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陰陽少女  作者: 瞬々
清風明月
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 部屋は相変わらず静寂で物音一つ、風の音すらしなかった。外の景色は静止画のように動かず、ただ景色がどこまでも広がっていた。空から降り注ぐ月華の光だけがそれを照らし出している。


 一真は腕時計を見た。針の音がやたらと大きく聞こえた。随分と長い間逃げ回っていたような気がしたが、異変を感じた時から、まだ一時間も経っていない。


 そもそもあんな非現実的な事が起きた後――今も十分に非現実的だと思うが――で、時計が動いている事がおかしいような気もする。それに、携帯がなぜ繋がったのかも。全てがちぐはぐな世界だ。まるで夢の中のようだ。非現実的な想像と現実を混ぜっ返したかのような。


 一真達がいる居間は意外と広く、すぐ傍には台所があった。清楚な感じの換気扇と焼け焦げたガスコンロが隅にぽつんとある。


 部屋の中は箱型のテレビ、天井の角には何世代も前のエアコンが設置されていた。周りを見ないで部屋まで来たが、恐らく玄関から居間に来るまでの間には洗面所もあるのだろう。何の変哲もないマンションの一室だ。


 そう感じた時、ふと未来がしていた電話のやり取りを思い出した。


「こ、ここは、もう何か月か前に取り壊された筈だよな? なんで、まだここにあるんだ」


「勿論、取り壊されてる。何か月か前に」


 一真は黙り込んでじっと月の顔を見た。月は一真から顔をそらした。


「えっと、まず。ここがいつも自分が暮らしている場所と違うってのはわかる?」


「え? そりゃな。だから、どうしてそうなっているのか教えてくれって!!」


「一真落ち着いて」


「あ、あぁ……悪い」


 先程のような恐怖が目の前にある時ならばともかく、今は目の前の現実に思考が追いつけていない。


 だが、彼は今これ以上ない程に安堵していた。


 月は性格こそ落ち着いているが、十年前と同じような気持ちで話しかけてきている。


 懐かしい気持ちと彼女ならなんとかしてくれるという安心感。だが、同時にこうも思う。

  

 十年前と同じ気持ちでこの世界を月と一緒にいることは出来ない、と。


 昔、同じような事を経験した。それはおぼろげながら覚えている。


 あの時は幼かった。だから、彼女といつまでも一緒にいられた。


 だが、今は――あんな怪物と戦う彼女についていくことは出来ない……そうしたくても。


「で、お前は一体ここで何をしていたんだ?」


「十年前と同じ」


「つまり、何をしていたんだ? 俺はあまり記憶力がよくないんだ」


 こんな素っ気ない、冷たい言い方をするつもりは無かったが、ここは居心地が悪かった。早くここを出たい。今すぐにでも。月はその皮肉に動じなかったが、どことなく落胆しているような様子だった。少し考えてからこう言う。


「物の怪を滅っしにきてた」


「物の怪ってさっきの炎みたいなのか?」


「さっきのも、そうだけど私が追っていたのじゃない。あれはずっと小物」


 あれで小物なのか。一真は背筋に幽霊がとりついたような寒気を感じた。


「物の怪が何なのかってのもわからないと思うから説明するけど、その前にこの私たちが今いる世界は『陰』。現実世界の裏側にある所。」


「……陰陽の二つの世界があるって話か?」


 昼間に読んでいた本にも、物事にはすべて表裏があると書かれていた。それが陰陽の基本なのだと。


 例えば、霊魂には穏やかな「和」の性質がある一方で荒々しい「荒」の性質がある。


 雨は大地に恵みをもたらす一方で、木々をなぎ倒す嵐にもなり得る。

 

 古代の人間はそれを、神が持つ二つの性質であると解釈した。


「そう。現実世界の存在そのものの裏側にある世界。私たちが暮らす陽の界を形あるものが存在する場所とするならば、ここは目には見えない物によって作り出された現実世界の「鏡」とも言える場所」


 月は、一真の顔色を見て即座に言い方を変更した。


「ここはね、人間の強い負の感情が生み出した世界で、例えば――さっき私が倒した物の怪の女の子」


――こっちにはやくきて


 あの時。あの少女……月の言葉で言うなら物の怪だ。彼女にはどんな表情が浮かんでいたか? ちらっと一真は思った。一真の表情に幾分か真剣味が見えた事に勇気を得たように月は続ける。


「彼女は半年ほど前、このマンションの一室で一人で死んだの。火事で。彼女の両親はその前の晩に少女を置いて家を出て行き、その子は一人でずっと夜も寝ずに両親の帰りを待っていた」


 一真はその光景を思い浮かべようとした。


 暗い部屋で始まる夜明けを一人で迎え、空腹と孤独に苛まれながらも待ち続ける。しかし、何か食事を取らなければと思ったのだろう。


 小さな女の子はガスコンロに火を掛けた。何か料理をしようと。しかし、上手くいかなかった。ガスの火が台所を覆い、あっという間に部屋全体に広がる……。


 一真自身も幼い頃に何度も一人、或いは妹と二人だけで長い留守番をさせられた事があったから、ある程度の想像が出来た。


「孤独からの悲しみと帰ってこなかった両親への憎しみが、この世界で物の怪となって具現したの」


「つまり、あれは亡霊みたいなものか?」


 一真は説明された事を頭でどうにか解釈しようとしたが、月は首を振った。


「強すぎる感情が、少女が死んだ後もその場に残ってしまった感じ。魂はあの世に行ったのに感情が置いてきぼりにされてこの世界に引き寄せられてしまった」


 そもそも、感情と魂は分離できるものなのか? 一真は思ったが、それを追及していくと哲学的な見地にまで発達しそうなので、あえてそこには触れずに別な事を聞いた。


「で、そんなのがうようよしてんのか? それにしてはやけに静かな所だな、ここは」


「本当に何も覚えてないんだ」


 月はがっくりと肩を落として口をへの字に曲げた、一真は、ん? と怪訝に眉を上げた。そして、別段悪い事をしていないにも関わらず、罪悪感を感じた。


 実際の所、月が言うように何もかも忘れているわけではない。記憶には朧けながら残っているものもある。丁度、今いるような暗い世界の中で月と共に歩いていた事。


 月の持つ太刀が光を浴びて煌めき、怪物を斬り裂いた事。だが、多くの普通の子供が経験した事は覚えていても、それが何を意味するのかが分からないように、一真もその記憶が何を意味するのかを明確には理解していなかった。


 だが、それは当たり前の事だろうと、一真は自分を弁護する。


 幼馴染の女の子が物の怪をあじの開きみたいに斬りまくっていた記憶なんぞあっても、夢で見た事と混同しているんだと思い直すのが普通だ。さもなければ、頭がその事実についてこられずに爆発してしまうかもしれない。


「物の怪は常に影に隠れて生きているから。出てくるのは自分の力が最も強くなっている時か、私たちが弱っている時」


「だったら、さっさとこんな所は出て行こうぜ。そもそもなんで俺と未来はこんな所に迷い込んだんだ? まさか、こんな事が日常茶飯事にあるわけじゃないよな?」


 月はその質問から逃れるように瞳を宙で泳がした。酷く気まずそうだった。普段の一真なら、女の子にそんな思いをさせる事にいたたまれない気持ちになるのだが、今は違った。


 明らかに月がなんらかのミスをおかしたせいで、一真はひどい目に遭わされ危うく物の怪とやらに取り殺される羽目に陥ったのだ。


 一真が胡乱な表情になるのを見て、月は怒られるのを察した子供のように急に話し始めた。


「十年前に渡した折鶴。まだ持ってたんだね。とっくに捨てたと思った」


 完全な不意打ちだった。


 一真は反射的に自分の胸を抑えた。折り紙のパサパサとした感触が指越しに伝わる。まさかと思うが、これが原因?


「女の子から初めて貰ったラブレターだからな、一応」


 ゆっくりと吐き出すように言って一真は初めて月の顔をまともに見る事ができた。


――女の子。そう、目の前にいるのは紛れもなく女の子なのだ。


 月はその言葉の意味がわからなかったのか、あえて無視したのか、大した反応を示さずに一真の胸を指差した。


「それは陰陽師が造った道具、霊具の一つで、こっちの世界と元の世界との間に開いている扉を通る事が出来る」


「いや、ちょっと待てよ、おれは十年近くこれを持ってるが……」


 そこまで言って、一真は口をつぐんだ。折鶴を今持っている時点で隠しようがない事であるのは、わかっているがこうして肌身離さずいつも持っていた事を言うのは、なんとも恥ずかしかった。


「持っているだけでは駄目。陰陽師かあるいは物の怪が造った陰と陽の界を行き来する扉が無いと。一真とあの女の子は、私が造った扉に偶然入り込んだ」


「……恐ろしい話だな」


 ぽつりと呟くと月は俯いた。一真は自分でも驚く程にうろたえ、慌てて付け足した。


「い、いや、でもそのおかげでこーして、会えたわけだしな」


「そうだね」


 月は視線を床に這わせた。一真の心のこもらない言葉を真に受けていないのは確かだ。そもそも、こんな危険な目に遭ってまでして再会せずとも明日には会えたのだ。


 気まずい雰囲気だ。がしがしと乱れた髪を掻きながら、一真は窓の向こうに視線を向けたが何も見えない。ふとある事を思いだして、月に顔を戻した。


「あ、あのさ。ここっていつも暗いのか?」


「陰の界は、主に消極的な陰の気によって成されているから――」


 手を上げて一真はその説明を遮る。どうせ説明されたところでわからない。


「そういう説明はいいから」


「うん、暗い」短く月は答え、一真は確信した。


「お前と一緒にいた時の記憶はいつも夜だった」


 一真はその時の記憶を呼び起こしながら言った。

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