六
†††
それが、正しいと。それが間違いを正す方法であると言われたから、やった。――を――、――を――、言われるがままに。
だけど、もう限界。――を見てしまったから。
限界、だけどもう遅い。――をされたから。
遅い、全てが。だけど……――ならば、だれか――。
†††
朝の四時半。こんなに早く起きたのは寒稽古以来だろうかと、一真はあくびを噛み殺した。
尤も眠くて仕方がない理由は、女子約二名(+その母上)に迫られ(物理的に)て眠れなかったからでもある。家に帰るつもりだったのだが、結局その弁解――というのも変だが――のせいで帰れなくなり、宿坊に泊まった。
――あのおっさん、なんて爆弾を落としていきやがった
冗談でも洒落でもないという所が余計に、事態をややこしくしている。
どういうつもりかと、月と碧の二人に問い詰められたが、首を万力みたいな、二人の手で絞められていたせいで答えられなかった。そもそも、一真もあの席で初めて聞いた事なので、冷静に問われても答えようがないのだが。
真二の方も問い詰められてはいたが、のらりくらりと、躱してさっさと寝てしまった。狡い大人の典型みたいで、見る見るうちに一真の評価は下がった。それまでは、尊敬する気持ちが高まっていたというのに。
「朝の六時には、来るようにって校長からのお達しよ」と氷雨は言っていた。話が急なだけに、何を要求されても逆らえない。向こう側がこちらに抱く心象はあまりよくないかもしれない。
昨日と同じ食卓――だが、今朝はご飯に味噌汁、焼き魚とシンプルな――にて全員、朝食を早々に済ませ、一真は昨日と同じ制服を着る。
さすがにシャツ等の下着は替えの物を借りて着替えたが、皺のある制服で行ってなんと言われるかが、不安だった。
朝食を用意してくれた氷雨は、碧に対しては、昨日のように叱咤激励するということもなく、淡々としていた。――ただ、一真に対しては「昨日の“あの話”、まじめに考えちゃったりした?」と興奮した面持ちで聞かれた。何をだよと、思ったが、一真は曖昧に笑って誤魔化した。
舞香を探すと言っていた月は、戦闘時の狩衣を既に身に着けていた。陰之界を中心に、探すつもりらしい。まだ昨夜の事を引き摺っているのか、一真を見ても不貞腐れた顔をしていた。
碧は岡見学園の制服。藍色のブレザーに白のシャツ、緑と黒のチェック柄のスカートが印象的で、左胸の襟には校章が縫い付けられている。黒のバッジに白い雷とも風ともつかない紋様――それが岡見学園の校章。
「いい? 岡見は、女子校よ。変なマネしたら、叩き潰されて摘み出されるわよ」
「あのな、一体お前は、俺にどんなイメージを持っているんだ」
そんなやり取りが一真と碧の間にありつつも、全員の準備が整って、いざ行かんという時だった。
「あぁ、間に合った間に合った」
社務所のドアから、一人の青年が遠慮なく入ってくるなり、そんな事を言った。
「ヨウさん!」
一真は驚きとうれしさに声を上げた。だが、同時に怪訝にも思う。昨日起きた事を知っている筈はないとは思うが……まさかついて来るつもりだろうか。頼もしいが、碧や学園の者が許してくれるとは思えなかった。
「あー、一真君。これを作ってくれと、ここの人に頼まれてな。二、三週間か前位かな? 全く、こういうのは苦手なんで知り合いと試行錯誤しつつ作ったんだけど……ま、性能は保証付きだそうだ」
殆どその知り合いに押し付けたんじゃ……という言葉は呑み込みつつ、一真は差し出された物に目を落とした。それは一枚の真っ黒な折り紙だった。
狩衣のように見える。誰の物だろうかと思っていると、ヨウは一真を指差した。
「君のだ」
「え? 俺、の?」
驚いて聞き返す。現陰陽寮は反対していたのでは無かったのか。ぽかんと、手のひらの上に置かれた折り紙に視線を落としている一真の後ろから、真二が近づいてきた。
「あぁ、俺と刀真とで、頼んどいたのさ。彼は陰陽寮の所属ではない……ので、頼んでお金出したら、嫌な顔一つせず承諾してくれた」
「前に賽銭箱に突っ込んでおいた札束を、丸ごと返されるとは思わなかったけどなー……」
ヨウは苦笑しつつ、さらっととんでもない事を口にした。
差し出された折り紙を見て、これでいいのだろうかと一真は少し不安になる。そんな迷いを見通してか、真二は一真の肩をどんどんと叩いて、笑った。
「何を迷う? 君には必要な物だろう。身を守るのが、剣一本よりは防具があった方がいい。そうは思わないか?」
「けっ、剣一本で今まで身を守ってきたんだぞ」とこれは、天が術者にのみ、聞こえる声でぼやいた。
「受け取って頂戴な。これは、私たち栃煌神社皆から、あなたへの贈り物」
氷雨が夫の言葉に付け加えるように、推し、月と碧が静かに頷いた。そういうことならばと、一真は照れながらも受け取った。見た目も実際の重さも、折り紙のそれだ。だが、触った感触は布のよう、そして、どこか手に馴染む。
「君の髪の毛、こっそりと拝借して使わせて貰ったよ。君の霊気と上手く同調する筈だ」
悪びれる様子のないヨウに、成程と一真は苦笑する。そして、どうしろと言われたわけでもないのに、どうすれば使えるのかを理解した。天をいつも振るっている時と同じだ。
霊気を受け取り、そして渡す。循環させることで一つになる。体の一部と思える程に霊気を同調させたその時、折り紙が優しげな光を放ち、一真の体を包んだ。
ふと気が付くと、一真は栃煌高校の制服ではなく、漆黒の狩衣を着ていた。「おぉ」っと感動し、よく自分の姿を見ようとくるっと回る。
そしてすぐに、月や真二が着ているような狩衣と今着ている狩衣には部分部分に差異があることに気が付いた。簡易化されていると言えばいいか。袖口は若干小さく、全体的に洋服――というよりも、普段学校で着ている制服に近い作りをしていた。指貫に至っては和風のズボンと言っても良い位に動きやすい。
折り紙の姿に戻し、まだ感動が収まらないまま、一真はヨウに頭を下げた。
「ありがとうございます、ヨウさん」
「何、安い安い。帰ったら、着てみた感想聞かせてくれ。じゃあ、健闘を祈る」
にやっと笑い、ヨウは何でもない事のように答えるとさっさと行ってしまう。さばさばとしたその様子は、何か気負うわけでもなく、その背はとても大きく一真の目に映る。
「何だか、掴みどころの無い人ね」
碧がぽつりと呟いたが、嫌悪しているわけではないようだった。月が覗き込むように一真の狩衣を観察している。彼女にとっても珍しいのか、興味津々といった様子だ。一真は、ヨウにしたのと同じように、真二と氷雨に頭を下げた。
「その、ありがとうございます」
「礼なら蒼殿に言ってくれ。君にそれを送りたいと言ったのは、彼女だ」と真二が顎で後ろをしゃくる。微笑みを湛えつつ、蒼は頷いた。
「月の心配がちょっとでも減るならー……と思っての事ですよ」
茶目っ気を交えて答える。お礼なら言うなという事だろうか。それでも、一真は頭を下げた。それから月にも向き直る。
「今のうちに言っておかないと忘れそうだ。ありがとうな。……これのおかげで、今まで何度も命拾いした」
言って取り出したのは金の折鶴。巫女殺しの怪の時も、魂呼ばいの怪の時も、心を繋ぐ事で助けてくれた、幼き頃の月の贈り物。一瞬、小首を傾げた月はそれを見てあわあわと顔を真っ赤にした。
「え、え、っと、それはそ、シンパイがちょっとでもへるなら……」
しどろもどろで何を言っているのか分からない。取り乱している月を見て蒼までもが、顔を赤らめた。そんな親子を見つつ、真二と氷雨はつぶやいた。
「難攻不落の要塞を見ているようだな……」
「そうね……」
「父様、母様、変な事を想像するのはやめて下さい」
押し殺すようにつぶやいた碧の声は誰にも聞こえていなかった。
†††
駅を四つ、電車を乗り換えて更に三つ駅を通り越し、岡見学園前という駅から徒歩にして十分程度の所に、岡見女子学園はある。
電車の窓から見える風景から段々と都会のビルが消えていく事から察しがつくだろうが、岡見は学園を除けば、高層の建造物も広い敷地も殆どない。建造物よりも緑の生い茂る森や豊かな自然のある山の方が目立つ。
電車の中がやたら空いているのは、通勤ラッシュ時外であるから、というだけではないだろう。岡見学園前の駅で、一真と碧の二人は降り立った。
田舎と言ってもいい程に辺りは開けているが、駅自体は大きく売店が開いていたり、駅員も配備されている。流石に女子校が傍にあって、その通学にこの駅が使われるのだから当然と言えば当然であるが、駅の雰囲気自体がどこか気品あるというか、小奇麗であった。駅の品の良さも、岡見学園を意識しての事なのだろうかと思う。
碧は駅から降りるなり、売店の店員や駅員に舞香が来なかったか聞いて回った。岡見学園の怪異を一人で解決するとなると、やはり困るのは食糧だろう。だが、舞香は駅には立ち寄らなかったらしい。駅にいる者は、誰もツインテールのお下げの少女等見ていないと言う。碧は落胆しなかった。
そもそも陰の界から岡見へと向かった舞香が、駅の中にある売店を使う筈が無いだろうこと位は、彼女にも分かっていた筈だ。
それでも、聞いて回ったのは、もしかしたらという願望と姉故の義務感そして、何よりも早く会って仲直りしなくてはという焦燥からだろう。
いないと分かれば、すぐさま頭を切り替えて岡見学園へと向かわなければならない。碧はそうしようとした。が、売店で聞いたお店のおばちゃんがやたらと、世話好きで碧に同情し、大層心配して放してくれなかった。警察に相談したらとか、皆で探してあげるとか、色々とお節介を焼こうとする。既に女子生徒一人が失踪しているという事を知っている為に、これ程親身になってくれているのだろう。
「ほら、今バイト仲間に電話してあげるからさっ」
「え、いえ、その……」と碧はしどろもどろになりながら、その申し出を丁重に断る言葉を探す。時間に余裕を持ってきた筈なのに、もう約束の時間までギリギリという所だ。
「大丈夫ですから」
「何を言ってるんだい。こういう時は、他人なんて関係ないんだよ。協力し合わないと」
その心意義は感服すべきだし、ドラマとかであれば、泣いて申し出を受けるような感動シーンになったであろうが、このおばちゃんやその友達が、怪異を解決できるとは到底思えなかった。何事にも分相応という物があるのだ。
「ほれ、もうメール送ってしまったよ」
えぇー!と叫ぶ碧が可笑しくて、一真は笑った。が、キッと睨まれて笑みを引っ込める。彼女が必死なのは分かるし、一刻も早く舞香を見つけたいという気持ちは自分も同じだ。ただ、碧は必死になる余り落着きが無く、周りが見えていない。リラックスしろとは、無茶な要求かもしれないが、いつもの冷静さを取り戻してほしいと一真は思う。
――普段なら落ち着けるのは、碧の方なのにな。主に冷や水のような、ハッとくる言葉で
そもそも、碧がこんなに熱くなっているのを見た事がないので、それをどう落ち着かせればいいのか、一真には分からない。こうしている間にも、時は流れていく。
そして、次の電車が到着した。どうせ、誰も降りないだろうと一真が思っていると、二人の女子生徒が降り立った。そのうちの一人ツインテールの黒髪に一瞬、一真は驚きの声を漏らした。碧が即座に反応して振り向き、売店のおばちゃんを振り切って近づく。
「あ、碧さん。それに、あなたは……」
鈴のような声に、清楚その物の物腰だが言葉には、出会えたことの喜びと安堵が滲んでいた。ととと、小走りに近づき、黒髪のツインテールがくるくると風に揺られて廻る。肩に掛けた鞄がやたらと大きかった。
「あ、神楽さん。おはようございます」と碧が慌てて取り繕ったような挨拶を返したが、少女――神楽は碧の胸中はとっくに見通していたようで、苦笑を浮かべている。
「ええっと……、碧さん。舞香さんと喧嘩したって兄経由から聞きました」
水無瀬神楽。それが彼女のフルネーム。一真がヨウと慕う男の妹。一真は一度だけ彼女とも出会っていた。魂呼ばいの怪が起きたすぐ後のちょっとした怪異事件で。彼女も岡見学園の生徒だったとは。
「えぇ、そうね……したわ」と碧が沈み込んだ声で返すと、神楽はバタバタと手を振った。
「そ、その喧嘩は誰にでもあることですし! あ、あの私達、舞香さんを探すのを手伝います! ね?」
私達? と一真はふと神楽の後ろを見た。神楽と一緒に降りてきた女子生徒だ。
こちらは見覚えが無い。肩に掛かる程度で切り揃えられた髪、真ん丸の瞳とどこか、日本人形を思わせる少女だった。話を振られてこくこくと頷いた。
「はい、僕も微力ながら」
僕っ娘だった。生まれてこの方、僕が一人称な女の子等、漫画だけの世界の人間だと思っていた一真は少し面喰った。それを何と勘違いしたか、一真の反応を捉えるや、少女はムッと頬を膨らました。
「むぅ、僕の力が不安ですか? あなたの事は知ってますよ、沖一真君」
「え、なんで……?」全く別の方向からの衝撃に、一真は戸惑う。
「そりゃ、二つの大怪異に関わって、解決に導いたとあらば有名にもなるというものです。少しは、自覚してください」と言われても、一真としては困る。一体どれくらいの規模で、有名になったのだろう。
そして、自然に入って来たので驚く間もなかったが、彼女もまた陰陽師だのの世界の人なのだろうか。戸惑う一真を気遣うように、神楽が少女の肩に手を置いた。
「ほら、歌乃ちゃん。あんまり怖がらせないの。あ、この娘は高砂歌乃ちゃん。陰陽師修行の身です」
勝手に紹介されて、歌乃はむぅっとまた頬を膨らませた。それを無視して、神楽は話を戻した。
「一真君も岡見に来ると聞きましたけど、その……大丈夫なんですか?」
「話は通してあるわ。父と母がね」
その言葉に、神楽と歌乃は息を呑んだ。一体どういう事なのだろうと一真はただ一人、首を傾げた。鞄の中で、懐剣が面倒臭そうに唸る。
「ったく鈍いなぁ、一真は」
話は昨日から聞いていただろうに、白陽・破敵之剣・天ノ光こと天は、現使い手である一真には、何一つとして助言をくれない。今もどこか、からかうような口調でしかし、何もヒントは与えない。
「ならば、安心です……万が一を考えてこれを持ってきたのですが。これを使わずに済むなら、それに越したことはないですね」
ポンポンと神楽は鞄を叩いた。一真には透視能力があるわけではないが、その鞄に何が入っているかは何となく察しがついた。
使わずに済んで本当に良かったという安堵と使っていたらどうなったのだろうという空恐ろしい想像が過った。先程、碧に話しかけていたおばちゃん店員が駆け寄ってくる。
「あら、あらあら、皆この子の妹さんが気になって集まって来たの? 最近の子にしては友達思いねぇ」
話がややこしくなりそうだ。どうにかしてくれという思いで、一真は残り二人を見たが二人とも、状況が分かっていないのか、ぽかんとしている。碧がはぁっと溜息一つ。そして「ごめんなさい」と誰にも聞こえない程小さな声で呟いた。
「私達の事ならもう大丈夫ですよ――高島裕子さん」
すっとさりげなく九字を切り、碧は諭すように言った。おばちゃん店員――石渡さんはとろんと夢心地のように、瞳を蕩けさせ頷いた。
「えぇ、あなた達はもう大丈夫ね。皆にもそう言っておくわ」
更にもう一度九字を切る。
「仕事場に戻ってください」
「仕事場に戻るわ。じゃあね――もしも、助けがいるなら言ってちょうだい」
不意に付け加えられた一言に碧は、驚き軽く目を見開いたが、どうにか頷いた。石渡さんは何事も無かったかのように、店番へと戻って行った。
――今のは?
何かの術だろう。見ると碧は肩で息をしていた。整った顔を強張らせ、ぶるっと身体を震わせる。そうした方がいいのかも分からず、一真はその背をさすった。
「碧、大丈夫か?!」
「えぇ、大丈夫。あの人にちょっとした呪詛を掛けたのよ」
呪詛。その言葉に一真はぎくりと肩を震わせた。だが、神楽も歌乃も呪詛を掛けられた店員よりも、掛けた碧自身を心配しているようだった。神楽が何やら自分の鞄から取り出した。それは陶器製の瓶だ。底が丸く、注ぎ口に向かうに従って細い。木で出来た蓋を抜き、神楽は差し出した。
「碧さん、これを」
「ありがとう」と碧は注ぎ口から垂れた雫を口に含んだ。すると、青ざめていた顔が幾分か赤みを取り戻す。
「真名を握り、相手を支配する言霊の呪縛ですね。霊力に抵抗の無い人間位であれば記憶を操る事も出来ますが……」とこう言ったのは、歌乃だ。
「人を呪わば穴二つ。真名の支配、相手の思考を支配し、記憶を捻じ曲げるその行為には、代償がつくの。幸いにして、今のはかなり小規模な術だから、大したことも無かったけど」
既にいつもと変わりない調子を取り戻した碧だが、どこか罪悪感の滲む顔で売店の方を見つめた。あの店員は、記憶を操られた時でさえ、一瞬だけ正気を取り戻した。
「巻き込まずに済んだんだ。お前のした事は正しかったよ」
「そうね、そうであると信じましょう」
碧はようやく答え、改札へと歩きはじめた。一真と神楽、歌乃も後に続く。改札を出て、四人の目に映ったのは、木々の合間から見える純白の建物だった。そこへと続く一本道の空を薄い灰色の雨雲が覆っている。
バスを待たずに、一真達は傘を差して岡見学園へと向かう。ふと女子三人の傘を見るとどれも、上品かつ美しい柄であることに気が付く。
碧はいつも着ている着物と同じく薄緑色に紫陽花の花模様、神楽は蘇芳の花のように色黒みを帯びた紅色に彼岸花、そして歌乃は藍紫色に百合の花。今更ながら、お嬢様だなぁと一真は思う。コンビニで適当に買ってきた透明な傘等とは品格が違う。さながら、美しく咲く花のよう。囲まれながら歩いていると、自分が雑草か何かのように思えてくる。
――というか、これから行くところって女子校なんだよな。そうなんだよな
昨日の晩はそんな事も頭から飛ぶくらいに熱が入っていたが、今こうして花の園が目の前まで迫りつつある事を知ると……自然と脚が竦んだ。
――なるようになるしかないよな……、先生まで全員女性ってわけじゃないんだし
一行は無言のまま、小走りに歩き正門へと到着した。遠くから見た時から薄々感じてはいたが、その広大さに目を回しそうになる。門は高さだけでも、四、五メートルはあるだろうか。門とは別に小さな扉があった。
扉の横に備えられたインターフォンを押し、碧が名前を告げる。「どうぞ」という無機質な声と共に鍵が開く音がした。扉が開き、一真達は中へと入って行く。白く敷き詰められた煉瓦が道を作りその遠隔を赤い煉瓦が沿う。
オランダかイギリスの庭園を思わせるような、それでいてどことなく、『外国』の物ではないと思わせる雰囲気が漂う。
恐らくその原因は、周りで生い茂る木々やさり気なく植えられ咲いた花のせいだろう。薔薇やチューリップと言った類の花は無く、代わりに紫陽花が咲き誇っていた。雨に濡れた淡い紫色は季節にも合い、その場の風景にも溶け込んでいる。
校舎その物もまた、荘厳そのもの。コンクリートで出来た真っ白な陶器と呼んでいいだろう。決して、芸術的に作られたわけでもなく、成金趣味が作ったかのような安易な煌びやかさがあるわけでもない。清楚さと整然さを兼ね備えていた。校舎は四つ、それらを繋ぐ渡り廊下は木製の朽葉色で和風の趣だが、校舎の雰囲気から浮くような事はなく、むしろ溶け込んでいる。
こっちよと、碧に連れられるがまま、校門に一番近い位置に建てられた校舎の中へと入る。玄関で履き替え、しかし一真はこんな薄汚い上履きで歩いていいものかと悩む。廊下も壁も埃一つ落ちておらず、窓からの木漏れ日に輝いていた。
階段で上ること、七階。長く続く廊下を渡る。左にある大きな教室は職員室のようだが、今は人がいない。長い廊下、人けのない部屋。既視感を感じるのは間違いだと思いつつも、どうしても影夜の事が頭を過ってしまう。
「で、いきなり校長と会うのですか、碧さん」
碧は問いかけてきた神楽を振り返り、こくりと頷いた。その表情にはどことなく、何か秘めたる決意が込められているようで、一真は怪訝に思う。
校長に直接会うのは確かに、緊張する。心臓がバクバクと脈打ち、手にはじっとりと汗が滲み、一真も決して他人事ではない。何しろこれから大嘘を吐いて、相手を騙し切らなければならないのだから。
だが、碧の緊張のしようは、それとはどこか性質が違う。その理由を訊ねられる雰囲気ではなかった。金色の取っ手の取り付けられた、この先に大臣か何かの執務室でもあるのかと思わせるような扉をノックする。
「入りたまえ」
低い老人のくぐもった声が奥から聞こえた。碧はぐっと生唾を呑み込み、「失礼致します」とその扉を開いた。重々しく、どこか古めかしさを感じさせる音を立てながら扉が内側に向けて開く。




