六十七
月は心の中で思った。少しでも気を抜けば、力はすぐさま霧散してしまいそうだ。こうして繋ぎ止めていられるのは、自分の心があるべき所を確かに感じていられるから。
自分だけじゃない。他の人達、自分を取り巻く世界の形を感じる事が出来る。だから、後はそれを力の刃として放つだけ。物の怪の、邪の心から、身を護る力と為して。
月はそのまま、太刀を扇を広げるように、横へと振った。沙夜が新たに繰り出した物の怪達が一瞬にして薙ぎ払われ、その残り滓が太刀の中で消滅する。しかし、それだけでは終わらない。その先にいるのは――。
「ハ!! なんだ、それはぁ!!」
沙夜が持つ大太刀から黒い焔が迸り、天上へと伸びる。漆黒の龍と見紛うそれは、大きさだけで言えば月の太刀から具現した光柱の数倍の大きさだ。
「月!!」
一真の緊張した声が後ろから伝わる。しかし月は動じず太刀を右諸手の上段に構える。そうして、彼女は目の前に立つ沙夜に答える。
「これ? これは、護身之太刀黒陰月影。あなたがかつて使っていた物と同じ」
「何?」
沙夜の顔が疑念そして怒りに歪んだ。まるで、こちらが答えをはぐらかしていると思っているかのような。あぁ、そうかと月は思い直す。
深淵の闇の中で、彼女はひたすらもがき続けたのだろう。その中で感じ続けたのは物の怪達が発する負の感情――いや、かつて人間の感情だった物のなれの果て。
大波のように押し寄せる叫び。物の怪を一言で表わす言葉があるとしたら、月はそう言うだろう。現代で月が感じた物の怪の叫びはひょっとしたら微々たるものなのかもしれない。沙夜の生きた時代の叫びは、果たしてどれ程の物だろう。
紛争、暗殺、凄惨なまでの権力争い。そこから生まれる“叫び”と戦い続けた沙夜の精神は驚嘆と尊敬に値する。しかし。
「あなたには守りたい物なかったの?」
「あった。しかし、全員死んだよ。わたしたちは全員捨石にされたんだ。だれかを犠牲にしなければ生きられないそんな弱者どものためにね!」
叫んだ沙夜の体から邪気が漏れ、どす黒く燃え上がるその大太刀と絡み合うその姿は天に向かって聳える竜巻を思わせる。
何百おそらくは何千という物の怪と繋がっている彼女の霊力は圧倒的であり、月一人ではとてもではないが、およびもしない。それに加えて沙夜自身の中で千年の合間、封じられてきた深い闇もある。それを凌駕するだけの力も打ち破るだけの強さも月の中にはない。
「いつだってそうさ。生き残るのは我が物顔で尊大なやつらばかり。仲間を家族を失くし途方にくれていたわたしに奴らは言ったよ『これをはたせばもうくるしむひつようもない』などと。全く持ってふざけてる。おかげで、わたしは生きることも死ぬこともできずに、彷徨い続けるはめになったのだからな。そして、私を散々利用した彼奴らはまんまと生き延びた!」
暗鬱な表情を憎しみに満ちた笑みが彩る。もはや邪気は太刀のみならず沙夜の身体その物を覆っていた。黒い影の中で白い生気のない顔と髪が浮かび上がるような形に。
「やみを彷徨いながらかんがえつづけたのは死んだ者達のことばかり。だが、やがて他の事もかんがえるようになった。そして一つの結論にいたる。こころを弄び、それに痛みすらかんじない物の怪以下の畜生共しか残らないこんな世界などいっそ滅んでしまえばいいと。その為にわたしは蘇ると決めた!!」
狂喜の叫びと共に邪気の風を纏った大太刀が振り下ろされる。受け止める事も避ける事にもでか過ぎる。地を蹴り月は前へと飛翔した。煌々とした光を放つ護身の太刀を上段から撃ち下ろす。
陰陽の刃がぶつかったその時、何十ものの数珠が弾けるような音色と何百ものの獣が上げる咆哮が混ざり合う。稲妻が目の前に落ちてきたかのような光の爆発に、思わず閉じそうになる瞼を踏ん張ってどうにか開ける。
白い光と黒い闇はお互いに絡み付き合っていた。ぶつかり突き抜けては戦うその様は二匹の龍が互いに身を喰いあっているかのよう。激しい力の応酬が目の前で起きているのに、不思議と柄を握る手には現実味が伝わってこない。
いや、もしかしたらそれは月だけの事かもしれない。沙夜の顔には憤怒の表情が浮かんでいた。その彼女が操る闇は物の怪の唸りを放ちながら月を呑み込もうとする。しかし、彼女にはまるで触れられない。
闇は月を彼女の光を圧倒したが、あと一歩前の所で押し止められ、霧散していく。いや、本当に霧散しただけか。邪気の焔は浄化され、そして護身の太刀の光の中に吸い込まれていく。そうして、伝わってくるのは数多の想い。
「伝わってくる。あなたの気持ちが」
穏やかな澄んだ声が月の口から出た。それは頭で考えて出たのではない自然と浮かんだ言葉だった。
怒りに任せた勇ましい決め台詞でも、憎しみに任せた恨み言でもない。彼女の中にあるのは思いやりのある共感。
「何を……」
「あなたはずっと自分一人で戦ってきた。決して誰かに助けを求めない。どんな強敵が相手でも自分の手で倒し、浄化してきた」
二つの気の流れはもはや絡み合い、一つの力、大河となって繋がっていた。白とも黒ともわからない色合い。光とも闇ともつかず、滲んではっきりとしない。二つの流れが通った軌跡が色の濃い影となってくっきりと浮かび上がる。
――自分のこの血のせいで誰かが傷つくのが嫌だから。
――為す術もないまま、見ているのが辛いから。
――そんなのは嫌だから。
沙夜が放つ邪気の攻撃に一瞬、乱れが生じたような気がした。その先を見破られるのを恐れるように。大河の流れが揺らぎ、再び元の二つの霊気に戻っていく。白と黒の。沙夜が身を引いたのだ。力の一部を攻撃ではなく、自身の身を守る為に割いたように、太刀を纏っていた邪気が沙夜の身体に移っていく。
「それ以上、わたしのなかにはいってくるな!!」
沙夜の声は震えていた。大事な物を盗られそうになった子供がおびえるように、入って来て欲しくない領域に踏み込まれた大人が怒るように。
「なんだ、その力は! 私の邪気を喰らったのか? それで私のこころを全てわかったつもりか!! 自惚れも甚だしい。私自身ですらわからないことを!」
「私もわからなかった」
静かに月は言った。護身の太刀は纏っていた光を全て吸い込み元の大きさに戻っていた。しかしその白銀の光だけはより一層強く、辺りを照らしている。しかもその力はますます強くなっていく。
「私は自分が誰かをこの世界を守る者だと思っていたし、守りたいから戦う。そう思っていた。或いは父様や母様の期待に応える為に。その為にこの命を含めて、全てを投げ出せると」
沙夜は静かだった。鬼の大太刀は纏っていた邪気を一層厚く重ねていた。まるで術者を守る盾のように。その邪気は沙夜の二の腕までを覆っていた。




