三十九
長い事刀真は黙っていた。その顔に浮かぶ表情がまるで読めないせいで、一真はこの陰陽師は自分の言葉を聞きのがしたのではとすら思った。が、一分近く経ってからようやく刀真は諦めたように口を開いた。
「陰陽師の多くにとって半人前から一人前になる為の戦いは命がけだ」話が思わぬ方向に逸れているような気がして、一真は苛立ちを感じたが、黙ったまま聞き続ける。
「物の怪との死闘で精神的に未熟な陰陽師に待っているのは悲惨な最期しかない。心を蝕まれ、狂い尽くし、魂のない人形と果てる」
物の怪に捕らわれていた時の様子を思い出して、一真は思わず月を見た。刀真はすっと手を上げて心配無用と呟いた。
「この娘は迂闊だが、心は強い。しかし、ある事が絡むと彼女は一転して脆弱になる」
「月の母は……」一真は尋ねようとして口を慎んだ。月にとっての母とは、つまり刀真にとっての妻でもあるのだ。何があったかなど気安く聞ける筈がない。
「この娘の母は。蒼はこの娘を庇って物の怪に捕らわれた。月の目の前でな。私はその場にはいなかった」
その時も傍にいてやらなかったのか。心内で思わず冷たい言葉が浮かび、一真はそんな自分に嫌悪した。
「すると。こういう事ですか? 月の精神を鍛える為に、彼女の母を取り込んだ物の怪とわざと対決させていると?」
刀真はためらうように数秒黙り、それからややあってこう答えた。
一真は驚いてぐったりしたままの月を見た。が、考えてみれば、元々刀真は月があの物の怪と戦う事に対して反対の立場を取っていた筈だ。それに対して月は反抗的な態度を取っていた。
「今朝の事だ。あの物の怪を自分一人で倒したい。他の者に手は出してもらいたくないと頼み込んで来てな」
今朝……そんな様子は微塵も感じられなかった。弁当を一真の為に朝用と昼用両方作って持ってきてくれて、それから朝練を受け、授業を受けて。楽しそうに。いや、今にして考えればそれだけじゃない。
物の怪の事、一真との剣道の仕合の事があった時の事。あの仕合で月は一真の事を「怖い」と言った。その事を次の日になったら忘れるなんて事があるはずない。
そう、あの時の笑いは全部が全部本心からではなかったかもしれない。物の怪を倒し、母を取り戻したい、物の怪との戦いが納まれば一真とも普通の女の子として接する事が出来るかもしれない。
そんな焦燥が背中を押して、早まってしまった。ここまで予想は出来ないにしても、もっと気を遣ってやる事は出来た筈だ。
それをしなかった。出来なかったのではなく。戦いではなく、日常の事で助けられれば等とどこか軽く考えていた自分を一真は罵った。
――何がおまえをまもれるくらいにつよくなる、だ。あいつの気持ちすらわかってやれずに
一人後悔する一真から、刀真は視線を逸らし話は終わったと言うように日向の方を見た。
「ともかく、ここを出なくてはな。日向。月と一真を連れて神社へ。ここの始末は私がつける」
「あんたに指示されるのは気に喰わない。が、いいよ。ここにいつまでもこうしてるわけにいかないし」
刀真の手からひったくるように日向は月の体を受け取り、肩に抱え、空いている方の手を一真に伸ばした。一真は刀真と日向の間を戸惑うように交互に見つめた。
「あの、後始末ってここに残された人達を元の世界に戻してあげるってことですか?」
物の怪から解放されて転がる哀れな女性達。その事を一真は聞き、刀真はちらっとそちらを見た。彼女達が起き上がる気配はない。
「そうだな。だが、陽の界にまとめて戻しても大騒ぎだろう。ばらばらな場所に、人目のつく所に戻す。通行人が気付いて病院に運ぶなり、救急車を呼ぶなりしてくれる筈だ」
「あの、彼女達大丈夫なんですか?」
「心が強ければいずれ起きるだろう」
心配になって掛けた言葉に刀真はあっさりと恐ろしい言葉で返す。それは心が弱ければ目覚める事はないと言っているようなものだろう。
更に何か言おうと口を動かす一真の腕を日向が引っ張った。ただ、それだけで一真の身体が浮かび上がった。
一瞬の闇。そして、気が付いた時には元の世界に戻っていた。辺りの人の声と足音、無尽蔵に流れて進む車の音がやたらと大きく聞こえる。刀真の姿は既に無かった。




