二十三
翌朝、一真はこれまでにない程清々しい気持ちで起きる事が出来た。寝覚めもその後の体の調子も含めて。昨日あれだけの事があれば、悪い夢の一つや二つ見てもおかしくはないと覚悟していたのに。
「や、おはよー」
「どわああ!?」
日向の声がどこからともなく響き、突然肩を叩かれて一真は思わずとびさすった。朝っぱらから近所迷惑な事である。一真は胸を押さえ、非難めいた視線を日向にぶつけたが、まるで堪えた様子はなかった。
「にいちゃーん、なにー? 今の悲鳴ー」
隣から妹の声が聞こえ、ドアが開く音と歩み寄ってくる気配がした。
「まずい、日向かくれ……」
一真が注意を促したその時にはもう既に日向の姿は無かった。胸に何か温かみとざらついた感覚が伝わってくる。直後、部屋が開いた。起きた時のままのぼさぼさの髪を掻きながら花音が入ってきて、辺りを見回した。眠たげな眼がふと一真の顔に止まった。
「昨日は遅い帰りだったようで」
「わ、悪い。神社に寄ってたんだ」
あれ、昨夜言った筈……やはり寝ぼけているのか。花音は短く溜息をついた。
「あぁ、そうだったね。そうそう、思い出したけど月さんが戻ってきたて話ね。学校でちょっとした話題になってたよ」花音の言葉に一真は軽く驚いていた。一体いつの間に、月はそんな有名人になったのだろう。
「長く離れ離れになってた恋人だものね。えー、えー、わかるよ」
「お前、寝ぼけてない?」
「ねぼけてねーよ!」
むしろ酔っぱらいみたいな口調で花音は否定した。「わかったわかった」と、一真は彼女を諌める。ふと窓の向こうの朝日に照らされている神社の瓦葺の屋根が目に入った。月はどうしているだろう。それとも、もうとっくに起きているのだろうか。
「で、さっきはなんで叫んだ?」
「……悪い夢を見た」
「あ、そう。じゃあ、朝ご飯よろしく。私もう少し寝る」
机の横に置いてある時計を顎でしゃくり、花音はぼやいた。時計は六時にすらなっていない。部活の朝練がある一真は、いつも朝早くの時間帯に起き、朝食を二人分作ってから出かける。それについて花音は何の礼も言わないが、一真が毎日こなす仕事だからだ。
花音は花音で早く帰ってくると洗濯や掃除、夕食を作ったりと家事を一真以上に家事をこなす。だから、朝食と自分の身の回りの事くらいはして当然なのだ、と一真は考えている。それよりも、今朝はなんだか花音のそっけない反応が気になって仕方が無かった。
「なぁ、本当に悪かった」
「んー? 別に気にしてなんか」
「本当に?」
一真が妹の背に向けてしつこく訊ねると、花音は少し驚いたような顔で兄を見返した。
「ど、どうしたの?」
逆にそう聞かれてしまった。「いや」と一真は慌てて言った。本当に何もないようだ。いつも通りの花音だ。むしろ自分がいつもと変わっているのだという事に一真は気が付く。
「いや、昨日は一人にしたからさ。ごめん」
「うーん、別に一人になったのは初めてじゃないし、それに伯父さんや友達が遊びに来ることも多いからさぁ。にいちゃんがいなくても全然さみしくはないよ! だから心配しないで!」
「そ、そんな事を朗らかな笑顔で言われると逆に傷つくな……」
冗談ではなく本当に心が痛んだ。こんなところで、兄は別にいなくてもやっていけると宣言されてしまうとは。あはははと花音は笑っている。
「冗談、冗談。でも、そんな深刻な顔で心配されると逆に面喰っちゃうよー」
「わかったわかった! 心配するだけ無駄だってのは!」
どうにか、花音を部屋に押しやり、制服に着替え一真は一階へと降りていく。
取越し苦労という言葉を初めて理解できたような気がする。台所に向かうと一真は、冷蔵庫からパンと卵とベーコンを取り出し、トースターにパンを、フライパンには卵とベーコンを一緒に入れて焼き上げる。
「へー、上手いね」
「……お前さぁ。一分程前に言った言葉をもう忘れるか?」
横から音もなく覗き込む日向に一真は腕を震わせながら聞いた。が、やはり堪えた様子なし。この少女には恐怖という物がないらしい。諦めて一真は皿に食パンとベーコンエッグ、それにカット野菜を盛り付けた。目覚まし用のコーヒーを用意すると、シンプルながらも立派な朝食が出来上がる。
新聞を朝食の横に広げながら、一真は食事を始める。行儀が悪いが、誰かが見ているわけでもないからと、一真はいつもこのスタイルで食事をする。
「いただきます」と手を合わせて小声で言い、彼はパンを口に入れつつ、視線は新聞に向ける。が、今朝はその内容が全然頭に入らなかった。ただただ、流し読みにしていく。政治家の汚職問題、何とかという野球選手がメジャーリーグに入った、ここ一週間の事故や事件。自殺問題、今日のおすすめのテレビ番組等々。
ふとその視線が止まった。霊文社という三文字。博人が社長を務める出版社だ。それが栃煌市の歴史研究グループといざこざを起こしているという内容の記事だ。
『歴史的作品の発見か、新聞記事のネタか』と新聞の隅に記事の見出しが載っている。
――栃煌市歴史研究学会は9日、霊文社と会見し、社が発掘に成功した歴史遺産の引き渡しを求めた。これに対し、霊文社社長、春日博人氏はこれを拒否した。「我々の中にも歴史研究に秀でた者が何人もいる。霊文社独自でこの作品への研究を進めたい」と述べた――
「歴史的遺産てなんだ……?」
一真はその記事の先まで読んでみたものの、それについては一切触れられていなかった。奇妙な事だ。だが、霊文社の事だから、きっとオカルト的なアイテムか何かを発掘したのだろう。




