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陰陽少女  作者: 瞬々
華胥之夢
84/234

†††

 一真と彩弓が、目の前で巫女に連れ去られた後、月と未来の二人もまた、他の仲間達から引き離された別の空間へと転移していた。

 星の光も月の明かりもないそこが、陰の界であることはすぐに分かった。だが。

「なんて広い場所なの……?」

 未来が思わず声をあげた。正直な所、月も同じ思いだった。目の前に立つのは摩天楼と表現してもいいくらいに巨大な神社の本殿だ。何層も重ねられた屋根、その周りを囲うように立つ建物も、栃煌神社の本殿並みの大きさだ。京都に長らく住んでいた月だが、あそこでもこれほどの大きさの神社はそうそうない。

「海馬や笹井さんとも離れ離れになっちゃったみたいだね」

 月は静かに呟き、辺りを見回した。そこらじゅうに物の怪の気配があった。あの喫茶店の前に現れた物と同じ。

 彼らは何故、彩弓を狙うのだろうか? 知りようがない。海馬は、物の怪と化した常社を滅する事を第一と考えている。その他の真実は、彼にとってはさほど重要ではないのだ。

――それに、さっきの声。どこかで聞いた事があるような。

 だが、一つ。これだけは分かる。海馬が彩弓を連れてきたのは、結界を解く為だ。物の怪が彩弓を狙っている事を知っていたから。彼女を連れてくれば、簡単に中へと入れてくれる事を知っていたのだ。その目論み自体は成功したと言えるのだろうが……。

「彩弓ちゃんが心配だわ。あの馬鹿と一緒にいるなら、大丈夫だろうけど……それに、さっきのあの声って物の怪?」

 未来がまるで、自分の失態であったかのように、唇を歪める。月は、どうにか明るい調子を保とうとした。

「一瞬だったから、ちょっとわからない。だけど大丈夫。二人ともすぐ見つかる」

 未来は頷いた。が、ここの広さに少しばかり気圧されている。どこから探せばいいのかと、首を左右に振っていた。月にもどこから探せばいいのか、わからなかったが物の怪の気配がする方にはいない。

 物の怪達はどれも未熟で弱いが、数が多い。未来を守りながらでも、戦う事は出来るが、時間が掛かる。月は左を指差して言った。

「こっち」

「本当に? 適当に答えているんじゃないでしょうね?」

 未来が怪訝そうに訊ねてくる。心外だ。どこか頼りない雰囲気があるのは自分でも自覚しているけども。

「こっちで合っているって保障はないけど、間違いではない筈」

 曖昧に答え、そのまま自分の指差した方へと歩き出す。彼女以外に頼る者のいない未来はその後に続いた。歩きながら、未来はじっと月の横顔を見つめていた。

「何?」

 月が訊ねると、未来は慌てて、視線を逸らした。

「いやね、さっき海馬さんが言っていた事が気になって。守る側が三人って言っていたよね。でも、よくよく考えたら、三人の他に日向だっているのに、どうして海馬さんは省いたんだろうなーと」

 その日向は今、護符の形に戻っている。声も聞こえている筈だし、また勝手に出てくるだろうなと月は思ったが、驚いたことに彼女は出てこない。

「うん、それはね。別に海馬は日向を省いたわけじゃないんだよ」

 だから、月は日向の代わりに答えておいた。だが、これ以上の説明はしない。日向がするべきだ。もしくは、戦いで示してみせるか。未来は、しばらくこの答えについて考えていたようだが、唐突に掌を拳で打った。

「あ、もしかして、省かれたのは一真の方?!」

「違う! そういう事じゃない……」

 一真が傍にいなくて良かったと思いながら、月は彼の為に否定した。すると、未来は何やら神妙な顔つきで、月の顔を覗きこんだ。

「そういえば、ちゃんと聞いてなかったなー。月と一真の関係」

「はい?」

 月は思わず、素っ頓狂な声を上げた。なんで、そんな話題になるのかが分からない。ここは敵地であって、集中力を他に割いてはいけないというのに。

「いやさ、一真はきちんとは話してくれないからさ。幼馴染で、金色の折鶴をラブレター代わりに貰ってずっと大事に持ち続けたって事以外は」

 十分過ぎる。それに、月にとっては、一真がそんなに長い事あの折鶴を持っていてくれた事が驚きだった。勿論、喜びもあったが。

「未来、ここはもう敵地で、物の怪がうようよなんだよ、うようよ」

「何故、擬態語を二回繰り返した」

 未来のツッコミを無視しつつ、月は続ける。

「怖くないの?」

「怖いから、こうやって別の話題を振っているの」

 なるほど……と月は思わず納得しかけて、首を振った。

――別の話題を振ってくれれば、いいものを。どうして、誰も彼もがこんなに食いついてくるんだろう。

 恨めしくそんな事を思ったが、未来は放してくれそうにない。虚脱を感じながら、月は何を聞きたいの? と尋ねた。

「うーん、その馴れ初めをさ」

「な、なれそめ? べ、別に私達は恋愛しているわけじゃないし……」

「はいはい、いいから、話す」

 未来の追及は容赦がない。月は神社の周りに立つ建物に目をやった。すぐ傍に桃の木が立っているのが見えた。

 人に話すような事ではない。あの出来事が無ければ、一真と出会う事も無かった。その出会いは嬉しさと痛み、悲しみと癒しの入り混じった、一言で表し難い出来事。

「一真と初めて会った時の私は、寂しさを感じてた。神社の外には殆ど出れなかったし、物の怪と初めて戦った後だったから……それで心が大分沈んでいた、かな」

 その物の怪と死ぬまで戦い続ける運命にあるのだと、父から告げられた後だったから、猶更だ。月は元々感性が鋭かったから、父と母や周りの大人がいつまでも守ってくれるわけではないこと、いつかは目の前からいなくなることも分かっていた。

 父も母もいなくなったら、自分は一人で自分の運命を受け入れなくてはいけない。自分を気遣ってくれる人など、此の世にはいないのだと思うと、とても寂しかった。


――そう、だけども。

 月は薄らと微笑み、今でもはっきりと覚えている事を口にした。


「そんな時に一真は『一緒に遊ぼう』って言ってくれた。その一言がとても、心に沁みたのかな、今でも覚えてる」


「そう、それはとても良い思い出ですわね」


 答えたのは未来では無かった。月はさっと振り向いて神社の二階の屋根の上に立つ人影を仰いだ。


 そこにいたのは一人の巫女だった。月とは対照的に肩にかかる程しかない短い髪だが、左右の揉み上げだけが、他の髪と比べて長い。肌は人形のような白さ。切れ長の瞳と尖った顎が特徴的だ。表情はとても穏やかで、一見すると温かさを感じさせるものであった。

 髪に挿されている桃の花の簪が、うっすらと闇の中でも輝いている。

「お久しぶりですわね、月様、いえ陰陽少女と呼んだ方がいいですかね」


「八鹿」


 月はその少女の名前を良く知っていた。京都ではよく一緒だった少女で、共に戦った事も何度かある。結界を張る術に長けており、海馬が話した時からもしや、と思っていたのだが。

――やはり、八鹿も、ここに派遣されたんだ。

 しかし、だとすれば妙だ。派遣された巫女達は、ここに足を踏み入れてから連絡が付かなくなっていた筈だ。それがこうして無事でいる事は、安堵よりもむしろ不信感がある。目の前にいるのは、八鹿の皮を被った物の怪ではなかろうかと、そんな事まで考えてしまう。

「八鹿、ここで何をしているの?」

「あら、知っているから来たのだと思ってましたわ」

 くすくすと笑ってはぐらかされてしまう。京都でもよく、こんな風にからかわれた。思いだして月は、苛立つ。

「そいつは、誰なの? 月」

 未来が痺れを切らして聞いた。八鹿はまたしても、口元を抑えて笑った。

「私は一条八鹿。一条家結界師双子の片割れ」

「双子?」未来が鸚鵡返しに聞くと、八鹿は馬鹿にしたように目を細めた。

「えぇ。聞こえませんでしたか? これだから下賤な者は物覚えが悪くて困りまする」

「未来、こいつに怒ってもしょうがないよ」

 どうにか宥める一方で、月は疑念の目を八鹿に向ける。

「八鹿、ここで何をしているの? 霞は? それに橘花は?」

「お姉さま方は、忙しいの。私はね」

 と八鹿は両手を指揮を振るように持ち上げた。瞳が妖しく光り、冷たい怖気が辺りを包んだ。月は未来を横に突き飛ばし、自身も屈んだ。つい先程まで自分の首があった位置を中心に、八方から槍が突き抜ける。

「あなたのお相手を務めるよう仰せつかっていますの」

 八鹿の声には答えず、月は自分達を囲う“人形達”を睨んだ。そこにいるのは、能面のような顔をした和服姿の蝋人形だ。先程、首を狙ってきたのは八体。それ以外に斧を持った人形が四。何れもが空中に宙から、銀色の紐で吊るされていた。

 頭上にある槍の柄を、月は無造作に掴み、引っ張った。人形とは思えない程の豪力だが、月は腕に霊力を込めて、反対側にいた人形に向かって投げつける。ぶつかり合い、崩れ落ちる二体の人形に向かって、月は護符を投擲する。

「伸び、生い茂、喰らえ」

 背中に当たると同時に護符の文字が輝き、蔓が吹き出し二体の人形をみるみるうちに、包み覆い隠していった。月はその結果を尻目に、新たに右の袖から護身之太刀黒陰月影、左の袖から一枚の折り紙を取り出していた。

「木剋土というわけですか。流石ですわ。並の術師の木気程度なら、木虚土侮で反剋する所ですのに……」

 五行にはそれぞれ、様々な関係がある。今、月が人形に対して行ったのは、相剋という関係を利用した攻撃だ。木気は土気を喰らい、打ち消す力を持つ。だが、もしも土気の方が強ければ、逆に木気は喰らわれる。八鹿が言う木虚土侮とは、その事だ。

「さっきの声は霞だったんだね。霞が、一真と彩弓を攫った犯人」

「お姉さまが攫いたかったのは、彩弓さんだけでしたの。ですが、大変な事になりましたわね。目を合わせさえしなければ、貴方の恋人は無事でしたのに」

 未来が、顔を上げてはっと息を呑んだ。

「一真に何かしたの!?」

 途端、未来の眉が逆八の字に歪んだ。拳を高く突き上げて怒鳴る。

「あぁ!? 高い所から何を偉そうに!」

「本当に偉いんですから、当たり前です」

「何を!?」

 そう言って神社の壁を上ろうとする未来を、月は慌てて押さえこんだ。

「お二人は、結界の中に閉じ込められたのです。沖さんの方は抵抗なさっているでしょうが、勝ち目はありません。あの方は戦いの事も結界の事も疎いようですし」


 八鹿の双子の姉である霞の使う結界は月も知っている。瞳を合わせた相手を自分の“結界”の中に引きこむ術だ。結界の中は霞にとって都合の良い空間になっている。術者や物の怪によっては、手も足も出ないだろう。


「一真は勝てると思う」


「なんですって?」


 月の言葉に八鹿は声を荒げ、ぎろりと睨んだ。

「どういうつもりで、あなた達が物の怪の味方なんかするのか分からないけど、一真は絶対に屈したりしない。彩弓を渡したりしない」

 懐剣は太刀となって伸び、折り紙は狩衣となって月の身体を包み込む。陰陽少女は太刀を巫女に突き付け、見上げる。

「……あのお方を、物の怪呼ばわりするのだけは、許しませんよ」

 人形達がぐるりと取り囲んだ体勢のまま、回った。

 月は人形を操っている糸の隙間に、飛び込み、潜り抜け、躱す。体の関節がないかのように、柔軟かつ、俊敏な動きだった。八鹿の人形達は焦り――実際には操っている本人が、だが――月が避ける目の前に立ち塞がり、武器を振るう。だが、それらは月の髪の毛一本触れる事なく、躱され、弾かれ、或いは押し返される。

 無造作に振り下ろされた斧を、月は左手でその柄の部分を掴んで逸らさせ、右手に握った護身之太刀で、人形の首を打ち払う。が、人形は首を斬られてなお、動き続けた。両手を広げ月の身体に抱き着く。

「はなれろ……!」

 月は叫んだが、人形が抱く力はますます強くなっていく。その人形自身の力ではない。周りにいた人形達が自分の糸を、月とその抱き着いている人形に巻き付け縛り上げている。人形達は月を中心にして、踊るように回っていた。月に抱き着いていた人形がまず、真っ二つに裂けて上半身が地面に転がる。狩衣に糸が喰いこみ、月は歯を食いしばった。

「あぁ、その狩衣確か防護の結界が施されているんでしたわね。すっかり忘れていましたわ」

 八鹿がくすくすと笑った。殺す気はない、だろう。八鹿の言う通り、この狩衣には結界が施されている為、半端な攻撃では綻び一つ付かない。だが、それを着込んでいる人間自体は、どうか。体を真っ二つにされる事だけは防げたものの、これ以上、体を圧迫され続けたら月自身の気が持たない。尤も、八鹿は此方が折れるのを悠長に待ってくれるわけでもないようだ。


「月っ!」


 未来が叫び、駆け寄ってくる。不味い。彼女を巻き込むわけにはいかない。

「下がって!」

「遅いですわよ」

 月が叫んだが、それに被せるように八鹿は言い、人形の一つを未来に向かって嗾けた。並の人間であれば、反応すら出来なかっただろうが、未来は人形が飛びかかってくるのに合わせて、横へと跳んだ。思わぬ動きに人形は踏鞴を踏み、八鹿の気が一瞬逸れた。

「この狩衣の防護結界の事は知ってたみたいだけど――」


 月の声に、ハッと八鹿が振り向く。


 突然、月を包んでいた狩衣が眩く光り、辺りへと飛び散った。漆黒の霧となってそれは人形達の糸を弾き飛ばす。中から飛び出したのは、巫女服姿の月だ。中心は黒、外縁の刃を白銀に輝かせる護身之太刀を、人形使いの巫女目掛けて振り下ろす。八鹿はかろうじてそれを避けた。そして、人形達を月ではなく、未来へと差し向ける。追撃しようとした月の動きが止まった。

「こんの……卑怯者!」

 未来が八鹿に向かって叫んだ。だが、八鹿は全く堪えた様子がない。

「わかっているわ。そんなこと。あなたはご存知ないでしょうけど、私はこれまでも、何度も卑怯な手で勝ってきましたもの。それが生き延びる策、お姉さまや世界の為に戦う道」

 じりっと人形達は未来へと押し寄せる。八鹿はくすくすと笑った後、指を鳴らした。直後――人形達の腕が紅い光矢と共に吹き飛んだ。

「戦う道? 楽に勝つ道の間違いじゃないの?」

 バサリと翼の音。空から赤い羽根が火の粉のように、舞い落ちる。未来は驚いて、その姿を見上げた。月の式神日向は、背中から真紅色の翼を生やし、宙に腰かけていた。


「式神!? いつの間に……!」


 八鹿は憎々しげに日向を睨みつけ、直後、目の前で月が太刀を振りかぶっている事に気付いた。そして、彼女の目の前で太刀は振り抜かれていた。

「その巫女装束、一応の防護結界は施されているから、大丈夫だよね?」

 月が気遣うように声を掛けた刹那、八鹿の身体は地面に膝から崩れ落ちた。ややあってから、彼女を守るように浮遊していた人形達が、玉砂利を派手に吹き飛ばしながら倒れ、体の端から元の土へと戻っていく。

「ほら、こういう事だよ」

 地上に降り、翼を消した日向が、未来に向かって微笑み言った。ポカンとする彼女に日向は続ける。


「式神と陰陽師。私達は二人で一人前ってこと」


「あぁ、成程ね……」


 未来は合点がいったというように頷く。その顔は未だ緊張で引き攣っている。しかし、未だ戦意を失っていない瞳が、月の太刀を捉える。今まで恐怖しか感じていなかった筈の彼女の心の変化に、月は即座に気が付いていた。


「未来も戦いたいの?」


「どう、かな。あんなのと戦うなんてやっぱり、ムリ。ハハハ、何が剣道部よね。本物の殺気を向けられると、もう何も出来ないなんて」

 口ではそう言っているが、未来はもう震えてはいない。ただ、ほんの少しの迷いがあるだけ。恐らくその一線を越えれば、戦う事に躊躇いを持たなくなるだろう。が、それは本当に未来にとって良い事なのか。

 一真と共に戦うと決める。言葉にしてみれば、何とも勇ましいが、よく考えてみれば、自分が抱える境遇への解決にはならない。未来が一真を戦いから引き離そうとするのは、当然のこと。

 月としては複雑な気持ちだ。一真には、傷ついて欲しくない。だけど、あの時の言葉「一緒にいる」と言ってくれた事は嬉しくもあり、ずっと共にあるつもりでもいる。だけど――。


「だけど、一真を戦いから離れさせる為……でしょ?」


 月は思わず、口にしていた。口にすると、全てを手放せるような、妙な清々しさすら感じる。顔から一切の感情が消え去った。そうして、未来が何と返すのかを待つ。だが、未来は頭を手で掻き、きまり悪そうに視線を下に向けた。

「でも、一真が離れたら、月は独りになるわけでしょ?」


「海馬や碧達がいる」


 反射的に答えると、未来は呆れたように溜息を漏らした。


「意地っ張りね。皆いい人だってのは、私も分かるよ。だけど、それじゃ駄目なんでしょ? 一真じゃなきゃ駄目だって理由があるのよ」


 言われて月はそれでも、否定しようと言葉を探す。何故、こんなに必死になっているのか自分でも分からなかった。が、口にするよりも前に、日向に肩を掴まれた。


「月一人を置いてきぼりにして、丸く収まる事じゃないよ。一真君も未来ちゃんも、月の事を心配してくれているんだよ」


 月は肩を落とした。酷い虚脱感がある。二人の言っている事が正しい事は分かっている。一真でなければいけないのだ。だけど、そんな事が言える筈がない。

――あなたじゃなければ、駄目だから、ついてきてなんて。

「行こう。早く皆を見つけないと」

 月は二人に背を向けて、先へと進む。後ろで二人が顔を見合わせているような気配があったが気付かないふりをした。

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