十八
月が言うか言うまいかと悩んでいると突然、舞香の顔に何かが閃いたという笑みが浮かんだ。
「一真のことかー?」
「なんでわかったの……」
「聞きそうな事ってそんくらいじゃん。京都にいた頃も電話すると五回に一回くらいの割合で一真との思い出話があったもんね」
舞香の声にからかいの響きが混じる。月は困った顔で言い返した。
「主に聞いてくるのは舞香。そもそもの始まりが好きな人が私にいるかどうかという話で……」
「で、何を言おうとしたのかー?」
完全に舞香のいい様に誘導されている。怒るタイミングを逃し、月はうぅと犬のように唸り、舞香を睨んだ。
「私、知り合いが一真くらいしかいない」
「私がいるじゃん」
「違う違う。学校での知り合い」
「それを言ってくれないと。で、何が不安なんだー?」
「うん……いや、その」
言いかけて月は言葉を詰まらせた。喉元まで出かけた言葉が煙のように掻き消える。こんな時に日向がいれば、言いたい事を代弁してくれるのだが。
「なんか浮いた感じになりそうだなーと」
「うんや? 京都でだって別段人気者だったわけじゃないでしょうにー」
「それはそうだけど」
舞香は一人合点したように頷いているが、微妙に言いたい事が違う。それを訂正する間もなく、舞香は勝手に話を進行させていく。
「いいじゃんかー。一真と仲良くしてればさー。一真の友達と友達になれるかもしんないぞ? 私が通ってる所なんて、転校生が来ようものならあっという間に、変なグループやらサークルから引っ張りだこのお誘いが来るか、村八分にされるかの究極の二択しかないぞ?」
さらっと恐ろしい事を言う舞香を見ながら月はむうっと彼女の理解力の無さと自分の口下手さに頬を膨らませた。
確かに一真の友人と知り合いになるくらいは出来るかもしれないが、果たして本当の友達となれるのか。それが不安とまではいかないまでも、疑問だった。
京都には友人も沢山いるが、引っ越した当初に出来た友達の殆どは形ばかりの関係で、友と思われてなかった事もあれば、もっとひどい事に裏切られた事もある。
「あ! でも気を付けろよー。あんまりいちゃいちゃお戯れしていい雰囲気でいると、周りは嫉妬して妨害するからなぁ――月に叢雲、花には風ってね」
「た、戯れ?! そんな事してないから!!」
舞香を黙らせるべく教科書を投げつける。ひょいと舞香は身をかわした。宙を扇のように舞った教科書が障子に当たる――かに見えたが、すっとその軌道の先が開けた。
「あ……」
障子と柱の間の空間に一人の淡い黄緑色の小袖を着た少女が立っていた。月よりも頭一つ分高く、顔つきも細く、肌は瑞々しく透明さを感じさせる白色。翡翠の光沢を放つ美しい黒髪は長い為、邪魔にならないように水色のリボンで一つに束ねられ背中に流されていた。その表情はまるで読めない。というのも、その顔には月が投げつけた教科書が張り付いていたからだ。
舞香と月はダラダラと冷えた汗をかいて青ざめた。顔に教科書を張り付かせたままのその人は何も語らない事が余計に恐怖を掻きたてた。月はどうしたものかと悩んだ。まずは顔から本を引きはがすか? それもなんだか無礼な気がする。
「舞香、月。再会で浮かれているのは、よくわかりますけども」
その人は、本の裏からくぐもった声で言った。ぴんと背を伸ばし端然とした姿勢のまま、ゆっくりと幽霊のように手を動かし本を引きはがす。
そこに現れた顔は一見すると見くびってしまいそうなほどに攻撃性はない。だが、おっとりとした暗緑色の瞳に沈めた静かな怒りを感じ取り、二人は委縮した。
「ごめんなさい、碧。ふざけすぎた」
「ま、ま、なんだ、姉ちゃん、月もこう言っているし、許しておくれよー」
月が素直に謝り、舞香はどこか間抜けに返した。吉備碧は舞妓も羨むような滑らかな摺り足で、舞香の目の前に移動してきた。その顔を優しく握った手で掴むと万力のような強さで締め上げる。
「あなたが、何か変な事を言ったのでしょう? ねえ?」
「うぎゃあ! すみません! すみません!!」
碧は舞香の双子の姉――と言っても、二卵性双生児なので外見の違いがはっきりとしている――で、非常におしとやかな性格なのだが、妹に対しては手厳しい。こうしている間にも舞香の顔は痛みでどんどん真っ赤に燃え上がっていく。
「碧。それ以上やると堕ちるから、止めてあげて」
月が穏やかに頼むと、碧はそっと舞香の頭を放した。床にでこを擦り付けながら舞香は痛みを抑えるように唸る。碧はそれを無視して、月に尋ねた。
「月、明日の用意はできたの? 足りないて言っていたノートとファイルは買ってきたわ。それと、道場に竹刀の破片みたいなのが落ちていたけども何かしたの?」
「あ……試合したから。それで」
「それで?」
碧の声は棘のない柔らかな口調だったが、それが逆に言い出しにくい雰囲気を出していた。
「竹刀が折れたの」
「一体誰と……更衣室を見たら面もボロボロになっているし」
もはや言い逃れできまい。観念して月は道場で起きた事をかみ砕いて話した。幼馴染と物の怪を封殺する場で再会した事は既に話してあったから、さほど説明には手間取らなかった。が、それでも碧のもの分かりの良さが無ければ上手く伝わらなかっただろう。
月の言葉の時々に質問を挟みつつ、碧は彼女の拙い要約を理解した。彼女は、眠たそうな眉を僅かに上げた。分かる者にしか分からないが、碧の真剣な表情なのだ。
「なるほどね。つまり、その少年は力がある所を見せようとして、あんな事を引き起こしてしまったと」
月はまたしても上手く話が通じてない気がして、苛立った。碧の言い草だとある重要な事が抜けてしまっている。しかし、再び口を開く必要はなかった。碧はフォローのような補足を加える。
「勿論、その動機は月を守ってあげたいからなのだろうけど」
月は開きかけた口を閉じた。皆同じようにそう言う。だが、その後にまるっきり反対な事を告げて、彼の事は信用できないと示唆する。しかし、碧は少し角度を変えた質問を投げかけた。
「月は怖くなかった? その彼の竹刀が面を貫いた時」
月は一瞬、返す言葉を見失い黙って彼女の言った事を考えた。確かに怖いと思った。だが、それは面を貫かれたからではない。彼が怒りを剥き出しにして打ちかかってきた事に対してだ。
心の内に仕舞い込んだ怪物が肉体という壁を突き破って這い出てくるような感覚。その感覚を月は十年前にも感じ取っている。いや、あの時の感覚よりも一層強かった。
「戦いに巻き込めば確実に危険よ。あの人も、あなたも、ね。それだけじゃなく他の人にとっても」
「わかってる。父様とも約束したから。『戦いには決して巻き込まない』と」
あえて冷徹な言葉で釘を刺す碧だが、誰よりも月を大切にしてくれる事はわかっている。大切に思うからこそ、一真と離そうとする。父も。だけど、彼らは知らない。知らないのだ――
気まずい沈黙を破るように、舞香ががばっと勢いよく首を上げて碧に聞いた。
「うぅぅ、痛い。で、話題を変えるけど。お姉ぇ、『巫女殺し』の手掛かりはつかめたかー?」
「買い物ついでに掴める物なら、苦労はしないと思うけど? せいぜい、噂がいくつか掴めたくらいね。でも、噂というのは尾ひれとか胸びれがついて、元の情報とかけ離れてしまう事もあるから、信用は出来ない」
「でも、手掛かりくらいにはなるよね?」
ふむと碧はその事を考えるように、尖った顎に手を当てた。その視線が月の顔から胸、足までを眺めまわした。
「で、さっきはどうして舞香にからかわれていたの?」
「んへ?!」
変化球のように曲がった話題に月は思わず変な声を出した。ふと見ると碧の顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「月は『巫女殺し』の話になると、せっかちになるから。話題を変えてみたの」
うぅっと月は唸ってそっぽを向いた。確かに碧の言う通りだ。だが、そうなるだけの理由もある。その物の怪は自分の手で倒さなくてはならない。それが自分の義務であると月は頑なに信じていた。
「母が、今夕食作ってるわ。もう出来ている頃でしょう。面白い話はその時にでも」
碧はそれでこの話題は終いとでも言うように立ち上がり、食堂の方へと向かった。舞香が慌てて立ち上がり、姉とは対象的に危なかしげにその後を追っていく。
ただ、月はしばらく畳を見つめたまま黙っていた。父も友人も、誰も『巫女殺し』に関する確かな事を月には教えてくれない。その事に、月は憤りを感じていた。一真の事を遠ざけるような言い草と同様に。
――だったら
と月は妙に冷めた頭で考えた。
「月ー?」舞香の暢気な声が春の夜風に乗って月の黒髪を揺らした。
――私一人でも、その元凶を潰してみせる




