六十九
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――十年前。
物心つき始めた頃の事だと思う。父は仕事に、母はまだ幼い妹の花音にかかりきりで、一真はいつも一人で遊んでいた。道場での練習は寂しさを紛らしてくれたものの、より一層辛い事もあった。師範には「基礎を学べ。それまで竹刀は握らせん」と言われ、数年年上の生徒には「竹刀も持てないのか」と嘲笑われた。そうした中で一真の中ではいつか強くなるという思いが歪んだ心と共に生まれる。
いつか強くなりたいという表の感情は、いつかあいつらに自分の強さを認めさせてやるという裏の感情と一体。その暗い感情に訴えかけてきたのが叔父の博人だった。彼はいついかなる時でも相談に乗ってくれた。そして、いつも合理的な答えを出してくれていたように思える。強くなれない事を相談した時、博人はこう言った。
「強くなれないのは、君の中に怖いという気持ちがあるからだよ。友達が、先生が怖いという思いが邪魔して力を発揮できないからだ」
だから、それを克服する為にはどうしたらいいか。博人は答えてくれた。
「栃煌神社があるのは知っているだろう? あそこにある倉庫には世にも恐ろしい怪物が住んでいるという。勿論、そんな物はない。だけど、君の勇気を試すには丁度いい場所だろう? 君はあそこに行って倉庫の中を見る。怖いという気持ちを抑え勇気を出して、中を覗いてくるんだ。恐怖を克服すれば君は強くなれる」
まだ五才だった一真には叔父の言う事は正確にはわからなかった。ただ、神社の倉庫を覗いて来れば、自分は今よりも強くなれる。ただ、それだけの自分にとって都合のいいことだけを解釈し、神社に忍び込んだ。そこで出会ったのが月だった。黒く腰にまで届く長い髪、人形のように整った顔と闇に浮かび上がる白い肌。彼女と目を合わせた時の事は鮮明に覚えている。一真はその時、神社の者に見つかったという恐怖よりも、少女のその姿、纏う神秘的な雰囲気に心を奪われた。少女には攻撃性というものが全く無いように思えた。だからなのだろう。
一真が最初に彼女に掛けた言葉は「一緒にあそぼう」だった。少女は、月は心から嬉しそうな顔をした。同年代の子と遊ぶ機会が少なく、寂しかったのかもしれない。
当初の目的も忘れて一真は月を神社から連れ出し、様々な場所に行って遊んだ。日が傾き、世界が夕焼けに照らされる時まで。
神社にこっそりと戻ったその頃にはすっかり日が暮れていた。二人とも刀真にこっぴどく叱られた。それを蒼がいさめたのだったか。ともかく、一真は神社を追い出された。腹正しさと悔しさだけが残ったのを覚えている。幼き頃の一真は再び神社に忍び込み、そして当初の目的である神社の隅に置かれていた木造の倉庫を開け放った。
そこで彼は物の怪に襲われた。真っ黒に染まった獣とも人ともつかない影に押し倒され、恐怖の余り叫んだ声は声にならず、腰を抜かし逃げる事もその物の怪の視線から目を逸らす事も出来なかった。
それを月に助けられた。太刀の一振りで物の怪を斬り倒して。
「一真、だいじょうぶ?」
月の心配そうな声に一真は情けなく、泣き崩れた。月の小さく華奢な腕の中で。そこには一真が思い描いていたような強さなどどこにも無かった。今にして思うと、女の子の前で情けなく泣いた事が強さへと執着し続けた理由だったのかもしれない。もう二度と情けない風体をさらしはしない、と。それから何度か月とは遊んだ。遊んだり、時には月が物の怪と戦う場面に同行した。その頃から既に月はひとりで戦っていたようだ。刀真や蒼は月の力を信じていたのか、それとも得物である護身の太刀を信頼していたのかはわからない。ともかく、一真は月が物の怪と戦う場面にはなるべく、ついていくようにしていた。恐怖を克服する為に。強くなる為に。
だけど、最初に強くなりたいと思った時と違って、その時にはなぜ強くなりたいのかというはっきりとした理由もあった。
――月と一緒にいたい。
ただ、いるだけじゃなくて、彼女を助けられたらいいとそう思った。そして、一真は再び叔父に相談した。もののけのこと、おんみょうじのこと。すべてを叔父に話して、それで強くなるにはどうしたらいいかと相談した。普通の大人だったら相手にされない筈だ。子供の空想だとすら思わずに真摯になって聞いてくれるその姿勢に違和感を覚えてもよかったはず。だが、そこに思い至らないのは、幼さゆえだろう。
「知り合いに聞いた話だがね」
博人はそう切り出した。その知り合いが誰なのか、そもそも知り合いなどいなかったのか。それはわからない。
「あの倉庫の中に保管されている鏡。あれには強力な武器が封印されているらしい。それを取り出す事が出来ればもしかしたら、一真も強い力を手に入れる事が出来るかもしれない……いや、駄目だな。危険だ。何しろ鏡には武器以外にたくさんの物の怪が封印されているからね。今のは聞かなかったことにしてくれ」
聞かなかった事にできる筈が無かった。そこから先は沙夜が語った通りだ。鏡に封じられていたのは沙夜。そして、沙夜の声に応じて、祭具殿に封じられていた物の怪が蘇ったのだ。一真は自分の愚かな行為で自分自身を、月を窮地に追い込んだ事になる。結果的に月は封印を解かれた物の怪を倒す事ができたものの……。
――なぜ、今のいままで気づかなかったのだろう。
そして、その男は、一真を甘言で闇へと誘ったその男が今、目の前にいる。




