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陰陽少女  作者: 瞬々
明鏡止水
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十七

 碧の横で黒龍が、ゆらりと起き上がった。この程度でどうにかなってしまう程、柔でもないが、流石に呆れていた。


「全く、やり過ぎだ」


 白龍と赤龍がその言葉に頷く。尤も、どの頭も同じ思考で結ばれているので、碧はあまり堪えない。


「あなたはあの程度じゃ死なないでしょ?」

「……私の心配ではなく、あの娘の心配も少しはしたらどうだ」


 夏樹はあの爆風に呑み込まれていた。だが、彼女があれで死ぬ筈がない。彼女がなんらかの方法で佐保の力を使えるならば。そう確信したからこそ、あれだけの大技を叩きこんだ。五頭龍――黒もそれは分かっていたからこそ、碧の命ずるまま、放ったのだ。

 ただ、心配ではある。あの大技でやられたかどうかではない。あれだけ負の気に蝕まれ、果たして元の状態に戻す事が出来るのか、だ。今の夏樹は夏樹であって、夏樹ではない。彼女の思考は、極限まで高められた負の感情に基づいている。暴走状態にあると言っていい。それに、あれだけの呪術の知識。個人で調べた程度で術が使えたら、陰陽師等成り立たない。そう、例えば――

 碧の思考を断ち切るように、周りの気がざわついた。黒龍がいち早く、その異常の元に気づき口を開く。痛みに悲鳴を上げる脚をのろのろと動かし、碧は五龍珠を結んだ手を構えようとした。

 飛翔してきたのは呪符。墨で塗りつぶされたかのように真っ黒な呪符が四枚。呪符と呪符の合間には黒い稲妻が走っていた。結界を張るよりも早く、それは黒龍を拘束した。


「ぬっ!?」

「黒!!」


 気を取られたのが最大の失敗だった。気が付くと碧自身が呪符とその稲妻に絡め取られている。呪符一枚を引き抜くのがやっとだった。全身から力が抜け、碧はぬかるんだ土の上に倒れ込んだ。起き上がろうとしても、やっと動くのは首から上。肘をついて上半身を起こそうとするが、見えない糸で地面に縫いとめられたかのようだ。

 白龍と赤龍は身を捩り、護符を躱した。


「逃げて!!」碧が叫ぶ。二頭の龍は、躊躇う事無く空彼方へと飛んで行く。

「良いのか? “私”だけ逃がして」


 黒龍が、唸るように問う。彼もまるで動けないようだった。碧の式神である以上、命令に従う義務があるが、それは必ずしも絶対ではない。黒龍は碧の判断を信じている。感情に任せる事はあるが、意味の無い事はしない。

 碧は不敵に笑んで頷いた。そして、今しがた自分達を拘束した術者を睨む。

 赤い僧衣に身を包んだ男だ。頭には白い頭巾。ぬかるんだ土よりも、なお粘り気のある灰色の瞳だ。その瞳を向けれた途端、碧は身体が震えた。


 恐怖とも違う。それよりも更に奥が深い。更に本能的な感覚だ。


 嬲られるよりもいっそう嫌悪を抱かせる悍ましさと蹂躙されるよりもいっそう屈辱、それらを混ぜ合わせて歪めたような感覚。こいつだけには捕まってはならないではない、こいつだけには捕まりたくないと思った。


「成程、流石は吉備家の龍使いだ。特に姉の方はより使えるとみた」


 止めろと碧は、噛みしめた歯の合間から唸る。少しでも力を抜けば気を失ってしまいそうだった。法師の言葉は、肺に熱湯を注ぎこむかのように痛く苦しく、碧の心の傷を抉る。


――姉様なんか嫌いです


 舞香の言葉は記憶のどれだけ奥底に沈めても浮き上がってくる。自分がどれだけ傲慢か。何が一番大切なのか分かりもしない。だけども。


「舞香は……、どこ?」

「君には必要ないだろう」


 その返しに、碧は一層力を込める。


――人を、物のように


「言わないなら」

「力づくかね?」法師は堪えた様子が無い。圧倒的優位にある事とは関係がないように碧には思えた。

 たとえ逆の立場でもこの法師は同じ事を聞く。この法師には心が無い。それは非情だとか心が鬼であるとか、そんな次元の話ではなく、感情そのものが無い。


「気に喰わない物は力で従わせる」


 だからこそと言うべきか、その言葉は現実味帯びている。だが、一瞬たりとも碧は気を抜かなかった。


「力で従わせようとしている奴が何を言っているの?」


 たとえ、力関係が逆だったとしても、碧は容赦しなかっただろう。たとえ、どれだけこの法師が的を得た事を言おうとも。碧の欠点を一から並べ立てたとしても。舞香を、仲間を取り戻す。その後は妹のどんな罵倒も受け入れるつもりでいた。今まで話を聞かなかった分、話を全て聞くつもりだ。


「それに、あなたもう気付いているんでしょ? ここには」

「あぁ、そうだな。残りの二頭はどうしたのかね?」


 それが合図だった。法師の真下、地がぐっと沈み込み渦を巻いた。法師がすっと音も無く下がった瞬間、彼が立っていた場所が爆発する。飛び出したのは黄龍と青龍の二頭。


「五頭龍之咆哮、黄ノ砂塵!! 青ノ竹葉!!」


 土気の霊術、それは砂塵と呼ぶにはいささか凶暴。砂の一粒一粒が雹の如く襲い掛かる。その中を貫くようにして、巨大な竹が槍となって飛び出す。その数、八。四方八方から法師を包み込もうとするが、法師は身軽に飛んでそれを避け竹の上に着地、縦横無尽に駆け回り、二頭の龍が攻撃の後を追うように突進してくるのを躱した。碧のすぐ傍に着地すると、二頭の攻撃の手が止まる。このままでは碧をも巻き込んでしまう。


「これだけ霊力が制限されてなお、あれだけの大技を放つか。流石だ」


 頭上から褒められ、碧はより一層屈辱に、顔を歪めた。五頭龍も、碧も既に限界に近いのは確かだが、死にもの狂いで放った一撃がこうもあっさりといなされ、その上慰めの言葉まで贈られるとは。


「さて、どうしたものかな。純粋に力をぶつけあって負かした方がいいか、それともあっさりと済ましてしまうか」

「それは、動けない相手じゃフェアな戦いにならないとか、そういう意味かしら?」


 碧は立ち上がることすらままならない。術等使わずとも、物理的に葬ることも出来るだろう。だが、法師は首を振った。


「いや、そういう意味ではない。そもそも今こうして動けないのは、君が力不足なせいだ。これはスポーツではない。連戦だろうが、どれだけの重傷を負っていようが、言い訳にはならない」


 言ってくれると、碧は思う。まさにその通り。だからこそ、碧は二頭の龍を地に潜ませておいたのだ。夏樹に大技をぶつけるその瞬間に。次の敵がどこから仕掛けてきても対応が可能なように。だが、それでは足りなかった。そもそも万全な状態でもこの男と互角にやり合えるのか碧には自信が持てなかった。


「黄龍! 青龍!!」


 二頭は碧の呼びかけに、急降下してくる。確実に、法師だけを叩き潰せるようにと。


――だが、


「黄龍、青龍」


 法師の言葉に、二頭はぴたっと立ち止まった。五頭龍自身の意志によってではない。見えない網に絡め取られたかのように、ぎちぎちと鱗を尾を振っている。

 碧は信じられない物でも見たかのように目を開け、その光景をただ見届けるしかなかった。法師はその二頭にも呪符を投げつけ拘束した。二頭は為す術も無く、受け身も取れずに地面へと落ちた。地響きが立ったが、それでも碧は身じろぎ一つ出来なかった。


「こういう事だ。君達吉備家自慢の龍は、今この時から私の物となったのだ。後、二頭取り逃がしたが……さて、行先くらいは見当がつく。そちらは後で潰させて貰おう」


 碧の最も頼りにしていた奥の手が、こうもあっさりと封じられた。男は一体何者なのか。今更のように、法師は碧に自分の名を明かした。


役小角えんのおづのと言う。そなたの力を、私に譲って貰おう」

 じゃらりと袖から出たのは、真っ黒な数珠だ。先程、夏樹が見せてくれた物と似ている。それが目に入った瞬間、怒りが恐怖を上回る。一瞬だけ浮かんだ驚きも怪訝も、全てがどうでもよくなる。


 碧は呪符を握った手を掲げた。


「誰が、やるかっ!!」


 渾身の力を込めて投擲。呪符は水気を帯びたまま、飛翔する。水刃――水を高速で射出することで切り裂く刃。何の小細工も無い真っ向勝負。法師は呪符を握った手で静かに素早く刀印を結んだだけだった。

 たったそれだけで、水刃が形を失った。空中で弾け、その飛沫の一つ一つが法師、役小角の持つ数珠玉へと吸い込まれていく。


「言うまでもないと思うが」


 興も無さげに、数珠玉の中身を眺める。そこには薄緑色の霊気が液体のように溜まっている。碧に見せつけるように。


「君には拒否権が無い」


 碧の耳にその皮肉は届かなかった。呪符を投げつけ、その結果を見届けた段階で彼女の体力は限界を迎えていた。苦悶と無念に歪んだ表情の乙女の傍らに黒龍が近づこうと身を捩る。


「無論、あなたにもだ。私と来てもらおう」

「ぬぅ、いいだろう」黒龍の変化は既に解けかかっていた。五龍珠の効果が切れ掛かっている。角は縮み、鱗の色が薄れていく。ただ、“だから降伏する”というわけではない。力の差を知りつつもなお、龍は威厳を失わない。


「潔い、と言うわけでも無いようだ。なんだ、それ程、他の者の力をあてにするわけか」

「ふむ、どうも君は“力”を持つ者を憎んでいるようだが」


 ぴくりとそうと言われても、気付かない程度に小角の顔が痙攣した。


「君がそう考えるのはやはり“力”を信じているからなのだろうな。他の何かが“力”に取って代わる、上回る等、君の頭には及びもしない」


 小角は黙ったまま、龍を見下す。「何が言いたいのだ」と言いたげだが、不遜な態度を決して崩さず自分から問う事も無い。黒はそんな様子を見てふと笑みを浮かべた。


「だが、我々が信じているのは君が思っているような物ではない。今の君には決して分からないだろうがな」


 言うだけ言い、黒もまた眠りについた。役小角はしばらくその場に凍り付いたように動けなかった。龍の放った言霊を叩き潰すように歯ぎしりし、そしてようやく口が動いた。


「分からぬさ。所詮、私には無いものだ」

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