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陰陽少女  作者: 瞬々
清風明月
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二十

 家にたどり着くころには、一真は胸の内が罪悪感で一杯になっていた。物の怪が人の心に大きな害を為すいう話をしているうちに花音の事が心配になったのもあるし、こんなに遅くまで家に一人でいさせてしまった事がすまなかった。


 家のチャイムは押さずに、鞄に入れてあった鍵を使いドアを開ける。沖家のドアは侵入者対策として、二つの別々の鍵をドアの上下につけてある。以前、泥棒に入られた事があったからこその用人だが、今の一真にはその用心が鬱陶しかった。上下の鍵を回すその間すらもどかしく感じる。



 と、下の鍵を開けたところで玄関に明かりがついた。二つの人影があった。一人は妹の花音の物……だが、もう一つは? 大人の男の影だ。父は今はどこぞの空の上を飛んでいる筈だから、別の誰かだという事はわかる。近所の人が心配になって来たのか? それとも。


 一真の脳裏に嫌な予感が浮かんだ。鍵は中から容易く開けられ、ドアノブがゆっくりと回った。一真は一歩下がって身構えた。後ろは道路。襲われても回避できる。


ドアが開いた。その影が驚いたような顔の老人の男性に変わった。


「おや、一真じゃないか。全く花音と一緒に心配していたのだよ?」


 老人は小柄で一真の肩ほどしかないが、背筋は正しく、鼻が高くどこか欧州人を思わせる。白髪と顔に刻まれた皺と瞳の中に宿る穏やかな光は、物語に出てくる賢者のような印象を人に与える。


「すみません、おじさん」


 沖博人。一真の父方の兄。つまりは伯父に当たる。父や母がいない時にはたまに様子を見に来てくれるのだが、一真は完全にその存在について失念していた。




 博人は若い頃に出版社を立ち上げ、以来そこの社長を務めている。その出版社の扱う物の大半がオカルトやホラーの類だ。栃煌神社も何度か陰陽師の住む神社としてネタにされていたのを一真は知っている。

 

 果たして栃煌神社の人たちはその事をどう思っているのだろうと一真はちらっと思った。


「さぁさ、入りなさい」


 博人に促されて一真は家の中に入った。それにしてもこの人は出版社の社長なんかよりも政治家か占い師でもやっていた方がそのイメージに合う。



 政治家か占い師が合うとはまた奇妙なイメージだが、ようするに人を惹きつける包容力と上に立つだけの凛々しさがあるのだった。



 が当の本人は「こんな捻くれた考え方をする者に占い師や神職は務まらないだろうよ」と言っている。


 居間のソファでは花音が待ちつかれたのか、すうすう寝息を立てて寝ていた。すまない気持ちと同時に、一真はホッとしていた。少なくとも物の怪に襲われてはいないようだ。日向も何の反応もしないのが救いだった。


 日向はどういう原理なのかは、一真には皆目見当もつかないが、一枚の符となり一真が来ているワイシャツの中にある。上に着込んだブレザーで完全に隠れている。


 気のせいかもしれないが、符のある場所で自分の物ではない心臓が静かに脈打つのを一真は感じていた。それに体温もいつもより少し高い気がする。


「花音は寝てしまったよ」


「すみません。ご迷惑を掛けて」


「私にではなく、花音に謝るべきだろう?」


 それもそうだと思い、一真は花音の耳元で「ごめんな」と囁いた。花音は身体を少し捩ったが結局起きない。


「まぁ、起きたらまた謝っておきなさい。さぁ、食事だ。と言っても私は料理は苦手でね。殆ど花音が作ってくれた」


 テーブルの上には二人分の食事があった。白いご飯とビーフシチュー、サラダとその上にロースハムがいくつか乗っていた。中々豪勢だった。



 もう一人の分は花音のではなく、伯父の物だった。博人は一真と向き合うように座り、手を前で合わせた。


「いただきます」


 何のことはない日本では一般的にみられる風習だが、この伯父がやるとその動作が妙に皮肉っぽくなる。博人はそのいただきますという言葉に「命を食べる事に罪悪感を感じた先人が始めた風習」という意味があると考えているからだ。


「いただきます」


 その言葉に大した意味を込めずに、一真は言った。


「それで、今日はまたどうして、遅くなったのかな?」


 博人は肉にフォークを刺しつつ、上目で一真に尋ねた。一真は食べながら話すべきではないと思い、手にとった食器をテーブルの上に置いた。


「神社に言っていました。幼馴染が戻ってきたと聞いて」


「あぁ、栃煌神社の巫女か。久しぶりだったね。彼女は元気だったかね」


 合点が行ったように、博人は頷いた。彼女の存在についても何か考えているのだろうかと思うと、一真は口に蜜あり腹に剣ありではないが、少し嫌悪を感じた。黙ったままの一真を見、博人は宥めるように言った。


「そんな怖い顔をしないでくれないか。君と彼女の関係を雑誌の記事にしようなどとは考えてはいないから」


「すみません。だけど彼女との間には何か記事になる程の関係はありません」


「そうだろうとも。しかし、神社の他の人々はそうは思わないかもしれん。気を付けるのだよ?」


 警告するようなその言葉を一真は何故だか笑い飛ばせなかった。それは刀真のあの厳格な顔が頭に浮かんだせいかもしれない。博人は一真の気持ちを読み取ったようにふっと笑んだ。


「何かあるのだね? その顔は」


 博人は手元を止めて、腕を組んだ。全てを受け入れる。そんな態勢だった。これまでも学校の事や家庭の事で、誰にも言えないような事でもこの伯父には相談してきた。その度に的確なアドバイスをくれ、彼の言う通りにすれば、全てが上手く行った。


 だが、この事を相談していいものか? 博人と神社の関係は、はっきりとしないものの、少なくとも良好な関係とは思えない。


「えぇ、まあ。彼女の父にも会ったんです」


 博人には物の怪云々の話はまるっきり省き、剣道の話のみした。


「刀真さんは怒ったんだとおもいますけど、もうあまり会いに来ないでくれ、と」


 正確には、物の怪退治についてくるなという事なのだが、それを言うわけにもいかない。物の怪云々について、いくら説明をしても信じてはもらえないだろうし、そうする必要性もない。


「ほう、しかし、するとつまり突きで一本取ったのだね? 栃煌神社の巫女から」



 どうやら、博人の関心は刀真の言う事から剣道の仕合に移っているようだ。その事にあまり触れて欲しくない一真は控えめに答える。


「取っていません。有効打突ではないので」


「しかし、これは一般常識だが、人は頭をやられれば、死ぬ」


「まるで殺し合いみたいな言い方ですね」



 一真は驚きと怒りの混じった声を出した。だが、博人は特に動じない。むしろ、何故そんなに怒るのかという調子だ。


「すまない。どうも私は相手がこちらの言う事を全てわかっているという事を前提に話す癖があるようだ。つまりだ。彼女は君の突きに反応しきれなかった。そして、面を打たれた。有効打突ではないかもしれないが、君は彼女に勝ったのだろう? 技に未熟な部分はあったかもしれない。しかし、君は彼女に勝ったのだ」



 博人は誇らしげな顔で手を広げた。妙に芝居がかっているが、これはいつもの事、相談に乗ってくれる時はいつもこうだ。


「いずれ君は彼女を超えられるかもしれない」


「伯父さん」一真はつい笑ってしまった。まあ、仕方がない。博人はあれを、月が物の怪と戦う所を見ていないのだから。


「いや、決して笑いごとではないよ。刀真殿が、何故君を遠ざけたがるのか。君が単に未熟なのだとしたら、『来ないでくれ』などとは言わない筈だ。本当に彼が恐れているのは、未熟者がいずれ自分の、自慢の娘を実力で超えてしまう事。それではないかな?」


「そうでしょうか」


 一真はついそう答えてしまった。いつもなら納得の行く所かもしれない。そう、彼女が普通の「剣道がずば抜けて上手い」だけの少女だったら。それなら、伯父の言う事も納得がいっただろう。伝えていない事実が一つあるだけで、これ程の溝が生まれるとは。



「まだ、納得がいかないようだな。彼女との間に圧倒的な力の差があるせいで」


「えぇ。伯父さんには想像もつかない程の差です」


 じゃあ、その差が無くなれば……そんな甘い囁きが脳裏に響いた。まるで自分の声ではないようだ。一真は首を振ってその思いを振り払った。


 その動作を眺めながら博人は知恵を含んだ笑みを浮かべ残り少ない夕飯に再び取りかかった。


「まあ、いいだろう。君がそう考えるのは。だが、神社のような組織は、おおにして何かしらの意地を持っているからね」


 博人の言う通りとは思えない。が、何か引っ掛かりも感じる。刀真達は何か一真に言っていない事があるのではないか。刀真のあのそっけなさ。弱者への軽蔑とも憐みとも違うあの表情。


「さて、話を戻すが、剣道で勝った時の感覚を忘れないことだよ。私は素人だが、勝負時に大事な事はわかっているつもりだ。一番大事なのは日々の練習ではない――」



 勝った時の感覚。それだけが頭の中で木霊する。伯父の後の言葉はまるで頭に入らなかった。

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