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陰陽少女  作者: 瞬々
清風明月
43/234

四十二

「一真、さっきは本当にごめんなさい」



 去りかけた碧がふと立ち止まって謝った。そして、一瞬躊躇った後、意を決したようにこう付け足す。


「こんかいの怪異。関わっているのは物の怪だけではないようね」


「それはどういう……」


 一真が問い返した時には唐紙は既に閉じ、少女の二つの影は向こうに去っていた。残されたのは一真と月とそして日向の三人。何故、日向は行かないのかと思ったが、考えてみれば日向は月の式神だ。一緒にいるのは当然だろう。


 碧の言葉の意味を問おうと日向の方を向こうとした一真の耳に再び、月の呻き声が聞こえた。


「うっく、ううぅ」


 どうしたらいいのか分からず、一真は月の手を握ったまま、日向に助けを求めた。医学的な事は全く知らないし、そもそも月のこの症状は医学的な物に当てはめていいのかも分からない。


「放っておけば、治まるのだけどねー」


 日向はいかにも助けを求められたからやりますという感じに頭を掻きながら言った。人差し指と中指をピッと合わせ、それから素早く胸の前で九字を斬り、その指先を月の額の上に当て、そっと撫でた。


「心中の邪気は外に出でて、無と化す」


 指先に何か黒い霧のような物が浮かび上がる。あの女の物の怪が絶え間なく出していた霧みたいだ。


 ふうっと日向は息を吹きかけた。口から出たのは赤い火のような吐息だった。黒い霧が一瞬にして飛び去り散っていく。すると月の顔に浮かんでいた苦悶と咽喉から漏れ出ていた剣呑な響きが取り除かれる。同時に月の瞼がそっと開かれた。


 漆黒の瞳がまず天井を見た。それから式神の日向を見た。そして、一真を見た。最後に自分の手を見――


「か、一真!?」


 がばっと驚愕の勢いのまま、起き上がった月は、がはがはっと酸素を吸い過ぎて呼吸困難に陥り、胸をどんどんと叩いた。日向がそっとその後ろに回って背中を摩るとようやく落ち着く。少なくとも肺だけは。月自身は取り乱したままだった。


「ここは、一真、なんで、どこで、あんな、どうしたの、無茶をして!! そして、この手! 手!! 手!!!」


「落ち着け!! 何を言っているのかさっぱりわからん!! いや、大体言いたい事は察したけどさ!!」


 元来、人に状況を説明するのが苦手――なのは、説明の大切な部分を抜いて話す癖があるからだが――な月の説明は更に混沌を深めていた。とりあえず手を握っている状態になっている事が一番の動揺だったらしい。


「あ、ここは神……社?」月は、はっと見まわして言った。


「そうだよ。やっと気づいたか」


 一真は、呆れと安堵の混じりにそう答える。握る手の力が徐々に抜け、どちらからという事もなく離れる。


 月はその手を何度も何度も擦りあわせ、顔を赤らめていた。咄嗟とはいえ、握り返してしまった一真も耳たぶまで夕日のような色に染まっていた。


「あ、あのだな」


「あ、あのね」


 二人が同時に口を開き、気まずくなって黙り込む。


「さっきのはだな」「別にね、あの」


――沈黙。


 こんなやり取りが一分近く続くと、マイペースな日向も流石にじれったくなったのか、さっさと事の次第を話し始めた。


 月が日向と一真を残して先に行ってしまった後の事、月が気を失った後の事。等々。月と同じ顔なのに、説明はとても流暢だった。


「――で、月はその後、この部屋に運び込まれてきて寝かされて、自分から一真君の手を」


「え、握ったの?」月はあわわと再び顔を赤らめた。


「握ったのは俺。お前は手を差し出しただけだ」一真はぴしゃりと言った。が、自分から手を握ったのと自分から手を差し出したのは、五十歩百歩。


 そんな大差ない事である事に気付いた。いや、気付かなかったことにしよう。一真は誤魔化すように咳払いした。


「そんな事はどうでも良くて、だな。月はもう大丈夫なのか?」


「あ、うん。大丈夫だと思う。後で碧に見て貰わないとわからないけど」


 月は首を回して、どこか異常がないか調べるように視線を巡らした。碧に何を見てもらうのだろうと、一真は思ったが口には出さなかった。それよりも碧と言えば、彼女が言った事の方が気になった。


「なら、良かった。さっきは本気で心配したんだぞ? あの物の怪にお前が――」


 言いかけて一真はハッと息を呑んだ。言葉を止めた時には、月の頬を水晶のように大きな涙が伝っていた。それが固く握った手の上で割れるように小さなしぶきを上げる。


「うん。ごめん……私のせいで一真に酷い思いをさせた」


 静かに泣く月の小さな肩を抱いて、慰めてやりたい。しかし、一真の手は月の温もりに触れるか触れないかの位置で止まり、引っ込む。

 

 駄目だ。こんな陳腐な慰めで、月の気持ちがどうして和らぐ? 一真は自分の無力さに思わず拳を握った。だが、それを感情のままに畳にぶつけるわけにもいかない。


「謝るなよ」


 一真は十年前に叫んだ言葉を静かに繰り返す。だが、あの時のように軽々しく「つよくなる」等とは言えなかった。あの時となんら変わらない。自分は未熟なままだ。

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