二十一
一時間は話が続いた。途中からオカルト話に入ってしまったのだ。一真もこの叔父の話が嫌いじゃないので、なおさら話が白熱してしまったのだ。
ようやく一真は花音を起こした。一度寝てしまうと彼女の目を覚ますのは至難の業だ。
抓る叩くくらいでは起きない。前に従姉の愛沙が「キスでもしたら」とからかった事があるが、多分やり損になるだろう。
起こすにはコツ――彼女以外には通じない――がある。
「メロンパン」
「どこぉ!?」
起きた。まるで音声で起動するロボットのようだ。ポニーテールにした髪が乱れていた。その顔立ちはまだまだ女とは言えない小学生のようなあどけなさが残っている。
「あれ……」と勢い勇んだ花音は、一真の顔を見てきょとんとした顔になった。
「どこに?」
「それは主語によって答えが変わるな」
やり取りを見ていた博人がふっと笑んだ。その手には鞄、頭には帽子をかぶりイギリス紳士を思わせた。
「では、もう大丈夫だな。私は帰るよ。こう見えて忙しい身なのでね」
「あ! はい! ありがとうございました!!」
「今日はありがとうございました」
花音が頭を床に打ち付けかねない程に腰を曲げて礼を言い、一真はふつうに言った。博人は親友にするように、一真の肩を叩く。
「あぁ。頑張れよ、いずれ君の努力は報われる。そうすれば彼女との事も全て上手くいくとも」
もう、彼女扱いか。一真は苦笑した。だがそれを、変なあだ名をつけられた小学生のように、否定する気は起きなかった。彼とこうして向き合い、後ろに妹がいると自分が大人になった気がする。
「はい、努力は続けます。今日は本当にありがとうございます」
博人は帽子のつばを掴み、会釈するとドアを開け出て行った。しばらく一真は立ち尽くした。それから溜息をつきながら鍵を二つ掛ける。
ふと後ろを向くと、花音のにやにやとした顔が目に飛び込んできた。嫌な予感がする。彼女が何を聞くのかなどわかりきっていたから、一真はまず否定した。
「伯父さんが勝手にそう思っているだけで、俺に彼女はいないぞ」
「えー!? まさか兄ちゃんに、彼女が?! 明日は雷の雨だね!」
きゃあきゃあ騒ぐ妹に気怠さを感じ、一真は顔をそらした。全くもって失礼だ。伯父がいなくなって次の瞬間がこれとは。
「そんなことで天変地異が起きてたまるかよ」
「相手はやっぱり、神社の月さん?」
「お前、なんで彼女が――」
「あぁ、やっぱりそっか! 中々帰ってこないからね。どこに行っているんだろうって伯父さんと話していてさ。月ちゃんが京都からこっちに戻ってきたって話が出てね、じゃあ、神社にいるんだろうって!」
脈絡がおかしい事を早口に花音は言ってまた笑った。彼女と話していると疲れる。それでも、小学生の頃よりは、意味のわかる言葉を話すだけましか。何か引っかかりのある言葉だったが、それが何なのか疲れた頭ではわからなかった。
「確かに月には会ったけどさぁ」
一真が認めると、花音はさらに捲し立てた。
「で、どこまでいったの?」
「どこまで……お前は、またあのくだらない漫画の知識か」
「『恋する戦乙女』は名作だよ!」
恋愛物とジャンル付されているにも関わらず、やたらと槍を振り回すあの漫画がなぜ名作なのか一真は理解に苦しむ。
「……友達以上恋人未満、かな」
「なんと! まずは友達からってことだね。堅実」
「そういう事だよ、疲れたから俺はもう寝る」
実に疲れる。妹がいる事に憧れを持つ男子はこの現実を無視するべきではない。疲れていようが忙しかろうが形振り構わず話しかけてくる、人の部屋に入っては勝手に本を読む、どこから仕入れたのかもわからない漫画の知識をぶつけてくる……それにしても、あの調子なら物の怪とのトラブルとも無縁そうだ。
階段を上がり、真っ直ぐ行って突き当りに一真の部屋はある。中は……片付いている。先に帰ってきた花音が置いて行った洗濯物の山が隅にあった。下着以外は畳んである。
こういう点は感謝しなくてはいけないのだろう。本棚が荒れているのも目に入ったが、致し方ない。特に今日はこんなに帰りが遅かったのだ。本当なら怒られるべき所をあの妹は、からかうだけで済ました。目を瞑るとしよう――
本棚の本を整えているその横ですっと幽霊のように赤い袴が浮かび上がった。
「いやぁ、いいねいいね。家族愛!」
「い……、あのなぁ、さっきの話を聞いていたなら俺が疲れてる事もわかるだろ。それと」
「何ぃ?」
一真は荒ぶる心臓と乱れておかしくなった呼吸をどうにか鎮めて言った。
「急に横に現れるな。心臓が止まるだろうが」
日向の存在を忘れる所だったそしてもう少しで叫ぶところだった。式神はパンと手を合わせてけらけらと笑った。
「それはごめん」
「言動と表情が合ってないぞ。なんて、護衛だよ、まったく。で、花音は大丈夫なのか?」
「物の怪が絡んでいるかどうかという話ならば、全く持って心配ないよ。彼女、見た目に反して心が強靭だね」
日向の無邪気な答えに一真は顔を暗くした。心が強靭なのは生まれ持っての性質というよりも、普段の生活のせいだろう。いつも家には一人で。それを悲しむ間もなく、家事を殆ど自分でやらないと行けない。
そうしないと家が成り立たないから。今日だってそうだ。伯父が来てくれなければ、一人で夕飯を食べる羽目になったのだ。妹のタフさに甘え、このままでいていいものか……。
自分は、中学生に入るまでは親と一緒にいる時間も長く、その分、学び、話も出来た。喧嘩もしたし、散々言い争った後の仲直りも。よくよく考えてみると花音にはそれがない。一真とならしょっちゅうあるが、それはあくまでも兄妹喧嘩でしかない。
「ま、引き受けた以上、護衛対象としてあの娘もきちんと守ってあげるよ、うん」




