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陰陽少女  作者: 瞬々
明鏡止水
124/234

二十三

 吉備の夫婦は、風を切って、駆けた。流れる景色はどこもかしこも淀んでいた。霊脈を堰き止められているらしい。用意周到と言っていい。敵はこちらの地の利を封じたわけだ。これでは、こちらの“奥の手”も使えまい。

 だが、使えないなら使えないまでと、早々に頭を切り替える。月からの情報によれば、現在の敵の戦力は、高位の式神が少なくとも一体、呪術師が二人。その他物の怪と化した女子生徒複数。女子生徒の方は数が厄介という事くらいだろうが、問題は呪術師の二人だ。高位の式神とは、前鬼妙童之義覚なのだという。

「本物かどうかは分からない」そう言う月の言葉は、しかし揺れていた。かなり苦戦を強いられたらしい。少なくとも油断ならない敵であるという事は確かだ。それ以上の事は今は考えても仕方がない。

 ふと、隣を走る氷雨が足を止めた。一拍遅れて、真二も。校舎の入り口、そこを塞ぐようにして一人の男が立っていた。

 男は、頭をすっぽりと覆い隠す紫色の衣に、背中には大きな壺と、胡散臭さを絵に描いたような外見だった。月の言っていた呪術者の一人。

 蠱毒の使い手は、頭巾の中で目を光らせた。情緒不安定なのか、絶えず手を握ったり開いたりしている。


「こここ、これはこれは、よよよようこそいらっしゃいましたたた」


 なのか、ではない。本当に情緒不安定なようだ。さて、会話に乗ってやるべきか否か。隣の氷雨は既に臨戦態勢だ。その肌を“燐光”が流れるように脈打った。


「あんた、鵺さんだっけか。そこを通してくれねぇかな?」


 にこやかに、真二は聞いた。ひくっと呪術者がしゃっくり上げる。穏やかな言葉の中に隠れる言霊の“呪”に触れた結果だが、ここまで上手く行くと逆に面喰ってしまう。


――こいつ、三流か?


 だが、少しでもプライドのある者ならば、虚勢を張るなりしても良さそうなもの。こいつは単に、臆病なのかそれとも……。

「ひひひ」と嫌に耳につくヒステリックな笑みが漏れる。

「かの有名な吉備の方々に名を覚えて頂けるとは至極恐縮。しかし、ここをお通しするわけには参りませぬな」

 眼球が爛々と輝いた。これから起こるであろう霊術の応酬が楽しみで仕方がないという笑み。


――成程、「鵺」とは言い得て妙だな。まるで掴み所がねぇやつだ


 これ以上の会話は不要。そう判断するや否や、真二は素早く手刀を構えた。左手には護符が五枚。宙へと投げ放った。鵺の瞳が追う。


「臨兵闘者皆陣烈在前――」


 呪言が霊気を霊力へと変換していく。九字の印を結ぶその手先を追うように淡く白い光が躍る。古くより伝えられてきた最も基本的な破邪の法。そして、更にこれに一字加える十字の法


「――龍!!」


 光が指先より離れ、尾を引いて、宙へと浮かび上がる。竜が一頭、二頭、三頭、四頭。


「急々如律令――東海龍王、敖廣ごうこう、南海龍王、 敖欽ごうきん、西海龍王、敖閏ごうじゅん、北海龍王、敖炎ごうえんに願い奉る」


 風が舞い、龍の身体に稲妻が迸る。すっと、真二の指が目の前の鵺に突き付けられた。四頭の龍は心得たとばかりに、鷹揚に首を擡げた。その周囲に、神聖な龍の水気が浮かび上がる。その水気に呼応するように、龍の身体の中の稲妻の光が収斂されていく。

 鵺は動かない。一瞬、真二の中で迷いが浮かんだが、もう遅い。雷霆の矢が限界まで絞られる。


 解き放つ。


 空気を貫く灼熱の光線が走り、龍の嘶きが響き渡る。重く鋭い衝撃が遅れて、反動のように真二の身体を駆け抜けた。

 鵺のいた位置からは黒煙が上がっていた。だが、鵺の気配は消えていない。今のを受け止めるとは、やはり並の術者ではない。と、その気配が急速に膨れ上がるのが見えた。煙を切り裂くように出現したのは巨大な芋虫だ。巨大な口に目も鼻もない歪な顔に、氷雨が顔をしかめた。


「虫は好かないわ」

「ふほほほ、ここここれはこれで可愛いものですぞぞぞ?」


 煙の向こう側から鵺が、笑う。結界か、雷避けにくわばらでも唱えたのか、ともかく無傷のようだ。その機転の良さには、感心せざるを得ない。

 巨大芋虫が口を閉ざし、何やら腹を膨らませる。丁度、風船が空気を入れられて膨らむかのよう。蠱毒――その単語が頭に浮かぶよりも先に、真二は袖を振った。出てきたのは茅で出来た輪。


「急々如律令――蘇民将来厄除け、茅の輪潜り、疫 なごして祓い給え、清め給え」


 茅の輪が元の数倍の大きさに広がり、吉備の夫婦を囲む。直後、巨大芋虫の口から解き放たれた呪詛の毒霧が二人を守る結界を包み込んだ。だが、それも一瞬。結界の霊力に浄化され、たちまちのうちに霧は払われる。


「おおおお、こここれは!!」


 鵺が歓喜極まったというように声を上げた。遠い先祖の吉備真備が大陸から請来した信仰、それを下地にした祓の霊術。流石、吉備の家とでも言いたいのだろうが、隣では氷雨がいよいよ痺れを切らそうとしている。


「ちょっと!! こっちはあんた如きと術比べしてる暇はないの! さっさと、そこをどきなさい!!」


 まさしくその通りだが、無茶苦茶にしか聞こえない要求。無論、通してくれる筈もないが、気を悪くした風でもなく、鵺は答える。


「ふははは、こここちらとしても、ああああなた方に邪魔をさせるわけには行きませんでなぁあああ!!」


 煙が晴れたそこでは鵺が片膝を立て、背負っていた壺を地面に降ろしていた。その中身からは凝縮された濃度の高い邪気が吹き出してきている。邪気は外の空気に触れた途端、蠱へと姿を変えていく。


 蟷螂に、百足に、芋虫、蜘蛛。


「うわぁ、気色悪ぃ……」と氷雨は顔をしかめた。ただし、それで気絶してしまう程、気弱でもない。すうっと、しなやかな腕が伸びた。玉のように麗しい肌を黒と白の稲妻が迸る。


「悪いけど、早々に祓わせてもらうわね」


 悪びれる様子がまるで無い、恐ろしくも艶めかしい笑みを浮かべる。

「急々如律令――「闇」を「高」を駆ける淤加美神おかみしん黒龍大神、白龍大神に願い奉る」


 すっと弓弦を引くような動作で、右手を引いた。その指先には陰と陽の霊気を纏った矢がある。先程の真二の放ったのと同じ。


龍が息を吸いこむように、引き絞られた矢が鳴る。梓弓の鳴弦の如く、それは押し寄せる蠱どもの動きを留めた。


 白の灼煥しゃくかん


 ズドンと、一発目が蟷螂と百足を貫き、真っ二つに引き裂き、傷口を瞬時に焼き尽くす。


 黒の灼煥


 その一発目が終わらない内に、それに被せるようにして、二発目が芋虫と蜘蛛の身体を貫きズタズタに引き千切る。

 一、二、三、四丁上がりだ。これだけの大技を叩きこんでおいて、氷雨に息切れする様子はなかった。軽い準備運動を熟しただけというように、身体を伸ばしていた。そのしなやかながらも、芯のある身体を白と黒の稲妻が駆けた。


 氷雨が“憑けている”龍神その加護の証だった。


「で、どうするのぉ? 今のがあなたの奥の手だったようだけどもー?」


 挑発的に問いかける。その答えのつもりか、鵺がその袖から数珠を取り出した。真二は眉をひそめ、鵺がこれ見よがしに、にやっと笑う。


 真っ黒な数珠は急速に霊力を練っていく。ぞわっとする気配に、真二は九字を切った。


「青龍・白虎・朱雀・玄武・空珍・南儒・北斗・三態・玉如」


 大陸より伝来した、陰陽道における九字。結界の障壁が鵺と二人の間に張られる。だが、相手もそれで諦める程、容易くは無い。数珠を握りつぶすように、拳を作る。


「魂呼ばい――邪霊、邪魂、来たりませい!」


 薄紫色の毒々しい濃霧が漏れ出る。ぶくぶくと膨れ上がり、ぽっかりと空いた空間が三つ。それが顔だと分かった瞬間、濃霧が結界に叩きつけられる。


「オォオオオオオオオオオ――」


 結界の向こう側から邪霊が、声を上げ見えない壁をひっきりなしに叩く。それも一つではなく、複数。さながらホラー映画のようだったが、真二はそれよりも気になる事があった。


「こいつ、お前の術じゃないな?」


 殆ど確信に近い問いかけに、鵺は薄く笑う。それが肯定なのか、否定なのか、どちらにせよ焦らしてくれる。話さないならそれまで。話させる。

 氷雨、と問うまでもない。彼女は既に新たに弓を引いている所だった。黒と白の稲妻が見えない弓弦に引かれて伸びる。空気が清冽な龍の嘶きに膨らんでいく。


 視界が白と黒に塗りつぶされた。


 邪霊の喚きが高音に呑み込まれる。


 形のない肉体が雷によって一瞬の内に焼き尽くされ、邪気が澄んだ風に吹き散らされる。


 光が納まり、真二達と鵺の間で、邪気が霧散していく。


 何かを求めるように、萎んだ声を天空に向けて放ち、邪霊の顔が捻じれていく。

 それを一瞥し真二は、鵺を見た。彼はヒステリックに笑っていた。だが、それが本気で狂ってしまったのか、それとも単なる演技なのかは、判別がつかない。

 どちらにせよ、彼の術をもう二度も防いでいる。相手もかなりの使い手のようだが、相手が悪すぎた。そう驕りではなく、観察から導き出された事実でもって相手を見る。そして、ふと鵺の足元で影が動いた。

 氷雨にはそれに気づかず、結界の外へと一歩を踏み出している。真二は妻の肩を掴み引き戻した。その鼻先を掠めるように影の刃が飛ぶ。


「ホ、惜しい」


 鵺の哄笑に、氷雨はぎりりと歯を噛みしめた。鵺を囲うようにして影が躍る。その術式を見て、真二は確信に至る。これは、鵺自身の術ではない。


「お前、なんだって影夜の術を使えるんだい? その影の術は奴のオリジナルだろう?」


 影夜の術を間近に見たわけではないが、月や海馬、霧乃らから話を直接聞いている。影の術の正体は、負の感情から成る召喚式の式神。原理としては物の怪と大差ない。だが、勿論普通の陰陽師は相手を呪詛するならともかく、“影”を自身の式神として使わない。

 いくら力があっても、術者自身を呑み込むような式神等、使うのは酔狂か、余程の自信家だろう。そして、影夜はその両方だったと、真二は見ている。

 酔狂で自信家。しかも、その自信や発想は確かな実力から来るものだ。霊魂を相手にした術を使いこなす彼にとって、負の気など恐るるに足らず。術の一部として取り込んでもおかしくはない。


「ホッホ、いいい、今は私の術ですよ」

「手取り足取り教えてもらった……って、わけじゃなさそうだな。その言い草だと」


 鵺のはぐらかしに舌打ちする。だが、聞くまでもなく、真二には大体の想像がついていた。鵺が中原影夜とどんな接点があったのかは知らないが、少なくとも師弟関係ではないだろう。鵺の使っている霊術は成程、確かに影夜が使っていたものと特徴が似ている。そして、鵺自身も蠱毒と言う術者自身にも危険が及ぶような危険な術の使い手だ。


 だが、決定的に違う物がある。


「まるで別人が操っているかのようだぜ、さっきと霊気が全然違う」


 霊気の質は個人個人によって異なる。男が陽の気、女性が陰の気と言うのは、大まかな分別だが、厳密に言えば、男の中にも陰の気、女の中にも陽の気はあり、その度合いや質によって変化していく。

 兄弟姉妹、親子等の血縁関係で霊気が似ることはあっても、全く同じとなる事は殆どない。鵺の使う霊術の質が根本から変わったのは、魂呼ばいの術を使った瞬間からだった。

 鵺には告げなかったが、もう一つ確信した事がある。あの霊術は間違いなく、影夜自身のもの、“影夜自身が使った”術だ。


「なぁ、鵺よ」


 あくまでも穏やかに話しかけるが、既にその恰幅のいい顔から笑みが消えていた。言葉そのものに霊気を纏わせる。


「影夜がどうなったのかについて、あれこれ聞くつもりはない。そんなのは他の奴らがすりゃあいいことだ」


 だがな、と声を落とした。瞳孔がすっと細められた。


「娘に手出してたら、承知しねぇぞ。お前も、その後ろにいる奴らも、潰す」


 影が結界に飛びついた。術そのものに浸食しているのか、黒い染みのように広がっていく。氷雨はぎょっとし九字を構えたが、真二の口からは失笑が漏れる。


「聞こえなかったのか? 俺達にはお前と遊んでいる時間は無いと言っているんだ」


――失せろ


 ぎくりと、強張るように影の浸食が止まる。それが、鵺の初めて見せた恐怖だったのかもしれない。すぐさま鵺は我に返ったものの、影の動きは見る見るうちに委縮していく。鵺は舌打ち。懐から即座に呪符を五枚。メンコのように地面へと叩きつけた。逆五芒星が描かれている。

 五芒星は五行の気の相克を意味する。逆五芒星は、悪魔崇拝だのに使われる等と実しやかに噂されもしているが、この場合意味する事は本来の五行相克を逆に辿る事。水が火を剋する、木が火を剋する、相克の関係を覆す程の霊力。

 水が枯渇する程の火を、火を覆い尽くす程の木を、そして、五行相克から成る結界を打ち破らんとする。


「五行相侮――反克」


 一度は逃げ出した影が強力な霊力をバックに受けて、相手を“侮り”本来の力関係を崩しにかかる。


「青龍・白虎・朱雀・玄武・空珍・南儒・北斗・三態・玉如・青龍・白虎・朱雀・玄武・空珍・南儒・北斗・三態・玉如――五行廻りて、やがて比和せよ」


 対して、真二は早九字を二回、聞き取れない程素早く真言を口遊み、結界の上に更に五行の霊気を上掛けしていく。敵がこちらを破ろうとすれば、更にその上に結界を張り、そして敵はこちらが張れば張る程、力を更に上乗せ結界ごと押しつぶさんとする。


 完全に行き詰まりだ。


 両者の霊気が無限であれば、この戦いは延々と続いたことだろう。



「急々如律令――元柱固真、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」

 

 鵺と二人の吉備の間を寸断するように、一人の男の声が朗々と風のように吹き抜けた。それは鵺が放った影を吹き飛ばし、真二の張った結界を砂で建てた城のように崩し去る。

 鵺が再び舌打ちし、真二と氷雨もまた、鵺とは違う思いで苦々しい表情を浮かべた。


「たっく、最後まで出てこないんじゃないかと思ったぞ、親父殿」


 束帯姿の吉備影津が手元で扇を広げる。その周囲を囲うように霊符が展開した。それを見るや否や、鵺は退散した。

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