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陰陽少女  作者: 瞬々
華胥之夢
82/234

†††

 腐敗と共に生き、犯罪が隣り合わせの町。聞けば、大昔の貧乏街とでも、思われるかもしれないが、現代においてもそのような地区は存在する。テレビやネットを通じての情報交換が迅速に行われているにも関わらず、そうした街の様子を知る者がいないのはなぜか。


 答えは至極簡単だ。


 本当の意味での酷い、地獄のような所というのは、誰にも見向きもされないし、噂のたねにもならない。そこに住んでいない者にとっては、見たくない物、ストレスにしかならない場所だからだ。


 例えば、灰と塵が混じって宙を舞う薄汚れた街の一角とか。そこに合法、非合法を問わず住みついている――暴力団、違法滞在者、捨て子、貧民、犯罪者等々――者達とか。テレビや新聞で話題に出されば「おそろしい」「こわい」あるいは「かわいそう」等の端的な感想で済まされてしまうような者達の間では、些細な問題――掏りや喧嘩、娼家、果ては怪しげな薬販売等々――は問題とさえ認識されない。


 警察さえ、ここでは機能しない。ばれないような小細工が施されているということもあるが、何よりも事件を訴え出た者はそこに住めなくなる……だけならば、まだいい方かもしれない。


 この世界は、法律ではなく力に物を言わせる人間によって保たれている。


 そんな治安の悪い場所に、闖入者が二人も現れればどうなるか。


「おいおいおい、兄ちゃん達よ。ここは、雷電組の領地内だ。外の道を通るには構わねえが、こっから先は通るんじゃねえぞ」


 火龍と服部剣の二人は、いかつくやたらと殺気立った連中に取り囲まれていた。今時普通に街を歩いていては見かける事もないであろう、バラック小屋や古く痛んだ建物が乱立する路地裏に入り込んだ途端、どこからともなく現れたのだ。


 しかし、服部は呆れ半分、感心半分に建物を眺め、火龍に至っては彼らに視線の一瞥すらくれない。


「いやはや、あるところにはあるもんだな。超治安の悪い場所。よくもまぁ、警察は今まで見逃してくれたな」


「逮捕して、ここから追い出した所で、他の場所で同じ事が繰り返されるだけだってんで、目を瞑っているんだろう。ハ、馬鹿馬鹿しい。捕まえて檻に入れるしか能がない連中には、確かに重荷だろうなぁ」


 強がっているわけでもなく、危機を認識していないわけでもない。だが、二人は囲まれてなお、落ち着いた態度を取っている。


 凄んで威嚇する雷電組の男達は、その事に逆にたじろいだ。獲物から思わぬ反撃を喰らった猛獣のように。実際の所、二人は獲物にされるどころか、ここら辺一体に縄張りを持つヤクザ組や不良を一網打尽に出来る狩人になれる。


 とはいえ、火龍にはその気はない。ただ、彼は人を探しているだけだ。そしてこれは、彼にとってはいつもの事だが、“陰陽寮の任務ではない”。


「医者を探している。ドクター・トンベ。ふざけた名前だが、日本人だ。知っている奴がいたら、案内してくれや」


 火龍が周りに向かって、まるで友人を相手にしているかのように問いかけ、ようやく男達は我に返った。


「あぁん? 知っていても教えねえよ。頼みごとすんならもっと態度改めろや。誰を相手に話しかけてるつもりだ?」


「あぁん? こっちは知っていなくても聞きだす。お前ら一人一人から記憶を引きずりだしてなぁ!」


 言うと同時に火龍は、右の掌を答えた男の肩に当てて“軽く”押した。たったそれだけの動作で大の男の体が後ろに向かって吹き飛んだ。叫び声が上がる暇すら無かった。


 周りが反応する暇も無い。ただ、火龍だけが動く。吹き飛び、バラック小屋の壁にぶち当たってもたれ掛かるように、倒れる男に向かって跳びかかり、胸倉を掴み無理やり引き起こす。


「俺は頼みなんざしねぇ。お前が取るべき選択肢はひとつ。無条件で場所を教える事だけだ」


 じっと眇めて火龍は足をその男のもたれ掛かっている壁に無造作に叩きつけた。壁は海綿のように容易く凹んだ。


「なん……」


「昔話をしに来ただけだ。それとも何か。お前の所の縄張りは、人を案内するのにいちいち死人を出さなきゃならねえのか?」


 その視線が周りの男達にも向けられる。数秒後、彼らの態度は一変する事となる。


†††

 雷電組に案内されて来たそこは、他の建物とさして雰囲気は変わらない。が、その薄汚れた外装と比べて、中は非常に清潔で落着きがある。病院のようだと思う者がいたとしたら、その想像は正しい。ここは病院だ。非合法の、闇医者によって営まれている。


「案外、親切なやつらだったなぁ」


「はん、行儀さえ仕込めばホテルマンにでもなれるんじゃねえのか」


 そんな物騒な事を世間話のように話しながら、二人は中へと入って行く。廊下の先にあったのは小さな部屋だった。


「ところでさ、ここまでついてきてなんだけど、陰陽寮の任務の方は果たさなくていいのか」


「あん? 沖博人の一件か? くだらねぇ。あんなもん、寄り道しながらでも調べられるだろうが」


 そこには小柄で痩せた白衣姿の男がいた。髪は黒いが、所々禿げかかっており、余程視力が悪いのか、大きく四角い眼鏡の先で瞳を細めながら机の上の資料を読んでいた。その為なのか、不用心にも、彼は呼びかけられるまで誰かが入ってきた事にすら気づかなかった。


「よぉ、久しぶりだな。“トンベ”」


 火龍が笑みを向けると、トンベと呼ばれた男は、顔をしかめた。正真正銘の東洋人であり、勿論トンベは本名ではない。だが、火龍が本名で呼ばれないのと同じように彼もまた、普段はあだ名の方で呼ばれる。本名を知らない者も多い。大体、トンベとは人の名前に使うにはあまりにも奇妙だ。


「何しに来た。出来れば、わしはお前とは二度と顔を合わせたくなかった」


「合わせたくない? 合わせられないの間違いじゃねえのか?」


 火龍はぐいっと自分の来ているシャツを掴むと見せつけるように、胸を顕にした。トンベの視線はそれを避けようと宙をさまよった。いや、違う。


「こいつの調子は問題ないぜ。流石は闇世界で名うての医者なだけはある」


 トンベが避けているのは、胸の中に埋まっている銀色の機械だ。肌の中で赤い点滅ランプが明滅している。これは、彼を現陰陽寮に縛り付けている、或いは現陰陽寮が不測の事態に備えて埋め込んだ物だ。これは、ある信号を受け取った時に作動する小型の爆弾だった。丁度、心臓だけを吹き飛ばすように計算されて造られた。


 トンベが作成し、彼自身が火龍の胸に埋め込んだ物だ。まだ火龍が名前で呼ばれていた頃に。


「フン、お前さんならやろうと思えば、爆弾の解除だって出来るだろうに。物好きな奴だ」


「ガキの頃の忘れられない思い出だからなぁ」


 火龍が不気味に顔を歪めると、トンベはそれを手で払いのけた。


「悪い冗談だ。で、何の用だ。嫌がらせにしに来たってだけなら、今すぐそいつを爆破させるぞ」


 それこそ悪い冗談だが、火龍はまるで臆する事も無く、彼の机の上に写真を放った。


「その小娘に見覚えは?」


 トンベは面倒くさそうに、その写真を目の前まで持っていく。目を凝らしてよく見、それから机の上に再び放った。


「誰だ、こいつは」


「ほう、覚えてたか」火龍が笑うと、トンベはやれやれと、肩を落とした。


「知らんぞ。わしは」


「“知っているか?”とは聞いていない。見覚えがあるなら、それでいい。いつ治療した? あるいは出産に立ち会ったのか?」


 こうなっては、誰も彼の追及からは逃げられない。何しろ、彼は相手が見せる反応だけで、ありとあらゆる情報を引き出す事が出来てしまうからだ。


 陰陽師としての素質ではない。単に頭が切れるだけだ。異常なまでに。そしてトンベも運が悪かった。これは別に彼が頭が悪いという意味ではない。むしろその逆だ。


「八年と三か月+三日前の事だな。十時三分二十九秒に彼女は生まれた。私が立ち会った赤ん坊の中では一番美しい骨格だった」


 彼は自分が治療した者は全員覚えている。いつに治療を施したのか、その名前やどんな服装だったか等。そして特に彼は容姿を覚えるのが得意だった。いや、単に覚えているだけではない。患者がその後、どんな変貌を遂げようとも彼は見間違えることはない。どんな変貌を遂げたかを頭で想像する事が出来るのだ。例えば、取り上げた赤ん坊の成長した先の姿を頭の中で思い描くのは朝飯前だ。


「それで、彼女は何かトラブルに巻き込まれているのか? お前さんがお得意の怪異とやらに」


「あぁ。で、彼女がどんな経緯で、ここで生まれたのか。その後はどうなったのか。噂程度の物でいい。情報をよこしな」


「おいおい、情報料も無しに、か?」


 トンベが問うと、火龍は拳を握った。が、殴る為ではない。彼はその上にコインを載せ、親指で弾いた。机の上に落ちたのは五百円玉だ。


「なんとも、気前のいいことで」トンベは呆れながらも、それを受け取り話し始めた。


†††

 一真、月、日向、未来、海馬、彩弓、笹井の一行は、十人乗りのバスに乗って常社神社に向かった。運転は海馬だ。車が古いせいか、ギシギシと不気味な振動が靴底から伝わってくる。


 意気込んではいたが移動手段がこのような日常的な物だとは思ってもみなかった。車に乗っている間、誰も一言も喋らなかった。一真は懐剣の状態になっている破敵之剣を見つめていた。精神統一のつもりだが、上手くいかない。聞きたい事がまだ残っている。笹井にも、海馬にも、彩弓にも。


「笹井さんはどうやって、逃げ出したんですか」


 車が神社への山道に入った頃、一真は思い切って訊ねてみた。一番気にかかっていた事でもある。


 一真や未来が、物の怪と出会った時、二人は確かに逃げようとした。しかし、逃げ切れなかった。いつの間にかその物の怪が根城――というよりも、物の怪にとって思いれのある場所か――としている場所へと誘導され、危うい所を月に助けられたのだ。


「それは俺も聞きたいなぁ。笹井さん。あれは、そこらの物の怪とは格が違う。千年もの時の間、力を蓄え続けた人間を核とした物の怪や。そう簡単に逃げ出せるとも思えん」


「え、あの人せんさいなの?」彩弓が驚いて口を出す。


「すっごいおじいちゃんなんだね」


「物の怪と人とでは、時間の概念が真逆なの。年が経てば経つ程、霊力を蓄え強大になっていく」


 月が説明した。一真が碧から何度も聞いた話でもある。物の怪は時と共に強くなる。だから、物の怪はどんなに規模が小さい物であっても、早々に退治しなければならない。


「私にもわからないんです。気が付いたら大きな神社の中にいて。そして、真っ黒な姿をした怪物に襲われて。彩弓ちゃんとは、逃げ回っているうちに出会いまして。二人で逃げようということになって、逃げだして……気が付いたら、神社の外に出ていたんです」


 笹井の言葉に、海馬は眉を寄せた。逼迫した状況下だったから記憶が無かったというのは、確かにそうなのだろう。それに笹井は嘘を吐くのが得意でも無さそうだと、一真は失礼ながらにも、思った。しかし、だとすれば何故物の怪は取り逃したのだろう。


「ねえ、一真は常社神社には行った事あるの?」


 後ろの席から身を乗り出しながら、未来が聞いた。意識して明るく振舞おうとしているのか、いつものお気楽さを取り戻そうとしているのか、どちらなのかはわからないが、いつもの調子にもどりつつある。


「いや、ない……というか、お前は家の方には連絡しなくていいのか? 心配していると思うけど」


「大丈夫、大丈夫。朝ちゃんと言ったもの。『出かけてくる』って」


「お前がいいならいいけどさ……」


 一真が返すと、未来は大袈裟に真面目くさった顔で聞いた。


「そっちは大丈夫なの? 連絡しなくて」


 その問いかけには、様々な意味が込められている。一真はややあって頷いた。


「大丈夫だよ。ゴールデンウィークの間は、神社で過ごすって言ってあるし」


「なら、いいけど」まだ、何か言いたそうだったが、未来はあっさりと引いた。


 沖博人の事を聞きたがっている。一真はそう思い、言うべきかどうかで悩んだ。あの戦いの後の事を。博人の消失が、家族にはどう伝わっているのか。迷った挙句、彼は告げる事にした。


「叔父は、……博人は自分が消える可能性についても考えていたみたいなんだ。経営していた会社は今では別の人が社長になってる。それと、俺の家に三日位前に手紙が届いた。博人から。内容はあんまり覚えてないけど、アメリカの方で別の仕事を見つけたとか書いてあった。連絡先も書かれていたけど、父さんも母さんもまだ連絡していない。二人とも忙しいからな」


 なんとも律儀な、と一真は思う。突然消えた叔父について、家族がどう受け止めるか。そのことばかり考え悩んだというのに。


 そういえば、まだ一真が叔父の正体を知るよりも前は、何かと家族の事を気遣ってはくれた。あれは、あの表情は偽りだったのだろうか。ここ数日、そのことばかり、頭の中で堂々巡りしていた。


「だけどいつか、ばれる。博人の消失は。その時に、俺はなんて言えばいいんだろうな」


 未来は答えなかった。いや、答えられなかったという方が正しいのだろうか。月も横で一真の話に耳を傾けてはいるものの何も言わない。ややあって、海馬が前の席から言う。


「お前さんがそう望むならば、いつまでも誤魔化す事は出来る。俺らならば、博人がまだこの現世で生きているかのように見せかける事も出来る。幻術を得意とする陰陽師や巫女もいるからな」


「海馬、それは」と月が怒ったように返すのを、一真は遮った。海馬は道を示してくれたに過ぎない。一真が望むならば、いつまでも平穏な状態を保つ事も出来ると。


「ありがとう。考えておきますよ」


 その時だった。話について行けずに黙っていた笹井が、不意に前方を指刺して、叫んだ。


「あれですよ! あそこ!」


 ダートコースのように砂と土で固められた天然の道路の脇に、薄汚れた赤茶色の鳥居があった。樹木が無愛想に乱立する中で、ぽつんと立つそれは、ともすれば見失ってしまいそうな程に存在感が薄い。


 実際、ここを通る者――そんな者がいるとすればだが――は誰も気にも留めないだろう。海馬は車を道路に止め、全員外に出てその鳥居の周りに集まる。


「見つけた」


 呪符の状態になっている日向をその手に握りしめつつ月が静かに呟く。海馬は静かに鳥居の先を見つめた。そこには朽ち果て、崩れた拝殿があった。これが常社神社なのだろう。栃煌神社と比べると、その荒廃ぶりはすさまじい。玉砂利が敷き詰められている筈の地面には、砂や土が混じり鳥居が無ければどこからが外か内かわからなかっただろう。


 灯篭は全て地面に落ちて砕け散っている。最後にここが掃除されたのはいつなのかと、一真は実にどうでもいいことを思った。


「もどって来ちゃったね」


 彩弓はしゅんとしながら、そう言った。その肩を未来が抱く。


「大丈夫よ。お姉ちゃんが守るから」


「う、うん。ありがと。でも……」


 その熱の籠った声に、気恥ずかしそうに彩弓が答える。二人の間に、どんなやり取りがあったのか一真は知らないが、その意気込みの強さは本物だ。物の怪に怯えるばかりだった未来の姿はどこにもない。それを頼もしく思いつつも、同時に心配でもあった。ここまで巻き込んでしまったこと。これから巻き込んでしまうことに。


 そんな事を考えていると、彩弓が突然覗き込んできた。


「でも、守るのは、このお兄ちゃんの方じゃなかったの?」


「どっちも守るのよ」


 腰に手を当てて胸を張る未来。むうっと月が頬を膨らませてそのすぐ隣に立った。同じく腰に手を当てて胸を張りつつ宣言する。


「私が守る!」


「はいはい、そこまでにしとき。後、こいつを守るのに必死になって、笹井さんを守るのを忘れるなよ」


 海馬がカカっと笑い、笹井は委縮した。二人の少女の顔が耳まで真っ赤に染まる。その真ん中で彩弓は自分の身体を抱いていた。


「彩弓ちゃん? 本当に大丈夫かい?」笹井が訊ねると、彩弓は頷いた。


「うん、熱いけど大丈夫。この中にいるよ。あの怖いのが」


 その言葉に一真は、海馬の方を見た。


「どうなっているんですか? 中は」


「どうって、何も感じねえのかい? お前は」


 逆に訊ねられて一真は項垂れた。碧や月、日向と修行を何日か重ねたものの、霊気を察する術が上手く出来ない。海馬はしばらく黙って鳥居の奥に視線を向けた。失望したのかと一真は思った。その表情は全く読めない。ややあって、海馬は口を開いた。


「今、目に見えているのは本物の常社神社ではない。本物は陰の界に建てられた」


「そんなことが出来るんですか?」


 言ってから、一真はふと思った。月と再会したあの夜。マンションがあったのは、陰の界。陽の界の方ではそのマンションは既に取り壊されていた。あのマンションは物の怪によって造りだされた、特殊な空間の中で再現された幻想に過ぎなかったのだ。


「特殊な結界の中に建てた、門番のいない牢獄や。その結界を解し、中の様子を確かめる為、三人の陰陽の巫女が派遣されたんじゃがなぁ」


 海馬は首を捻った。中に入ろうとは決してしない。


「……どうやら一度は開ける事に成功したようじゃの。で、彼女らは中に入った」


 そして、捕まったのだろうか、或いは。一真は恐ろしい可能性を考えて震えた。月や碧等、強い力を持つ陰陽師しか見てきていないので比較のしようがないが、その陰陽師達も決して弱くは無かった筈だ。それらを倒した陰陽師――その成れの果てである物の怪はどれ程強いのか。一週間前に戦った沙夜の事が思い出される。


 もう一度、あれと同じような物の怪と戦って勝てるか。その自信はない。


「奇妙な事にの、結界は再び閉じている」


 そのどこが奇妙なのか、一真には分からなかった。が、海馬は答えるよりも先に、彩弓を呼んだ。長身の海馬の隣に立った彩弓は、鳥居の先を怯えた瞳で見つめている。


「心配せんでえぇ。お前さんはちゃんと守る」


 海馬の言葉に一真はまたしても、引っ掛かりを覚えた。何故か、その言葉に不快を感じた。月のはっと息を呑む声が、その感覚が間違いではなかった事を証明する。


「海馬、もしかして彩弓を連れてきたのはそういうこと? 敵を結界から誘き出す為の囮とする為に?」

 振り向いた海馬の瞳は真っ黒に冷めていた。一真達は思わずたじろいだが、月は引き下がらない。詰め寄って彩弓を海馬から引き離すと、一真の方へと誘導する。


「奴らは、結界を内側から閉じた。俺らの力を合わせれば、破壊する事も可能じゃろうが、中がどんな状況かも分からんのやぞ?」


 そのやり取りで一真も理解出来た。海馬は彩弓を餌にして、物の怪を釣り上げようとしているのだ。未来や笹井に同行を許可したのもその為なのだろう。その方が彩弓が言う事を聞くと思ったから。ついて来るだろうと思ったから。


 一真は自分が腹を立てているのを感じたが、それをどうにか抑えた。


「海馬さん、その為だけに彩弓を連れてきたのなら――」


「あぁ、あぁ、全く持ってじれったい連中ですこと」


 突然割って入ったその声は林の中から聞こえ、全員がそちらに顔を向ける。が、何も見えなかった。


「中に入ればそれで済む事ですのに」


 先程よりも柔らかく高い声が、どこからともなく聞こえた。やはり姿は見えない。一真は破敵之剣を強く握った。刀身の外縁部が金色に輝き始める。月が同じく護身之太刀を下段に構えて、さりげなく未来の前に回る。海馬は既に両腕を白と黒の籠手で覆い、笹井を守るように立っていた。


 ――常社は男じゃなかったのか。


 一真は怪訝に思い、そしてふとある可能性について考える。その時だった。


「あら。とても綺麗な剣ね。あなたにはもったいない位」


 耳元で声がした。一真と彩弓はさっと振り返る。そこにあったのが、ぎらぎらと輝く双眸と認識する間もなく、二人は深淵のように深き“結界”の中へと吸い込まれていった。

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