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陰陽少女  作者: 瞬々
華胥之夢
86/234

†††

 境内の余りの広さに一真は、気が遠くなりそうになった。が、傍に彩弓がいるので弱音を吐いてもいられない。ひとまず巫女の手から護符と小太刀を取り上げて隠すと、一真は海馬や月達を探して歩き始めた。

 彩弓は既に気が付いていたが、頭がぼうっとしているのか焦点が合わないように、視線を宙に泳がせている。

「大丈夫か? 歩けないようならおぶるけど」

「うん、大丈夫。いつもの事だから」

 健気に笑ってみせる彩弓に、一真は内心顔を曇らせた。

 先程の能力、巫女が話した事、それらを考えると、その笑みが余計痛々しく見える。巫女が話した事を全て信じる気にはなれない。だが、このままでは彼女は、たとえ元の世界に戻れたとしても、孤独の中で生きていくしかない。

 いや、違う――彼女は孤独の中で生きてきたのだ。

「……どうしたの?」

「なんでもない」

 彩弓の透き通った瞳の追及から逃れるように、一真は視線を宙に向ける。

「だけど、本当にお前は驚かないし怖がらないんだな。さっきの巫女が術を使った時もだけど」

 とにかく彼女の注意を別の方へと向けようと、一真はそんな事を聞いた。

「うん、だって一度連れて来られたもん。それに怖いのは、いつも見てるもの。夢の中で」

 そう言えば、栃煌神社でもそんな事を言っていた。物の怪ならいつでも見えているとか。一真が初めて物の怪を見た時は、今の彩弓よりももっと、幼かった。その時の記憶は鮮明にではないが、強烈な印象として残っている。

 彼女は違うのだろうか。一真にはわからない。あれを日常として捉えられるその気持ちが。

「私、時々夢の中のほうが本当の事なんじゃないかって思うの」

 彩弓のその舌足らずな言葉に、一真は思わず眉を潜めた。しかし、彩弓は何かに憑かれたように、話し続ける。

「だって、そうでしょ? みんな、本当の気持ちを隠して、笑って誤魔化して。でも、私は全部おみとおし。隠してる気持ちも全部見えちゃう。それが皆、嫌みたい。自分の本当の気持ちを知ったとたん、皆離れてく」

 ぎゅっと彩弓が拳を握る。そうかと、一真はようやく彼女が何を言いたいのかが分かった。同時に、その気持ちに共感もした。

――そう、確かに人は自分の気持ちを隠す。

 一真自身も、自分の気持ちを隠した事ならば幾度もある。

 ひたすら隠して隠して、そして最後には爆発させてしまう。

――ここは、そんな人間の生の感情が具現化する場所。

 実に単純だ。人の負の感情が物の怪となって襲いかかってくるんだから。確かに、それは尤もだ。

 一真は歩くのを止め、腰を屈めて彩弓と視線を合わせた。

「彩弓。お前はどうなんだ?」

「え?」

 突然の質問に、我に返ったように彩弓は瞳を見開いた。

「お前の気持ちだよ。ずっとここにいて。それでお前は自分が幸せになれると思うか?」

「皆は……」

 言いかける彩弓を手で制する。

「お前自身の事を聞いている」

 俯いた彩弓に、一真は内心で動揺しつつも視線は逸らさなかった。表情一つ変えない。少しでも躊躇うような気持ちがあれば見透かされる。そう思い、踏みとどまった。

「わかんない。でも、不幸ではないと思う」

「あぁ、そうだな。確かに。不幸ではないかもしれないが幸せでもない。それが生きてると果たして言えるか?」

「わかんない」

 再び、彩弓は首を振った。

 同じ境遇で同じ質問をされて、この年の子の一体どれだけが答えられるだろうか。ちらっと一真はそんなことを思った。そして、すぐに打ち消した。答えられなければ、いけないのだ。そうでなければ元の世界に戻しても、同じことが繰り返されるだけだ。

「お兄ちゃんはなんで、そんなに彩弓に質問するの?」

「かつて俺も似たような境遇を経験したから……かな? お前が今抱えているものの方がずっとずっと……重……、難しいけどな」

 この娘にも伝わるように、一真は慎重に言葉を選ぶ。どんな環境にいたって、彼女が小さな女の子であることには変わらない。

「彩弓が悩んでいるのは、自分だけが持っている大きな問題だ。答えは学校の先生にもわからない。自分で答えを出すしかないんだ」

「彩弓、学校は殆ど行ったことない」

 しゅんとした調子で彩弓が言い、一真はそれまで保っていたポーカフェイスを崩してしまう。

「あ、あー、いや、ご、ごめん……」

 そんな様子を見て、彩弓は少しだけ元気を取り戻した。

「うん、いいよ。別に」

 一真の手元で天が笑う。

「ハハハ、恰好つかねえな。折角無理して学校の先生の真似事までしたというに」

「うっさいな……いやまぁ、いいこと言ったみたいな気持ちにはなったけどよ」

 小声でぶつぶつと返すと、彩弓にまた首を傾げられた。

「その剣さん、しゃべれるの?」

「俺にしか声は聞こえないけどな」大人が聞いたら頭がおかしいのではと疑われていたことだろう。つくづく、彩弓がまだ子どもでよかったと思う。

「おっと、お喋り中、悪いが一真よぅ、お客が来るぜ」

 一真の手元で天が呟いて輝き、懐剣から一本の剣へと姿を変えた。

「何か嫌なお客が来るってのは、分かる」


 一真はそう返し剣を構えた。

 気配で辿るまでもなく、大気が震え一真の体に伝わってくる。一真は、はじめそれが何の音であるか気が付かなかった。形容しがたい感覚だった。


 それは弦が震えるような微細な音の連続。


 その音が震わすのは空気というよりも世界その物。


 そして人間自身の心をも震え上がらせる。


「――っつ」


 胸に痛みが走り、一真は、思わず膝をついた。体の芯に向かって、小さく細やかな痛みが波紋のように広がっていく。


「お兄ちゃん!」


 彩弓が肩を揺さぶる。まるで水の中にでも入ったかのように、その声は聞きとり辛い。


――彼女は平気なのか。


一真は何故か、その事に驚かなかった。痛みのせいかもしれない。もしくは、ようやく目の前の敵を視認する事が出来たからか。


「フフフ、やはり霞よりも私の方が相性が良かったですわね。ま、霞じゃあの方の相手にもならなかったでしょうけど」


 ぼやける視界の中、一真は向こうから、ゆっくりと歩いてくる巫女の姿を捉えた。その手には矢の無い弓が握られている。黒い髪と白い肌。月と似た姿なのに、これ程にまで印象が違うのかと、一真はどうでもいいような事を考えた。


 弦が引かれ、ふっと放される。途端、一真の心が揺らされる


「さぁ、あなたの闇を目覚めさせなさい。そして物の怪と成れ。そうすれば、私は躊躇いも無く、貴方を滅する事が出来る」

 一週間ぶりに感じる、底の無い沼に引きずり込まれるような感覚。躯の芯から発火するかのように、熱い物が噴き出てくる。


「ぎ……が……」

「ほら、早くなさい。抵抗したところで苦しいだけよ……?」


 その甘美な囁きすら、今の一真には聞こえていなかった。何かが躯の中を喰い荒し、這いずり回るような感覚。自分の中の本性が、表に現れるかのような。顔を上げると周りの景色はすっかり闇に呑まれていた。彩弓の姿もどこにもない。

――…………ま


 闇の中で誰かの声がした。


 ふっと闇の中から浮かび上がるようにして、現れたのは一人の童女。まだ、五才になるかならないか程の。


 黒く流された髪、真っ白で、ほんのりと赤みのある肌。


――月に似ている


 一真はそんな事を思った。


――かずま


 童女が呼びかける。一真はその手を握った。瞬間、その童女の姿は彩弓へと姿を変える。


――お兄ちゃん


 頭のすぐ横で輪になるように結ばれた髪が、鈴のように揺れる。


――あなたが、月お姉ちゃんと一緒にいるのは、どうして?


 その一言で、一真は意識を取り戻した。


「あ、あら?」


 巫女が間抜けな声を上げ、弓を鳴らした。再び、弦の音が頭に響く。痛みが心に響く。しかし、今度はどうにか意識を留め続ける事が出来た。


――怒りと誓い


――嫉妬と覚悟


――憎悪と愛情


 二つの相反する感情がせめぎ合い、頭が今にも破裂してしまいそうな程の痛みを発っしている。


 それでも、一真は立ち上がる。


――怒りではなく、立てた誓いを原動力に


――嫉妬ではなく、覚悟を胸に


――憎悪ではなく、愛情を


「ハハ、俺の目に狂いは無かったようだなぁ。それでこそ力を与えた甲斐があったというもんだぁあ!」


 一真の手元で破敵之剣が黄金色の輝きを発する。


「意外としぶといのですね」


 悪態を吐きつつ、背の高い巫女は弓を起こす。今まで空だったその手には赤い光矢。放たれる瞬間を捉えようと、一真は神経を集中する。が、ふと視線の横を彩弓が横切った。


「橘花……お姉ちゃん」


 彩弓はそっと呟くように巫女の名前を呼んだ。

「あら、自分から来る気になりましたか?」


 橘花は、作り物の花のような笑みを浮かべ、矢先を彩弓に向ける。一瞬の事で、一真は反応が遅れた。


「私がついて行けば、皆は助けてくれるの?」


「よしとけ、彩弓」


 一真は止めようとしたが、弦が一段と震え下がるより他に無かった。


「えぇ。えぇ。勿論。貴女がくれば、他の方と戦う理由は無くなりますもの。それに、何も私達は貴女に危害を加えるつもりはございません。ただ、貴女とその力に永い眠りについて貰いたい。それだけなのです」


「眠るの? それどのくらい?」


 永い眠り。それが何を意味するのか、碌でもない事である事は、確かだろう。一真にでも理解できる程に、見え透いた嘘。そして、彩弓も分かっている筈だ。だが、彼女は一向に微動だにしない。先程、巫女に見せた“もう一つの顔”――と一真は呼ぶことにした――も、今は影もない。


「ちょっとの間ですよ」


「ちょっとってどの位?」


 二人の間を沈黙の冷たい空気が流れた。紅く燃える矢を前に、その焔に焼かれる事を恐れもせず、彩弓は橘花から目を離さなかった。童女とは思えぬ程の眼力で。

 しかし、先程と違って一真は寒気を感じなかった。この彩弓には意志が宿っている。威風堂々とした気魄すら感じられる。


「悪意を呼び起こすあの術は使わないのですね。それとも、霞を倒す時に使ってしまいましたか?」


 対して、橘花は依然として涼しい顔で、訊ねた。だが、明らかに態度が変わっていた。


「霞のお姉ちゃんは何を言っても、聞かなかった。すごく、頑固」


「フフフ、私達みたいな者は、皆そうよ。頑固だからこそ戦えるの」


 橘花は、彩弓の率直な感想に、思わずというように笑う。漆黒を背景にして、焔が微かに揺れた。彩弓はすっと呼吸を整えるように息を吸い、吐き出すと同時に告げた。


「でも、橘花お姉ちゃんは頑固なだけじゃない」


 橘花は笑うのを止めた。


「中原常社さん。あの人の事を好きになっちゃった。そうなんでしょ?」


――へ……?


 一真は思わずぽかんと口を開ける。呆れからか、驚きからか、自分でも分からない。

 ただ、この目の前の巫女が千年も前に封印された陰陽師を好きになってしまったらしいという事を、頭の中で理解するのに精一杯だった。


「馬鹿な、何を……」


 明らかに動揺して橘花は手に弓を握っている事すら、忘れたように抗議する。


「霞のお姉ちゃんは自分を偉くみせたくて、八鹿のお姉ちゃんは周りに流されて、常社さんの味方になった。だけど、本当にあの人の事を好きだって思って味方してるのは橘花のお姉ちゃんだけ」


 饒舌に彩弓は暴露してみせる。栃煌神社で話していた時のたどたどしさが嘘のようだ。


「あの方の事情を知り、その境遇に同情したのは確か。えぇ、確かです。二人を説得して、あの方の側につかせたのも私ですし、えぇ、えぇ、分かってますとも」


 視線を地面に落とし、橘花は自分に言い聞かせるように呟く。まるで生の感情が吹き出すように。


「分かってますとも。たとえ、どれだけお慕い申し上げても、私なんかじゃ適わない相手だって事も」


 その言葉の意味を考えている暇は無かった。橘花は、カッと細い目を見開いて、弓を引き起こし、焔矢を解き放った。赤い光跡を残しながら、矢は彩弓の顔のすぐ横、編まれた髪のすぐ横を突き抜け、破敵之剣に当たり、弾ける。だが、橘花はその程度では諦めない。抜く手も見せず、二の矢、三の矢を続けざまに一真目掛けて放つ。二の矢も三の矢も難なく防いだ……瞬間、矢が爆発した。


「おわ!?」


 衝撃で一真は後ずさり、彩弓は地面に尻餅をついて倒れた。


――不味い。そう思った時には既に橘花は動いていた。勝ち誇った笑みを浮かべて。

「あぁ、それでも私はあの方の為……あの方が可哀想だから」

 橘花は弓を捨て、彩弓の身体を肩に抱える。同時に、袖から何かを取り出した。それは護符なのだが、一真には分からなかった。無理も無い。それは墨で塗りたくられたようにどす黒かったからだ。


「……これで、遊んでなさいな」


 墨が宙に舞い、零れ、散る。それは橘花がこの神社で封印した物の怪達。喫茶店前で戦った時と同じ、人間の形をした黒い影が何かを求めるように、手を突き出し、一真に訴えかけてくる。


「橘花!!」


 一真は叫んだが、巫女は既に黒い影の向こうに消えていた。


 一真は毒づきつつ、立ち上がる。あの黒い影が列を成して、迫ってくる。あの符の中に、これだけの物の怪が封じられていたのかと思ったが、そうではなかった。


「面倒な事しやがるぜ。この空間にいる物の怪共まで起こしやがった。ふざけやがって」


 天の悪態に、一真は周囲に気を配った。先程までは微弱にしか感じられなかった周囲の邪気が、今は確かな存在として感じ取れる。


――うめき声、叫び声、悲鳴、怒声


 闇の中で、物の怪達の産声が一斉に上がる。敷き詰められた玉砂利が震え、灯篭に突然、真っ黒な炎が灯る。


「侵入したのは、俺達だけじゃない。他の皆と合流させないつもりだろ」


「お、中々察しがいいな。それと」


 と、天が言葉を切った。一真はこんな時だというのに、怪訝に剣に視線を落とした。


「“俺達”と言ってくれたな」


「え? あぁ。そんなに驚くことか? 俺とお前と彩弓。三人だ」


 この剣はそれ以上は何も言わなかった。が、もしも人間と同じように表情を浮かべられるとしたら、この剣はきっと笑っているのではないか。そんな考えが頭をよぎった。

 前方から黒い影の物の怪がすっと接近し、腕を突き出してくる。それを一真は、斬り上げ一刀で浄化する。


「こんな所で足止めを喰らってる場合じゃない」


 一真の言葉に、天も同意した。


「おうともよ。だが、これだけ物の怪がいれば、陰陽少女達の方も襲われている筈だ」


「大丈夫だと思うか?」


「そういう事じゃねぇよ。鈍いな」


 苦笑交じりの言葉に、一真はむっとなる。天は構わず答えた。


「これだけの物の怪に襲われれば、デカい力を使わずにはいられない筈だ。お前にも探知に出来る程にな……」



†††

 海馬をはじめとする陰陽師一行が、常社神社にて、戦い始めたのと、ほぼ同時刻。火龍と服部剣の二人は、闇医者トンベから彩弓についての身の上話について聞いていた。


「そもそもの話からして、悲劇しかないんだがな」とトンベは気が滅入るような前置きをつけて、話し始める。


「あの娘の母は元々、この近所の小さな神社の女神主だったんだが、経営不振で神社が潰れてな。借金で首が回らなくなってな。あろうことか、ここらを取り仕切る暴力団の男と結婚しちまったんだ」


 服部はうへぇと顔を歪めたが、火龍は眉一つ動かさなかった。


「ところが、その暴力団の方もな。潰れちまったんだ。原因は内部抗争。彩弓の親父さんは、その抗争の最中に“食中毒”で亡くなってる。ま、本当の死因が何なのかは分からんがな。古くからある由緒正しき水銀による毒殺じゃねーかっと俺は思っているが」


「親父の死因なんざ興味はねぇ」


 火龍は冷徹に言い放ち、トンベは肩を竦めた。火の点いていない煙草を口にくわえ、話し続ける。


「彩弓の母親は、精神的に相当ボロボロだったんだろうな。娘を産んでしばらくしてから、亡くなった。彩弓は生まれてから一年位はここで、俺が面倒見てたんだが、しばらくして保護者を名乗る奴が来てな。どうも親父さんと同じ暴力団のメンバーだった。あまりに熱心に頼み込むもんだからな。そいつに預けた……どうも、それがいけなかったんだろうな。彩弓は、最初はその男、次に母方の親戚の方と様々な所を、盥回しにされながらの生活を送るようになったんだ。俺が知ってるのはこんだけだ」


 ふうっと煙の無い溜息をトンベは吐いた。


「母方の姓は?」


「あん? たしか、鈴木だったかなぁ。結婚する前は中村だった筈だ」


 トンベの答えに火龍は、腕を組んだまま黙り込む。細めた瞳が爛々と輝いているのを見て、トンベと服部は気味悪がった。

 静寂の中で、壁に掛かった時計の針の音だけが、妙に大きく聞こえる。それから、何の脈絡も無く火龍は訊ねた……というよりも命じた。


「なぁ、中原常社について、調べろ」


「常社? あの魂呼の陰陽師の事か?」


「流石、ご存知のようで。“そいつ”のデータもきちんと持っているんだろ?」


「データ?」


 トンベの事をよくは知らない服部が、素っ頓狂な声で聞いた。火龍はちらっと服部を見、説明する。


「過去に偉業を残した陰陽師やら、神職関係、僧侶、山伏、その他諸々の人間のデータをこいつは持っている。現陰陽寮にとってのデータバンクみたいなもんだ、こいつは」


「もっとマシな言い方が出来んのかね……まぁ、いい。で、何を調べるつもりだ」


「勿論、洗いざらい全部だとも」


 底意地の悪い笑みを浮かべて火龍は答えた。


†††

――ワタシハ


――オレハ


――ココ二イル


 影がその手を伸ばしたその瞬間、護身之太刀・黒陰月影が煌めき、周囲一帯諸共浄化する。


――ハヤク


――イマスグ


――アイアイ


 動けないでいる未来に、二、三体の影があっという間に群がり、引きずり込もうとするが、間一髪の所で月が浄化する。


――ナンダ、コノカラダ


――カラダガナイ


――カラダホシイ


「い、いや……」


 未来は我慢できずに、そう呟いた。言葉にすると、恐怖がより一層、増すような気がする。何の前触れも無く、湧いて出てきた影はあっという間に、月と未来達を取り囲んでいた。

 遠くから見るとぼんやりとして、見えないが、それは人の顔の形をしているようだった。遠くから聞くと、ただのうめき声にしか聞こえないその声も、近くで聞くと、はっきりと聞こえる。

 人間の声だ。感情のこもった、しかし何かが決定的に欠けているその声に、未来は動けなかった。恐怖もあるが、それ以上に、彼らの助けを求める言葉に不可思議な魅力を感じていた。


「会いたい、の?」


――アイタイ、カレニアイタイ


 すぐ傍にいた影が答えるように言う。その顔が一週間前に出会ったある、物の怪の少女と重なる。かつては人であったであろうその姿に、吸い込まれるように未来は手を伸ばした。


「会いたい……の?」


――ソウ、ダ


 その虚ろな姿に手が届く直前、一条の赤い光が影を突き飛ばした。

 未来は、思わずハッと息を呑み、我に返った。目の前には彼女を庇うようにして、日向が立ち、その更に前方では、影が頭を貫かれて倒れている。言葉が継げずに、口を開閉させている未来の後ろから、月がそっと言った。


「ここにいるのは、既に体のない死霊達。魂呼の呪いで黄泉の国から呼び出された、魂達」


 新たに襲いかかってきた二つの影の手を、月はしゃがんで躱し、同時に振るった太刀で、難なく切り裂く。


「相手にすると、きりが無い」


「そういうことー。って、大丈夫?」


 月と日向の二人に言われて、未来はどうにか頷いた。同時にやるせない気持ちになる。


「つまり、ここにいる影は皆、元は人間なの?」


「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。ここにいるのは、あくまでも死霊の断片的な感情でしかない。理性や大部分の記憶が抜け落ちてるから、会話は出来ない」


 月の言葉に、未来は顔を青ざめさせた。幽霊であった方が、まだマシな位だというように。月は、未来のそんな姿を痛ましく感じていたが、日向に肩を叩かれ、戦いに集中を戻した。


「きりが無いね、この数じゃ。太刀の調子は?」


 日向に尋ねられ、月は頷いた。月影にも問うと、「問題ない。これだけの量であれば……!!」という頼もしい言葉が返ってきた。


「万物の霊気よ、我が命に従え! 我はこれ、世の理を乱す物の怪を討つ者なり、執持したるこの太刀は凡上の太刀に非ず! 百の邪を浄し、百の魔を滅し、百の病を癒せん!」


 巨大な太刀で九字を切る。とたん、刃の外縁部の輝きが一層増していき、長大な光刃と化す。


「浄化!!」


 体を軸にして一回転。月の動きに合わせるようにして、刃の光が扇を広げたように半円を描いた。その刃の光の範囲に居たものは、触れた部分から一瞬にして消し飛び、空に向かって立ち昇る煙のように吹き飛んで行く。

 月が振り終えたその時には、彼女らがいた部分だけ円状に影の集団が浄化されていた。影の集団の包囲網に穴が開く。そこに向かって月が駆けようとしたその時、未来が全く別の方向へと走りだしていた、


「未来?!」


 一瞬、彼女が正気を失ったのかと月は思ったが、違った。未来が走るその先には、三つ編みを輪っかに結んだ少女が、巫女に運ばれている姿があった。


 恐らくあれは……。


「――橘花」


 月影がつぶやき、月は頷いた。未来が走り出した理由は分かったが、あの巫女に敵う筈がない。駆けだそうとした月の眼前で、紙のようなものが舞った。前に出ようとする体をどうにか留め、月は地面を蹴って後ろへと大きく跳んだ。血肉が弾けるような生々しい音と共に、彼女の目の前に現れたのは巨大な蜘蛛……女の顔を宿した蜘蛛だった。


絡新婦じょろうぐも?」


 美しい女の姿に化けることが出来る蜘蛛の妖怪……として、日本各地では伝わっているが、陰陽師達の間では、人間の女性が抱いた強い嫉妬が邪気となり、蜘蛛に憑いた結果物の怪と化したとされている。

 襲うのは大体、男であるとされているが――。


「ニクイ」


「黙って通してくれそうにないね」月は、はぁっと溜息をついた。早々に片をつけたい。彼女を見ていると、どうしてもあの女の事を思い出してしまう。


 未来に警告した事は、自分自身にとっても同じ事だ。


「日向!!」


 月は自らの式神に呼びかける。


「おうよ!」

 言葉の割に可愛らしい口調で応じ、日向は自らの手を合わせた。紅い髪が逆立ち、式神の得意げな顔を照らしながら、焔が手の中で生まれた。両手を広げると、焔は一枚の帯のように広がり、日向の手の中で揺らめいた。

 その優美さには目もくれず、月は跳んだ。絡新婦の真上に向かって。絡新婦は鎌首をもたげ、その美しい口から毒々しい紫色の霧を吐き出した。

 霧は一瞬にして、月の体を包み込み、その体を侵しつくす……かに見えたが、太刀が銀色に閃き、毒霧を引き裂いた。雲の中を貫く雷霆のように、銀色の光に包まれた月と彼女が持つ太刀の切っ先が絡新婦へと落ちる。

 護身之太刀月影の切っ先が、蜘蛛の巨大な腹に吸い込まれ、やや遅れてから銀色の光に満たされ始めた。絡新婦は女の顔を引き攣らせながら暴れ、月を振り落とそうとするが、月は容赦せず、更に強い力を送り込む。


「日向、今!」


 月は叫び、太刀を突き刺したまま、跳んだ。十分に距離を取り、華麗に着地すると同時。日向が焔の帯でもって絡新婦の体を縛り上げていた。


 蜘蛛の体が焔と稲妻の光に彩られていき、そして――吹き飛んだ。


 凄まじい爆風と炎に叩き付けられ、月は思わず袖で顔を覆った。しかし、瞳だけは薄らと開け、その様子を確認した。蜘蛛がきちんと仕留められたかどうか、そして、毒霧がきちんと浄化できたかどうかを。

 爆風が収まり、視界が確保出来ると、月は一応日向に訊ねた。


「日向、どう?」


「うん。毒は浄化出来てると思うよ。ったく、誰だか知らないけど、厄介なのものを出すよねぇ。嫌でも手間取るよ」


 或いは、それが目的だったのではないかと、月は思う。橘花、彼女に連れ去られた彩弓。彼女らを追おうとした、月達を足止めする為に。


「月影、だいじょうぶ?」


 月は、もはや原型を留められず、溶け出している蜘蛛に近づいていき、訊いた。


「いつもの事だが、無茶し過ぎだ」


 口を利けるという事はぴんぴんしているのだろう。実際、月影は元は蜘蛛の腹があったところの地面に、懐剣の姿で突き刺さっていた。


「ごめ……熱!!」


 掴んで引き上げようとして、月はパッと手を放した。焔の熱がまだ冷めないのか、柄の部分が日に焼かれたアスファルトのように熱かった。


「おっと、言い忘れてたな。ごめんごめん」


「いつもの事だけど、月影が意地悪……」


 月は顔を赤らめながら、改めて月影を拾い上げた。


 柄はまだ熱いが、掌に霊気を溜める事で抑える。地面から引き抜いた瞬間、銀白の光に彩られ護身之太刀へと変化する。こびり付いた血を振り払った時、月は新たな気配を感じ、視線をそちらに向ける。


「あれは――」


 そして、満面の笑みを浮かべる。向かってきたのは、一真だった。その後ろから海馬も。


「ほらな」


 天の声も聞こえる。一真は月の姿を見ると安堵したように肩を落とした。


「無事だったか、月――」


「きゃー! 一真ぁ!! 月、怖かったぁ――うげ」


 答えたのは月ではなく、日向。首を主に片手で絞められ、蛙みたいな声を漏らした。締めてる本人は、笑顔で


「うん、大丈夫」


 そう答えると、一真はやや引き攣った笑みで答えた。月が無事である事を確認すると、一真は苦々しそうに告げた。


「彩弓が連れ去られた」


「笹井さんもや」とこれは、海馬が。月と一真は驚いて海馬の顔を見上げる。視線を受けて海馬は面目ないというように、頭を掻く。


「己の甘さを排除出来なかった。捕える為の手加減……が、いつの間にやら傷つけない為の手心に変わっていたんやな」


 月は海馬のそういう所が好きだった。冷酷に成り切ろうとして、それでも優しい海馬が。だが、ここでそれを言うのは控えた。海馬もまた、それを言われまいと話を続ける。


「奴の気配はこちらに向かった。先程の光は、月。お前のやろ? 橘花の奴と戦ったのか?」


「違う。でも、彼女は見えた。彩弓を抱えてた。あの中に入っていった。それを追って未来も……」


 一真はハッとして、月に迫る。


「あいつが……?!」


 自分の時と違って、必死の形相になる一真を見て、一瞬月は嫉妬にも似た感情を抱いた。だが、頭では分かる。彼女は霊力……戦う力が無い。それだけではない。彼女は物の怪を恐れているのだ。


――恐怖、それが普通の人間の反応だ。そして、恐怖の中に突き落とされた者を心配するのも普通の……。


「ごめん……私がいながら」


「あ、あれは仕方ないよ! だって、周り物の怪だらけだったもの!!」


 日向が両腕をぐるぐる回しながら、擁護する。一真は「悪い」と、月から離れる。何故、謝るのか、月には分からなかった。悪いのは自分。だけではない。心配されている彼女に嫉妬までした。


「彼女自身が決心した事だ。多分、誰にも止められない」


 その言葉に、月は彼女が神社で言っていた事を思い出す。未来は、一真を戦いから引き戻すと言っていた。その為にここまでついてきた。自分の危険も顧みずに……しかし、自分は真逆だ。

 一真と一緒にいるという決心は、逆を言えば彼を戦いに巻き込むという事……


「多分捕まるだろうが、彩弓も一人で捕まるよりは心強い。そう考えるしかないさ。笹井さんも一緒だろうし、大丈夫だ」


 一真の言葉に、月はぎこちなく頷いた。今は考えても仕方がない。


「三人とも私達で助ける」


 月は決心を込めてそう言った。それこそ、誰にも曲げられない程に強い。


「おう、頑張ってや」


 海馬がまるで他人事のように言う。その軽さに一真が咎めるような視線を向け……その背の後ろに並ぶ物の怪を見て、目を見開く。

 先程とはまた違う物の怪が道を埋め尽くしていた。それだけではない。本殿を囲うようにして建てられたあちらこちらの塔や蔵の壁や屋根を突き破り、そこに封印されていた物の怪が、飛び出して来る。


「あの莫迦双子が。封印を片っ端から解き始めたな」


 霞と八鹿の二人か。月は太刀を構え彼らに向き直る。が、海馬の隆々とした腕がそれを制した。その意図を察して、月は太刀を下げる。海馬は彼ら全てを相手にしようと言うのだ。


「ここで、こいつら相手にするより、中で常社や橘花の相手をする方が楽やで」


「常社は侮れないんじゃないのか」


 一真が聞くと、海馬は意味ありげに首を傾げた。


「どうやろうねぇ……だったら、橘花達に任せきりにもしないような気がするが」


 呟いた瞬間、蛇の物の怪が、飛び掛かってきた。海馬の拳が雄叫びを放ちながら繰り出され、その頭を粉砕する。いつの間にか腕は白虎を模した籠手に覆われていた。


「とにかく行きな。ここは守り手白虎に任せておき。一匹も通さん」


 海馬の言葉を聞いて、月は一真の手を引っ張った。一真は一瞬迷った後、「頼む」と一言。海馬に背中を向け、月に従って本殿への階段を上る。


「頑張れよ……真実を見てこい」


 海馬が呟いたその言葉は、物の怪の悲鳴にかき消された。

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