二十六
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護身之太刀が、光を放ち白銀の軌跡の弧を描いて、鬼の群れを薙ぎ払う。焔の扇が、灼熱を放ち降りかかる水気を、一瞬の内に蒸発させる。
月と日向、陰陽師と式神の少女二人は、言葉を交わす事も無く、隙のない連携を紡いでいく。剣閃が鬼共の攻撃を弾き、飛び来る霊術を扇の舞が防ぐ。敵の攻撃が薄くなると同時に、月は術の護りから離れ、鬼の、人造型の式神へと斬り掛かる。
束の間、その攻撃は式神も、敵の術の流れ弾一つ通さない。このまま行けば敵の側が全滅する。
――行ける
その事に自信は持てど、油断はしない。だが、その時。
「月!!」
日向が鋭く注意を喚起する。なんだ、と月は辺りを見回し、そしてそれが視界一杯に迫るのを見た。大太刀、十メートルはある刃が頭上から振り下ろされる。
「ぐっ!!」
ダンッと、地面ではなく、地面を構成する霊気そのものを“蹴り”横っ飛びに躱した。ふわっと宙に漂う髪が数本、刃とすれ違い様に消し飛び、衝撃波が月の身体に叩きつけられる。
「うわっ……!!」
受け身も碌に取れず身体が流されるまま宙を飛ぶ。落ちればまず死ぬだろうという勢いを、月は金気の霊符を使い霊術の風を起こして必死に和らげ、全力で身固めを行い衝撃を、殺した。それでも地面に叩きつけられ、月は苦悶に呻いた。
「痛っ………」
油断した。が、あれ程巨大な刃を直前まで見破れなかったとは。恐らくは隠行術の類で今のいままで隠されていたのだろう。それにまるっきり気付かなかったとは。
切れた唇から流れる血を指で拭う。その視線は林の向こうに釘付けにされている。
林、木々の天辺から巨大な頭が二つ覗いていた。一つは紅く、もう一つは蒼い。紅い方が大太刀を抉れた大地から太刀を引っこ抜いた。たったそれだけの行為で、地が揺れた。ぎろりと月を見下す。
蒼い方が抱えていた壺を逆さにした。淵から漏れ出たのは瘴気を含んだ水流。ぞわっと心の底から危機感が湧きあがったその瞬間、林を薙ぎ倒し瘴気の濁流が迫る。
月は咄嗟に上へと逃れようと足に力を込めたが、視界の隅にあの人造型の式神が振るう斧が映り、太刀を一閃。斧の刃を使い手諸共叩き斬る。しかし、それは致命的な判断ミスとなった。斬られた鬼の屍を踏み越え、別の鬼が迫る。肌の青い後鬼。壺から瘴気を含んだ霊水を噴射し、月を包み込もうとする。
「急々如律令――清浄なる陰気、光は風となり夜空に、霽月は閃け!!」
すかさず九字を結ぶ。護身之太刀ではなく、放った霊符が月の霊気を霊力へと変換する。彼女を守るように光の風が瘴気をかっさらい、鬼達を呑み込んで浄化する。だが、その結果を見届ける余裕すら月には無かった。
――間に合わない……!!
既に瘴気の濁流が鼻先にまで迫っていた。横から飛び付くように日向が突っ込んでくる。だが、間に合わない。呑み込まれる。
「九天応元雷声普化天尊!!」
芯の強いよく通る声――言霊を乗せ、紫電が瘴気を貫いた。
産まれたその時から、聞き馴染んできた筈のその声が、何故だか懐かしく感じる。巨大な蒼鬼が、ん? と誰何するように目を細めて第三者を見つめた。が、新たな敵は一人ではない。
「上弦の大虚司るは月弓尊! 圓滿の中天照らせたまふは月夜見尊! 下絃の虚空知らしめしは月読尊! 三神三天を知らしめし、申すこと聞こえめして、祈願圓滿感応成就無上霊法(きがんえんまんかんおうじょうじゅ むじょうれいほう)を放たん!」
清らかな、だが力強い凛とした声を伴った言霊、そして暗雲立ち込める大空が、真っ白に塗りかえられる。琴の澄んだ楽音が、その場にいた者の脳裏に焼きつけるように響いた。
大きな地響きと鬼の穢れた怒鳴り声が混じる。日向に庇われつつ、微かに瞼を開けて見ると、なんと巨大な紅い鬼――前鬼が後鬼の前に立ち塞がり、太刀を握っていない方、左の掌で浄化の一閃を喰い止めていた。
――そんな、あれを止めるなんて……
鬼の掌には細かく呪文が刻みつけられているのが、辛うじて分かった。恐らく結界だろう。ここまで巨大化させた理由は、少しでも多くの結界の呪文を施す為か。そこまでして、なお前鬼は押され、巨大な足裏が後ろへと滑る。
「何を呆けている、月」
すぐ傍に立った父、刀真。日向がどき、月はようやく立ち上がる。
感謝が、そして申し訳なさが胸中を満たした。刀真が静かに月からの言葉を待つ。その手に持つ太刀――雷命は、約二か月程前に沙夜と戦った時よりも更に霊力が高まってるように感じた。「封」を破ったのだ。父は確か京都にいた筈だが、舞香がいなくなったという知らせを受けて飛んで来たのだろう。
万全の準備を整えて。
「父様」
「思った以上に、ここの状況は深刻だったようだな。影津殿は今まで何をしていたのやら……」
それは父が滅多に見せない感情の一端――憤りだった。しかし、一時の感情に我を失う程未熟な陰陽師でもない。霊気の繋がりを通し、父が心中で握った拳を開くのを、月は感じた。
「あの鬼のどちらか片方を先に沈める。残りの一体は私と蒼だけで対応可能だ」
刀真は冷静に戦況を分析していく。だが、その言葉の中に含まれた計画に、月は躊躇した。
「父様、“本物”の前鬼もいます。それにその使い手は、恐らく強敵です」
前鬼、妙童之義覚その主は、役小角だと伝わっているが、既に遠い昔に亡くなっている筈である。だが、あれだけの鬼を扱う術者は、当然相当の実力者だろう。
――いずれ
月の脳裏にふと男の言葉が浮かんだ。霊脈、世界のありようを歪める転移術を使って逃れたあの術者。果たして自分だけで勝てるのか。
「ならばこそ、お前が足止めするのだ。私達はこの岡見の霊脈を調祓させる必要がある」
調律ならぬ調祓。楽器の乱れた調べを直すが如く、霊脈の流れを調整する為の儀式だ。
「分かっていると思うが既に陰之界から陽之界へと通ずる鬼門が開いてしまっている。捨て置けば、物の怪が流れ込んでくる。これを封じる事が先決。岡見の霊脈に上書きされた“呪”の方はどうなっている?」
突然、訊ねられ、月は息を呑みつつも答える。
「か、神楽さんと歌乃さんが今探りを。神楽さんの式は、“戌”ですから、見つけ出すのは容易。見つけ出せば、掘り起こすだけで効果を失う筈です」
「そうか。それともう一つ聞こう――お前は何の為にここにいる?」
――何の為に? そんなのは決まって……
安易に答えようとし、月は言葉を呑み込んだ。舞香を取り戻す。佐保を取り戻す。二人の友達を取り戻す……それだけか? 違う。その先を、未来を描くのだ。
「――!!」
結界が破れ、鬼の呻き声が辺りに木霊し月の声が掻き消される。だが、父にはしっかりと聞こえた。よろしいと、刀真は頷き、鬼を見上げる。前鬼の左手は蒼の術によって消し飛んでいた。痛みに見開かれるその目玉を剥き、月と刀真を眼中に入れる。
「月、護身之太刀を」
父の指示に、月は刃の表面を正面にして構える。刻まれた真言――南斗・北斗・日形・月形・南斗六星・朱雀・青龍・玄武・白虎。まだ乾かぬ血を指に添えて文字をなぞる。その瞳には覚悟の火が静かに灯っていた。
鍛錬を重ねたのは、何も一真だけではない。月もまた、二つの大きな怪異を経験し、己の力を更に伸ばそうと修行を続けていた。その中で分かった事がある。
月はこれまで、式神も霊具も術者が、力を引き出してやらねばならないのだと考えていた。自然、強い口調で、命じ従わせようとなった。
一真と戦うと決める前の、沙夜や影女と戦い、そして一真を守る為に影夜と戦った時。
いずれも、月は切羽詰まると力を強引に引っ張り出そうとする癖があった。
だが、一真と共に戦うと決めた後、そして一真が内なる幽暗より戻った時。月は自然と戦う事が出来た。それは何故か。月は戦いの時を思い出し、何度も何度もそれをイメージしてきた。
そして、今、その成果が発揮されようとしている。正直な所で言えば、まだまだ実用出来るレベルにまで行きついていないと感じている。が、出し惜しみをしている場合ではない。
護身之太刀の力を最大限に発揮する為、自身と太刀の霊気を“重ね合わせる”
護身之太刀黒陰月影の霊気と春日月の霊気が同化し始める。月は殆ど無意識の内に“祝詞”を紡いでいた。
「歳星、夏日星、鎮星、太白星、辰星、天上の星神に願い奉る。我はこれ、世の理を乱す物の怪を討つ者なり、執持したるこの太刀は凡上の太刀に非ず。百の邪を浄し、百の魔を滅し、百の病を癒す事を謹んで願い給う。急ぎ急ぐこと天帝太上老君の律令の如し」
刻まれた文字が闇の色の刃の中で白銀に輝く。同時に、刃の輪郭を沿うようにして湧き上がっていた霊力の動きが変わる。月からの霊気に加え、天上より降ろした星神の加護が重ねられる。だが、月は与えられた物をただ受け入れ押し込めるのではなく、自身の頭でイメージしたものを形取ろうとする。
今やそれは様々な色の美しさを取り混ぜたかのような美しさを放っていた。
それは、人間が視覚で見ても瞬時に何の色と判断できる物ではなかった。
――極光
敢えて表現するならば、そうなるが、月のイメージは、更にシンプルだった。
――天の河
世界を構成する霊気、そしてそれから成る霊力の様々な形の具現。少しでも気を抜けばその広大で奥すら見えない世界に吸い込まれてしまいそうだった。それがこの術の厄介な所だ。
自意識を世界と同化させつつ、その世界を更に高次元から操る。それは、本来の陰陽師のあるべき姿なのかもしれない。
――鬼を見る
その鬼の居る世界を。鬼がこれから辿る道筋が幾つも見えた。その内の一つを月は選択する。
「行きます――日向」
宣言すると同時に、刀真は真っ先に動いた。だが、月は動じない。刀真が動く事も含めて“視えていた”
「承知」と日向が応え、月の後ろから手を回す。一瞬の後、月の背から太陽の如く明るい焔の翼と尾が生じた。
刀真が肉眼ではとても追えない程の速さで空を翔け、前鬼の頭上を取り、雷命と同化する。が、前鬼は既に待ち構えており、下段から掬い上げるように太刀を振るう。
雷命が咆哮と共に落ちる。
鬼の大太刀へと雷霆が喰らいつき、世界の時が止まる。刹那、雷神の鉄槌は鬼の大太刀を中ほどから叩き折った。
真っ二つに折られた刃の一方が、雷霆の軌道に沿うように漂いそして落下し始める。刀真は既に地面へと落下していた。勢いは殺せず、比喩ではなく雷となって学園内の林の中でも特に巨大な大木へと落ちる。中ほどまで引き裂いた所で雷は消え、太い枝に刀真は引っ掛かった。
前鬼が怒りの咆哮を上げ、右の拳を振り上げる。腕に刻まれた呪文でもって、結界の霊術を発動。そのまま押し潰すつもりだ。生身の人間は勿論、例え腕の立つ陰陽師であっても、それを防ぐ事は出来ないだろう、しかし。
あまりにもお粗末。
「あなたの死は、そこ」
空から掛けられた声に、前鬼は思わず仰いだ。先程の雷命の一撃とは違う。ふわりと浮かぶ少女の動きは恐ろしく緩慢に見えた。だが、それは錯覚だ。
長く長く引き伸ばされた時間の中、高く高く翔けた月が舞い降りる。
鬼の首のすぐ横を通り過ぎ、木と木の間の舗装された道へと降り立つ。
「乾は大いに通りて正しきによろし」
天上の星神は去り、護身之太刀も月も日向も、元の姿に戻る。
「早く、一真達の所に行かない、と……」
――が、次の瞬間腕と足から力が抜けた。膝をつき倒れる彼女の後ろで巨大な鬼が音を立てて崩れ落ちて行く。すぐ傍で日向が肩を揺らし呼びかけてくるが、それすらも耳に入らなかった。
全身から何かが抜け落ちていく。意識が身体を離れ、遠くへと運ばれて行く。必死に留まろうとするが、まるで滑り落ちるように抜けていく。
――一真……!!
「月――!!」
凛とした声が、月を呼び戻した。全身の毛が逆立ち、肌が引き攣る。本能的な恐怖に、月は涙を浮かべていた。グッと誰かに抱き寄せられる。仄かに甘い香りを放つ黒髪が鼻をくすぐり、触れた肌はとても温かかった。瞳に溜め込んだ涙が堰を切って溢れ出しそうになり、
「この馬鹿!!」
耳元で怒鳴られて、引っ込んだ。そしてようやく、我に返る。母の顔はついさっき心臓が止まったかのように、真っ青な顔をしていた。
――そうか、私死にかけたんだ
直前に浮かんだ恐怖もどこへやら、まるであれは他人に起きた事のような感覚で思い返す。勿論、母の前では口が裂けても言えないが。
「よりにもよって、あんなリスクのある“降ろし”の技を……、もう少しで“あちらの世界”に連れ去られる所だったのよ!! 分かってるの!?」
「ご、ごめんなさい……」
道の端、林の中から、刀真がよろよろとした足取りで駆け寄ってくる。こちらはこちらでかなりの無理をしたわけだが、蒼は刀真にも向き直り、普段の彼女からは想像も出来ない程におっかない表情で夫を叱り飛ばした。
「あなたも、あなたよ!! 自分も無茶して、娘にも無茶させるなんて一体、どういうつもりなの?!」
「い、いや。それは、相手が相手だ。あれはどう考えても、一人二人の陰陽師を潰すような物ではなかった。戦略兵器みたいなもので」
「あんなガラクタみたいな式神と差し違えたって、誰も喜びはしません!!」
ウッと、一真辺りが見たら目を白黒させるであろう苦渋の表情を浮かべた。いつもは、こんなやり取りがあったら茶化すであろう日向も迫力に呑まれてしまって茶々を入れる隙も無かった。
だが、蒼もそれ以上は追及しない。ふうっと、自分の感情の高まりを抑えるように一呼吸。
「それで、まだもう一体残ってますけど、どうします?」
刀真は咳払いして、調子を取り戻すと月へと視線を移した。
「あれを仕留めるのと、この岡見の霊脈を奴らから取り戻すのは、私達でやる。お前はどうする」
「私と日向は、一真と合流して皆を取り戻します」
月の言葉に、二人はよしと言うように頷いた。ただ、蒼はそれでもまだ不安の残る顔で月を見る。が、やはりこれが最善だと判断せざるを得ないようだった。このまま、月を行かせなければ、一真が窮地に陥る、否――既に陥っているかもしれない。刀真か蒼のどちらかが一緒について行けば、ここでの戦いに決着がつかなくなる。
「無茶はしないこと。生き残る事を最優先にね」
母の真摯な言葉に、月はうんと頷き、日向に向き直った。彼女も見た目は変わりが無いように見えたが、大きく消耗している。先程の戦い、日向は一度も異議を唱える事なく、月に力を貸してくれた。ただ、あれを倒すだけなら、他にやりようがあったかもしれない。なのに、付き合い続けてくれた。
「日向もごめん。さっきは、大分振り回しちゃって……」
だが、日向はいつも通りの笑みを浮かべて、その謝罪を受け入れた。
「いいってことよー。それに、私だって月を信じて、何も言わずに任せたんだから」
結果的にちょっと失敗しちゃったけど、と小声で付け足しつつも、その口調は責める風ではない。
「もっと自分を信じてみなよ」
式神の言葉に、胸に温かいものが込み上げてくる。
「一緒に、来てくれる?」
「勿論。私は月を信じてるからねー」
主の頼みを式神は快く引き受けた。




