四十一
碧が月の部屋に布団を敷き舞華が水桶と手拭を用意し、日向はそれが整ったのを見て、月をそっと布団の上に降ろした。
途端、月の体が光り、狩衣が消え元の制服姿に戻った。浅く上下する胸の辺りに折り紙で折られた狩衣が、いつの間にか現れ、それを日向が拾い上げる。
月の制服を見て、ふと一真は今頃学校では大騒ぎだろうなとぼんやりと思った。携帯は幸か不幸か電源を切りっ放しにしてある為、どこからも連絡はない。再びつけるのは怖い。
その場で立ち尽くすしかない一真の前で、月の手が微かに痙攣するように動いた。続いて、その手が持ち上がり、何かを掴もうとするように持ち上がる。
「う、うぅ、ぐっ」眠り、意識のない筈の月の顔に苦悶の表情が浮かぶ。
「月?」
一真は他の三人がどう思っているかも考えずに、その横に膝をつき手を握り返した。肌は一真の掌の中で冷たく、握ると怯えるように震え、一真は思わず手を引っ込めそうになった。一真や一真よりも気の強い未来ですらも怯えてしまうような物の怪を前にしても、気丈に戦っていた面影は、今や触れただけで壊れてしまいそうな砂細工のように儚ない。
いや、もしかしたらあの猛々しい姿すらも彼女の心の中にある恐怖を紛らわす為の物だったのかもしれない。その可能性は十分にある。母を解放したと思った時のあの月の安堵感を思えば。その後にいとも簡単に物の怪に捕らわれた事を考えてみれば。
引っ込めかけた一真の手に、しなやかで細長い指が覆いかぶさり留めた。驚く一真の後ろで碧が呟く。
「彼女を守るつもりがあるのなら、手を離さないで」
暗緑色の真剣その物の鋭い瞳は、一真の心に試練を与えていた。お前は本当に彼女を守る気があるのか、と。一真はそれにどうにか応えられるよう、真面目な顔を作ってみせた。
中学の時、担任の先生に「面接したら見縊られそうな顔だな」と評された事を不意に思い出す。いかにも頼りげなく見えてしまうかららしい。だからこそ、一真は自分の必死な気持ちを一割でも伝えようと碧の顔を思わず睨んでしまった。
「なんで睨むの?」と怪訝な顔をされるかと思ったが、意外な事に碧は突然小さく噴き出した。
目元が笑っている。馬鹿にしているという風ではなかった。しばらく顔を逸らしてから、最初よりも幾分か和らげた表情で答える。
「守るつもりがあるのはわかった」でも、と碧はそこで再び口元を緩ませて付け加えた。
「もう少し肩の力抜いた方がいいと思う」
ぽかんと一真は口を開けたまま、碧の横顔を見つめ、それから傍に立っている日向と舞香の顔を見た。
舞香は月の事が心配なのか、姉の言った事は耳に入っていない様子でおろおろとしている。対する日向は月の容態によっぽど自信があるのか、一真の間抜け面を笑っていた。
「アハハ! 一真君、鯉みたいー! ぱくぱくー」
「あぁ、どうしようー! 月がー!!」
その両極端な反応がなんとも滑稽で、碧の助言通りというか、自然と肩の力が抜ける。そしてふと見ると、月の手と自分の手ががっしりと、固結びされた紐のようにがっしりと、強固に結ばれている事に気づいた。
「え、あ……これ?」
「さぁ、さぁ、私達はそろそろお暇しましょう」
ここは、あなた方の家じゃないのですか? 一真は心内で激しく聞いた。取り乱す舞香の肩を抑えて、唐紙の向こうに行こうとしている。部屋を出て行こうとしている。何の為に?
口をそれこそ鯉のようにパクパクパクパクと開け閉めしながら、一真は去りゆく姉妹を引き留めようとしたが、言葉が出てこない。二人を無理に留めようとすれば、月と握っているこの手を離さないといけない。だけど、それをすれば月を守るという決意を放棄する事になるわけで……。




