六十二
「放せぇっ!!」
竜巻のように風を巻きながら月が飛んできた。回転の掛かった身体を振り腰を捻りながら護身の太刀を袈裟斬りに振り下ろす。
刀真の身体が解放されて地面に落ちる。同時に巨大な腕が彼の傍に落ちて真っ黒な血飛沫を上げた。しかし、月の攻撃は止まらない。距離を取るように下がった沙夜に向かって跳び、左足のアキレス腱を伸ばしきり踏み込んだ右脚の膝を折って、大胆に前へと出ると太刀を横薙ぎに振るう。
沙夜の胴が切れ、血飛沫と真っ黒な炎が漏れた。月は踏み込んだ足に重心を置き、前へと繰り出した。左脚がまるで関節がないかのようにしなやかに動き、沙夜の顎を蹴り上げる。沙夜が反撃するように振った大太刀をしゃがんで避け、後ろへと距離を取る。
「あーらら。腕を斬られたようね」
影女が沙夜のすぐ後ろで顔だけを地面から覗かせつつ嗤う。沙夜は自身の切れた腕の傷口と地面に転がる巨大な物の怪の腕の名残に一瞥をくれたが、さして気にした風でもない。全く持って怪物に堕ちたものだと刀真は思う。こうしている合間にも刀真の口や傷口からは止め処なく血が流れていく。月が敵を背にして振り返る。
沙夜を追い込んだのは、父を傷つけられた激情からだけではなく、敵を一旦退けさせ時間を稼ぐ為の策でもあった。傷の程度を見る時間を稼ぐ為の。
月が膝をつき刀真の傷に手をやる。が、刀真はその手を叩いた。優しく振りほどくだけの余裕もない事に情けなさを覚える。
「父様っ!」
「構うな、戦え。そして、取り戻せ!!」こうして陰陽師は誰かに犠牲を強いてきたのだ。薄れる意識の中、刀真はぼんやりと思った。だが、他にどんな道があるというのだ?
吐血混じりに叫ぶ声と共に肩を突き飛ばした。月は再び駆け寄ろうとしたが、刀真は気を失っていた。父を守りたかったらこの物の怪どもを相手にするしかない。覚悟を決め月は沙夜と対峙した。
沙夜の肩からは失った無骨な腕の代わりに既に真っ白な肌の妖艶な人間の腕が生えている。その掌をさっと広げた。千切れた物の怪の腕から鬼の大太刀が抜け宙を舞い沙夜の手の中に納まり、同時に沙夜は地を蹴った。遅れて月も彼女を迎え撃つべく踏み出す。太刀を振りかぶり腰を捻って沈み込むように足を踏みしめる。
攻撃を察知したように、沙夜は上へと飛びあがった。緩慢な動きであったにも関わらず、攻撃を修正もせずにその動きに釣られ、月は視線を上へと向ける。夜の闇の中に浮かび上がるように沙夜の白い髪が広がりその中心で彼女は微笑む。先程の激しい打ち合いが嘘のように。
――それとも、これは私が舐められているの?
上から迫る攻撃に月はようやく足を動かした。が、途端、全く別の場所から脚を抑え込まれ月は制動を掛けられたかのように前のめりになる。影女のあの冷たい手が脚を腰を抑え込んでいた。母の顔でそれが微笑む。月はカッと熱くなりながらその胸倉を思いっきり掴んだ。捻っていた腰を回し、刀を振り上げる代わりに影女を力任せに振り上げる。
「おおわああ――!?」
投げつけられた影女が沙夜の大太刀に真っ二つに切り裂かれる。勢いの削がれた攻撃を月は横にはねのけた。傍で倒れる影女を心配するどころか、注意すら振り向けず沙夜は大太刀を片手で持ち、優雅に宙にノを描いて下段に構えた。そうしてもう片方の未だ物の怪の腕を振りかぶる。
臆せずに月の太刀が迅電の如き速さで沙夜の頭目掛けて襲いかかる。沙夜は軽々と大太刀を右斜めに返し、裏の鎬で受け止めた。
「太刀を撥ね上げて、それから首を刎ねるつもりだったけど。さすがネ」
「それをも予測しての撃ちこみだったから」
太刀と大太刀の刃の合間から月が造作もない事のように答える。護身の太刀が銀色に輝きを放ちじりじりと刃を押し返していく。
「だけど、ざんねんね。戦いは剣術が出来る者が勝つとは限らないのよ」
沙夜はぐっと体を沈め相手を引き寄せ、左の異形の腕を月の体目がけて叩きつけた。拳が少女の華奢な身体を宙へと吹き飛ばす。沙夜は太刀を自分の顔の前に構えた。途端彼女の周囲で妖しく闇よりも更に暗い炎が浮かび上がった。一つ、二つ、三つ、徐々に増えるそれは一か所に集まって溶け合い、融合し、やがて人の形を象り始める。
人で言う所の目と口に当たる部分は骸骨のように落ち窪み吸い込まれてしまいそうな程の黒が満たしていた。
「迦具土神よ」
沙夜がその名を呼び、それは目醒めた。暗い目の中に真っ赤な炎が瞳の光と宿る。
空中で一回転し距離を取るようにして着地した月はそれを信じられない面持で見つめた。
目の前にあるそれはハッタリではない。息が苦しくなる程の圧力をそこから感じる。
「素敵でしょう?」沙夜がくすくすと笑った。
「彼の世で知り合った私のともだちよ。神によって生み出され、神にころされた火を司る神」
物心ついた時から物の怪と戦い、式神や他の異形の者と接してきた月だが、それでも目の前にある物に驚きを禁じ得なかった。
目の前にいるのは火の神。土地神や式神とは文字通り格が違う。それを沙夜は自分の友達と言った。いや、彼女の口調からするとそれ以下かもしれない。まるで下僕のように扱っている……。
迦具土とは沙夜の言う通り、イザナギ、イザナミと言う二人の神によって生み出された火の神だ。神話上では迦具土の出産時にイザナミは火傷を負い、死んだとされる。それに怒ったイザナギによって迦具土は斬殺されてしまう。しかし神話とは詰まる所、人が“神”と呼ぶ者達の所業を理解出来るようにした御伽噺だ。この世に起きる絶大な力の動きを擬人化したに過ぎない。
その神にも様々な種類がある。式神や土地神、その他に何の変哲もない物に人の思念が移って神格化した神もいる。これらは人より遥かに強い霊力を持ちながらも人や動物、彼らが生きる世界と接触し、共に生きる者が多い。そしてもう一つが――迦具土もこれに当てはまる――この世よりも高い世界に位置する神だ。
本来はこうして目に見える形で具現化する事自体、異常な事だというのに。
「黄泉の世界に行ったにも関わらず、わたしにかかっていた夜を支配する神の加護は消えなかった。そして、私が放つ香りに真っ先に引き寄せられたのがこの子。しかし、私たちは戦わなかった。互いに惹かれあったの」
神とは一体どんな存在なのかという疑問は陰陽師の間で密かに囁かれ続けた。そして、それはいつも同じ結論――世界を作り、それを支配する高次元の存在というものに落ち着く。しかし、それ以上の事を研究しようとする者はいなかった。敬う心によりというよりも恐れの心によるところが強かった。
神の正体を解明した事により、下るかもしれない神罰に。
この世の仕組みを暴く事により、自分の存在意義が無くなってしまうかもしれない事に。
「迦具土だけではないわ。他の様々な物の怪や鬼。中には神なのか鬼なのか物の怪なのかすらも定かではない者まで。様々な者と惹かれあったわ」
目の前の迦具土は、沙夜が喋り続けている間にもじっとその場に佇んでいる。一体、何を考えているのか。いや、そもそも意志などあるのか。意志があったとして、それは人に理解できるような物なのか。
「私は彼らを受け入れたわ。私の身体へ、魂の中へと」
沙夜が左右の腕を広げた。すると、迦具土もそれと全く同じ鏡写しのような動きで焔に包まれた腕を広げた。
「今、かれらとわたしはヒトツ」
迦具土が音も無く宙を這うように近づいてくる。抱きしめるように受け入れるように両手を広げながら。重油に火を放ったかのような息苦しい気が迫る。月は右へと跳んだ。
護身の太刀が銀色の光を纏う。足が再び地を踏んだ時には迦具土は胴を斬られて地面に突っ伏していた。黒い邪気が煙のように護身の太刀に執念深く纏わりついていたが、太刀に吸い込まれるようにして消える。そのまま、月は沙夜に太刀を突き付ける。
「その程度で、神をコロセルと思った?」
「月!!」
沙夜の嘲る声と護身の太刀月影の警告の声に、さっと振り向いたその時には既に迦具土は元の姿を取り戻していた。無造作に腕を伸ばし、その手で月の顔に触れようとしている。太刀で防ぐ間も、飛び退る余裕もない。
月は咄嗟に膝をついた。死を齎す腕が頭上を通り過ぎる。同時に太刀を振った。胴が足から離れ、一瞬後、迦具土は頭から地面に落ちた。続いて腕と肩が落ちる。だが、無言のまま放たれる邪気は衰える事を知らない。迦具土の身体は幾つもの火の玉になったかと思うと次の瞬間、再び彼女の前に姿を現す。
――気がつくと自分一人だけが残っている。
先程の沙夜の言葉が月の頭で木霊する。もう一つの戦いの音はいつの間にか止んでいる。勝ったのは一真なのか、それとも霧乃なのか。だが、そちらに気を振り向けるだけの余裕がない。もしも、一真が死ねばそれは紛れもなく自分のせいだ。一緒にいたいと思った自分自身の。
心に湧き上がった黒い感情は戦いの速度を鈍らせ、視野を狭め、反応を遅らせる。迦具土が腕を振った。炎を纏った竜巻が月を包み込もうと近づく。跳躍しそれを避ける月。しかし、足をついたそこに影女の腕が待ち構えていた。為す術もなく掴まれる。
――まだ、再生できる?!
あの迦具土はともかくとして、この影女は強力であってもただの物の怪だ。どこからか霊気を補充しているにしたって、異常な再生力だ。
ハッと気が付くと迦具土が目の前まで近づいている。先程使った手は使えない。あの炎は影女を単に傷つけるのみならず、その身体を跡形もなく消し去ってしまいかねない。母を取り込んだまま……。その光景が思わず頭に浮かび月は身体を強張らせた。
「月っ!!」
月影の声が断末魔の叫びのように聞こえた。迦具土の手が再び伸びる。
しかし、それが月の顔を焼く事は無かった。横手から迫った破敵之剣に迦具土の腕が斬り落とされる。間髪入れず振るわれた淡い金色に輝く刃に胴を真っ二つに抜かれ、迦具土の身体が吹き飛び、幾つもの火の球へと変わる。
「やっぱ駄目だなぁ。力の制御がなっちゃいねぇ」
破敵之剣の軽薄そうな声。その持ち主の少年の影が黒い炎と金色の剣に照らされる。
「初めてなんだって。大体、陰陽師が何年もかけないと使いこなせないものなんだろ? 今のは」
その声を聞いた途端、胸に押しかかっていた圧力が消えた気がした。少年の願いは単なる願いのままで終わらなかった。
喜びが体中を駆け巡り、彼女に生きる力を与えた。胸の中を渦巻いていた黒い靄が晴れ代わりに一つの光が照らす。
「一真」
きらきらと輝く声で月はその名を呼ぶ。振り向いた一真はたったそれだけの事で心が通じ合ったように頷く。月の心にも同時に温かく穏やかだが力強い心の波が伝わってくる。
「あぁ、行くぞ月。一緒に!」
「一緒に!」




