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陰陽少女  作者: 瞬々
華胥之夢
78/234

†††

 降り敷ける雨の中を、巫女は澄ました顔で、突っ立っていた。彼女の周囲の宙を何匹もの蛇が泳いでいる。


 もうかなりの時間、雨に打たれている筈だが、その巫女は気にもとめていない風であった。真っ白な肌を、その翡翠のような光沢を放つ髪を、雨粒が伝っていく。


 一真は、破敵之剣を下段に構えたまま、さりげなく一歩を踏み、すっと剣を上げた。途端、巫女の周りを浮遊していた蛇達が、一気に襲いかかってきた。破敵之剣が扇を描いて、正面からきた蛇を軽々と叩き落とした。


 落とされた蛇は、液状になって地面に染み込み消える。中にはまるで本当に生きているかのように、体をよじらせている物もいる


 続いてもう一匹が飛び込んでくる頃には、既に剣を構えなおしていた。胴を薙ぎ払う。左右から挟みこむように、向かってくるのは残りの四匹。素早く膝を折って、一真はその突進を躱した。


 同時に剣を頭上で振るう。刃と蛇が交差し蛇が、身体を水となって弾ける。立ち上がってみると、蛇は三匹にまで減っていた。巫女の周りにまで退却し、シュっと声を上げる。


「やるではないか、まさかこれが、一週間前はただの少年であったと誰が思うだろうか」


 そう言ったのは巫女ではない。三匹の蛇が口を揃えてそう言ったのだ。


「それは、どうも」一真はそのお世辞を軽く受け流しておいた。次に来るのは本気の攻撃である筈だ。三匹の攻撃を逃すまいと、一真は剣を構える。


「あら」とその巫女は笑った。その意味が分からないまま、一真は一歩を踏み込んだ。いや、踏み込もうと決意した。が、足は動かなかった。


「え?」


 下を向いた途端、天と地が逆転する。次の瞬間には、一真の身体は、宙で半円を描き、雨で濡れた大地に背中から叩き落とされていた。見開いた瞳に、灰色の雲が飛び込んでくる。


 彼女が笑った意味が分かった。一真は、巫女と蛇の動きを見るのに必死になっていて気が付かなかったが、足元には斬り捨てた筈の蛇の身体が絡まっていた。


 雨で上から下まですっかり濡れていた為に、その感触に気が付けなかったのだ。


「か、一真、大丈夫!?」


 神社の方から声が上がり、水溜りを跳ねながら足音が近づいてくる。


 柔和な瞳を大きく見開いた黒髪の少女の顔が視界を遮った。


 この次に何が起きるのか、分かっていた一真は、急いで立ち上がった。ごほっと咳が漏れる。


「いや、大丈夫だ……て、このやり取り、さっきからずっと続いているんだけど」


 一真はいい加減呆れ顔で言うと、少女――月は顔を赤らめた。


「そうそう、手加減しているのだし、そんなに心配する事ない」


 たったいま、一真を文字通り倒した張本人である碧は、そう言って笑う。手加減されている。そう、これは鍛錬の一環だ。お互いに本気でやっているわけではないから、当たり前の言葉なのだが、己の実力不足を暗に指摘されているようで、痛かった。


「今の敗因は一真の油断が原因だなぁ。剣道してるせいか知らないけど、上からと正面からの攻撃には、素早く反応出来るのに、下からとか足元の攻撃はもろに喰らうな」


「後、一真君は視界に入って来る物にしか反応出来てないね。気配で反応出来るようになんないと、物の怪との戦いではキツイね」


 そんな上から目線での講評を浴びせたのは、神社の縁側に腰掛けた舞香と式神の日向だ。足をぶらぶらさせながら、呑気に卵焼きを食べている。月のお手製だ。


 まだ重箱に二、三十個はある。ここ数日は卵地獄で、そろそろコレステロールの摂取量とか気にしないといけないのでは、と思い始めているところだった。


「鍛錬ぶっ通ししたから、疲れたってのもあるのかしらね。ま、ここ数日の特訓で随分マシになったとは思う」


 碧の言葉に一真は、ここ数日の事を思い出す。


 一真にとっての今年のゴールデンウィークは、人生史上最悪の七日間となるところだった。父も母も家にいる。


 いるのだが、仕事の疲労から二人とも、とてもではないが子どもを連れて、どこかへ遊びに行く等と言う気力は無いようだった。


 妹の花音は、友達の家族と共にキャンプに出かけていて、休みの間は帰って来ない。一真にしてみれば、暇で仕方がない。


 どうしたものかと思っていると、月から「じゃあ、神社で過ごせばいい」と恥ずかしがりながら、提案された。


 彼女の父である春日刀真と母の蒼、それに栃煌神社の神主である碧、舞香の両親は、京都で起きている異変を解決しに行っている。蒼からは「月を頼みますね」と冗談を交えた意味ありげな事を言われた。


 刀真が残した言葉はもっと厳しく真面目だ。神社に宿泊するにあたり、「ここで過ごすつもりならば、毎日鍛錬を行え。君には月を守る義務があるのだからな。弱いままでは困る」云々と、言いつけられている。


 勿論、そのつもりだった。今のままでは、月と一緒にいる事は出来ても、彼女を守ることは適わない。


 この一週間でどれだけの力がつけられるかが、一真にとっての課題だったのだが、思っていた以上に実力はつかない。


 だが、それもある意味当然かもしれない。何年もの間、剣道を続けてきたのに、まるで実力は上がらなかったのだし。が、それは口が裂けても言えない。そんな弱音を盾にしたくはなかった。


「もう一度」


「駄目。鍛錬というのはね、短い時間で行う事。鍛錬を長く続けるよりも、鍛錬の流れを把握する事の方が大事よ。自分の動きひとつひとつ。それを繋げ流れるような動作。呼吸と動きと思考を同調させた動きを意識すること」


 これは、一番最初の、鍛錬初日のレッスンで言われた事だ。一真の動きはひとつひとつは、丁寧でしっかりとしたものであるらしい。しかしながら、それらの動きは単体でしかなく、一連の流れるような動作にはなっていないのだと、碧は言う。


 それが一体どういう事なのか。一真はなんとなくでしか分からない。ともかく鍛錬あるのみだと思っていた。だが、実際には長く鍛錬するとむしろ、動きと呼吸をどう合わせればいいのか、わからなくなっていく事に嫌でも気づかされた。


「いい? 鍛錬自体に意味があるわけじゃないのよ」


 釘を刺すように碧は追い打ちを掛ける。一真は決して呑み込みの早い生徒では無い。物の怪との戦いでは生き残るのに必死になったせいか、霊力――万物に宿る

『霊気』を、術を使うのに必要な力に変えた物――を扱えた。


 今は陰陽師の最も初歩的な技である「身固め」という、身体能力と反射能力を上げる術を使うだけで、精一杯だった。時々はそれすらも出来なくなる。


「フハハハ、気にするなよ。相棒。今は俺が霊力を、分け与えてやってないからなぁ。それで上手くいかないってだけだ」


 頭に直接響く声で豪快に笑ったのは、手に握った破敵之剣――通称、天だった。


 彼の声は、今持ち主である者、かつて持ち主であった者にしか聞こえない。なので、碧には聞こえなかった。


 因みに、こちらからの声は、口に出さないと伝わらない。いや、頭の中で考えるだけで、伝える方法もあるのかもしれないが、少なくとも今の一真には出来ない。


「頑張るよ」


 天を懐剣の状態に変化させ、竹刀袋に戻しつつ答えた。


 だが、いくら頑張った所で結果を出せなければ意味は無い。物の怪に向かって自分の頑張りを説明して分かって貰えるわけがないのだから。全ては結果だ。それが今の一真にはない。


 つい、暗鬱となりそれが表情に出たのだろう、こちらの顔を覗き込んでいた月が励ますように、ぐっと拳を握った。


「一真が頑張って鍛錬を積んでいる間、私も頑張ったから!」


「何を?」一真は冷静に返すと、月は顔を耳まで赤らめて黙ってしまった。


 月の言葉は大体、主語か、目的語が抜ける。そして混乱状態になると、主語と目的語だけで話しかけてくる。


 もう、ここ二、三日一緒にいるだけで、それだけ分かった。いや、分かったというよりも思い出したと言った方が的確かもしれない。


 月と一真が出会ったのは、今から十年程前の事。その頃の一真の家庭は、父と母が仕事で、殆ど家にはいなかった。


 一真は、孤独さを紛らわす為、ただがむしゃらに人よりも強くなる事ばかり、考えていた。剣道を始めたきっかけもそこの理由が大きい。


 強すぎる力を求めた結果どうなるかなど、幼い彼には知る由もない。しかし、事件は起きる。


 陰陽師であった――そうとは、その当時は知らなかったのだが――叔父の言葉に、そそのかされて、一真は神社の神庫に掛けられていた封印を、解き放ってしまう。


 それが、物の怪や陰陽師と関わりを持つようになったきっかけであり――月との最初の出会いとなった。


 封印を解かれた物の怪との戦いは一か月近く続いた。そして、一真はその間ずっと、月についていた。


 その時の記憶は極めて曖昧だったが、こうして月と一緒にいると色々な事を思い出す。考えも無しに、小恥ずかしい事を沢山言った気がする。


 その戦いが終わった後、月は京都へと引っ越してしまった。それから、十年もの年月を経て、帰ってきたのが丁度一週間程前。


 物の怪との戦いは、月が帰ると同時に始まり、一真は月自身が抱える運命、そして自分自身が持つ闇と対峙させられた。


 そこで一真は選択した。月と共に生きるという道を。その先の未来がどうなるか等考えずに。ただ、彼女と一緒にいたかったから。


 この道を選ばなければ、今まで通りの生活をまた、続けられた。彼にはそれを選ぶ事も出来た。あれは、身勝手な選択だったのだろうかと、一真は時々考える事がある。


「で、何を頑張ったんだ?」


「その、料理をね。おととい、一真が……卵焼きは飽きたって言っていたのを聞いたから」


 ぎくりと、一真は肩を震わせた。まさか、覚えていたとは。確かに一真は、言った。重箱に一杯の卵焼きを見た時に、つい本音が漏れてしまったのだ。周りの温度が、月の言葉によって二、三度程下がったような気がした。


 そこにいた女子全員の目つきが怖い。お前たちだって同じ事を思っているだろうに。一真は思ったが、ここでは言えない。


「い、いや。好きだけどさ」


「わかってる。言いたい事は。私もこれじゃ駄目だと思っていた所だから」


 すっと出されたのは赤い重箱。自覚があったとは……が、もしかしたら作ってきたのは、ゆで卵の群れとかじゃないだろうなと、作って貰っておきながら、失礼な事を思った。


「開けてみて!」


「あ、あぁ。ありがとう」


 言われるがままに、一真は蓋を開けた。そこで思わず一真は絶句してしまった。


 中にあるのが、自分の思っていた物の通りだったからだ。が、もしも本当にゆで卵の群れがそこにあったのだとしたら、一面に見えるのは整然と並ぶ白い卵の群れの筈だ。


 そこには一面黄色の山々。つまり黄色の卵が並んでいた。なんだ、これはと一真は思わず口をあんぐり開けた。


「驚いた? これはね、“黄身返し卵”って言うの」


「な、なんだ、そのカッコいい技名みたいなのは!? 黄身が返ったということは? まさか、中身は?」


「白身です」


 どこから出したのか、小さめの包丁で、月は得意げに卵を割ってみせた。


 ふんわりとした黄身の覆いの中から白身が覗く。すごい。が、すぐに冷静さを取り戻した一真は、まじまじとその卵を見つめた。


「で、これどうやって作ったんだ?」


「うん、まずは鶏から生まれて、三日ほど経過した卵をね、って一真どうしたの?」


 がくりと項垂れながら、一真は手だけで月の説明を制した。


 前言撤回。なんというか、月の思考は読めない。生まれてから三日程経過した卵? そんなものを一体どこから手に入れてきたのだろう。たかが男子高校生一人に食べさせるにしては、手間が掛りすぎている。


 それも、ふつうの人間が考えるような工夫とは、一線を画しているというか、努力の方向音痴というか。ともかく、こんなものを毎日食べさせて貰うような事は出来ない。


「ごめん、卵焼きが恋しくなった……いや、むしろ、これからは俺が作ろう。月にばかり、作らせるわけにいかないもんな」


「え、で、でも、一真って料理出来たの?」


 黄身返し卵で無ければ。


「そだねー。一真君は卵以外にも色々作れるみたいだよー。誰かさんと違って」


 日向がくすくす笑いながら、そんな余計なことを言った。うっと月は呻いた。痛い所を突かれたのか。いや、そもそもなんで卵料理ばかり作るのだろう。卵から離れてくれれば、何の問題もないというのに。


 日向に月が言い返そうとしたその時、ポンポンと碧が手を叩いた。 


「ほらほら、そこまで。料理については、私が色々教えておくから。君は料理よりもやる事があるでしょう?」


「わかってるよ」一真はやはり、生真面目に答える。


「教わる。うん、卵以外も」


 月がぎゅっと拳を握って言った。頑張れと一真は微笑んだ。極端に変な発想を思いつく事もあるが、それでも今、目の前にいる彼女は普通の女の子にしか見えない。


そうであるべきだ。


 しかし、彼女は、彼女がそれをどれだけ望もうとも、普通の女の子として暮らす事は出来ない。それは彼女が単に陰陽師であるからというだけではない。


 彼女の家、春日家に生まれる女子は、陰陽二つの神から、物の怪を斃す為の力を与えられている。ひとつは、強大な霊力。だが、力とはそこにあるだけでは意味がない。力を振るうには、敵が必要だ。


 そう、ふたつ目に与えられたのは、物の怪を惹きつける体質。それがどんな性質なのか、一真にはわからないが、月はそこにいるだけで、物の怪を惹きつけるという性質を持っているらしい。


 月の話によればそれは、いつも発動しているわけではないらしい。が、いつ発動するのかは本人にも分からず、また自身でその力を制御することも出来ないとの事だった。


 食虫植物の花が香でおびき寄せるかのように、月は物の怪を無意識のうちに引き寄せそして、滅する。


 ともかく、その二つの力は本人が死ぬまで消滅する事はなく、産んだ子どもが女子であれば、その子どもにも力は受け継がれる。


 春日家に生まれた女性は、誰もがその宿命に思い、悩む。一真は少なくとも、三人知っている。


 一人は月。もう一人は彼女の母である蒼。


 三人目は沙夜――自身の運命、それを利用した周囲の人間に対する憎悪から、物の怪と化した少女だ。


 沙夜は、このまま月が、物の怪との戦いに殉じればどうなるかという事を示す、生きた証拠だった。彼女とは一週間前の戦いで対峙したが、決着はつけなかった。


 彼女と戦うだけの覚悟が一真には無かったからだ。彼女が受けた仕打ちを思うと、共感できる部分もあった。憎悪に囚われた彼女を助け出してやりたいとも思った。だから、彼女を剣でもって打ち破る事はしなかった。できなかったのではなく、しなかった。


 だが、いつまでも「しなかった」で済ましておくわけにはいかない。彼女は今もどこかを独りで彷徨っている筈だ。いずれ、また対峙する時が来る。その時に一真は、どうすべきなのか……。


 思考の中に沈んでいたせいで、思いっきり瞳を覗き込んでくる月に、一真は気付けなかった。


「一真?」


「なんでもない……おわ!」


 驚き、仰け反った後で一真は、しまったと思った。思った通り、月の顔がみるみる内に、暗く沈んでいく。一真が一人で思い悩んでいると、分かると月はいつもこうなるのだ。


 当たり前だが、こうなった後に「大丈夫だ」と言っても意味はない。だから、言い訳をするよりも、月が何か言うに任せる方がいいと、一真は悟っていた。


「また、悩んでいたんだよね。今度はどんなこと考えてたの?」


「このままで、いいのかなってな。ちょっと、考えてたんだよ」


 すっと、白い腕が伸びてきて、一真の両の頬を撫でた。コツンと額と額がぶつかる。


「一真はちょっと、焦りすぎ。物の怪と戦ってからまだ、一週間しか経ってないのに。霊気は使いすぎると、危険なんだから」


 なんで、危険なんだ? 聞こうと思ったが、その理由は恐らく自分でも分かっている。


 霊気は、霊力を使うために必要な物だが、ゲームであるようなMPのような単純な構図はしていない。霊気そのものは、生命力のような物だ。使いすぎれば自分の命に関わる。霊力を使った後は、決まって気分が悪くなる。働きすぎた後に、押し寄せる過労のように。


 月はにっこりと優しげに微笑む。不覚にも一真は、その笑顔に、自分の心が揺れ動くのを感じた。誘い出すように巫女姿の少女は囁く。


「少しだけ外に出てみない? ね、良いでしょ碧?」


「いや、まぁ……」碧は珍しく戸惑った顔で、一真と月の両方を見比べた。鍛錬は他にも、幾つか残っている。目隠しをして、気配だけでどこに誰がいるかの察知、破敵之剣、天と自分の霊力の同調、等々。


 一真としては、まだ鍛錬を続けたい。押し寄せる疲労など無視してでも。この鍛錬の一つ一つが、月と共に歩む為に必要な事なのだから。


「ほら、行こ。あ、でもどこがいいかな。ココアが美味しいお店あったよね? あそこ、まだある?」


 顔中綻ばせ、身体を弾ませながら、月は一真を引っ張る。困った顔で一真は、碧達の方へ視線を向けると、好きにしろというように、碧は肩を竦めた。


 ちらっとその瞳が、それまで、大人しく卵焼きをパクついていた少女二人に向けられる。


「わー、私も行きたいなぁ!」


「連れて行ってよ、月―!!」


 騒ぐ舞香と日向の肩を掴み、碧は万力のような力で、そこに押し止めた。


「あんた達はここにいなさい」


「えー、姉上のケチー……って、わぁあ!! ごめんなさいごめんなさい!!」


 肩を掴まれたまま絶叫する舞香を、尻目に一真は月に連れられるままに、その場を後にした。


 一瞬だけ目の合った日向には、ウィンクされた。月との二人きりを楽しめ。そう言っているようだ。なんというかすごく恥ずかしい。なぜなら、一真は月に手を引かれて嬉しかったからだ。


 廊下を抜け、玄関で靴を履いた時から鳥居を抜け、石段を下り、大通りに出るまで月は黙ったまま、一真の手を放さなかった。


 その手が小刻みに震えているのを肌越しに感じ、一真は心が沈んだ。また彼女に心配を掛けている。

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