十一
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「式の片方が消えたとあれば、我らが学園長もただでは済むまいな」
重いながらも、どこか飄々とした声に、一真はいよいよ暗雲たる気持ちに苛まれる。学園長が飛ばしたと言っていた式とは、“式部”の事だったようだ。生徒を道具、良くて部下か何かのように扱う学園長のやり方にも腹が立った。
「顔に皺ばっかり寄せてると老けるよ?」
耳元に突如として吹きかけられた甘い声に、一真は我を忘れて叫んだ。
「おわぁあああっ!?」
足がもつれ、背の高い校舎が、少女達の顔が物凄い勢いで視界の隅へと流れていく。灰色と青色の混じった空が頭上に広がり、地面に腰を打ち付けた。
「いててて……」
「そそっかしいなぁ、もう」
語尾にハートマークでもつかんばかりの声音で、赤髪の式神少女が笑う。鬼一や少女達が何事だとばかりに、二人を交互に見た。
「な、なんで?」
「月に頼まれてねー、護符の状態になって肌身離れずくっついてなさいって」
そう言った彼女の体が紅い光に包まれ、桜の花びらの如く広がり散る。宙に残ったのは一枚の護符だ。
「ほらほら、掴んで服の中にいれてよー!」
「服の中には入れん……」
思わず親父臭い口調で、一真は護符を掴むや否や、バックの中に入れ込んだ。無念そうな声が漏れた気もするが、無視する。ふぅっと溜息を吐き、ふと見ると四人の少女と男一人の視線が、妙に痛々しく刺さる事に気が付いた。
「す、すみません。お騒がせしました」
誰一人として動じないのは流石と言うべきか。鬼一の視線が一真がたった今、鞄に押し込んだ日向へと注がれる。
「…………で、だ」
が、何事も無かったかのように、しかし意味深な間を置いて鬼一が続ける。
「俺と常盤の二人で学園長に報告に行く。残りは」と言葉を切り、一真を見た。次に来るであろう言葉に固唾を飲んで待つ。ふと鬼一の肩から力が抜けた。
「見学者の沖君に校内を案内してさしあげろ」
え、と一真は目を丸くした。見ると先程まで浮かべていた彫刻のように固い意志も、芯の強さもその影すら見えない。代わりに人当たりの良い笑みが浮かんでいた。力の抜けた肩と力なく垂れる白髪がどことなく枯れた感じを演出している。一体何が起きたのかと思っていると、その原因はすぐに分かった。
「男の子がいるっ!!」
女子生徒の声だった。甲高い叫びが声のした方から次々に上がる。何千もの鈴の声が鳴り鼓膜に響く。パンパンと鬼一はその声に顔をしかめつつ手を叩き、わけもわからずにはしゃぎ騒ぐ女子生徒を鎮める。
「紹介しよう。彼は沖一真君だ」
「なになに!? もしかして、新入生ですか?」
「なわけないじゃないですかー、男だよ?」
「もしかして、男装女子かもよ?」
純情も可憐もどこへと行ったのか、乙女達がかしましく囀っている。なんというか、栃煌高校の女子とあまり変わらない。
「静かになさい」
突然響いた声に、一同は制動を掛けたかのように体を揺らし黙り込んだ。生徒を押しのけ尊大な調子で歩みよってきたのは、背の高い眼鏡の女子生徒だった。いかにも生徒会長を絵に描いたかのような風貌だった。
「先生、これは一体?」
「やれやれ、どいつもこいつも話を遮るのが上手い」
そう言って一真を見た。
「彼は私の知り合いの沖一真君でここの見学を希望している。妹さんがこの学園に興味を示しているそうでな」
流暢に、鬼一は建前上の動機を述べた。平然としたその態度だが、少女は一歩も引かない。
「妹本人が、いえ、親御さんが来られればいいではありませんか」
「古来より、こういう大事なことは父兄が行うって決まっているのさ」
なによ、それーとか、男女差別だーとか、言う声が後ろで上がったが真剣味はまるで無い。真面目に受け取ったのはその少女だけだった。
「そんなのは屁理屈です!!」
「じゃあ、言わなければならんか?」
突然、鬼一は威圧的な気配を解いた。その場の温度が二、三度下がったかのようだった。女子生徒の集団が無意識の内に一歩、身を引いた。今まで勢いのまま話していた眼鏡女子だけは違う。金縛りにでもあったかのように動けないでいた。
碧が駅で使った言霊による呪詛のようだった。相手の心を掴み、意思を支配する。いや、これは少し違う。
「あ、あの、わたわたしは……」
――恐怖を掴み、意志を支配している
「家族には家族の事情ってものがある。それにお前は踏み込んで、曝させるようと言うのか?」
ぎくりと眼鏡の少女は、一真を見た。だが、今度は恐怖ではなく後悔の色が滲み出ていた。一真としては、むしろこちらの方が申し訳ない気持ちになってくる。
彼女の態度はともかくとしても、兄が妹の進学先を覗く等、疑いが出るのは当然の事だ。そして何より、騙しているのはこちらの方なのだ。少女は責められる謂れはない。だが、それを明かすわけにはいかない。
少なくとも全てが終わるまでは。
「いや、いいんです、先生」と、一真は詐欺の片棒を担がされているような気持ちになりつつ――もしかしたら、鬼一も同じ気持ちなのかもしれないが――怯えている眼鏡女子に説明する。
「うちの両親が共働きでさ……、えーっと、それであんまり休暇が取れないんだ。だから、俺が代わりに見に来ているんだけど……、警戒されるのもそりゃ当然、だよな」
変に敬語を使うと、ボロが出そうな気がしてタメで話したものの、言葉を出せば出すほど、声が反比例的に小さくなっていく。実際、ここで男子は自分だけしかいない事も合わせて考えると、顔から烈火が噴き出るような気持ちだった。
「そ、そうなのですか……す、すみません、私」
「分かればよろしい」と、今にも泣きそうな眼鏡女子を制し、一真の肩を叩いた。
「悪かったね。こんな陰気な雰囲気にするつもりは無かったんだけどね」
「え、あー、お気になさらず……」
人のよさそうな、というよりも不気味さ抜群な師匠の顔を見て、一真は引き攣った笑みを浮かべる。この切り替えの早さにはついていけそうにない。驚きも時が経つにつれて呆れに変わる。だが、一真は甘かった。
「それじゃ、綿橋杏子。朝の時間まで、沖君に校内を案内してさしあげろ。俺は学園長と話をしないといけないんで、外れるぞ」
眼鏡女子に向かって捨て置くや、校門近くにある校舎へと歩き出している。その後ろから慌てて常盤が追いすがっていく。
「え、ちょ、ま……!?」
反射的に手を伸ばすが、その背中は掴まれる事無く遠ざかっていく。その後ろでくるっと振り向いた常盤が、エールを送るように、拳を握る。
――俺にどうしろって言うんだよ
見ると、眼鏡女子もとい綿橋杏子は、与えられた使命を全うすべく、一真に頭を垂れていた。
「よろしくお願い致します、沖さん。こちらへどうぞ」
「あ、あぁ……はい。よろしくオ願イシマス」
これは逃げられない。見ると杏子を取り巻く女子生徒も後から続いて来る。それから一歩引くようにして、他に女子の集団が出来ていた。
――なんか、やっぱ友達の派閥みたいなのってあるんだなぁ……っておい
杏子の集団に入れない或いは入らない女子生徒の中に碧、神楽、歌乃の姿もあった。
――待て待て! 俺がここに来た目的はどうなるんだよ?!
碧達が一体、どうしてそんなに一真に期待しているのか、一真は実はよく分かってはいない。だが、少なくとも一人で怪異の兆候を見破る等不可能だ。それは碧にも分かっている筈。
一真が助けを求めるように、視線を送り続けると、碧は顔に苦渋の表情を浮かべつつも、ついて来る。神楽と歌乃の二人もついて行こうとしたが、碧は何故かそれを制し、耳元に何か囁きかける。二人は、それに対して深刻な顔で頷き、どこへかと走って行った。
「あら、碧さん。あなたは、何でついてくるの?」
目聡く杏子は、碧に目を留め目の端を吊り上げた。
「彼は私の、その、と、ともだちでもあるから」
なんで、そこで戸惑うんだと、一真はやるせない気持ちになる。そんなに嫌われているのだろうか。杏子はその様子を愉快そうに見つめ、鼻で嗤った。
「フン、じゃあ、お好きにどうぞ?」
なんだか、とても悪い事をした気分になりつつ、一真は杏子とその取り巻きを見やる。杏子は何故か、やたらと一真に対しては優しい。鬼一はこの場にはいない。本当にすまないと思っているのか、それとも何か企んでいるのか……。
「一真さんの妹さんって一体どんな人ですの?」
「えっ、あぁ……しっかり者で、だけどどこか抜けた所もあるような奴だよ」
そういえばまた、花音には何も伝えずに来てしまった。せめて偽りの理由だけでも教えてくるべきだったか。だが、余計にややこしい事になりかねないし……悶々と考える一真に杏子は不審そうに眉を潜めた。
「もしかして、妹さんと喧嘩でもされました?」
ぎくっと肩を震わせたのは碧だった。端から無視を決め込んでいた杏子らには気づかれなかったが。
「いや、喧嘩はしてないけど……」
「な、仲がよろしいんですね」
先程一真を見て叫んだ女子がそんな事を言い、果たしてそうかと一真は思った。喧嘩をしないから仲が良いのか? 一見、それは正しく、あるべき兄妹の姿のようにも思える。では、碧と舞香は? あの二人は間違った姉妹の姿か?
「私は羨ましいですわ。一人娘ですから」
再び、杏子が言った。単なる憧れとも違う、無言の間が流れた。これ以上入り込んでは不味い話題と直感する。
「あ、あのさ。聞きたい事があるんだけど」
唐突に、と分かる程に、唐突に一真は話題の転換を図る。
「ここでの最近の流行りって言ったら何があるかな?」
唐突な上に、不自然かとも思ったが、女子生徒達は、特にそれを不審がる事も無く、むしろ食いついてきた。
「ズバリ、占いですね!! りくじんしきばんってご存じですか?」
「護符占いって知ってますかー!?」
「後々、星占いとか!」
聞いていた以上に、彼女らは「占い」にはまり込んでいるようだった。真っ白な肌を紅潮させ早口に言葉を走らせるが、殆ど一真の耳には入らなかった。ただ、一人例外を除いては。
「全く! いい加減になさいな!!」
杏子だった。瞳孔鋭く、親の敵でも見るかのように女子達を睨み付けた。一人ずつ顔を見、合った者は次々に逸らした。全員が目を合わせられないのを見て、杏子もまた、視線を逸らした。
どうにもさっきから怒ってばかりいるように見える。それは一真がイメージする――と言ってもそれはかなり偏見的だが――生徒会長らしいと言えば、そうなのだが、それにしてもこんな何度も何度も声を張り上げていて、疲れないのか。
「そ、そんな怒らなくてもいいんじゃないかな……」
「なんですって……あ、え……?」
宥める一真にまでその視線を向けようとし、慌てて杏子は顔を背けた。今更、自分の行いに気がつきましたとでも言わんばかりに赤面している。昔、花音が、友達に対して偉そうに自慢話しているところに鉢合わせた事があったが、あの時の妹の表情とそっくりだ。
自分の本質を見られた事に対する恥ずかしさなのだろうか。
「す、すみません」
「い、いや。別に」
最終的に謝られ一真はしどろもどろに返した。なんというか疲れる。碧が後ろで呆れていたが、何も言わない。むしろその視線は、もっと聞けと促すようでもあった。
――そういうことか
怪異の元にも様々あるが、人間の持つ負の気、憎しみ、妬み、悲しみ、怒りと言った物が邪気に変じ、転じて物の怪となる場合もある。また、人為的に起こされる怪異、かつて叔父の博人が起こしたようなものであれ、人間と人間或いは物の怪の間における関係が存在するはずだ。
岡見は女子校、花園である。一真という異物を入れる事によって、その人間関係を浮き彫りにする事が出来るのかもしれない。
――客観的な視点で見る事が出来る……のかどうかは、わかんねぇけどな
ただ、分かった事もある。彼女らは流行りの「占い」という言葉に飛びついてくる。それこそが怪異の謎を解く鍵である事を一真は再確認する。
「その、いや、俺はちょっと聞いてみたかっただけでさ」
「いえ、申し訳ありません。あまりにもこの子達が叫ぶものだから」
あまり年の変わらない杏子にこの子達呼ばわりされても、彼女達は嫌な顔一つせずに、しゅんとしている。女子校ってこんなもんなのかと、一真は心の中で首を捻る。あまり理解し難い世界ではある。
「いや、さ。その、俺もそうなんだけど、妹は流行に乗るのが上手くなくてね」
「あら、それは、いい事ですわよ。周囲という波に流される儘、流されるよりもずっと」と言っても、花音の場合、流されもしないが自分から何かするというタイプでもないのだがと、一真は心中で苦笑する。
「でもさ、周りに溶け込むことも大事だと思うんだよ。でさ」
ここからが本題。
「そのさっき言っていた「占い」が流行りだしたのって大体いつ位からなんだ? それって、一人二人がやり始めて、広がっていくものなのか?」
えっ、と杏子がたじろいだ。周囲の女子が、ぞわっという気配を放った。
「一真……こいつは」と天が警戒を促す。思わず、バックのチャックにまで手を伸ばしそうになる。だが、まだだ。まだ足りない。
「あ、あれ? 俺なんか変な事聞いたか、な?」
途端、気配は消えた。我に返ったというよりも、一時停止されていたビデオが再生されるかのように、女子生徒達が動き出す。
「いえいえいえー、そんなことないですって! 始まったの? うーん、一か月前くらい? あれあれ、なんだっけ一番最初に流行ったのって」
「うん、そうそう! 護符引き占い! なんかおみくじみたいなやつ!」
聞き覚えのない占いだ。碧の方を見るが、彼女も首を振った。どうやら「オリジナル」であるらしい。
「誰だっけ。最初にそれ思いついたの?」
「あれ、誰だっけ? 誰だっけ?」
そんな事を口々に呟き合っている。だが、自然に生まれた流行りとは思えない。誰かが流行らせたのは、まず間違いない。それに先程の気配だ。あれは一体何だったのだろう。まさか、ここにいる少女全員が怪異の原因なのだろうかとまで、考えてしまう。だが、それにしては、全員が全員まるで何事も無かったかのように、振舞っている。
「全く」
見るに堪えないくらいに恥ずかしいと言わんばかりに杏子が首を振る。半ば、強引にその話題を打ち切る形で手を叩く。
「さぁ、さ、もうそろそろ時間ですわ。皆一旦集合するように言ってくださいな。それと一真さん、あなたはいつまでここにいらっしゃるのかしら?」
「あー……、後で鬼一先生が案内してくれる……筈」
そこらへんの細かい事は一切決められていない。案内役となる杏子や他の生徒達は授業に出る筈。鬼一にしても、ずっと一真についたままというわけには、いかないのではないか。元から無茶のある計画だとは思っていたが……。
「そうですか、その、私で良ければ、このまま案内しても構いませんわ」
「え、悪いよ。それは」
本心からそう言ったのだが、杏子は何故か意固地にも引き下がらない。にっこりと微笑む姿は美しい。そして一真も男だ。女子に好意でもって接されて、嬉しいか嬉しくないの二択が出たら、勿論前者を選ぶ他ない。
「こほん」
嫌にわざとらしい咳払いに、一真は我に返る。同時に全身の毛が逆立つ。声の主が誰だかは問うまでもない。碧が目を細め、じとっと一真を睨みつけていた。無言ながらその後ろに仁王像でもいるのかと思う程の圧力が伝わってくる。
「い、い、い、いやさぁ、とにかくさ……」
なんとか、言い訳を見つけて振り払わないと、命に係わる。額に汗を浮かべる一真に対し、杏子はにやりと笑う。
「碧さん、あなたも沖さんの事が気になるのかしら?」
挑発する。それはもう、導火線に火どころではなく、火薬に直接火を放り込むような行為だと、杏子は分かっているのだろうか。
「そんなわけないじゃない」
月であれば、狼狽えていただろうが、碧は流石と言うか、でも一真にして見ると、どこか悲しい気がすると言うか、きっぱりと答えた。杏子は杏子で、強気だ。
「あぁ、そうでしたね。あなたは男嫌いですもんね」
え、と一真は思わず碧を見た。対する碧は無表情に、口元だけを自嘲に歪めていた。
まさに、一触即発。と、その時だった。
「な――こ――れ――やぁあああああああああああああああああああ!!」
沈黙を引き裂く、喉の奥から引っ掻き出すような声。碧は瞬時に反応し、駆けだしていた。
「一真!!」
「あ、あぁ」
走りながら一喝する碧に、遅れて一真も続く。声のした方を見たまま固まっている杏子や女子生徒達の横を駆け抜け、廊下を疾走する。
教室と窓を挟んだ廊下に出て、碧と一真の二人は思わず息を呑んだ。校内の見回りをしていた一人だろうか。壁にもたれかかるようにして、彼女は倒れていた。その壁には文字がびっしりと書き込まれていた。




