二十八
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校舎の外と内が断絶された岡見学園。その外の領域の陽の世界は、えらい騒ぎになっていた。校舎の中に入ろうとした生徒達の悉くが、何故か校舎の門より先には入れず、入ろうという気にもなれないまま、その周辺を歩いて回った。
本人達さえも自分達が何をしているのか、分からないに違いない。それは生徒だけではない。保護者、事務員に非常勤講師、弁当屋、他業者等々、それぞれ色々な事情で学園内に用がある人達もまた、一人の例外も無く学園内に入れなかった。しかも、その理由が自分達ですら分からないのだから、不気味だ。
しかも、不気味なのはこれだけではない。本人達は気付いていない。この現代文明にあって電話で学園内と連絡を取ろうとする行動を、何故誰一人として取ろうとしないのか。
それこそがこの学園全体に掛けられた術だ。が、これは怪異による影響ではない。怪異を“独り”で解決しようとしている者――吉備影津の意志によるものだった。
曽我海馬はその現場を、その術の効果をどこか冷めた目で眺めていた。
――ここまで放っておいて、それでもなお誰かから隠そう言うんは卑怯通り越して、滑稽やなぁ……尤も、なんや裏がありそうやけども
普段は、浅黒い肌に隆々とした逞しい身体と生き生きとした表情が売りの好青年である――自己評価――海馬だが、今はどこか物憂げで、覇気が感じられない。
下の混乱した様子があっという間に通り過ぎ、“車内”が揺れた。まさに土公祟りの怪異が起きている現場へと突入したわけだが、海馬はこのあまり乗り心地の良くない席に顔をしかめ、隣に座る少年へと文句を垂れた。
「もうちびっと揺れるの抑えられまへんか? 酔ってしまってしゃあないですわ」
少年はにやにやと笑い口元を抑えた。
「ほっほ、なんじゃ。おぬし乗り物は苦手かの? 戦闘ではいつも飛んで跳ねまわって大暴れしとるくせに……お、あれはなんじゃ? 鬼か? おぉ、あれに見えるは九天応元雷声普化天尊、雷命之剣ではないか。む、あちらは月の加護を受けし陰陽之巫女か? 派手じゃのう」
「……なんや、人を活きのえぇ鯉かなにかみたいに言うのはやめておくんなはれませんかね?」
一人、窓の外を眺めて興奮気味の少年に対し、海馬は露骨に嫌そうな顔をして答える。妙に胡散臭いと評判の関西弁は、幼少の頃から転々と各地を渡り歩いている内に身に付いた悪癖だ。どちらかの言葉づかいに直そうと思っても、半端な訛りはついて回るもので、結局面倒なのでそのままになっている。要するに怠惰なだけだが、彼と付き合いの長い者は、あまり気に留めない。
それに、言葉づかいの奇妙さというか、胡散臭さで言うなら少年の方が遥かに上回っている。妙に年寄り臭い話し方だ。
日を浴びて輝く茶髪に白粉でも塗ったかのように白い肌。烏帽子に白の束帯姿ともなると、その胡散臭さもいよいよ拍車が掛かるというものだが、妙に様になっているのも事実だった。
瞳は狐のようだが、その印象通り、彼は人を化かすのが好きだ。誰彼構わずからかう。ただ、海馬が戸惑っているのはその性格に、ではない。むしろ、その小童みたいな性格自体はもう慣れたものだ。
「まぁ、良いではないか。のぅ、“青龍”?」
と、少年は向かいに座る男に話を振った。男は目を閉じたまま何も答えなかった。何か答えるべきかと口を開きかけてはいるが、結局短い溜息が出ただけだった。
「程々に願います。あれに負けるとは思いませんが、彼らも彼らで必死なのですから」
賀茂楓雅は寡黙な男だ。身長は二メートルには届かないが、日本人としてはかなりの長身で、その顔立ちも彫りが深い。まだ三十代だが厳とした信念と穏やかな知性を兼ね備えた陰陽師であり、仲間内から絶大な信頼を受けている。
戦闘時はそれこそ、鬼も裸足で逃げ出しかねない程の凄まじい霊術をかますが、普段は滅多な事では怒らない、穏健派として知られている。海馬と同じく四神の一角、東の護り手であり、現陰陽寮の実質ナンバー2の地位にいる男だ。まさしくその風格にふさわしいと言えるだろう。
――それに比べて、横の此奴は
「なんじゃ、なんじゃ、釣れないのぉ」
「ちびっとは、緊張感持って頂きたいですねぇ。ここは戦場やぜ?」
はぁっと魂が抜き出てしまいそうな程の勢いで溜息を吐く。“元々の身体の持ち主”もどことなく掴み所が無い少年ではあったが、あちらはまだまだ可愛げのある方だった。
「あんまその体でふざけとると、息子はんが怒るよ?」
「何、あやつも身体を貸した以上、文句は言えない筈じゃろうて」
よく言うわと、海馬は目玉を回した。
「そうでっしゃろか……。ま、その体そのまんま返さないと言いまへんだけ安心しましたわ」
「うむ、まだ、“今のところは”、じゃな。この身体にはまだまだ馴染んでおらんしの」
少年は目を細めて笑う。悍ましい寒気に襲われる程に無邪気な表情だと、海馬は思う。しかもこの少年、果たしてどこまでが本気なのかが、分からないのがコワイ所だった。単なる戯言に言霊の呪術を使い、人をからかう。それも無理はないかとも思うが。
――千年も陰陽師続けてると、そないな感覚に陥ってしまうものなんかね
「“晴明殿”」
楓雅が、静かなそれでいて力を感じさせる声で外を指さした。
「着きました」
着地すると同時に、扉が開いた。“晴明”と呼ばれた少年が、外へ嬉々と飛び出して行き、見苦しくない程度に慌てて楓雅が後を追う。海馬はよっこらせと、やたら爺臭い足取りで馬車から降りる。
怪異に見舞われた岡見学園の土地、正確には校舎群から少し離れた林を、海馬は用心深く見回した。負の気は相当強まっている。特にこの土地における鬼門そして裏鬼門の方角――陰之界から物の怪が這い出てきやすいポイントだ――はすぐにでも調祓する必要がある。
「いやぁ、よいのぉ。五龍の奴が、神泉苑よりこちらが住み心地良いと感じたのも頷けるわ」
なのだが、どうにも締まらないのが一人。いますぐ馬車に放り込んでお帰り願おうかと、半ば本気で海馬は考えるが、それはあまりにも大人げない。それに、彼の力はここにいる誰よりも強い。それは厳然たる事実だ。
――安倍晴明なんて反則物だして来られたら、俺が敵やったら怒るわな
「で、晴明“様”どないするおつもりで?」
「なんじゃ、妙にわざとらしいの」
そろそろ面倒になったので、黙り込む。晴明はわざとらしく咳払いし、ようやく真面目モードに切り替わった。
「楓雅、海馬の二人はそれぞれ鬼門、裏鬼門にて調祓を執り行え。ま、陰陽師界きってのえーす、春日の夫婦もおるわけだし、そんなに苦戦はしないだろうが、気を付けるのじゃぞ」
「ふむ、あの二人が戦っとる巨大な式神もそろそろ倒れる頃合いやね。そっちも手伝って貰えるやろうけど……」
果たして、どうだろうか。
春日と吉備の夫婦。どちらも陰陽寮の命令無いまま動き出し今に至っている。その目的は、はっきりと分かっていないが、恐らく逸ったまま飛び出して行った吉備の巫女、舞香が敵に捕まりでもしたのだろうと、海馬は予測していた。
数日前より、吉備舞香は現陰陽寮に岡見学園で起きている怪事件について報告していたのだが、彼女の祖父である影津の「大したことではない」の一言によって揉み消されている。
その舞香が神社を出て行ったと報告があったのが昨日だ。正確には連絡があったのは、陰陽寮にではなく、刀真に、なのだが。その刀真は、半ば強引に現陰陽寮の許可を得て「雷命」の封を解き、舞香を助ける為に、この岡見へと馳せ参じた。その思いっきりの良さは、海馬にしてみれば痛快だが、陰陽寮の他の重鎮、ここにいる晴明や楓雅も含めて皆苦々しい表情を浮かべていた。
今三人は刀真達に引っ張られるような形で、この地の怪異の解決に乗り出していた。結果として、最悪の事態になる一歩前に、こうして駆けつけられたわけだが。こうなると、舞香が勇み足を踏んだ気持ちも分かる気がした。
「晴明様は?」楓雅が静かに訊ねる。彼の手には青竜偃月刀があった。彼が使役する式神の形代であり、武器であり、代名詞でもある霊具だ。
「うん、儂は地下へ行くぞ。五頭龍の古巣にの」
「ち、地下? 古巣? あの吉備の式神の五頭龍の、かいな?」
海馬は驚いて聞き返した。かつてここには五頭龍の霊気溢れる川が流れていたと聞いた事はあったが、地下があるとは初耳だった。楓雅も同じく聞いた事が無かったらしく、驚きこそ表情に出さないものの、説明を求めるように晴明を見た。
「その存在を知っておるのは、儂と影津くらいのもんじゃな。あやつ、息子にも話して無かったらしいの」
「はぁ……ま、あの秘密主義な爺らしいですわ。で、なしてそないなとこに?」
それは愚問だったかもしれないが、晴明のあからさまに人を馬鹿にするような顔に、海馬はイラっとなる。
「おぬし、馬鹿じゃ馬鹿じゃとは思ってたがのー」
「そうですか。そら、すみまへんなぁ……とっとと言え、もしくは、失ね」
びくっと、晴明は海馬の殺気にというより、その命知らずさに震えた。海馬にしてみれば、その反応が鬱陶しくて仕方ないわけだが。
「お、おぬし、もう少し敬うという気持ちをだな……分かった分かった、言うよにって――そこに雛達が集められておるからじゃ」
雛達? 海馬は首を捻り、そして思い至る。栃煌神社の若き陰陽師達の事に。
――ま、まぁ、当然や。月は舞香の友達なわけやし、陰陽寮の命無くとも器用に動いてるやろな。で、碧は舞香の姉ちゃんなわけやし、動いてるに違いない。それに、なんや他にも色々とおったような……あぁ、鬼一のおっさんとその弟子のチョー美人な子もおったけ? あいつらもやっぱどこかで戦ってるんやろな
何しろ、どいつもこいつも大人も子どもも、渦中に飛び込んで行ってしまったおかげで、海馬達は碌に情報収集も出来ないまま、戦場に辿りつき、“臨機応変に対応せよ”という便利な陰陽寮の命令書を基に戦うしかないのだ。
現陰陽寮の信用を失ってしまったが故、身から出た錆な事だとは思うが、海馬にしてみれば、誰か一人でいいから、せめて自分位には連絡をくれよと思う。
「ともかく、儂は行くぞ」
「これが必要になりますかな?」楓雅が自身の青龍偃月刀を晴明に差し出す。が、晴明は首を振った。
「勾陣がおる。それで十分じゃ。のお?」と晴明は袖の中に向かって話しかける。反応は無かったが、晴明はその程度を気にする人間でもない。答えなど聞かず、踵で地面に円を描き、コンコンと叩いた。
「では、頼んだぞ」
次の瞬間、晴明の姿が掻き消えた。戦いは始まってすらいないのだが、海馬はどっとした疲労感に襲われ倒れそうになる。それに、彼は晴明の言った事を正確に把握していた。あのお茶らけた“生きた化石”は気まぐれでなおかつ、目の前の危機を遊園地のアトラクションのように楽しむというとんでもない悪趣味の持ち主でもある。そんな彼が子ども達の所に行って何をするのか。いや、しないのか。
「あいつ、雛達を助けるーとは言っておらんかったな……」




