十二
アイアカネアカリアキコアキホアキホアキホアヤネアヤノアヤメエナエミエミエミエリエリカエリナカエデカオリカオルカザネカナカナカナカナエスズカスズカスミレナナセナナセナナミノゾミノドカハヅキハツミハナユカリユキユキナユキノユキノユキノユナユミユミユミ
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文字の羅列が脳髄に釘で刻み付けられる。それはもはや、「書く」ではなく「描く」
見る者を凍りつかせるような恐怖を与えるのは、その内容ではなくただただひたすらに並べられた文字、文字、文字、文字。怨嗟が滲んで、滴り落ち床に染みを残していた。
文字で描き出される殺意の波動。それは何物にも勝る呪詛と言えた。それを目に入れた瞬間、一真と碧は固まった。そして、我に返るよりも先、雫が天井より毀れて一真の頬を伝い落ちた。
反射的に上を向き、一真達はまたも凍りついた。
キョウコ
天井一杯に表現された一人の名前。
「これは……」と呟き、呆然とする碧だが、廊下に木霊する複数の足音にハッと我に返る。しかし、遅かった。
「一体、何が起き……!?」
遅れて駆け付ける杏子と風紀委員の面々は、戦慄する。何があったのか等、瞬時に理解した者はいなかったが。
「何、これ……?」
「え、な、なんなの? 暗号?」
「気持ち悪……」
だが、突然誰かが叫んだ。
「な、なによ、これ?! なんで、なんで、わたしのなまえがあるのよおおおおぉおおおおお?!」
気付いた別の誰かが倒れた。
「あ、“秋穂”!?」
アキホ。秋穂。名前を見つけたまた別の誰かが全身の力を抜かれて床に腰をついた。
「あはははははははははははははは、何よ、私が何したっての……?」
誰かが叫び、誰かが倒れ、誰かが笑う。
それは止めようが無かった。一真にしても碧にしても、彼らを止めるだけの言葉のひとつすら浮かばなかった。
「皆、しっかりしなさい!」碧の張った声も、ここでは無力だった。誰も彼女の言葉を耳に入れず、次々に変貌を遂げる。
「くそ!! どうすりゃいい!?」
一真は毒づきつつ、傍で膝をついた女子生徒の肩を揺さぶった。だが、何かが決定的に抜け落ちた躯は、されるがままに動くだけだった。
――これが怪異……?
その始まりか。否、前兆はずっと前からあった。きっかけは目に見えない範囲で存在していた筈だった。それが、今この時、決定的となっただけで。
そして杏子を残して全員が、狂った。杏子自身は先ほどから何かに耐えるように、床を見つめ続けている。前髪が彼女の顔を覆い隠し、その表情を窺う事は出来ないが、口元は歪み、握り過ぎた拳には血が滲んでいた。
「……ふざけやがって」
杏子の口から怨嗟が弱弱しく漏れる。せめてもの抵抗は虚しく、だが確実に狂い出した女子生徒の耳に届く。
「なん、だ……?」
揺さぶっていた女子生徒が、ふと立ち上がった。それがあまりにも自然かつ機械的で、一真は屈みこんだ姿勢のまま、彼女を見上げた。彼女の眼は見開かれたまま固定されていた。彼女だけではない。
叫んでいた女子の声が途切れ、倒れていた女子が音も無く立ち上がり、笑っていた女子の口元の歪みが真逆に張られる。
「碧……?」
一真は既に天を鞄から抜いていた。具体的に何が、とは言えないが、何か決定的な異常が新たに起こりつつある。
「えぇ、これは怪異ね」
その言葉に杏子は「へ?」と間抜けに声を漏らした。その素だが、この場においてどこか異質な反応に一真は眉を潜める。この場において、彼女だけが狂っていない。おまけに天を見て困惑している。
「委員長、これは問題です」流行について聞かれた時、真っ先に飛びついた一人が、口だけを動かして言った。
「私達は呪われています」他の女子生徒が一真に迫るのを、笑って見守っていた一人が瞬き一つせずに言った。
「はやく、助けてください」杏子の言葉に一々びくつき、表情ばかりを窺っていた一人が、瞳に闇を溜めて言った。
「待てよ、お前達は、お前達は何を言っているんだ?」
問いかける一真目掛けて、生徒全員が振り向いた。
どくっという自分の心臓が鷲掴みにされた音が聞こえたかのようだった。
闇に浮かびあがる瞳、瞳そして瞳。個を失い、一つの思考が彼女らをまとめ上げていた。
それは流行りの占いの道具なのだろうか。一人が護符を、一人が御幣を、一人が数珠を繰り出す。友達同士のお遊びの玩具に過ぎない筈のそれらは、禍々しい霊気を放っていた。
「こいつは」
「余所者」
「怪しい」
「その剣は」
「危険な臭いがする」
天は未だ懐剣の状態だ。刃物である事には変わりないし、突然抜けば騒ぎにもなる。だが、彼女らは騒いだわけではない。この剣の本質を見抜いた上で“警戒”したのだ。
「お前達、一体何なんだ……?」
正眼に構える。が、変化はさせない。あくまでも相手は、女子高生。それに杏子の方はまだ正常な精神状態だ。見られるわけにはいかない。
「委員長」
最初に喋った少女の目玉が、杏子のいる場所に向けてぎょろりと回転する。ひっ、と引き攣った声が膝の力が抜けた杏子の口から漏れる。
「私達を呪っているのはこいつですか?」
「ち……、違う!!」それは殆ど悲鳴だった。頭を抱え涙すら浮かべる杏子へと碧が一歩前に出る。
「綿橋杏子……あなた、一体何をしたの?」
静かな問いに杏子は腰を床につけたまま、後退る。口は痙攣を起こしたかのように上下するのみ。更に詰め寄ろうとすると、生徒達が杏子を守るように立ち塞がる。
少女の一人が御幣を短刀のように突き出した。碧は足をふと、右へと動かし、身体の重心を移す。突き出される御幣の先が髪を掠める。力を出し切り伸びきった腕を掴むその刹那、腕を捻り上げ背後へと回る。
「解し、解し、放て」
言の葉に霊気を乗せて囁く。碧が捻り上げた少女の手から力が抜け、指の合間から御幣が転がり落ちる。
――身解し。身固めが身体の強化や防護であるならば、これは逆。身体から力を抜かせる技だ。本来ならば、治癒目的で麻酔代わりに使われる霊術であるのだが、こんな事も出来る。
背中越しに少女の眼球が仕留め損ねた獲物へと照準を定める。碧は慌てなかった。その背中に左の掌底を叩きこむ。
音は無かった。碧が放した手から少女が床へと崩れ落ちる。
「大丈夫か、碧?」
「えぇ。これで分かったわ。これは玩具じゃない」
少女の手から落とした御幣を拾いつつ、碧が答える。その髪が僅かに焦げている事に一真は気が付き、息を呑んだ。それに微かながら霊力が込められている事にも気が付く。
流石に、碧がわざと掠らせた事にまでは気が付かなかったが、これが如何に異常な事であるかを知り、戸惑う。
「だけど、だったら、なんで今まで誰も気が付かなかったんだ?」
杏子を守る女子生徒達は、答えない。その中で杏子は怯えている。状況をまるで理解出来ていないかのように。まるであれでは、お姫様だ。
答えたのは式神だった。
「発動条件。この霊具は皆、ある特定の条件で使えるように調整されているんだよ」
太陽のような温かさ、赤と白の光と共に、日向が具現する。
「ば、ばか、お前……!!」
止めようとする一真の声を無視して、日向は集団の中に向かって行く。
「“私達はあなた達を呪う者ではない”」
少女達の肩から力が抜ける。
「“お前達は私達を呪う者ではない”」
妖艶に瞳の端を緩め、日向は続ける。
「“私達はそこにいるご主人と話させるべき”」
「“話すべきだ”」
少女達は霊具を下げ、道を空けた。呆然と日向を見る一真に、日向は悪戯っぽく片目を閉じる。
「どぉ、すごいでしょ。術に割り込んで誘導してみたの。流石に術を解くまでは行かないけどねー」
「術……?」
一真の問いに、日向は頷き、ぽかんと放心状態の杏子へと視線をやる。一真はまだ、分からなかったが、碧は納得がいったというような顔で杏子を見やる。
「綿橋杏子。あなたは真名を握る事で、彼女達を支配していたのね」
「あ、あなた達は一体何者なの……?!」
やっとの事で声を出した杏子は早口に聞いた。そして奇妙な事に、その質問は主に一真に対して為されているようだった。一真はなんと答えるべきかと一瞬、迷ったが結局、本当の事を話す事にした。
「実は、妹が入学したいから見学に来たってあの話、あれ嘘なんだ」
「そこからなの?」碧がつっこみ、日向が笑う。杏子もそんな事は察しているだろう。
「こいつの妹の友達がいなくなったって聞いてさ。探すのを手伝いに来たんだ」
とはいえ、いきなり陰陽師だの式神だのと言われても、理解出来る筈が無い。まずは混乱を解す。杏子の顔から僅かに恐怖が除かれる。
「と、友達ってまさか夏樹さんの事?」
「そうだけど」
何故だろう。杏子は今にもパニックを起こしそうな顔で口をわなわな震わせていた。この今の状態と夏樹が消えた事は関係しているのだろうか。或いは、杏子が夏樹に何かをしたのか。どちらにせよ、話をしてもらわない事には判断のしようもない。
「何か知っているのね」碧が促すように杏子を睨む。話さない限り解放するつもりは無い様子だ。杏子はごくりと唾を呑み込んだ。
「や、やめておきなさい。彼女は、彼女は……」
「私がどうしたって?」
一真、碧と杏子の間を引き裂くように、廊下の壁が吹き飛んだ。杏子や杏子を守るように立っていた少女達が、風に煽られて声も無く倒れる。一真と碧は日向に襟を掴まれ後方へと辛うじて逃れられた。
――物の怪……?
廊下に立つその姿を見、頭に咄嗟にその単語が思い浮かんだものの、すぐにそれは疑問へと変わる。
年は十四、五歳程にしか見えないが、その制服から、岡見学園の生徒であると分かった。背は低く、顔立ちは幼いが、可愛らしい。栗色の髪を巻いて頭の横で上げているのが印象的な少女だった。
異様なのはその細くぎらぎらとした瞳孔。そして、腕にびっしりと描かれた文字の羅列。その言葉には、見覚えがあった。
――子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸・騰蛇・朱雀六合・勾陣・青竜・貴人・天后・大陰・玄武・太常・白虎・天空……。
そう、六壬式盤の上に描かれていたものと同じ文字が、入れ墨のように刻まれ、血管のように蠢き、皮膚の上を這い回っていた。
「ひっ、な、なつき」
杏子が引き攣った声を上げた。じゃあ、彼女がと一真は驚きつつ少女を見やる。杏子はにたりと笑った。どこか人形めいている。感情を操り手とし、衝き動かされ続ける人形。
「あれ、杏子先輩、杏子先輩じゃないですかー」
可愛らしい声だった。活発さが滲み出ている。だが、霊気の流れはおかしかった。一真はまだ、『霊視』が出来る程の敏感さを持っていなかったが、それでも分かる。彼女のその言葉の裏、心の周りに気付いた障壁を突き崩し、這い出てくるどす黒い感情が。
「いつも威張って、気に入らない奴を見下してお楽しあそばせてた委員長様が、なんでそんなところにへたり込んでいるですかねー」
杏子は、ひくっと声を漏らし、手を床に這わせた。だが、動けない。体中を震わせるばかり。そんな彼女を見て、夏樹はクスクスと笑う。
「夏樹さん……あなた一体、何をしたの?」
碧の手が懐へと伸びた。抜かれたのは橙色の折り紙。瞬間、彼女の身体が淡い光に包まれる。ふわっと現れたのは紫陽花が描かれた橙色の袖と緋袴に身を包んだ乙女の姿。碧の陰陽師としての戦装束だ。
驚く杏子の横で夏樹が笑う。この上なく楽しそうに。それこそを待っていたと表情が語る。
「フフフ、碧さん。舞香ちゃんを苦しめるお姉ちゃん。あなたさえいなければ舞香ちゃんは」
呪詛の如く吐かれた言葉に、碧の決意に満ちた顔が揺らぐ。
――こいつ、碧達が陰陽師である事を知っている?
それだけではない。姉妹の微妙で複雑な関係も知っているようだ。碧が知らないだけで彼女もまた、陰陽師なのか? それとも、誰かに操られているのか? 操っているとしたら、それは誰か。
「舞香に私を消せとでも言われたのかしら」
ハッと一真は碧を見た。悲壮にじっと耐えて抑え込み、強い決意でもって自身を奮い立たせている。消したいと思う程にまで憎まれているというその事実を、じっと受け止める覚悟があった。
「それが、舞香ちゃんの望みだもの」
これが舞香の望んだ事だと、盲信のままに告げる。
「そいつはどうだかね」
しかし、そんな余裕を一真はあっさりと受け流した。隣では、日向が不敵に笑み、碧が目を丸くした。
「舞香がそう『言った』わけじゃないんだろ?」
「あなたには舞香ちゃんの気持ちは分からないわ」
夏樹の顔が怒りに歪められた。だが、分かっていないのは果たしてどちらだろう。少なくとも、一真は知っている。普段はどこか能天気な所があるが、仲間の為とあれば必死になって戦う、それが舞香であると。その彼女が姉を消したいなんて思う筈が無い。ましてや、自分の友達を使って消そうなど。
もはや、問答は必要無い。破敵之剣が金色の光を帯びる。その時だった。
「嫌ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
杏子の悲鳴。それに呼応するように、倒れていた少女達の瞳が開く。立ち上がりはしなかった。どす黒い邪気が煙となり浮かび上がる。荒れ狂う感情が群れとなり、一点に集まる。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
夏樹が笑い、手を翳す。どす黒い液体が手の中で生まれ、やがて長方形を成した。宙に現れたのは、一冊のノートだ。風に頁が飛び、書かれた文字が宙に舞う。
「いいよ! いいよ!! もっともっと、恐れろ!! 怖がれ!! 全部、喰らい尽、クシテ、ヤル!!」
声が不安定に途切れ、高低が出鱈目に変わる。宙に浮かんだ文、一瞬見えたその内容はメール或いは交換日記か何かのようだった。インクが滲み、床へと重々しく零れ落ちる。床に広がり、少女達、そして杏子が倒れている床に広がる。
「くそ、何を!?」
手元で懐剣が、長く金色の光を放つ刀身へと変化する。狙いは夏樹の持つ日記。
「待って!!」
碧が何かに気がつき、叫んだ。
「え?」
一真は制動を掛けた。床から何かが貫き、一真の鼻先を掠めた。それは巨大な大木だ。もう少し踏み込んでいたら死んでいた。そんな事を思う間も無かった。続いて、三本、ナイフが顔目掛けて飛んでくる。
「一真!!」
天が叫ぶのと身体が動くのは同時だった。最初の一撃を薙ぎ払い、返す手で残りの二本を叩き返す。短剣が宙で円を描き、一拍遅れて床に刺さる。
「邪魔しないで欲しいナ」
夏樹は振り向きもしない。見ると少女達の身体は床に、否、液体の中へと沈み込んでいた。
「嫌、嫌ぁああああああああああああああああああ!!」
命そのものを絞り出すように、絶叫を響かせる杏子。日向と碧が制するのを無視して、一真は駆けた。夏樹のすぐ横を駆け抜ける。彼女がどんな顔をしているのかは、恐ろしくて一瞥も出来なかった。
身固めで強化した脚を使い、跳躍。液体には触れないようになおかつ、手の伸ばせる位置へと着地する。
「邪魔しないでって言ってるでしょ」
着地したそこから床が崩れ落ちた。
「嘘だろ、おわっ――!?」
杏子の身体は最早、液体に呑み込まれ腕しか見えなかった。それすらも掠めず、一真は下へと落ちる。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
上から浴びせられる哄笑に、己の無力さに、苦虫を噛みしめつつ、来るであろう衝撃に備え、身固めを施す。
――それで変わったつもりか?
ふと脳裏に師の言葉が浮かんだ。変われなかった。何を変えればいいのかも分からないまま。




