き、膝の力が抜け、前のめりに倒れてくる。

 一真はどうにか横に転がり、襲撃者は激しく音を立てて崩れた。瞬間、砂で作った置物のように身体が瓦解する。髑髏の頭が転がり、一真の目の前で止まる。まるで見上げるような角度で、その口が言葉を紡いだ。


「さ……よ……なぜ……」

「沙夜……?」


 ここに来て思ってもみなかった言葉に、一真はそして、月は見えない鉄槌で頭を殴られたかのような衝撃を受ける。この屍は一体、何を知っているのか? 疑問に思った時には、髑髏は力尽いており、身体と同じように砂状に崩れ去る。


――今のは聞き違いか? いや、そんな筈はない。それに、ここでこの屍から沙夜の名前が漏れたのが、偶然とも思えない。


「月、今のは?」


「屍に霊力を与えて動かしてた。操り人形と同じ……一度死んだ人間が蘇ったわけじゃない。……ただ」と、月は言い淀む。普段のように口下手だから言葉が出ないのではない。彼女は恐れていた。

「生前に持っていた強い感情が具現化して、魂の無くなった身体に憑く事がある。今の屍も、もしかしたら……」


 その「もしかしたら」には様々な憶測が含まれている。


「海馬は、海馬は知っていたの? これは」


 月は、ここにはいない陰陽師に縋るように、訊ねるように呟く。


――かつて陰陽少女であった、そして物の怪と化した少女、沙夜


 彼女との戦いで月が受けた傷は物理的な物だけではない。滅する、滅されるという陰陽師と物の怪の単純な公式に当てはまる程、浅い因縁でもない。

 沈みに沈み、それでも底の見えない闇の具現者、陰陽少女が行き着く最悪の結末の姿。言い様はいくらでもある。一週間前の戦いで、一真は沙夜を生かしたまま、逃がした。


 殺さなかったのか殺せなかったのか。


 もしも、あの時。沙夜を殺していたら、それは結局の所、陰陽少女の持つ運命を容認し、屈服することに他ならないのではないか。


――そんな事を、あの一瞬で考えていたわけじゃないが


「どうする、月。ここで立ち止まるか?」


 月の手元で月影が輝き、問う。


「恐らくは、沙夜が生きていた頃の知り合いであろう。今の男は。別段不思議な事ではないぞ。なにせ、常社も沙夜と同じ時代に生きていた陰陽師だ」

「月影、お前……」

「しっ」


 一真が言いかけるのを、天が止めた。月影は気にも留めず、話し続ける。


「常社が蘇らせた否、蘇らせようとした魂の一つが、偶々沙夜の知り合いだったとは、考えにくい。いや、十中八九、沙夜と常社には縁があったと見ていい。だとすれば、月。お前はどうする。沙夜がどのような過去を送っていたのか、それを知る事になるかもしれない」


 月影の言葉には容赦というものが無い。しかし、月の表情からは、徐々に動揺の色が抜けていくのが分かった。


「お前は、物の怪と戦う時も、その事を考えないように考えないようにして戦った。俺はその事には何も言わないさ。が、今は違う。敢えて聞くぞ、月――お前はここで逃げるか? それとも立ち向かうのか?」


 ただ、彼女をただ滅する事等、一真には出来る筈が無かった。次にもしも、再び会えば、二人は戦うだろう。だが、その時一真はどう戦えばいい?

 それは、月にとっても同じ事だ。いや、むしろ彼女こそが、それを考えなくてはならない。

 答えを出さないまま、戦えば、たとえ勝利できたとしても、彼女自身の心を深い闇が蝕むことになる。恐らく死ぬまで。鏡合わせにしたような存在、もう一人の自分を相手に、彼女はどのような覚悟で臨むのだから。


「どうする、月。ここで立ち止まるか?」


 月の手元で月影が輝き、問う。


「恐らくは、沙夜が生きていた頃の知り合いであろう。今の男は。別段不思議な事ではないぞ。なにせ、常社も沙夜と同じ時代に生きていた陰陽師だ」

「月影、お前……」

「しっ」


 一真が言いかけるのを、天が止めた。月影は気にも留めず、話し続ける。


「常社が蘇らせた否、蘇らせようとした魂の一つが、偶々沙夜の知り合いだったとは、考えにくい。いや、十中八九、沙夜と常社には縁があったと見ていい。だとすれば、月。お前はどうする。沙夜がどのような過去を送っていたのか、それを知る事になるかもしれない」


 月影の言葉には容赦が無い。しかし、月の表情からは、徐々に動揺の色が抜けていくのが分かった。


「お前は、物の怪と戦う時も、その事を考えないように考えないようにして戦った。私はその事には何も言わないさ。が、今は違う。敢えて聞くぞ、月――お前はここで逃げるか? それとも立ち向かうのか?」


 月は己の中で覚悟を決めるように、ぎゅっと拳を握る。その手に一真はそっと自分の手を重ねた。我ながら気障な振りだと思いつつ。


「さっきも言った通りだ。俺はお前の信念に応える。俺が今出来るのはそれくらいしかない」


 自分でも驚くほどに、低く、安定した声だった。月がこれで落ち着いてくれればいいのだが、と心配するが、一方で月は予想通りの反応を返してきた。


「うん、ありがと」


 笑った。まるで、一真の陳腐な言葉が魔法の呪文だったかのように。逆に心が重くなる。自分の言った事が精神論でしかない、それがよく分かっていたからだ。それでも、月はたったそれだけのことで、支えになってしまう。


「月影。私、立ち向かう」

「フン……愛人の一言で考えが変わったかね」

「……!! ち、ちぎゃ……違う!!」


 舌をもつれさせる程の必死さで、月は否定したが、月影は毒舌を緩めない。


「色恋沙汰に、我を忘れるとは、陰陽少女の名前が泣――いててて! おぃ!」


 月がぎりぎりと護身之太刀の柄を握りつぶさんばかりの勢いで握っていた。


「うぅう……」

「落ち着け、阿呆」


 月影の言葉が鋭くなり、月は我に返る。その視線は廊下の先、壁に阻まれて見えない先、そして上の階だ。


「全く……、見境が無くなるその癖を無くせと」

「見境なくさせてるのは、月影。意地悪」


 拗ねたように口をとがらせる月と大人げない月影に一真は呆れる。


「お前らな……」


 ここは戦場だぞ、と本来なら腕も経験も上である月が忠告すべき事だ。


「多分、常社が動いた」


 月は、さっきとはうって変っての感情を消失させた顔で言った。美しく凛々しい、だが、どこか作り物めいた能面のような表情で。


「階段で、最上階に。そこに多分、未来達もいると思う」

「分かるのか?」一真が確認すると、月は頷いた。


「これだけ近ければ」


 機械的に答える。少し、一真が心配になったのを見てとった――どこに目があるかというのはさておき――のか、天が嗤った。


「月影に指摘された事を反省してるようだな、陰陽少女。だが、あんまり感情を押し殺すと、今度は愛人が心配すんぞぉ」


 途端、月の無表情は脆くも崩れ去る。破敵之剣を奪い去りかねない程の勢いで迫ってくるので、一真は大きく一歩下がった。


「おい、なぁ、ちょっと落ち着けって! お前も何言ってんだよ!!」


「いや、まぁ……なぁ、沙夜の事を聞いて、取り乱しているようだからなぁ。俺も月影も、場を和ませよーと……」


 天が罰が悪そうに言う。つまり、この剣と太刀の二振りは、月をからかう事でいつもの調子に戻そうとしているらしかった。もっと他のやり方があるだろうに。


 見ると月はしくしく泣き出していた。


「馬鹿が。逆効果だっての……」


 ふうっと、一真は溜息をつく。一刻も早く未来達を助け出さなければ、いけないというのに……いや、とふと一真はある事を思った。


「未来達は大丈夫なのか?」


「……あ、か、かずま……ごめん……なさい」


「いや、だから泣かなくてもいいよ」


 溢れ出る涙に、一真の口調が反射的に優しくなる。


「大丈夫……あいつは、まだ何の力も使ってない。今のところは」


「そうか、だったら妙な事される前に行くぞ」


 一真は既に走り出していた。月も半歩遅れて続き、一真のすぐ横についた。彼女の頬は恥ずかしさと涙で、雨に濡れた果実のように赤く彩られていた。


「その、ごめん……私」

「いいんだよ。俺だってもしも、博人叔父の事を敵が話したら、もっと動揺している」


 それこそ、月がさっき見せたような恐怖等比にならない程に、取り乱していたことだろう。


「でも、私達が馬鹿な事してたせいで、未来達が手遅れになったら……」

「おい」と同時に遺憾を示す二振りの太刀と剣を遮るように一真は断言する。


「それはないな」


 月は驚いて、一真を見た。断定しきったのは、別に月を慰める為ではない。勿論、それもあるが。彼には一つの確信があった。


――恐らく、全ては繋がっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ