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陰陽少女  作者: 瞬々
明鏡止水
109/234

†††

 一番に求めていたものが、唐突に目の前に現れた。そのような時、人の反応というのはここまで鈍るものなのかと、舞香はどこか他人事のように或いは、夢を見ているかのように「彼女」を見た。

 四つの校舎に囲まれたグラウンドのど真ん中に立ち、まるでそこが世界の中心であると言うように。

 それはあり得ない事である筈だった。「彼女」は、“こちら側”の人間ではない。もしも、素性を隠していたのだとしても、今のいままで自分を含めた陰陽師達全員の目を掻い潜って来れた理由がつかない。その現象その物が不自然、歪、色鮮やかに描かれたキャンパスに墨を無造作に投げつけたかのような不気味さを孕んだ違和感。


「彼女」は笑っていた。

「舞香ちゃん」

「お前は夏樹ちゃんなのか……?」


 舞香はその友達の名前を呼び、黙った。呼びかけたのは放心していたからではない。「名」を確かめる為だ。ここにいるのが本物の「夏樹」なのか否かは確かめようがないが、相手はこちらの名を掴んでいる。名を支配する事は、相手を支配する手っ取り早い霊術である。舞香はたとえ相手が物の怪だとしても、支配の霊術に対抗出来る自信があったが、不利な事に変わりはない。


「舞香ちゃん……」


 焦れるように再び「夏樹」が問う。答えてはならない。舞香が黙っていると、「夏樹」はいつもと変わらない調子で――しかし、どこかちぐはぐな――喋り始めた。

「……私知っちゃった。佐保ちゃんのことも、あなたのことも。とても辛いんだってね、とても痛いんだってね」


 何を? と怪訝に眉を潜める。ゆらりと「夏樹」が近づき、舞香は身構えた。小太刀を右手に護符を左手に構え、傍に辰を呼ぶ。龍ではなく、蛟の姿だが、この状態でも十分な力を発揮出来る。

 目の前の彼女はどこからどう見ても舞香の知る夏樹だった。小柄で実際の年齢よりも幼く朗らかな印象の顔立ちで、頭の横で巻き上げた栗色の髪がよく似合う。制服はスカートを校則のぎりぎりまで上げているのもいつも通り。いつだか、それで担任の教師と論争になったこともある。

 だが、どんなに見た目が似ていても、いや、だからこそ信じるわけにはいかない。


「物の怪が……、夏樹をどこにやったんだ!」


 鋭く、問いかけるものの、暖簾に腕押し。ふわりと躱し、「夏樹」は薄く口を伸ばし、鴉羽色の光の無い瞳で舞香を嗤う。


「おかしなこと言うなぁ、舞香ちゃんはぁ……わぁたしの声がわからないのぉ?」


 すっと取り出したのは武器ではない。一冊のノート。表紙は落書きだらけで、傷だらけ。それは舞香と夏樹と佐保三人の友情の証、思い出の詰まった宝物だ。ぎゅっと「夏樹」はノートを抱きしめる。一瞬、舞香の注意がそこに釘付けになった。


「オォオオオオオ――!」


 辰が警戒の鳴き声を発した。ハっと舞香は、後ろに飛び退く。一拍遅れて彼女が足を付けていた人工芝の台地が揺らぎ、沈み込んだ。

 円錐状にそれは周りへと広がり、アスファルトで固められた地面を、そこにあるものを呑み込んでいく。


「きっと疲れ過ぎだね……いつも気を張ってたの私気が付いてたよ?」

「ちっ、夏樹の体を使って変な事を言わせやがってぇ!」


 怒りのまま、護符を投擲。生まれたのは水球だ。発生した砂地獄へと襲い掛かり、薄い青色の毬の中に沈み込ませる……筈が、逆に取り込まれた。

「夏樹」の哄笑が、背後から上がり舞香は反射的に振り返った。一度巻き上げてから流した栗色の髪を風に揺らし、昏い闇を瞳の中にとろけさせ、「夏樹」がノートを開いた。


「ここにあるのは、みーんないいことばっかり。相手を傷つけちゃいけない、気を遣わせちゃいけないって三人とも考えすぎて……でも、佐保ちゃんが何かで悩んでいるっぽいのはわかってたんだよ?」


 ページ、そこに書かれた文字のインクが滲み、黒に、赤に、青に、黄色に、塗りつぶされ混ざる。ページの端から零れ落ち、地面を歪に染めていく。


「……夏樹」

「だから、相談したのに舞香ちゃん『お前には分からないことさぁ』なんて誤魔化して!」

「夏樹!」

「だから、私。自分で色々と探ったんだよ。あなた達の事。沢山調べて、沢山教わって、沢山力をつけて……」


 もう、いいと舞香は思った。これ以上は聞いていられない。どんなに物の怪のせいだと断じても、自分の罪が軽くなるわけではない。佐保が悩んでいることを知っていて、夏樹は舞香を頼った。舞香はそれが「こちら側」の事だからという理由で適当にあしらった。どれだけ夏樹が必死だったのかも知らずに……その行為が、物の怪に付け入る隙を与えた。

 舞香に出来る事は一刻も早く、物の怪から夏樹を解放してやることだ。小太刀でもって踏み込もうと決意したその時、舞香はふと下を見た。


――邪気の暴走、日記を媒介として物の怪が霊力を発揮しているのだろうと思った。インクが地面に滴り落ちているのは、有り余る霊気に過ぎず、それ自体に意味はないのだと思い込んでいた。


 確かにそれはある意味では当たっていた。


 地面に描かれたのは、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸・騰蛇・朱雀六合・勾陣・青竜・貴人・天后・大陰・玄武・太常・白虎・天空の文字。地盤の十二支に天盤の十二神や十二天将。それらが、舞香を取り囲むように回っていた。

 形だけ見れば、陰陽師が卜部によく使う「六壬式盤」に似ている。だが、舞香には分かった。文字の配列がでたらめであることに。それが意味を成す筈が無い。


「そして、知ったの。佐保ちゃんや舞香ちゃんの苦しみを。どうすれば、それから解放してあげられるのかを!!」


 なのに、この歪んだ配列はこれから何かを起こそうとしている。六壬式盤は天地の霊気そのものを図式化したものだ。それが崩れることが意味するのはただ一つ。

 妖しい光を発し、地が割れ、水が噴き出す。先ほど舞香が放った霊術だ。真上に噴き出したそれは放った時の倍の速度で舞香へと巻き戻る。


「うぐっ!?」


 咄嗟に張った結界をも押し戻し、舞香の体を吹き飛ばし地面に叩きつけた。受け身を取り、勢いを利用して飛び上がった舞香、


「ね、そんなに力があるのに使いこなせない。そんなの重荷しかならないよ。どうすればいぃと思ぅ?」


 その目の前に近づく「夏樹」の顔。舞香の頬を両手で愛おしげに包み、ゆっくりと引き寄せる。


「もっと上手く使ってくれる人にあげればいいんだよっ」


 そして、世界は何事も無かったかのように元に戻る。


†††

 とん、と月が降り立ったのは、岡見女子学園のグラウンドのど真ん中だった。真っ白な四つの校舎の中にある。砂入り人工芝が広がり、それをクレー舗装された真っ赤なトラックが囲っていた。そこには何も無かった。何かが起きたという痕跡すらない。その事に月は顔をしかめた。「何も起きていない筈がない」直観はそう告げている。歪みがない事こそが歪みの証であり、正常である事こそが正常ではないという証。

 ふわっと、月の隣に日向が降り立った。彼女はいつもと同じく、気楽そうに見える笑顔で、しかし口元に浮かんでいるのは不敵な笑みだった。


「空にも何も無かったよ、おかしな事に」

「ここで誰かが、誰かと戦っていた筈」


 だが、その戦いの痕跡が無い。痕跡とは、戦いによってつけられた「見える傷」ではない。この世界ではそんなものは自動的に修復されてしまう。たとえグラウンドに穴をあけようが、校舎を倒壊させようが、だ。ここにおける傷とは霊脈、自然に流れている霊気の乱れだ。物の怪の出現と暴走は霊気を乱す。その乱れが大きくなると二つの世界に穴が空き、陽の界へと物の怪が流れてしまうのである。

 月も日向も霊脈の乱れを察知して、ここへと来た。以前に沙夜を追っていた時と同じ感覚で、だ。あの時は、必ずしも沙夜を引き当てられたわけではないが、そこに物の怪が必ずいた。いや、例外として人間がいたこともあったが……。


「その戦っていた一人は多分、舞香か佐保だろうねー」

「蛟の気配も感知したから、多分舞香だと思う。でも、もう一人は誰かな?」


 月はふと人工芝の地面から視線を上げた。グラウンドの外の観客席の方。そこに人影が見えた。知っている陰陽師仲間ではない。だとすれば、誰か。


「そこ、動くな!」


 影はすっと席を立ち、走り去ろうとする。月は地を蹴った。右手に護身之太刀、黒陰月影の夜空色の刃を出現させ、宙へと身を躍らせる。

 だが、半分もいかないうちに、影が密かに九字を切る。それは月を迎撃する為の物ではなかった。影の周りの空間が熱を帯びたように歪む。

 影が振り向く。頭から身体まですっぽりと覆い尽くす真っ赤な僧衣、地下の底の闇を掬い上げ、眼球の代わりに眼窩に流し込んだのだろうかと、思う程に禍々しい視線が中から覗いている。

 月は止まらなかった。歪みも禍々しさも彼女にとっては、陰陽少女にとっては、常に隣り合わせのモノ、それが何であれ、引き寄せ浄化するモノでしかない。影は迫りくる太刀を防ぐ素振りも見せない。ただ、攻撃が間に合わない事も月は分かっていた。振り下ろした刃が斬ったのは影の残滓。うっすらと未だ宙に浮かんでいた口が何かを告げた。


「いずれ」


 日向が遅れて隣に着地する頃には、すっかり消えていた。そこには最初から何も無かったかのように。「何か」があったと思われる場所に月は手を翳した。そこに何かがいたという痕跡を掴もうと。


「なんだか、とんでもない奴が絡んでいるみたいだね、これは」


 日向がいつもの調子で、しかしその目は笑っていなかった。恐れすら見える。この式神が、日の神の加護を受けている彼女が恐れるとは、相手が物の怪にしろ人間にしろ碌なモノではないだろう。月は頭の中で量るように、考えた。


「日向は、一真の所に行って」

「え……? そ、それは」と日向は不意を突かれたように戸惑ったが、月は有無を言わせない。


「私達が二人でずっと行動してたら、流石にあの学園長に勘付かれる。私は霞朧月も使って身を隠しながら、行動する。さっきのあいつを見つけなくちゃ」


 隠形――霞朧月は、霊感も含めたあらゆる感覚から身を隠す事の出来る術だ。強力ではあるが、長時間の使用は霊力の消耗も大きく、他の術との併用も出来ない。何度か解除しつつ使うだろうが、強大な敵を相手にしなければならないかもしれないのに、悠長過ぎはしないか。そんな非難が日向の表情にはあった。


「私が一人で、あいつと対峙して生き残る可能性と、一真が一人で、あいつが対峙して生き残る可能性。どっちが高いと思う? 一真の傍にいてあげて」


 月の心配は常にそこにあった。一真の身の安全。以前はそれを考える余り、自分だけで何もかもを背負い込もうともした。

 今では、一真を信頼するようにはなったものの、まだまだ過保護なまでに彼の身を心配する癖が残っている。日向は「あぁ」と察して、呆れたような可笑しいような笑みを浮かべた。


「そうだね、私なら護符になって一真君と四六時中くっついていられるもんねぇ」

「え……そ、それは!!」駄目。月は先程の凛々しさもどこへやら、顔を真っ赤にして手を振る。

「むふふ、羨ましい?」


 うんと思わず答えそうになって、月は舌が絡みそうになる。それを見て日向が妖艶に笑む。今の命令は取り消すべきかと、月があわわと言っているうちに、日向はぽんと手を合わせた。


「んじゃ、行ってくるねぇ。一真の事ばかり考えてて、隙を突かれるなんて事がないよーに、ね」


 その冗談の中に、日向の心配する心が滲む。日向が陽の界へと出る門を開き、出ていくのを見て、月は頬を膨らましつつ呟く。


「分かってる……」

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