二十五
天の警告に、ハッと一真は振り返る。だが、遅い。影がほぼ顔と腕しか残っていない影がそれでも掴み掛かろうと迫る。一度抜いた闘気は戻らず、全ての感覚が麻痺し、目の前の光景について来れない。
「蜃!!」
“舞香の袖から”霊符が飛び出る。召喚されたのは蛟姿の蜃。影の横っ腹から喰らいつき、引き千切り捨てた。先程の攻撃が全力だったのだろう。影は声を上げる事も無く、霧散した。
「舞香……!」
舞香が歯を食いしばり立ち上がろうと肘を支えに立ち上がろうとしている。
「お、おい、無茶するな!!」
「馬鹿一真、私が無理しなかったら死んでたぞ」
尤も過ぎる意見に、一真は反論も出来なかった。倒したかどうか、きちんと確認していれば、舞香が無理をする必要も無かったのだ。
「あぁ、てかなんだよー……自分の身から出た物の怪を、自分で仕留めるって。自分で自分殺したみたいな気分だ」
「いや、ホントゴメン……後、ありがとう」
良いよ、別にと舞香は危なっかしく立ち上がり、夏樹へと歩み寄る。
「夏樹ちゃん……」
「舞香……ちゃん?」
掠れた声で訊ねる夏樹に、舞香はうんと頷いた。
「ごめんね。わた、し……止まらなくて……、自分で、自分が何をしてるのか」と、夏樹が涙を零し、舞香は首を振った。
「良いよ……なんて言葉は軽々しく言えない。だけど、それは私達も同じだ。私の方こそ、ごめん。色々と黙ってた。隠し事してた。全部終わったら……何もかもは話せないかもしれないけど」
夏樹は震えながら何度も謝る。
「ごめんね……私ずっと二人の事を疑って、た。私に隠し事してるのは、私を仲間外れに、するため、じゃないのかって」
ぽつぽつと、だが熱を帯びた言葉で、夏樹は必死に自分の内を話す。
「そしたら、あの役小角って、人に出会って……、舞香ちゃんと佐保ちゃんは、家の仕来りの為に……、仕来りに、縛られているんだって」
馬鹿だなぁと溜息のように夏樹は呟いた。
「何の疑いもせずに、信じ込んじゃって……。馬鹿だよね、呪いだの物の怪だの、信じない性質だったのに……」
「夏樹、もう大丈夫だから」
舞香がぽんとその頭を優しく撫でた。一真はその後ろで複雑な顔を浮かべて立ち尽くしていた。これを訊ねるべきなのかどうか。すると、夏樹の方が一真へと意味ありげな視線を送ってきた。一真は意を決して、訊ねた。
「あのノートに書かれていた生徒の名前。あれはお前を虐めてた連中の名前か?」
夏樹は静かに頷いた。
「ここ最近流行っていたオカルト、あれはお前が“流行らせたわけじゃない”……よな?」
再び、首肯。一真は静かに「ありがとう」と答えた。だが、夏樹は逆に問いかけた。
「なんで、私があなたをここに突き落としたのか、聞かないの?」
それも聞こうとは思っていた。だがなんとなく、どうして碧ではなく、自分をここに招いたのかは分かる気がした。夏樹が碧を「敵」だと思い込んでいたその事以外の理由で。
「誰かに見て貰いたかったんじゃないのか? 全くの他人、外の人間に」
夏樹は、はいと今度はしっかりと肯定した。
自身の苦悩を、何故こんなことになったのかその経緯を、誰か一人にでも知って貰いたかったから。そして、叶う事なら引き戻して貰いたかったのかもしれない。
――引き戻したのは、舞香だけどな
果たして、自分がここに来た意味はあったのか。鬼一が突きつけた言葉は未だ頭の中で回り――
――左腕に刃が喰いこむ
「がぁあああああああ――!?」
眩暈、まるで痛みを共感したかのような錯覚に、一真は壁に寄り掛かり、身体の芯から絞り出すような叫びを上げた。自分の足がきちんと床に着いているのかが分からなくなる、今見ている世界が一回転したかのような感覚。何が起きたのか分からずに、舞香の、天の掛ける声がどこか遠くの事のように聞こえる。
「ど、どうしたんだ? 無茶し過ぎたのか?」
「違う……無茶したのは鬼一先生だ」
左の腕が震えていた。まだ、“そこに繋がっている”のが不思議な気がする程の焼けるような痛み。
「先生が……?」
わけがわからないというように、舞香が問い返す。だが、一真にも答えようが無かった。さっきから湧き起るこの奇妙な現象、まるで鬼一自身と感覚を共有したかのようだった。不思議とそれが、他人のものの感覚とは思えず、自身の感覚のように錯覚する。
痛みはすぐに引いた。だが、それは鬼一の方も同じとは限らない。
「鬼一先生が…………自分の腕を犠牲に、あの鬼の式神を退けたみたいだ……」
舞香はますます混乱した様子で、気は確かかと言うような視線を向ける。
「え、な、な、んだって……いや、な、なんで、そんなこと分かんの?」
「さぁ……師弟の絆ってやつかな」
そんなものが都合よくこの場だけで芽生えるとも思えないが、一真にも全く何がなんだか分からなかった。
「は、早く助けないといけないんじゃないのか?」
「大丈夫だ。常盤先輩が手当してる。それよりも」
一真は激しくなる動悸をどうにか、落ち着けつつ答えた。舞香が何言ってんだよと言う視線を向けてくるが、一真はしっかりと舞香の視線を見返し、“頼まれた事”を告げる。
「佐保を頼む、だってさ……独り言みたいに呟いてるけど、これって俺に向かって言ってるって事でいいんだよな?」
舞香はぐっと拳を握りしめ、苦渋の面を浮かべる。
「常盤先輩も動けないみたいだな、俺達でやるしかないか、いや、待てよ、そういえば碧はどうしたんだ……」
そこまで言いかけて、一真は息を呑んだ。舞香の顔が歪み、夏樹が震える。確か、夏樹と戦っていた筈だった。夏樹と再び会った時、それを真っ先に訊ねるべき事だったのに、聞かないでいた。いや、無意識の内に一真はある可能性を、最悪の可能性を思考の外に置いていたのだ。
――馬鹿か、俺は!!
慄然とする舞香の顔を見、自責の念に押しつぶされそうになる。しかし、舞香はどうにか葛藤を押し込み、夏樹に訊ねる。
「夏樹、姉ちゃんはどこだ?」
「……これ」と、夏樹は折りたたまれた一枚の紙切れを懐から取り出した。舞香が腰を屈めて、受け取り、一真にも見えるように広げる。そこにあるのは手書きの地図のようだ。
「地図なんか持ってたのか」
「私、覚えるの苦手だから……、碧さんと佐保ちゃんが捕まっているのはここから東に出る通路を行けばいいの。そ、その赤い線の先の大部屋に」
「そこに連れ込んで、どうするつもりなんだっ!?」
無意識の内に、舞香の声は怒気を帯びた。落ち着けとその肩に手を置く。だが、一真自身も悪寒に襲われていた。
「霊具を作る……んだって……霊気を術者から抜いて。でも、術者は、その、殺さないって……」
グッと、舞香は怒りを吐き出すように夏樹に背を向けた。その震える肩に、一真は浮かんだ言葉を引っ込めそうになる。
――えぇい……
「舞香、急ぐぞ。夏樹はここに置いていくしかない」
「分かってる」
そう言うや否や、舞香はさっと振り向き、大股で夏樹へと近づいた。
――待て……!!
怒りに任せては、何をするか分からない。一真は止めようとその肩を後ろから掴んだ。
「おい、舞香!!」
が、舞香は精神を統一するように、手を合わせて、瞼を閉じ、呪文を紡いでいく。すっと手を開いた。現れたのは黄色く輝く小さな蝶々。
「お前がここにいる事を仲間の誰かに知らせてくれる。助けが来るまでここを動くんじゃないぞ」
「え、え、う、うん」
今にも泣き出しそうな夏樹に、ぶっきらぼうに言い捨てて再び背を向け、ずかずかと歩いていき、部屋を後にしようとする。一真は何も言わずに横に退いた。言葉ならいくらでも思いついた。だが、どれも、今ここで掛けるべき言葉では、掛けられる言葉では無かった。舞香は一真の前を通り過ぎ……立ち止まった。ぐっとこらえ、それから再度夏樹へと向き直った。
「……終わったら」
すっと息を呑み、舞香は複雑な感情を入り混ぜたような声で叫んだ。
「全部終わったら、姉ちゃんと佐保に謝れ!!」
目を丸くして驚くその夏樹の反応に構わず、舞香は捲し立てる。
「私も一緒に謝るから!! そしたら、土下座二時間とか……そんくらいで許して貰える。たぶん! 今回のは夏樹が全部悪いってわけじゃないし、半分くらい? いや三分の一くらいかな、いや十分の……とにかく、いいか? なんか私達がいない間に早まったりしたら、一生許さないからな!!」
目を丸くして驚くその夏樹の反応に構わず、舞香は捲し立てる。
「私も一緒に謝るから!! そしたら、土下座の態勢で二時間とか……そんくらいで許して貰える。たぶん! 今回のは夏樹が全部悪いってわけじゃないし、半分くらい? いや三分の一くらいかな、いや十分の……とにかく、いいか? なんか私達がいない間に早まったりしたら、一生許さないからな!!」
「うん、謝る。ちゃんと謝るから」
夏樹は何度も頷き、微笑んだ。よし、と舞香は妙に肩を張って頷き返し、一真の方に向き直った。
「よし、さっさと行くぞ!!」
「お、おぅ……」
逃げ出すように、部屋を後にする舞香の後を追う。ちらっと最後に見た夏樹は穏やかな表情で目を瞑っていた。少なくとも舞香の言うような「早まる」ような事はしないだろう。そう信じたかった。
扉が閉まり、夏樹の姿が消える。不安は残っていたが、一真は舞香の背を追った。彼女の小さな身体は、二人の大切な人の危機に引っ張られ張り裂けてしまいそうだった。




