二十九
†††
妹と対等の大喧嘩をしたのは、考えてみると多分それが初めてだったかもしれない。舞香はいつも自分の後をついてきて、自分と同じ事をして、同じ言葉を繰り返して、同じ洋服を着て。
考えてみれば、二人が喧嘩にならないよう、父も母も気を配っていたのかもしれない。同じ物は必ず二つ買ってきていたし、教えてくれた遊びの中にはどちらかが取り残されるような勝負事のものは無かった。春日家では既に霊術の鍛錬が始まっていたのに、吉備家では一向にそれを始めようとする気配が無かった。
霊術の鍛錬を始めれば、吉備家における“しきたり”や“使命”に縛られる事になる。月が、自身の運命に追われるようにして鍛錬を積んでいたのを見て、葛藤もあったのかもしれない。
ともかく、碧が鍛錬を本格的に始めたのは、舞香を守ると決めた時からだった。自分が姉だと自覚し始めたのもその時からだったのだろう。碧は神社の至る所で舞香を引っ掴まえては、教わった霊術を教え込んだ。始めはそれでも、舞香は笑顔だった。
きっかけは教えた霊術が失敗した時だった。水気の術だったと思うが、舞香は部屋を水浸しにしてしまった。舞香は狼狽える碧を置いて逃げ出してしまった。
それからだ。舞香は何か失敗する度に逃げるようになった。鍛錬そのものを始める前から逃げる事もあった。何でもいつも一緒だった二人に差が出来始めたのも仕方がない事かもしれない。逃げる舞香に対して碧は次第に怒りを覚えるようになった。なんでなのかは自分でも分からなかった。
――なんで、逃げるの
捕まえては説教した。舞香はお茶らけた様子で躱していたが、本当の所、心の底で何を考えているのかはわからなかった。
例えば、自分の教え方が悪かったから失敗してしまったのかもしれないとか、失敗から逃れたいと思うのは当然であるとかは考えもしなかった。
自分は絶対逃げたりしない。自分の使命から逃げたりしない。そんな風に考えるようになったのは、どうしてだろう。どうして、こうなってしまったのだろう。
だけど、本当は自信なんて無いのかもしれない。無いから自分に与えられた使命やしきたりを全うする事で、満足していたのかもしれない。そして、舞香と――妹と向き合う事から逃げていたのかもしれない。
――結局、大喧嘩して逃げ出したあの日から、十年間。私は何も変わってないのかもしれない。
妹を平手打ちにしたしたあの時、舞香の瞳を見て初めて、気付かされた。同時に自分はどれだけ愚かなんだろうと思った。
誰よりも舞香の姉である自分が彼女と向き合わずに、どうするのだ、と。
一真が、一緒に怪異を解決しに行こうと切り出した時は本当に、嬉しかった。月が立ち上がってくれた時も。他の皆の言葉が掛けてくれる言葉がただただ嬉しく、そこに寄りかかる自分の情けなさを感じた。
そして、今もそうだ。まだ、舞香とどう接したらいいのか分からない。会ってどんな風に話せばいいのか。
それが、分からない。
†††
仄かな優しい光。
瞼の内にまで伝わるその明かりに誘われるように、碧は意識を取り戻した。ぼんやりと目を開き、前を見る。ここは祠だろうか。正面に見えるそれは何か……呪術を執り行う為の祭壇のようだった。だが、どこか違和感があると思って、凝視する。何のことは無い。
自分は祭壇の頂上、中心部分から祭壇そのものを見下ろしているのだ。
「え……?」
意識が一気に戻され、碧はぎょっと身体を逸らそうとした。が、首から下が動かなかった。胸より下が岩の中に埋め込まれていた。碧の意識に呼応するように、薄緑色の輝きを放つ。優しくだが、どこか不安を掻きたてられるような、深海魚の疑似餌のような不気味さがあった。
ふと隣にも同じ位の大きさの岩が置かれている事に気づく。それは青に赤に橙色に白にと、次々に色が変わっていく。その光の中に巫女が一人、胎児のように身体を丸めているのが見えた。
「佐……保」
舞香の友達である少女であり、式部の季節を司る巫女。彼女もまた、夏樹を探していた筈だが、やはり捕まっていたのか。
「む、起きたか碧」
碧の頭上で黒龍こと黒が身を捩らせ、すり寄る。背後に更に大きな岩があるらしい。黒はそれ以上動けず、鱗の艶も悪かった。
「黄龍と青龍は完全に動けん」
「白龍と赤龍は?」
碧の問いに、黒はフッと笑みを浮かべた。
「この巣堀に潜ませておったのだがな」
えっと碧は、声を上げそれから、もっと早くすべきだった質問をした。
「どうして? ここは、奴らの本拠地じゃないの? もしも見つかったら――」
「こらこら、そんなに一片に質問するでない」
黒が苦笑して窘める。碧はムッと唇を尖らせつつも、式神が応えるのを待った。
「うむ、まず、ここがどこかについてだがの。ここは岡見の地下だ。かつて、私が神泉苑より逃げ出し、新たな居住地とした巣堀だ」
「えっ」碧は思わず声を上げて驚いた。確かにこの岡見学園で五頭龍と吉備家は出会ったと、聞いていたが、まさかその古巣がその地下にあったなんて初耳だった。
「まぁ、無理も無い。影津はここの存在を明かそうとはしなかった」
それは何故なのか。黒はそれ以上を語ろうとしない。それに、これ以上聞けば本題から逸れる。そう判断し、碧は訊ねた。
「で、その私のような吉備の人間ですら、知らないようなとこで、……役小角さんとやらは何の用があるのかしら? 私達をこんなところに拘束したところから見るに、碌な目的ではないでしょうけど」
「うむ、さしずめ、ここの霊脈を乗っ取りに来た……というところか。彼の目的がこの土地そのものを自らの物とすることなのか、それとも“霊気”に関する何かなのかは分からんが」
含むような物言いに、碧はある事に思い至り息を呑んだ。霊気はあらゆる霊術の基となる燃料のようなものだ。呪文を唱えるにも、式神や霊具を生み出し造るのにさえ、霊気は無くてはならないものだ。この岡見の地は龍の霊気が流れている。そして、龍の霊気はそこらの霊獣や式神とは格が違う。そして、敵があえてこの“霊気”を欲しているのだとすれば、目的は一つだろう。
「変若水……か」
神話にその記述が見られる不死信仰の霊薬だ。だが、無論実際に吉備家が管理している変若水は、そのような効果のある霊薬ではない。が、悪意ある者の手には決して渡せない秘術が施されている。
「まさか、若返りたいだけなんていう馬鹿げた理由で狙ったわけじゃないでしょうけど」
役小角――あの法師はそう名乗った。もしも本物ならば確かに変若水を求めたとしてもおかしくはなさそうだが。果たしてあれが本物だとは碧には到底信じられない。
「我らが囚われているのも、奴の目的と関わっているのであろう。霊気を奪われておるぞ。我らはな」
全身を襲うこの不快感と虚脱感の正体はそういうことか。この岩自体が霊具となっているらしい。
「で、それは分かったけど。やっぱり、赤龍と白龍をここに潜ませたのは不味かったのではない?」
いくら古巣だからと言っても、今は役小角に占領されてしまっている。月と合流させた方が良かったのではないか。だが、黒は何故だか笑いを堪えるように、腹を捩っていた。
「うむ……だが、彼らをここに導く事は出来た」
――え? と、碧が問いかけるような視線を向けたその時だった。
碧の意識が目の前、暗い洞窟の奥、その先。木製の小さな扉が見える。その外が俄かに騒がしくなり始めていた。二頭の龍が暴れでもしているのかと思ったが、違う。どこかこの緊迫した空気にはそぐわない、俗に言うならくだらない言い争いが聞こえてくる。
「地図にはそう書いてあるんだよ!! こっちで良いって!!」
「へぇ!! だけどな、もう三回も道間違えてるぜ!! なんだって、地図通りに進んでいる筈なのに、そんな事になるんだろうなぁ?」
「うむ……確かにそっちではないぞ。こちらだ。この扉の先にいる……て、二人共ちゃんと聞いておるのか?」
思わず、このバカと怒鳴りたくなる程に能天気な馬鹿が近づいてくる。そして扉が開いた。言い争いながら入ってきた二人は、ふと足を止めた。
「姉ちゃん……」
姉妹の視線が交差し、繋がる。
一日ぶりだというのに、その姿に、彼女がいるという現実に、意識が溺れてしまいそうな程の安堵を感じる。だが、続いて彼女の胸を刺したのはそれと同じ位の不安の大波。
舞香がすっと息を吸いこんだ。全てを受け入れるように、そして、笑った。
「見つけたぜ、姉ちゃん」
†††
「見つけたぜ、姉ちゃん」
碧の二頭の龍に導かれて辿りついた場所。舞香は笑顔で告げた。
一真はその横顔を見つめ、そして碧に向き直る。鍾乳洞のように窪んだ天上、奥には祭壇が、その周りを囲うように蝋燭が灯っている。そしてその祭壇の中心に立つ宝石のような輝きを放つ岩に碧の身体が埋まっていた。そして、その隣に立つ岩に目が留まり、思わず一真は叫んだ。
「佐保っ!?」
「心配するな。死んじゃいない」
天がすかさず、皆にも聞こえるように言った。舞香の笑顔は一瞬にして崩れた。が、天の声は彼女にも聞こえている。すぐに気を引き締めて、動揺をしまいこむ。
「……今、助けるから」
碧は答えなかった。これは一真の推測に過ぎないが、答えないのではなく、答えられないのだろう。どんな顔をして、舞香と向き合えばいいのかが、分からないのに違いない。
――その気持ちは分からなくもないけどさ
一真だって、妹がいる。その妹と喧嘩した時なんかは、どう仲直りしたらいいのかで悩んだ事も多かった。けれども。
「碧」促すように、声を掛けると、碧は表情を引き締めた。
「舞香、私は」
一歩踏み出した舞香が立ち止まる。今にも崩れてしまいそうな程に脆い。姉妹の微妙な距離感。が、どちらがか歩み寄るよりも先に、二人の間の空気が揺らいだ。電波の悪いテレビにラグが走るかのように、不鮮明な映像。
現れたのは一人の法師だった。
「来ると思っていたぞ、吉備の巫女の片割れ。そして、そこにいるのは」
法師の視線が、一真へと注がれる。言い知れない悪寒が肌へと這い寄る。法師の瞳には生気というものを感じられなかった。髑髏の眼窩のように、底が知れない闇。
「成程。彼女を九霊太妙亀山、玉の皇女とするならば、さしずめ君は東華帝君か? にしてはあまりにも貧弱。何故、彼女は君を選んだのだろうな」
「何言ってるのか、さっぱりわからないぜ」
一真は、それを一笑に付した。だが、思ったよりも声が震えている。なんだ、こいつはと、思う。今まで会ったどの霊術師以上に得体が知れなくなおかつ格が違う気がした。術者としての正体を明かした沖博人と感覚は似ているかもしれない。
「お前がラスボスって事でいいのかな?」
法師は笑いも怒りもしなかった。感情があるのかどうかさえ怪しい。舞香がキッと睨み、袖から短剣を取り出した。白龍、赤龍の二頭が静かに鱗を逆立てる。
「役小角と言う。冥土の土産にでも覚えておくがいい」
未だ、殺気すら見せない小角に対し、一真は破敵之剣を突き付けた。が、またしても、あの酷い頭痛に襲われる。鬼一と常盤が義覚と戦っていた記憶。小角が片手を突き出した。
「出でよ、大峰山前鬼坊妙童之義覚」
凄まじい霊気の放出と共に出現したのは、紅い鬼。こちらは主と違い、溢れんばかりの殺気をその逞しい身体に押し込めていた。研ぎ澄まされた刃物のようだ。槍のように長い柄に斧の刃。鬼一も常盤も敵わなかった相手であり、月でさえ苦戦した。自分と舞香に太刀打ち出来るとは思えなかったが、そこまで考えて一真はあることに気が付いた。
義覚は右腕で斧を持ち、左手は腹の位置を抑えていた。甲冑に包まれた逞しい身体。だが、そこは何かに貫かれたように穴が開いていた。一真の視線に気が付いてか、義覚が笑った。
「奴の一撃は中々強烈だった。惜しむらくは、奴が剣士としてではなく、師として戦ったことだ。弟子を救う為に左手を犠牲にするなど、愚かだ」
「へぇ……成程。流石、師匠だ」
一真は答えつつも、勝算はあるのか改めて、自問する。相手は手負いだ。だが、だからと言って、勝てるとは限らない。むしろ敵は自分が弱っている様子を見せて、こちらを挑発しているのかもしれなかった。
――今なら倒せるぞ、と。
それは事実だ。そして、倒せるチャンスはこれが最後なのかもしれない。
――いや、目的を見失うな。俺達の目的はあくまでも碧と佐保を助け出すことだ
「舞香、白龍、赤龍、援護頼んだ」
「ム……。むしろそっちが援護するとこじゃね?」
どっちだっていいだろと、一真は苦笑する。
「心得た」と二頭の龍は同時に答えた。碧からの霊力は絶たれている筈なのに、まだ龍の姿を保っている。その事に、小角はやはり注目した。
「……何故、龍の姿を保っていられるのだ?」
「悪いな、お前の仕掛けは全部こっちで破壊させてもらった」
敵への確実な一撃だった。土地にばらまかれた呪詛珠。それは、この土地の霊脈を邪気で上書きし、抑え込む為の措置だった。同時に、密かに下準備されてきた怪異を発動することで、岡見学園内の霊気を完全に支配下に置く。
「夏樹の邪気も祓った。ま、あいつを虐めてた生徒達の方はまだだけど、誰かがやってくれてるだろ」
女子生徒達の間で流行っていたオカルト。彼女らが持っていた霊具は本物であり、僅かながらも霊力を発揮した。何故、そんな必要があったのか。
「学園内で流行っていたのは、オカルトじゃない。仲間外れにされたあいつ、夏樹への虐めだった。オカルトは隠れ蓑に過ぎない」
――あんたんところは穢れてるから
その言葉を放った裏にどんな事情があったのかまでは、分からないけれどもなんとなくの想像はつく。少なくとも、本気で呪いだの穢れだのを信じているから放った言葉でないことくらいは。
「お前は学園内のいざこざを怪異にまで発展するよう仕組んだ。加害者側にも被害者側にも働きかけて」
加害者側には、夏樹は穢れているというレッテルと、夏樹に呪われるかもしれないという恐怖を植え付けた。
被害者側には、杏子達への恨みと、友達への不信感を、舞香と佐保が隠している事への疑念を育てた。
毒入りの雨でそっと時間を掛けて育て上げて成る怪異の芽は恐ろしく大きくなっていた。
「だけど、それも終わりだ」
そう、事実を突き付ける。碧は舞香と向き合う為に立ち上がり、それに一真や月、神楽や歌乃が手を貸し、上からの命で動けない大人達も可能な限りの助けの手を差し伸べてくれた。鬼一と常盤は道を、勝利を掴めるだけのチャンスをくれた。
「これで全て終わらせる」
ならば、ここで自分達にとっての勝利を掴む。それが出来る筈だ。
「うむ……なんとな」
さしもの役小角も、苦渋の唸りを発した。それは、敗北を悟ったからか、
――そんな筈が無かった
「まさか、お前達、それだけをする為に手間の掛かる事をしていたと言うのか。全く以て成っておらんぞ。全く以て力の無駄遣いというもの」
スッと宙から取り出したのは一本の杖。二度地面を叩いた。
「くっ……アアアアアアアアアァアアアア!!」
碧が身体の芯から絞り出すように叫ぶ。役小角が左の袖を捲った。その細い腕に巻かれた数珠玉が露わになる。透明だったそれが、薄緑色へと染まっていく。
「こやつらの霊気を全て絞り出して、霊具に換える事も出来た。それであれば強い霊具が出来ただろう。だが、それでは一つのみだ。如何に強力と言えども、一つきりでは何かと不便だ」
青ざめた表情で舞香が飛び掛かる。義覚が応じて斧を振り上げる。
「出でよ、蜃!!」
召喚した蛟の背に乗り、義覚を躱す。その後ろから続くように、一真が破敵之剣を構えて突っ込む。
「お前の相手はこっちだ!!」
「ハッ!! 小童が何をほざくか!!」
霊気を送り込んだ破敵之剣が、金色の剣気を放つ。義覚は斧でそれを受け止め、返す刃を叩きつける。剣の面で受け止める。刃と刃が競り合うその体勢のまま、義覚は押しこめる。一真の足が地面を後ろへと滑る。踏ん張りが利かない。力で競り合おうとしたこと自体が間違いだった。
それに気づいた時はもう遅い。
「奴ん!!」
壁に叩きつけられ、一真は肺の息を叩き出される。
「が、ぐっ……この!!」
蹴りを横っ腹に叩きつける。が、びくともしない。
その義覚の背後では、舞香と蜃が連携を取り、小角を叩こうとしている。
蜃が幻術の霧を吐きだし、舞香の姿を消し去り、小角の死角から舞香が襲い掛かる。小角の肩を、短剣が突き抜けた。だが、血は出ない。身体の輪郭がをぼやけ、……消える。
「え?」動揺する舞香。その背後に本物の小角が現れる。
内縛印、
剣印、
「おん・きりきり」
転法輪印、
外五鈷印、
諸天救勅印、
「おん・きりうん・きゃくうん」
外縛印、
「急々如律令――明王の威を以てこれなるものを縛りあげよ――不動金縛り」
金色の鋼線が舞香を、蜃を縛り上げ地面へと倒し、張り付ける。
「良いのか? この小娘も、私のモノにしても?」
杖の先を舞香の頭に突き付けつつ、問いかける小角に、一真は歯ぎしりする。小角にしてみれば造作の無い事なのだろう。一真達が必死になり、死にもの狂いで求めて、ようやく守れたものを、いとも簡単に奪い去る事が出来る。
だが、だからこそ、諦めるわけにはいかなかった。まずはこの目の前の鬼をどかさないと行けない。だが、その力が無い。
頭に走る痛みと脳裏に浮かぶ映像は焼き付けるかのように鮮明になっていく。
――たくっ、じれったい馬鹿だな、てめぇは
頭の中で響いたのは心の中、内の幽暗に閉じ込められた人格の声。
――力が目の前にぶら下げられてるのに、それを撥ね付けるとは、どういう了見だ
なんだってと、思わず声に出そうになる。けれど、その言葉の意味するところを考え、一真はふと瞼を閉じた。
何故、鬼一の記憶が自分の中に流れ込んでくるのか。いや、それは単なる記憶なのか。始めは、これが鬼一からのメッセージなのだと思った。自分達に起きたことを、敵がどうなったのかを伝える為なのだと。
――違う。それは結果的にそうなっているだけだ。先生が俺にしたかったことは
あぁ、なんだと、一真は難解だと思っていた問題があっさりと解けてしまった時のように、それを“理解した”
「遍満する金剛部諸尊に礼したてまつる。強大なる大忿怒尊よ。砕破したまえ。忿怒したまえ。害障を破摧したまえ」
心臓が跳ね上がる。身体を廻る霊気が活気立ち、握った手を通して、破敵之剣へと注ぎ込まれる。天が驚き、嬉しそうな声を上げた。
「一真!?」
――破ぁっ
一喝、霊力が放出され、義覚が飛び退る。その隙を突いて、一真は小角へと斬り掛かる。小角は舞香の身体に突きつけていた杖を離し、振るった。
展開された結界が、剣を阻む。凄まじい振動に刃が震え、結界を揺さぶる。少しでも気を抜けば手元から吹っ飛んでしまいそうな程の霊力の迸り。
――すげぇ、これが
霊術。その力の一端。それを受け止めた小角に対する恐ろしさは勿論あった。だが、それ以上に血の沸き立つような興奮がある。力と力のぶつかりに。
一真に気を取られたせいか、不動金縛りが緩んだその隙を突いて、舞香と蜃が抜け出し、碧と佐保の元へと走り出す。
「む……不覚」
小角が静かに横目で後ろを見る。口調とは裏腹にまるで切羽詰まった感じが無い。一真の攻撃を受け止めたのも片手間であり、余興位にしか考えていないのではないか。
――こいつの本気はこんなものじゃない
隙を窺っていたのであろう白龍と赤龍の二頭が左右から小角へと飛び掛かる。一真は上に跳んだ。景色が小角を置き去りにして変わる。瞬間移動でもしたかのような俊敏さだった。普段の自分では、決して出来ない動き。同時に身体への負担も制御へ割く注意力も並ではない。
白龍と赤龍が吐き出す咆哮が、小角を挟んで交差し激突する。身体を打つ衝撃波に、一真はぞくっとする。これが龍の一撃。そして。
「ふむ、やはり、霊力は落ちているようだ。術者との繋がりが薄れている証拠だな」
それを結界で押し返す小角の実力。そいつを打ち破ってやりたい。




