十
†††
雲と雲の合間から照る光を受けてなお、碧の表情は晴れる事が無かった。見た目には無表情だ。歩きながら、霊気の流れの乱れを感じ取ろうとして、ただその事だけに集中しているように見える。だが、彼女の中に渦巻いているのは、妹が今どこで何をしているのかという不安感、一真を巻き込んでしまったことへの罪悪感、そして愚直な自分への嫌悪感。
一真が剣道を習っている事は知っていたが、まさか鬼一とその剣道部の部員達と縁があったとは。それも、一真のあの表情を見るにあまり良い関係だったわけではないようだ。その久々に会った師匠に為す術も無く倒されてしまって……あの試合が終わるや否や、碧達を道場から払った鬼一は「問題はない」と言っていたが。
今頃、リベンジに燃える一真と鬼一との試合第二幕が始まっていてもおかしくは……。
――考えても、仕方がないのかもしれないけど
引き合わせてしまったのが、意図した事ではなかったにしろ、やはり罪悪感を覚える。そもそも、舞香に対してあんな言葉を投げかけなければ、つまらない意地が邪魔をしなければ、今頃姉妹で共に怪異を解決しようとしていただろうに。
黙々と歩く中、その後ろからついてくる神楽と歌乃が顔を見合わせているのが、気配で伝わってくる。恐らく、二人とも碧が気が付かないくらいに物思いに耽っていると極め込んでいるのだろう。流石に碧はそこまで甘くはない。むしろ碧を気遣う余り自分の事が疎かになっている二人の方が危なっかしい。
「何か聞きたい事があるなら、言えばいいじゃない」
不意を突いた言葉が、二人を仰け反らせた。どうやら丁度、その事を尋ねようとしたところだったらしい。神楽が半開きにした口を小さく震わせていた。言葉に力を宿らせる。その事自体は別段、特異な能力というわけではない。口調、タイミング、意識等の条件さえ合わせれば、思い通りの反応を引き出す事が出来る。とはいえ、今のは上手く行きすぎだが。
「そんな簡単に感情が顔に出ちゃ、駄目じゃない?」
神楽は恥ずかしげに顔を赤らめて俯き、歌乃は陰陽師失格と言われたかのように、ムっと小さく口を曲げた。
「ぼ、僕は別に陰陽寮には属してませんしー……神楽ちゃんは別ですけど」
「ちょっ! ズルいです! 歌乃ちゃん!」
子供の喧嘩か、と碧は思わず突っ込みを入れそうになるが、あくまでも無表情。碧がだんまりを決め込んだまま歩き出すのを見て、二人は慌てて後に続く。
「だ、だって気になるじゃないですか」
歌乃がそんなことを言った。年の差は無い筈なのに、その声は幼く聞こえる。そう思ってから気が付く。
――舞香と毎回同じやり取りしてたからね
舞香はそれこそ、年どころか日の差すら無い。もしも逆だったら、自分が妹の立場だったら――そんなことは今まであまり考えた事も無かったが――姉から来る圧力に苦しむ事になっていたのだろうか。自分は狡い。生まれが僅かに早かっただけで、姉ぶって、妹に小言を言って。
舞香や他の家族がいないところで、ずっと考えていた想いが、堂々巡りを続けている。霧に阻まれいつまで経っても答えに辿り着けない。
吐いた溜息ごと、質問を投げかける。
「で、何が気になるの?」
「そ、そりゃ、沖さんと碧さんの関係ですよ」
流石に仰け反りはしなかったものの、碧は思わず足を止めた。二人はしどろもどろに、互いの顔を見合わせ、それから無表情というよりも、ぽかんとしている碧に口を合わせて捲し立てる。
「だって、だって、気になるじゃないですか」
「男の人関連の話題が皆無な碧さんが、男の子を連れ込んでくるなんて!」
この二人は何を言っているんだろうと、碧は考え、考え、考えて、たっぷりと考えて碧は徐々に、目を細めた。
「彼とは別に、あなた達が頭で“創造する”ような関係じゃありませんから」
想像なんて生易しいものではない。この二人はもうそういう“事実”として考えているに違いないと、碧の中で必要以上の意識が無意識の内に働いていた。むろん、彼女本人はそんな事には気が付いていない。得てして、自分が何かに囚われていると気づく者は少ない。
「でも、じゃあ……お二人はいつからの知り合いなのですか?」
神楽の質問に、碧は逃げ道はないなと悟る。とはいえ、彼女らが気にするのも仕方がない事なのかもしれない。ここは女子高、花の園。男の子の話題等、おしゃべりの中にしか存在しない。そして、碧はそんな“浮いた話”にはからっきし興味が無かった。意図的にそうした話題を避けている嫌いすらあった。
二人が何かとんでもない方向に勘違いしているのも、普段の碧のそうした振る舞いのせいであると言えなくもない。
「ほ、ほら、よくあるじゃないですか。興味ない興味ないって言っている子に限って――」
「か、神楽ちゃん!! それ以上はいけない。アニメの見すぎだ!」
真面目に考えて答えるだけ無駄かもしれないと、碧は思い始めていた。何しろ、二人が期待するような関係は自分と一真には一切ないのだから。
「そうね。あれは、まだ私が幼い頃だったかしら。月が一真と仲良く遊んでいたのを覚えているわ」
「「それで?」」二人の声がシンクロする。
「それだけ」
えぇっとシンクロしたまま、二人の勢いは落ちた。
何をどう聞かれようとも、それ以上の事はないのだから仕方がない。一真は、月が去ってからつい最近まで、殆ど神社には顔を出さなかったのだから。全くもって一途だなと、そこは感心せざるを得ない。だが、碧が一真とあまり接点を持たなかったのはそれだけが理由ではない。ふと碧は自嘲とまではいかないが、当時の自分を思い出して小さく笑んだ。
「昔の私、人見知りが激しかったからね」
いや、人見知りと言うよりも単に男嫌いだっただけなのかもしれない。幼い頃の碧と言えば、遊び相手は妹の舞香や友達の月だけ。皆女の子だ。幼稚園等には通わず、そこで学ぶべき人間関係だとかの代わりに、霊術の基本を神社で教え込まれて育った。月がやたらと人間関係に難があるのは、生まれつきの性格に加えてそうした背景がある。そして自分も……と、碧は思いかけて、ふと考えた。
――そういえば、舞香は
朧な記憶を手繰り寄せるその思考に、割って入るように鐘が重く広く響き渡った。
「あれ!? もう、こんな時間?」
神楽が叫んだ。校門が開く時間だ。
「お疲れ様。一度、常盤さん、佐保さんと合流してから、剣道場の方に戻って……」
気配は突然だった。かき乱された風に髪が嬲られ、碧は目の端で霊気の乱れを見つけようとする。神楽と歌乃の二人も黙ったまま、視線の先を合わせる。流石に実戦の場面での判断力は高いと碧は二人を再評価しつつ、油断なくポケットに手をしのばせる。
岡見で起きている怪異が、仮に人為的な物だった場合、敵は碧達の動揺を突いて来るだろうと思われる。呪術を使った戦いでは、いかに精神を制御出来るかが勝敗を決する。霊術、それに使われる源たる霊気の操作は――一部の例外はあるが――安定した精神の元に行われる。故に、碧は緊張を一気に高めつつも、冷静な判断で敵を見定めようとする。
――妙ね
碧は眉を潜めた。それは単なる乱れとも違う。物の怪や邪気を用いる呪詛は例えるならば、荒れ狂う火災のようなもの。異常なまでの力の高まりが波となって押し寄せる。
だが、今のこれは高まっては、沈み込み、高まっては沈み込む。酷いラグのように力の存在が点滅を繰り返す。
「二人とも」
気を付けて、と言おうとした時だった。一人の女子生徒が校舎の影、校門のある方から歩いてきた。部活の朝練だろうか。まずい。碧は唇を噛んだ。陰の界へとこの場の物の怪諸共引きずり込むか、或いは女子生徒の方を気絶させるかと、素早く頭を働かせていると、その女子生徒が、やたらと大きな声で呼びかけてきた。
「あらぁ? そこの人達! 何をなさっているのですか?」
意地の悪さが底から滲み出てくる声だった。その声でようやく誰だか気が付くと同時に、碧は顔をしかめた。
「あ、渡橋先輩」
神楽が顔に汗を浮かべ、口の端を微かに歪めた。渡橋杏子――岡見学園生徒会会長にして、風紀委員の委員長でもある三年生。何かと高飛車で突っかかるような性格があり、生徒会でも委員会でも常にリーダーを気取りたがる。無論それで委員長になれたのだから、実力は高いと言えるのだが、後輩にとっては最も接したくないタイプの先輩でもある。
背は高く、黒髪は肩に掛かる程で、ピンク色の縁の眼鏡が似合う見るからに硬そうというイメージの少女だ。
「まぁまぁ、校門が開く前からこんな大勢で……、一体何をなさっていたのです? まさか、こっそり部活の練習なんてしようと思っていたんじゃないでしょうね」
碧は辺りの様子を窺った。あの妙な気配はいつの間にか消え去っていた。
「こっそり?」と碧が眉を潜めると、杏子は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あら、ご存じないのかしら。部活の朝練は来週まで禁止になったのよ。全く……、あれはただの家出騒動ではないのかしらね? 朝練を禁止にしたからって、問題が解決するわけでもないのに」
ぶつぶつと杏子は、聞いてもいない不満を垂らす。彼女自身は演劇部の部員だ。そこでも、部長になろうとしたようだが、忙しくなり過ぎるからという周りの配慮によって、平の部員に留まっている。
――それにしても、お爺様はやはりこれが怪異であると確信していたのね
「私は部活に所属してませんから。それで、先輩の方は何故、朝練も無いのにこんな朝早くからいらしているのです?」
碧が鋭く返し、杏子は眼の端を吊り上げた。
「どこにも属さないあなたと違って、私は忙しいの。意味もなく朝早くに来たりはしないわ。風紀委員の招集よ。校長直々のね」
その言葉を合図にしたかのように、校門の方から数人の女子生徒が駆けてきた。杏子は肩越しにそちらを一瞥する。
「遅いですわ」
「す、すみません。でも、なんで、こんな朝早くに」
「他の生徒達が来る前でないと意味が無いからでしょう? 学校内において、不審な物が無いかどうかの調査なんですから」
何のことだろう。碧達三人がきょとんとしていると、杏子は、はぁっとわざとらしくしかし、気品さは失われない程度の溜息をつき、
「例の吉田夏樹の家出事件。前日に何か不審な事が学園内で無かったかどうかを、教師の方々と共同で調査しているところなのですよ」
馬鹿げていると言わんばかりの調子だった。だが、碧は校長のしようとせん事を把握し、杏子以上に呆れを感じた。
――陰陽師の増援を外から得るのが嫌で、“私兵”を使うことにしたのか
それで、教師や生徒にもしものことがあれば、本末転倒だが、碧が指摘したくらいでは聞く耳をもたぬだろう。杏子達もうんざりはしているものの、校長が何故、そんな調査を生徒達にさせるのかについては考えもしていない様子だった。
元々校内で起きた事件ではないと学園側が発表していただけに、それを調査することに不審を抱いてもおかしくはないと思うのだが、あの学園長――吉備影津は元来、生徒に無茶な事を要求することで有名だった。
生徒やその親の一部からは学園長による独裁運営とまで言われているくらいだ。その孫娘である碧や舞香はそんな祖父の悪評を受けて、肩身が狭い思いをしたこともあった。特に校長の無理難題を押し付けられてきた――杏子みたいな――先輩からは。
それにしても、集められた教師も生徒も霊術に関しては全くの素人だ。一体、彼らを使って何を見つけようと言うのだろう。
「ま、不審な物は見つかりませんでしたけど、不審な人物は見つけられましたし」
杏子が眼鏡の奥で蛇のような目を細めるのを見て、碧は面倒な事になったなと顔をしかめた。
合理的かどうかは関係ない。不審な物がないか調べろと命じられて、不審な三人組を見つけたとあれば、何であれ引っ立てて行ける権限がある。杏子やその周りにいる風紀委員はそう思い込んでいるようだ。
「碧さん」と、神楽が意味ありげに視線を投げかけてくる。強硬手段に出るべきか、と訊ねているのだ。碧は対して首を振った。今ここで事を起こせば、碧達の立場が危うくなる。
それよりは、このまま大人しく風紀委員についていき、校長室に行った方が良い。あの狸な学園長であれば、上手いこと事情を説明するだろう。いや、するべきだ。
「ほら、来なさい? あ、釈明なら校長室でしなさいね」
杏子が碧の肩を乱暴に小突き、後ろの二人にも風紀委員達が遠慮がちに促した。
「止めなさい」
凛とした声が空気を震わした。栗色の髪を風に梳かさせ、毅然とした態度で歩み寄ってくるその少女に、風紀委員は浮足立った。
「式部常盤……」杏子が普段の気品さをかなぐり捨てんばかりに、奥歯を噛みしめた。対して他の風紀委員は恐れをなしたように、碧達から離れた。
――剣道部の武舞姫
誰かが冗談でつけた異名だが、彼女自身の強さと清楚ながらも高潔な心は、冗談等ではなく誰しもが尊敬するところだった。
張りぼてのように作り上げたリーダーシップとは格が違う。学年で言えば杏子は三年、常盤は二年と、常盤の方が下だが、まるでその上下関係が当てはまらない。
「風紀委員はいつから特高警察になったのかしら。生徒を何の根拠もなく連行しようなんて」
対する杏子も引き下がりはしない。気品さこそ無くなっていたが、底意地の悪い笑みを口にたたえ、何食わぬ顔で碧を指差した。
「あら、校門が開く前から学園内を歩き回る“不審人物”を見つけたから、学園長に報告を、と思ったまでですわよ? あなたもその仲間かしら?」
「この三人は学園長に頼まれて、開門前から学園内にいるのですよ、“先輩” その理由もお聞かせしないと納得は行きませんか?」
淀みの一切ない声で常盤は三人に手を差し伸べた。大義を失った風紀委員は気まずそうに互いの顔を見合わせ、あるいは自分たちの長の顔色を伺っている。
「あ、あの委員長……」
杏子は怒りの混じった吐息と共に体ごと振り返った。
「あぁ、もう!! そうですか!! では、よろしいですわ!! 行きますわよ!!」
後輩達を肩で押し切り、校舎へと入っていく杏子。それに委員達が慌てて続いていく。全員がいなくなるのを確認してから、常盤は碧に向き直った。
「ごめんなさい。私達が早々に解決していればこんなややこしいことには……」
「そんなことありません、それに、今のは、助かりました常盤さん」
碧の礼にも、常盤は顔を曇らせたままだった。神楽が慌てて別の事を聞いた。
「あ、で、佐保さんはどうしたんですか?」
「それが……合流する筈だったのですが、見当たらないんです」
三人の顔色がさっと変わる。
「そんな……、まさか佐保さんの身に何か?」
歌乃が信じられないというように口を覆う。碧も同じ心境だった。佐保は恐らくこの学園内で修行をしている術者の中では最も優れた霊術の使い手だ。何かあったのであれば、碧達にも気づく規模の霊気の乱れがある筈だ。
「おいおい、あいつまでいなくなってしまったと言うのか」
不意に投げかけられた声に、場の緊張が高まった。
「鬼一先生……」
思わず縋り付くような声が碧の口から漏れる。あの佐保すらも適わない敵と、舞香が出会っていたら……それを思うだけでもぞっとする。
「碧」ふと、優しげな声が鬼一の後ろから掛けられる。
その少年の視線を受けた瞬間、碧は何もかもを、かなぐり捨ててしまいたい衝動に駆られた。
「大丈夫よ」
だが、そうはしない。妹を見つけると決意した。それまでは決して泣き言は言わない。碧の答えに、一真は複雑な表情を浮かべていたが、ふとその視線が常盤とぶつかり、更に複雑になる。
「えぇ、これはもはや只事ではありません」
常盤は一真との間にあるのであろう苦い思い出も、妹が消えたという事実にも、動揺の色を見せなかった。あくまでも淡々。また、そうしなければ自分を保てないのかもしれなかった。




