五
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月も星もない夜の世界。形無き物によって成される、此の世でありながら、此の世ではない、現実の陰に当たる世界。陽の世界――光溢れる、形ある物が存在する世界――に住み、その世界しか知らぬ者が、陰の世界に連れて来られた時に見せる反応は大きく分けて二つ。恐慌状態に陥るか、意味が分からずに呆然自失となるか。
そのいずれにも共通するのが、未知なる物に対する恐怖であるという事。陰の界は陽の界と隣り合わせの世界であり、そこで生まれ出づる物の怪ですら、人間の負の感情が集結した物なのだから、決して未知なる物ではないと、陰陽師は説くのかもしれない。しかし、火薬を知らない原始人が、鉄砲の音一つで恐れ慄くのと同様。人は自分が未だかつて経験どころか、その噂すら聞いたこともない物に対しては極限の恐怖を、抱くものだ。
だが、本当に恐ろしい事は一度経験すれば、慣れるなどという事は殆どの場合においてない。特に、その恐ろしい事が何によって引き起こされているのかを、知らない内に“二度目”が来た場合は。
陰陽師達の視線が彩弓に集中する中、その後ろにいた笹井城阪は、正に恐慌をきたす一歩手前の状態だった。彼は以前にも似たような状況を経験している。これよりも遥かに恐ろしい所だ。それを思いだして、笹井は倒れた。
「おい、どうしたんだ!?」
沖一真は、笹井が倒れるのに気が付いて叫んだ。続いて、転倒する音で気が付いた彩弓と碧は振り返った。
「おじさん!」
うつ伏せに倒れる笹井を、彩弓と碧の二人は抱き起した。その手を借りて、笹井はどうにか立ち上がる事ができた。顔は蒼白を通り越して、能面のように白く、青い唇の奥の歯が上下噛みあわないように震えている。
「笹井さん!」未来は真っ先に駆け寄って、心配そうに顔を覗き込むと、笹井は少しだけ微笑んだ。
「あぁ、君は強いな。僕は怖くて仕方がないよ」
「そんな、私だって怖いですよ……だけど」
そう言いながら、未来はふと自分の手に視線を落とした。震えていない。前は、ここの事を思い出すだけで、止めようと思っても、止まらなかったあの震えが、今は一切ない。一真がそっとその肩に手を置いた。その励ますような顔に向かって、未来は力強く頷いた。
「今は、怖がるわけにはいかないんです。あなた達がいるから」
「……やはり、君達は強いな」
その物言いが、未来だけでなく一真自身にも向けられている事に気づいて、彼は当惑し、笹井が何者なのかを尋ねる機会を逸した。代わりに海馬が後ろから訊ねた。
「そのおっちゃんは何者や?」
「ジャーナリスト……と言ったら、とても格好よく聞こえるかもしれないな。『怪異談』という雑誌社にネタを提供している者だ」
それまで一切合財、話してくれなかった笹井に対して、未来が不満そうな顔を向けると、彼は心底すまなそうな顔をした。それ以上問い詰めると、本当に倒れそうなので、追及はしないでおく。
「一旦、ここから引き上げて神社で話を聞いた方が良さそうやな。火龍……はいつの間にかいなくなっとるな」
「あ! あのやろう、どこ行ったんだ?」
服部剣が叫んで、辺りを見回している。そんなことで見つかる筈もないので、海馬は呆れながらも、彼の行先を告げる。
「例の一件を解決する為に行ってしまったんじゃろ。お前さんもさっさと行かないと、あいつ一人の手で解決されてまうぞ」
「おお!? まじですか。それは急がないと。では、海馬さん。後でまた!」
言うが早いか、剣は鳥の式神を召喚すると、それに乗った。真っ赤な羽毛のその鳥は、力強く羽ばたき、風を巻き起こしながら、陰陽師を遠くの空彼方へと運んでいった。その風で、乱れる髪を抑えながら海馬は告げた。
「さぁ、そんじゃ帰るとするかの」
「はい。そう致しましょう」
碧はいつものふわふわとした口調で答えると、口の中で短く呪を呟いた。瞬く間に七人の姿は、その世界から姿を消した。
世界は一転して、音と光が蘇る。その光景に、笹井は声こそあげなかったものの、目を何度も開閉させた。まわりにいた人々は、突然姿を現した一真達に気が付きもしない。まるで“最初からそこにいたもの”として通り過ぎていく。むしろ、茫然としている笹井にこそ怪訝な視線が向けられている。
「なんだか、私がおかしいみたいだな」
一真自身もそのことには同情したかった。笹井自身は服装が汚れているのを除けば、なんら不自然なところはないのだ。陰の界から陽の界に戻る時、何故こちらの世界にいる者は驚かないのか。それはまだ、一真も聞いていなかったことだ。ところが、その疑問を後ろから海馬がばっさりと切り捨てた。
「驚くことやないだろう。こっちもあっちも本質的には同じ世界なんやし。わしらは最初からここにいた。皆、そう認識しておる」
「は、はぁ」笹井はよくわからないというように、答える。一真にもよく分からなかった。これは後で、また碧辺りに聞く必要があるだろう。
神社へと戻ると、一室には蒲団が敷かれていた。それも三つ。敷いたのは、舞香だった。
「姉上、それに他の皆さんもお帰りなさーい」
間延びした独特の調子で出迎える彼女に、碧は早口で答える。
「舞香、蒲団は一つで十分みたいよ。未来さんも、彩弓さんも何ともないみたいだし」
その“何ともない”未来は顔を赤らめ、彩弓は小首を傾げる。その後ろで海馬は豪快に笑った。
「ハハハ! そうか、思い出したぞ。あんたが永田未来か。碧からの報告で聞いておるよ。巫女殺しの怪異では大活躍だったそうだったじゃないか」
「それは、称賛ですか。それとも皮肉?」
未来がそう問うには、それなりの理由がある。舞香が蒲団を三つ用意したのは、あの戦いで彼女が気を失ったせいだ。それを不名誉と思う彼女に、一真は優しく声を掛けた。
「称賛と取っていいと思うぞ。俺はお前がいなかったら、あの戦いを生き延びる事は出来なかったと思うし」
「そ、そうよね。うん。一真、感謝しなさいよ」
「もう十分してるって」
そんなやり取りをして笑い合う二人を、月はどこか寂しげに見つめていた。笹井を蒲団に寝かしながら、碧はそんな友人の姿を見、彼女が何を考えているかまで見通していた。そして、出来る事なら月を応援したいとも思っている。
一方の海馬はこの奇妙な三角関係に気付いていながらも、あえて無視し、笹井の枕元の隣に座った。
「単刀直入に聞こう。あの巫女とあんたは、いつどこで知り合った?」
「オカルト雑誌のジャーナリストってことはやっぱり、彩弓は取材対象って事ですか?」
笹井が答えるよりも前に、一真が重ねるように質問した。それを海馬は余計な事を、とは思わない。むしろ、彼自身が聞きたかったことだ。
「どうなんや? 寝たままでも、答える事はできるじゃろう」
「海馬さん」
未来が非難するような声を掛けたが、海馬は悪びれる事もなく、笹井を見下す。
「えぇ、答えるのは簡単だ。ここにいる方々は、呪いだの怪異に対しての、エキスパートみたいだし。私のような、紛い物の怪異にしか遭遇した事の無い者よりもずっと」
「ほう、あそこから、ここまで来る間には大分の距離があるのに、誰にも連絡しなかったのは“本物”の怪異に遭遇したからやな? で、誰かを巻き込むのが嫌だったんやと」
海馬の確信に満ちた言葉に、笹井は目を丸くした。
「なぜ……いや、私がどこから彼女を連れ出したのか知っているのですか?」
「推測しただけや。今、丁度俺らが、受け持っている怪異とあんたの抱えている怪異とやらに共通点があるだろうとな」
「受け持っている……?」
よく分からないというように、笹井が反復する。
「わしらは陰陽師なんや。あんたが今さっき言ったように、怪異解決のエキスパートちゅうもんだ」
「……いや、すまない。噂だけは聞いていたからね。ここには怪異を片付ける陰陽師がいると。だからこそ、最初にここへ駆け込もうかどうか、迷ったわけだが。まさか、本当にその……怪異だのが存在するとは。それだけじゃない。怪異を解決する為の組織がこうして存在するとは」
笹井が、未だ信じられないというように首を振ると、月が小首を傾げた。
「存在するから、あなた達は取材するんじゃないの?」
「月、それに関しては今は聞かないでおこうぜ。話がずれる」
苦笑しながら一真はそう答えておく。笹井は気まずそうな顔で、最初に海馬が聞いた事について話した。
「常社神社。通称、魂呼の社と呼ばれるそこに、私は取材に行った。取材に、と言ってもそこは、もう何百年と放っておかれていて、人が住めるような場所にはなっていない筈なんだ。私の取材とは単にそこの写真を撮り、その神社に関して詳しく知っている学者なり神主なりに話を聞くだけ。それだけの事の筈だったんだ。だが、私はそこで……そこで」
笹井はぶるぶると蒲団の中で震えた。彩弓がびっくりして駆け寄り、その背を擦った。
「大丈夫? おじさん? 怖くて話すのが嫌だったら、わたしが話すよ?」
「だったら、貴女が何者なのか、どこに囚われていたのかを、話してもらえるとうれしいわ。未来さんの話だと、“狙われている”という事らしいけど」
いまいち合点がいっていないというように、碧は彩弓に視線を向けた。笹井は彩弓をそこから助け出したと言った。しかし、そこは廃墟であった筈だ。彼が今自分の言葉でそう言ったばかり。
「私神社にいたの。まわりには、皆やわたしがきているのと同じ服きた人がたくさんいて、それでそれで……」
意気込んで説明する彩弓だが、いまいち要領を得ない。見た目からして十才に届くか届かないかと言う年頃だし仕方がないか、と心中で溜息をついた一真は、ふと彼女の家族はどこにいるのだろうかと思った。苗字も聞いていなければ、彼女が本当は何才なのかも聞いていない。まさか、このなりで二十歳などと言うわけじゃあるまいなと、思いつつ、一真は聞いた。
「ところで、彩弓は苗字はなんて言うんだ? 家族は?」
しかし、何気なく聞いたそれは、疑問と共に返される。
「苗字なんてないよ」
笹井を除いた周りにいた者達は、全員思わず息を呑んだ。彩弓の表情は、戯談を口にしているようではない。とすれば、本当に彼女は苗字がないのか。まさかと思いつつ、一真は笹井を見た。
「あぁ、そうだ。彼女には上の名前が無い。私も詳しくは知らないけどね。彼女が話してくれた事、事情をまとめると、そういう事になるんだ」
曖昧にぼかしたのは、彩弓の為だろう。大体何があったのかを察しろ。そう言っているようだった。それが何なのかは、一真には想像がつかないが、複雑な事情を抱えているのだとすれば、もう一つの質問は愚問だ。しかし、彩弓はもう一つの質問にも答えた。
「家族はいないんだ。いても、すぐに変わっちゃうし」
無邪気に、それが他の同年代の少女と比べて明らかに違う事に、気が付いていないように彩弓はさらっと言う。家族とはそんな簡単に変えられるものではないと、一真は指摘しそうになったのを堪えた。彩弓は続ける。
「でね、“この前”の家族は、わたしのことが邪魔だったみたいでね。すぐに追い出されたの。そしたら、なんだか顔が白い男の人にゆーかいされて、気が付いたらあの神社にいたの。怖かったよ。『お前は世界の崩壊を止める為に人柱となる』って毎日のように聞かされた。ひとばしらが何なのかわかんなかったけど」
その家族が何者なのかは、彩弓がいない時に、笹井の口から聞くしかないだろう。或いは、話してくれないかもしれない。
それは、置いておくにしても、今の話には気になる点が幾つもある。彩弓は神社に連れ去られ、そこに監禁されていたということ、攫った連中は、彩弓を人柱に使おうとしていたということ。しかし、その人柱とは何の為の物だろう。いや、そもそも海馬は、笹井達が関わっている事は、怪異に関係あると睨んでいた筈だ。物の怪が「世界の崩壊を止める為に人柱を立てる」なんて事があるだろうか。
そして、そもそも、その世界の崩壊とやらが何なのかという所まで考え出すと、キリが無い。すると、笹井が再び口を開いた。体の震えはまだ治まっていないが、彼はゆっくりと落ち着いた声で話し始める。
一真は混乱しそうになる頭の中で、どうにか情報を整理しようとする。そして、今聞いた話の中には、まだ決定的に足りないものがある事に気が付いた。が、それについて訊ねる声に被せるようにして、彩弓が声を上げた。
「そういえばさー、あれ何が入ってるのー?」
指差すその先にあるのは、重箱だった。彩弓は誰に許可を取るという事もせず、立ち上がって重箱の所まで行くと、無造作に蓋を開けて感嘆する。
箱の半分程まで、ゆで卵(黄身返し卵)が敷き詰められていた。周りがポカンとする中で、月だけが物凄い速さで動いた。器用にも正座したまま、彩弓の元に寄る。
「駄目! それは、私が作ったもので……」
「お姉ちゃんが作ったの?」
彩弓は聞き返してから、しばらく黙りこみ、それから何故か一真の方を見た。正鵠を射た弓の名手みたいな目で言う。
「お兄ちゃんの為に作ったんだね」
「な、なぜ、それを!?」
トリックを暴かれた犯人みたいに後ずさる月。しかし、ここにいるほぼ全員が知っている――月が毎朝のように卵焼きを作っている事を。
その量は日に日に増えて、ついに一真一人では食べきれなくなった為に、日向や舞香も食べているが、勿論誰の為に作っているかは明白。月と一真の関係を少しでも知っていれば、わかる事ではあるのだが。
「えー、だってそんな雰囲気だったもん。お姉ちゃん。お兄ちゃんが好きなんだ」
「わ、私には月って名前がある!」
月は惑乱したのか、そんなわけのわからない事を叫んで追及をかわそうとする。が、彩弓はにへらと笑っただけだ。
「うん、月お姉ちゃんはあのお兄ちゃんが好きなんだよね?」
「あ、いや、あの、彼にも一真って名前があって……」
言われた一真は、助けを求めるように未来に視線を向けたが、彼女は救いようのない莫迦を見るような目つきを返してくるばかり。「自分でどうにかしたら?」とでも言いたそうだった。
碧や舞香に視線を向けると、彼女らは何故か視線を逸らした。日向はにやにやと笑うばかり。最後の望みである海馬だけが、どうにか味方になってくれた。
「月、後にしとけ。後で告白するなり、キスするなり、好きにすればいいだろうが。彩弓もからかうのは止めとき。真面目な話しなんや」
訂正。ちっとも助けにはなっていない。月は泡が出るなら、その泡をも喰いかねない程に狼狽している。彩弓は何故、止められたのか分からないように、頭を傾げたが、それ以上は追及しなかった。それよりも重箱の中の黄身と白身が逆転したゆで卵の方に関心が行っているようだった。勝手に口に入れて目を丸くしている。
その姿は、年相応の少女そのものに見える……。しかし、物の怪にさらわれたということは、彼女もまた、特別な力を持っているのだろうかと、何の根拠もなく一真は想像を廻らす。
「ごめんね。でも、暗い話をずっと続けていたら、怖いのが寄ってくるんだよ?」
陰陽師達は目を丸くし、互いに顔を見合わせた。一真は彼らが何故驚いているのか、理解出来た。
物の怪は負の感情に引き寄せられやすい。それは、個人の感情のみならず、むしろ複数の人間が共有する感情の方が、強力で厄介な物の怪を引き寄せやすい。
――だから、怪談や都市伝説のような噂が広まる。物の怪が彼らの“怖い”って思っている物に形を変化して現れるから。
鶏が先か卵が先か、物の怪は噂を具現し、その姿を見た人間達は噂を広げる。少し昔に、実際にあった話を月が話してくれた事があった。陰陽師達が、その流れを食い止めるのに苦労したことも。
「お前は、知っているのか? 物の怪を」海馬が皆を代表するように聞くと、彩弓はこくりと頷いた。
「うん、知っているよ。あの怖いやつの事でしょ?」
「その怖いのが何を指しているのかは、ちょっとわからんが……お前はその話をどこで聞いたんや? 常社神社でか?」
うん、と返ってくることを予想していた一真達だが、彩弓は小首を傾げただけだった。そんな事をどうして聞いてくるのか、そんな「当たり前の事」をどうして聞いてくるのかという表情だった。そうして、少女は皆を驚愕させるような事を言った。
「そんなの、誰に聞かなくても分かるよ」
あまりにも、あっさりと出された言葉に、一真や未来だけでなく海馬や碧すらも言葉を失う。しかし、
少女はそんな反応を示す彼らこそが、おかしいというように表情を曇らせた。
「おいおい、冗談……を言っているわけでもなさそうやな」
「確かにそうだね」
日向が妙に静かな声で言った。そうして瞳を細めつつ彩弓を観察する。式神である彼女になら、何か分かるのだろうかと一真は思った。そういえば、以前に沙夜と対峙した時、迦具土神と向かい合った時も同じ表情をしていた。そして、その時と同じように、今も何を考えているのか、全く読めない。そして、あっさりとこの式神は話題を終わらせた。
「でも、今はそっちの……神社の話の方が重要だよ。続きを」
海馬は、まだ彩弓から視線を逸らさず、しかし先程の話を続ける。
「ふむ、彩弓の言う世界のなんちゃらについてはわからんので、そのことについては省くぞ。どこまで話したかの……あぁ、追放された陰陽師の話じゃったな。で、だ。その男が追放されたのは、およそ千年も昔の事じゃ。当たり前の事だが、人間は千年も生きられはせん。普通ならばな」
「普通じゃない人間がいるって事ですか? この世には、千年も生きているような普通じゃない人間がいるってこと?」
海馬の思わせぶりな言葉に、未来は信じられないというように声を上げた。一真も同じ思いだった。が、確かにいる。一真も未来もそんな「普通じゃない」人間に既に出会っている。
「春日沙夜」月がぽつりと呟き、未来はあっ、と声を漏らす。そう、彼女は物の怪の力を取り込み、千年もの間生き延びた。
京都の地下にあるという結界の中で。海馬はふっと不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「沙夜程、厄介ではないと思うがな。中原常社。それが今回の怪異を起こしている奴で、つい最近まで死んでいだと思われていたんじゃがの、常社神社内部に張ってある結界の中で物の怪として復活しおった。いや、復活したというよりも息を吹き返したって所かの。奴は弱り、魂だけの存在になりつつも生きた。陰陽師達に感知されない程の、生きているといえるのかどうかも分からない形のまま、そこで存在し続けた。そいつが人間の女の子を一人攫ったことがわかっての。それが彩弓だったわけやな」
「そんな事が……、あ、それで彼が復活した直接的な原因は何なの?」
一気に話し終えた海馬に向かって、月が聞き、一真は顔を強張らせる。博人が引き起こしたあの一件が影響している。それは先程、海馬に確認したばかりの事だ。月がわざわざ聞いたのには訳があるはずだ。
「京の結界が解けた事、一週間前の栃煌市の戦いで起きた神卸し。どちらも間接的にではあるが、常社の復活の原因ではあるな。しかし――」
と、海馬は天井を仰いだ。そうして、出かかった言葉を呑み込むと、彼は内なる痛みに耐えているような険しい顔で言う。
「――ひとつ気になる事があるんや。実はもう既に陰陽寮は、その問題の神社に腕利きの陰陽師を数人派遣しておる。だが、まだ何の連絡も返ってこんのや」
「それは――」
彼らがどうなったのかの想像が口から出掛りそうになって、一真は咽喉を詰まらせた。その陰陽師が月や碧、舞香の知り合いだとしたら、この予想は芳しくないし、安易に口に出せるものではない。しかし、海馬の口調はどこかさばさばとしていた。
「ま、死んだとは限らん。これから彼らの安否も含めて、確認に行く。そして、常社の方は封殺せんとの。その為に一真。お前と月の力が必要なんや。来てくれるか?」
突然の頼みに一真は面喰った。先程は、力があるかどうか試され、自分の身を守れる程度の強さとしか認識されていなかった筈なのに。今度はその力が必要だという。いや、本当に一真の力が必要なのだろうか。
「その……聞きますが。それは、俺ではないと出来ないって事ですか?」
「あんまし、そう構えなさんなよ。おんしの力が必要なんじゃよ」
海馬は笑顔でそう押した。驚きとそして、ほんの少しの満足感が一真の中に流れ込んだ。しかし、それは隣に座っている未来の表情を見た途端に、一瞬にして零れ落ちてしまった。
「私も行っていいですか?」未来は先程火龍に見せた時と変わらない覚悟で問いかける。海馬は別段困った風でもなく、感心したように微笑む。そして確認するように、諭すように、海馬はゆっくりと声を出した。
「行ってどうにかなるってもんじゃないで。むしろ足手まといになるかもしれない。それで、誰かが傷つくかもしれない」
「一真を危ない戦いから守れれば、それで上出来だと思っています。それくらいなら、私にだって出来る。傍にいさえすれば出来る事です」
その言葉は、一真が月に対して立てた誓いと似ていた。
常に傍にいて守る。ひとりにさせない……。
「それは、危なかっしい事やなぁ。もしも、それでお前さんが傷ついたりしたらどうする。一真はそれを望んでおるかいな?」
「それで、一真が戦いを止めてくれたら、怪我の功名ってやつです」
恐ろしい事を考える。一真は、心の中で身震いした。同時にどうして、そこまで自分を戦いから引き離したいのかが、謎だった。
無論普通に考えれば未来が自分の事を好いているからだという結論になるわけだが、「そんなことある筈がない」と思う心が強すぎるせいで、そこには至れない。
「未来お姉ちゃんが行くなら、私も行く」彩弓が立ち上がって未来の傍に寄り添う。今度は未来が――一真が浮かべていたであろう――驚きの表情で彩弓の瞳を見返した。
「だって、私達は友だちだから」
一瞬、呆気に取られていた未来だが、すぐに我に返り彩弓の肩を掴んだ。
「ここで待ってなさい。危ないから」
だが、こうなってしまっては、彩弓はたとえ置いて行かれても、ついて行くだろう。それが一真には分かった。そんな三人の奇妙な鼬ごっこは、海馬の出す笑い声によって止んだ。
「全く面白いのぉ。お前さんらは。分かった分かった。どっちも連れて行く」
その言葉に皆が驚き、笹井は布団を撥ねのけ起き上がった。海馬はそれを制しながら彼にも告げる。
「あんたも来い。彩弓が行くならついて行くつもりだったんじゃろ?」
「あ、はい」
あまりにもあっさりと認められて、笹井は曖昧に頷く。その様子を碧が不審そうに見、訊ねる。
「戦えない者をそんなに連れて、大丈夫なんですか? 今日はやけに気前がいいじゃないですか」
「うーん? いつものことだろう? 俺が気前ええんのは」
そのあからさまなごまかしに、一真も問いかけるように瞳を向けたが、海馬はそれ以上は答えず、豪快に笑い飛ばした。
「こっちの戦力は三人、守る人間も三人じゃ。俺一人でも三人は守れるから余裕じゃろう」
それは冗談なのか、本気なのか分からないが、誰も否定しない所を見ると海馬は本当に三人分守れるだけの力があるのだろう。頼もしくはあるが、同時に先程の戦いは手加減されていたのだという事実が一真の心に圧し掛かった。以前はそれだけで腹が立ったものだが、今では冷静に事実を把握できる。月を守れるだけの力が、まだまだ足りないということも。海馬は一真が月と共にいることを許してくれただけだ。一真が月を守れるとは思っていないのかもしれない。
「月、それでいいか?」
成り行きを黙って見守っていた月に一真は聞いた。月はこくりと頷いただけだ。
「うん、問題ない。私は五人分守るだけの力があるし」
勇ましい言葉だ。しかし、その口調は妙に上の空というか、何か別のことで思い悩んでいるような表情をしていた。
「月?」
一真が問いかけると、月の表情は急に晴れた。彼女は立ち上がり皆の視線を受けつつ、今度ははっきりと言った。
「行こう、皆」




