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陰陽少女  作者: 瞬々
華胥之夢
83/234

†††

 そこは、言うならばどこでもない世界だった。陽の界とも陰の界でもない。


 辺り一面に白い霧が深く立ち込めている。目を凝らして一真が見回すと、すぐ傍に彩弓がいた。しかし、月も海馬も笹井もいない。常社神社の鳥居も崩れた拝殿の建物も、雑木林さえ姿を消してた。


 彩弓が小さく叫んで、一真のズボンに抱き着く。何か声を掛けるべきとはわかっていたが、その肩に手をやるだけで精一杯だった。パニックを起こしそうになるのをこらえ、どうにか記憶を手繰る。そう、恐らくあの声の主の仕業に違いない。


「あの人が来るよ。お兄ちゃん」


――あの人?

 彩弓はあの声の主を知っているのだろうか。いや、待て。彩弓は栃煌神社ではなんと説明していたか。

――周りには皆やわたしが着ているのと同じ服きた人がいて……。


 あの時は、単に彩弓が舌足らずなだけ、巫女服も狩衣も同じ物だと捉えているのだと思って、聞かなかかったが……せめて笹井にどんな物の怪に襲われたのかを聞いておけばよかった。或いは海馬に異変についてもっとよく聞いておくのだった。


 しかし、笹井はともかく、何故海馬は詳しい事を何も教えてくれなかったのか。


「ほぅら、捕まえた」


 少女の声が再び唐突に聞こえ、一真と彩弓は振り向いた。


「誰だ?」


 そこにいたのは一人の巫女だった。月や碧と同じく漆のように長い黒い髪が額のすぐ上で同じ長さに切り揃えられており、肌は人形のように白い。


 切れ長の瞳といい、尖った顎といい、美人と言っていい容姿だ。花の模様が描かれた巫女服の袖は、腕しか覆っておらず肩が露出していた。着物の着付けについては造詣のない一真だが、少女の妖艶さとぴったり似合っているように思えた。似合いすぎている。


「本当に良かったわ。彩弓さんと一緒に釣れたのが、あの陰陽少女じゃなくて。私、あの娘苦手なの」


 美しすぎて逆に寒々さを感じさせるその少女は、にっこりと微笑んだ。だが、あくまで目の前にいるのは人間であると、その表情は人間の物であると、一真の直感は告げていた。その直感に同意するように、手元から破敵之剣こと天が呼びかけてくる。


「こいつは巫女だぜ。人間のな」


 一真は頷いた。そう、つまり彼女はここに元からいた物の怪でもないし、封印された陰陽師でもない。


「お前、陰陽寮から派遣された陰陽師か」


「正確には陰陽の巫女ね。本来なら女に陰陽師なんて称号は与えられない。あの娘を除いては」


 そんなことはどっちでもいい。つまりこの少女は、本来なら一真の味方である筈なのだ。一真と彩弓の。だが、目の前にいるこいつから感じるのは、敵意だけだ。


「さぁ、“そんなことよりも”その娘を渡してくれないかしら?」


 巫女が突然、霧の中に吸い込まれるように後ろへと下がった。まるでスケート選手のように地面を滑り白い空間に包み込まれていく。彼女の哄笑があらゆるところから聞こえた。


「さぁ、早く」


 一真は、破敵之剣を構え霊刃――霊力で成される刃――を展開、声のする方を振り向くが、何も見えなかった。そんな彼を嘲笑うように、少女の声が別の方角から聞こえる。


 一人の少女によって成される輪唱。


「厄介だな。結界に飛び込んじまったのが、そもそもの過ちだがな」天が苦々しく言うのに、一真は鋭く言いかえす。


「海馬さんは何も教えてくれなかった。こんなやつがいるなんて」


 一真は完全に蚊帳の外に置かれていたというわけだ。大体、天は「結界に飛び込んだ」と言うが、その前に気をつけろの一言くらいほしかった。


「教えたくなかったんだろうよ。陰陽寮に忠実な男だからな。奴は。それに、今相手にしている巫女の事は許してやれ。よもや、敵対してくるとは海馬も思わなかったんだろう」


「いや、予想していた筈だ。さっきの意味ありげな言葉、お前も聞いていたんだろう?」


 この剣は黙って何も言わず、一真に何の助言もくれなかったが、話は全て聞いていたらしい。それを一真は腹立たしく思った。


「或いは信じたくなかっただけかもしれないな。どのみち、今の状況には何の手助けにもならん」


 彩弓が恐怖と怪訝の入り混じった顔で一真を見た。


「ねえ、お兄ちゃん、さっきから誰とお話ししているの?」


「その剣さんとよ」


 声が不意にはっきりと聞こえた。が、振り向くよりも先に、切り裂くような痛みが背中を襲う。


「っつ――!?」


 構わず振り向くと数メートル先に、あの巫女が突っ立っていた。その手に握られているのは小太刀だ。


「あらあら、正面からでなければ、貴方はまともに戦う事すら出来ないのかしら」


 姿無き声はまたしても、先程消えた所とは、全く別の場所から聞こえた。


――一真君は視界に入って来る物にしか反応出来てないね。気配で反応出来るようになんないと


 日向や舞香がいつも口にしていた言葉を一真は思い出す。碧がいつも鍛錬の時に、予測のつかない攻撃でもってこの弱点を克服させようとしていたことも。未だにその戦術は身についていない。途端場で力に

目覚める等という都合のいい事は期待出来るはずもないが……。


 一真は改めて正面を見据えた。出来ない事を未練がましく嘆いても仕方がない。出来ないのであれば、別の考え方、戦い方をするしかない。


 声のする方向ではなく、先程にいた位置でもなく。“今”に集中する。過去に気を囚われず、未来に気を逸らされずに、今、敵が来るその場所に気を集中する。


「彩弓、後ろを見張ってくれ。あいつが来たら教えてくれ」


 一真は彩弓に囁き、背後で小さく頷く気配があった。敵はいつまでも姿を現さずに、嘲笑し続ける。


「仮に、貴方が剣道の達人であったとしても、勝つ事は出来ないですわね。その道の戦い方に嵌り過ぎて、柔軟な戦い方が出来ないですもの」


 確かにそうかもしれない。達人は時に、荒くれ者の型破りな戦い方に敗れるものだ。しかし、巫女はひとつ見落としている。


「へえ、つまりお前は、こんなちまちまとした、相手の攻撃が届かない範囲からじゃなければ戦えないのか? そんなのは戦術ですらない」


 一真は達人などではなく、むしろ、


「お前が単に臆病なだけだろ」


 勝つためには手段を択ばない荒くれ者だ。


「あっ!」


 彩弓が振り向いて叫んだ。一真はそれよりも前に気付いている。自分が立っているその真下から、白磁のような腕が飛び出した事に。


 その手には小太刀が握られていたが、一真はその刃を靴底で蹴り飛ばした。腕がおかしな方向に曲がる。巫女は苦痛の叫びを漏らして、腕を霧の中へと引っ込めようとしたが、一真は左手で掴みこんでそれを許さない。


「煽われてなお、奇襲を選ぶか。なんとも頑固な奴だ」


 天が不満そうに呟いた。自分が使われずに戦いが終わりそうな事に、不服なようだ。


「出て……、こいよ。」


 一真は力任せに引っ張り、巫女の腕を、その先の体を引きずり出した。巫女は左の袖から呪符を出現させたが、それが何の呪いかもわからないままに、破敵之剣の一振りで真っ二つにされる。首筋に刃を突き付けて初めて、巫女は息を呑んだが、それも一瞬の事だった。再び、あの笑みを浮かべた。


「殉死ってやつですか。一度やってみたかったですわ」


「ふざけんな。俺は殺すつもりなんかない」


 一真は反射的にそう答えてしまった。殺すつもりが無いのであれば、剣先を突き付けてもまるで脅しにならない。


「勿論、お前が大人しくしていれば、だが」


 慌てて付け加えたものの、はったりにすらならない事は一真にも分かっていた。巫女にも分かっていた筈だろうが、彼女はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「そう、じゃあいいのよ? 殺しても。あなたごときに負けた私には巫女としての価値すらないもの」


「ふざけんな」


 巫女の返答は、――彼女が意図した通りだが――一真の神経を逆撫でした。


「人間の命をなんだと思ってる。お前にとって命ってのは、そんなに価値のない物なのか」


「そうね。元々そういう所だもの。そういう人間の集まりだもの。陰陽寮は。こんな人格だからこそ、そこの娘を攫ったりできたわけだし」


 思わぬ単語に剣の刃が微かに揺れた。彼女はさっきから巫女としてだの殉死だのと、口にしている。陰陽寮を裏切り物の怪の側についたのではなかったのか?


「お前は、ここの物の怪に……、中原常社に手を貸しているんじゃなかったのか? 陰陽寮からの命令を無視して――」


「全部当たっているわ。でもね、真実は貴方が思うよりも深いものなのよ」


 眉を寄せる一真に、巫女は愉悦とばかりに唇の端を歪ませる。ただ出鱈目を言っているだけなのではないかと一真は考えたが、妙に引っかかりを覚えるのも確かだ。どうすべきかと悩む一真の服を彩弓が後ろから引っ張る。


「愚か者が……」


 一瞬、その声が彩弓の物であると認識出来なかった。栃煌神社で見せていたような無邪気さはどこへ消えたのか、代わりに恐ろしく冷静で無慈悲な性格が表出していた。彼女は巫女を指差し、熱を持ったように話し続ける。


「自分の使命に忠実否、自分の使命しか見えていない。愚直に突き進み、歪に曲げ、そうしてこの場に立っている」


「彩弓?」


 初めは呆然と、続く二言目で寒気を覚えて、一真は彩弓の肩を揺さぶる。彩弓は糸が切れた人形のようにそのまま、一真の手の中に倒れ込んだ。体が熱く、肌には珠のような汗が無数に浮かんでいた。片手では支えきれずに、一真は天を放して、両手で支えこんだ。


「敵の前で武器を落とすなんて、ね。ホント甘ちゃんなんだから」


 巫女の瞳がちらっと破敵之剣に移されるのを見て、一真は息を呑んだ。が、巫女は剣を拾うつもりは無いようだった。肩を軽く竦め、彩弓に侮蔑の視線を送り聞く。


「その娘は危険よ。今のを聞いて、こいつが悪意に満ちているのが貴方にもわかるのではないこと?」


「一体、今のはなんだったんだ?」


 問う事で、相手に余裕を与えてしまうのはわかっていたが、他に聞く相手もいない。


「なんで、お前らは彼女を狙うんだ」


 嘲弄めいた表情で彼女は、その言葉を待ってましたと言わんばかりに食いついた。


「そいつは、世界を崩壊に導く疫病神、人間の悪意を開き、引きだし、狂わせ、猖獗させる。それがこいつの本性よ。さぁ、あなたはどうする? 陰陽少女のなれの果てであるあの物の怪と戦った、あなたになら、何が正義で何が悪なのか、判別できるのではなくて?」


 邪気も悪気もない。自分にこそ、正義はあると信じて止まないそんな表情で。何も知らずに彩弓を守ろうとする一真を正すように、誘う。


「私とこいつ、一体どちらが化け物なのか。わかるのではなくて? その化け物を滅そうとしている常社様は、本当に封じられるべきお人だったのかしら」


 海馬は彩弓については、何も言わなかった。知らなかっただけかもしれない。だが、常社神社の陰陽師が、何故封じられたのかは話さなかった。それは、話さなかったのではなく、話さなかったのではないだろうか。


 疑いだせば、キリがない。ただ一つ分かるのは、一真は彼らについて何も知らないという事。彼らだけではない。彩弓についても、だ。


「仮に、人の悪意を開き出すのがこいつの持つ力だとして……」


 知らず、剣を持つ手に力が入る。彼女が何と言おうとも――


「それが、どうして世界の崩壊を招く事になるんだ」


――彩弓を守ると決めた未来や笹井の思いを壊させたくはない。


「彼女に関わる人間は、自身の内に眠る負の側面を引きずり出される。自分の醜い姿を見せつけられて、崩壊するの。一人二人なら、世界には大した影響はないでしょう」


 でも……、と付け加え、巫女は憂いに満ちた溜息を吐き出した。


「彼女が生涯関わる人間、深い浅いか関係なく合わせていったら、どれだけの人間が壊れるかしらね。物の怪や物の怪の餌である負の気が、どれだけ生まれることか。あなたには想像がつくかしら」

――それは……。


「そんな事、どうしてわかる? お前の言っている事が本当だとして、彼女に関わる人間全員が心を崩壊させるなんて誰にわかる?」


「わかるわ。あなたがご存知かは、わかりませんがそいつは既に何人もの人間の悪意を開き出して、崩壊させている」


 幾つもの家をたらい回しにされてきた……彩弓が言っていた話だ。つまり、彼女の力のせいだったという事か。


「常社様は、夢の中で彼女の存在を感じた。彼女がどれ程、悍ましい存在で世界を危機に陥れる事も分かっておいでだった。だから、自分の式に命じて彼女を攫い、自分と共にここに封印しようとした。彼女が消えても“表”の連中は、誰も……彼女の保護者ですら騒がなかったみたいですわ。なんとも哀れな事」


 彩弓が気を失っていて良かった。一真は巫女を睨みつけながらそう思った。巫女は完全に一真を見下している。何も知らない小僧が、偽善で少女を助けようとしているというようにしか見ていない。


「戦いは私自身が慢心していた結果、貴方が勝った。でも、あなたは軽率。物事をもっと広い視野で見つめるべきでしたね。守りたい物を守るなどというのは、あなたの自己満足に過ぎないですわ」

 道を正し、導かなくてはならないと説き伏せる。ある意味では正論なのかもしれない。自分の守りたい物が、他者にとっては害であり、世界にとっての毒であるとすれば。


「戦いでは? 違うだろ。お前はもっと根本的な部分で思い上がっている」


「……何ですって?」


 巫女は声を荒げぎろりと睨みつけてくる。


「お前の言っている事が全て正しかったとして、彩弓には何の罪もない」


「頭がおかしくなったのかしら? 罪のある無し等、関係はありませんわよ」


 焦りの色が見えたが、逡巡は欠片も無い。多分、彼女は彩弓の言う通りの人物なのだろう。彩弓についてこの巫女は、まんざら嘘を吐いているわけではないようだ。彩弓は巫女の負の側面を覗き、告げたに過ぎない。


「月や沙夜と同じだ。自分ではどうにも出来ない物を……厄介な天賦の才を持っているというだけだ」


 一真は彩弓を片手で支えながら、破敵之剣を構える。


「多分、お前には分からないだろうな。“世界の為に戦う完璧な”お前には」


 もはや、巫女は言葉すら発さなかった。袖の下から護符を一枚取り出して、構えつつ霧の中へと消えていく。どれ程、貶されようともその戦法だけは変えるつもりはないらしい。その冷静さには、称賛すら覚える程ではあるが……。


「破り、断ち切る。それが剣の極意」


 独り言のようにごちると同時、一真は剣を地面に突き立てた。瞬間、氷の張った湖を割るように亀裂がそこから広がっていく。その亀裂の合間からは金色の光が溢れ、辺り一面の霧を払い飛ばした。


 ――ここは?


 一真が辺りを見回す。そこは夜の闇に包まれていた。星の光も月の明かりすらない。陰の界だ。しかし、それだけではない。陽の界にいた時とは明らかに違う光景が目の前には広がっていた。


 ――神社?


 漆黒の天に向かってそびえ立っているのは、紛れも無い神社だ。地面には玉砂利が敷き詰められていた。一つ一つが真っ白な宝石のように輝いている。ふと灯篭に青白い火が灯った。彩弓が一真の腕の中で意識を取り戻していた。


「おにいちゃん?」


 一真は答えなかった。後ろで何かが動く気配がしたからだ。


 一真が振り向いたその先では、巫女が信じられないという面持で、こちらを見ている。手に握った符をまさに、投げつけようという姿勢だ。


 眼が合った瞬間、一真は駆けだしていた。巫女がそれに釣られるように、動き、符を投擲する。が、余りにも分かりやすい。一真は走りながら破敵之剣を振り、符を弾いた。焦る巫女は更にもう一枚取り出したが、一真は一気に間合いを詰めて、それも叩き落とした。返す手で、剣の柄で、巫女の鳩尾を打った。


 短い呻き声と共に巫女の体は崩れ去り、地面へと落ちた。


 ――協力して物の怪を討てた筈なのに


 月や他の陰陽師達と同じ思いを持っていた筈なのに。いや、全く同じというわけではない。


「使命に対して忠実過ぎたってところかね」天が、一真の思いを代弁するように言った。


 ――自分の使命を全うしようとした結果か。


 気を失った少女の横顔に、共にいると決めた少女の顔が重なる。


「それを果たした先に一体、何があるって言うんだよ」

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