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陰陽少女  作者: 瞬々
明鏡止水
103/234

 邪気の具現、穢れた心を躰とする物の怪を滅する現代の陰陽師――こう言うと、まるで現実味がないが、一真の心にはしっかりと焼き付いている。

 月の神からの加護を受け、物の怪を滅する。それが、春日家に生まれた少女に与えられた使命だった。神より賜ったその力は強大であると同時に、物の怪を引き寄せる呪いの側面も持つ。

 その呪いから、彼女を開放する手はないのか。或いは止められなくてもいい。自分が傍で彼女を護る事が出来れば。――とはいえ。

“巫女殺しの怪”“魂呼ばいの怪”と二つの大きな怪異、その他小さないくつかの怪異をこれまで、一真は月と共に、時には他の――碧や舞香らと――人と解決してきた。それらの戦い、戦闘の面で、一真は月の役に立ってきたという気持ちはある。だが、同時にそれだけでいいのかとも苦悩する。戦いで彼女を護るその行為は所詮、眼前の脅威から守るというだけの事。根本的な解決にはなっていない。

 それは、あの中原影夜との戦いで学んだ。

 月を護るにはそれだけでは、足りない。一真は知る必要がある。彼女の事も、彼女が持つ力の事も。



「そう。確かに、そうだよ」月はようやく言葉を絞り出した。パソコンルームの全PCをバグらせた時とは違う、感情そのものを陰の界に取り込まれたかのような顔で。物は直すか、新たに作り直せば済む。だが、心は違う。一度壊れれば、元に戻すのは不可能に近い。


 月や一真が守らなければならないのは後者の方。


「私が最初に母様から教えて貰ったお話が『憑贄祭』」


 憑贄祭――それは陰陽師というこの国で誕生するよりも前から行われてきた祭りだ。



 物語の舞台は京都よりも西――物語上では、泰山と記されている――の山にある村。その村では、物の怪における怪異が絶えなかった。



 度重なる怪異に加えて、長らく封印してきた幽暗への門が開き、村は未曽有の危機に瀕する。

村の長や宮司達は、一人の巫女を贄として立てた。少女の名前は朝霞。月の神の加護を受ける彼女は、物の怪の邪気を引き寄せ光で以て滅する力を持っていた。


 村の宮司達は彼女を地獄の門へと落とし、誘われた物の怪を道連れにして、門を封じようと試みた(これを憑贄祭という)。



 だが、この計画は一人の男の手によって阻止される。東より来た彼の名は春日の須佐と言い、陽の神の加護を受けた人間だった。彼は地獄に落とされた朝霞の元へと向かい、門が閉じる前に助け出し自分の故郷である春日へと連れ帰り嫁にした――物語はここで終わっている。村が結局どうなったのか等、細かい事は一切分からない。


――沙夜の話に似ていると一真は思った。


 いや、実際には、沙夜の話の方が似ているのだろう。


「一真の発表を聞いてた人は、あの物語がハッピーエンドだと思ったみたいだけど……」


「その後、何が起きたか――なんて、考えないさ。普通は」


 考えられないようにする為に、一真は朝霧が助け出された所までで区切った。仮に出したとしても信じては貰えないだろう。なにせ、その後、朝霧と須佐の子孫である陰陽少女が、朝霧と同じように贄として捧げられたという話――事実は、表向きの伝承では決して出てこないのだから。現実に置きた悲劇は、蓋をされ代わりに都合の良い事実だけが残される。こうして話は伝承されてきたのだろう。

 裏の事実は書物には残っていない、或いは現陰陽寮が管理していると、この物語を教えてくれた碧は言っていた。


「そう、だよね」


 月はふと廊下の窓から見える灰色の空に瞳を向けた。突然、ここではないどこかに用事を思い出したかのような表情で、制服のブレザーのポケットから携帯電話を取り出した。大分型落ちした感じのしかし、携帯と言われればこれだという感じの長方形。小さな画面には何件もの着信が入っていた。差出人はマイカとある。


「ごめん、一真。ちょっと電話してくる」

「え、あぁ。別にかまわないけど……その、大丈夫か?」


 彼女がどこか上の空な様子なのは、憑贄祭の話題のせいだろうか。あれは調べるだけならまだしも、発表という形で出したのは軽率というものではないか? 今さらながら、後悔と不安が小波のようにじわじわと自問という形で押し寄せた。


「うん、大丈夫。さっきみたいに壊したりしない」


 携帯を指差しながら、月はぐっと拳を握る。思わず肩から力が抜け落ちそうになった。


――ま、まだ気にしてたのか……


 そのいつもと変わらない(?)反応に一真は幾分か重みが取り除かれ、一真は走り去っていく月に軽く手を振った。手を下し、一真は自分の掌を見つめた。自分に出来る事を――とこの一か月半を過ごしてきた。だが、このままでいいのかという疑問が頭を擡げる。

 今日発表した内容にしたってそうだ。彼が分かったのは、陰陽少女の起源それだけ。その知識を手に入れたからといって、何に役立つ? 一真が知っている事は月だって知っている事。いや、少し調べれば誰にだって分かる事だ。


――俺がしなきゃいけないのは、こんなことか?


 自責とも自虐ともつかないその自問に答えは無い。だが、以前のようにただ力を欲する事も無い。それは一真の中にある陰の部分、自分という殻の中に閉じ込められたあの人格を呼び覚ます事に繋がる。

 あの人格は、これまで一真を暗雲のように覆い、時折顔を出しては欲望のままに動く。いや、違う。その行為こそが一真の欲求したもの……。

 影夜の戦いではあの人格のおかげで勝てたとも言える。だが、それに頼るわけにはいかない。本当の意味で彼女を護るには――。

 堂々巡り、頭の中で二十日鼠がくるくると回り始めたその時、鋭い衝撃が一真を襲った。バシンと思いっきり、背中を叩かれた“だけ”なのだと気づいたのは床に手を突いた後の事だった。


「よーう! 一真、元気かーい?」


 肌が痺れる程のそのキレのある手刀を放ったのは先輩であり、従姉でもある沖愛沙だった。肺の空気をすっかり叩き出された一真は、ぜはぜはと必死に息を吸いながら涙目でその笑顔な鬼に抗議した。


「ふ、普通の挨拶は出来ないんですか?」


「避けない或いは耐えられない方が悪いのだよ!」


 ガッハハハと戦国大将の如く笑う従姉は、まるで悪びれるつもりが無い。一真は微苦笑した。彼女がこんなに激しい挨拶をしてくる時は決まって、一真の方に何か事情がある時。すなわち、落ち込んでいる時だ。


「ほら、いつもだったら、気配で分かるじゃん?」


「いや、そんな凄いスキルは……まぁ、いいや」


 まさか、最近出来るようになってきましたとか痛い事を言うわけにも行かず、そんな一真を愛沙は不思議そうに見つめた。一見粗暴というか奔放に見えるこの先輩は人一倍、親切で面倒見がいい。


「もしかしてぇ、伸び悩みの時期かな?」


「なんの、ですか?」


 愛沙はぶんと竹刀を振る仕草を見せた。基本に対して愚直なまでに忠実な素振りが、美しい弧を宙に描いた。


「これこれ。剣道さね。最近めちゃくちゃ強くなってきてるなーと思ってさぁ。斉藤部長から一本取った時は吃驚したね!」

「あ、あれは、偶然というかなんというか……」


 悪い事をしたわけでもないのに、一真は委縮した。そう、確かに一真は最近は恐ろしい程に強く(斉藤先輩談)先輩からも一本を取れるようになってきた。滅多に褒める事の無い顧問教師の秋原悠斗にも、認めて貰えるようになってきた。

 認めて貰えた事が嬉しい反面、この実力は普通に生活していて身に付くような物ではない、その事を引け目にも感じていた。


――物の怪と戦う内に、碧達から鍛錬を受けている内につけた力だ


 無論、その力の全てを使う等と言うことはしないが、それでも反射神経や打たれ強さ、打ちの正確さは他の部員達と一線を画している。手を抜けば勘のいい愛沙や未来等は、すかさず隙を突き、そして怒る。――手を抜くな、と。未来は一真の事情を知っているだけに、余計厳しい。


「謙遜も度が過ぎると、自らの力を見誤るよ。君が部の中で一番伸びている事は皆が知ってる」


 愛沙に言われて、一真は黙った。複雑な気持ちだったが、愛沙はそれを肯定と受け取ってか、さばさばとした調子で続けた。


「それはさておき、伸び悩んでいるところなんじゃない? どうも稽古をしているとそんな気が、君からビシ! バシ! と来るのだけどさ」


「えぇ、まぁ……無いとは言えないですかね」


 下手に嘘を吐いても詰問されて、曝け出されてしまうので、ここは素直に答える。愛沙はその態度に満足してか、こくこくと頷いた。


「あたしの知り合いに、めっちゃ強い子がいるんだけどねぇ。後、その子が師事している先生もかな。紹介してあげたいところなんだけど」


「だけど?」一真が鸚鵡返しに訊ねると、愛沙は困ったような笑い出したいような不思議な顔で、答えた。


「そこ女子校なんだよね。ちょっと入り辛いじゃない?」

「い、いや、女子校とか関係なく、別の学校に入るのは難しいというか、なんというか」


 自分の通っている学校でない所に入るというのは、中々抵抗がある。文化祭等の時は別だ。あれは、積極的に客を呼び込むという姿勢で学校側もいる。だが、日常においては違う。余所からそこに行くというのは、自分だけが異質という感じがしてしまう。周りから来る視線、声それらが恐怖とまではいかないまでも、不安な気持ちが生じて、落ち着かない。

 不思議なものだ。どこの学校も、さして大きな変わりがあるわけでもないのに。


「そうかねぇ」


 愛沙先輩はよくわからんと言うように、首を傾げた。頭の天辺で結ばれた髪が鷹の尾羽のように微かに揺れる。その時、丁度その時、帰りのHRが始まる事を告げる予冷が鳴った。


「お、じゃーねー。今日の部活がないからって、弛まないように」


「精進しますよ」


 一真は答え、自分の教室へと向かった。月の用事は終わっただろうかとふと思いつつ、――が、彼が教室に行き、HRが始まり、そして終わっても月が帰ってくることはなかった。


†††

 緩急のついた気まぐれな雨に、結ばれた二つの髪が揺れる。髪紐に繋げられた玉が真珠の色に輝いていた。柔和だがぱっちりとした瞳に、形の良い鼻梁、全体的に柔らかくも細い体の線、綺麗というよりは可愛らしいという表現が似合うその少女は、しかし限界にまで張りつめた緊張の中にいた。

 身に着ているのは巫女装束だがその形状は異様だ。素足が見える程に短い緋袴には、緋色の草摺くさずり、銅には漆黒に輝く胴当て、両腕には籠手、綺麗に伸びる脚には臑当てとさながら女武士を思わせる。実際、彼女の胸中で燻るのは戦いの熱だ。


 ぬっとその背後に現れたのは吉備家の式神である蛟――名をしんと言う。普段は蛇のような外見だが、今は龍の姿だ。

 すっかり冷えて青白い少女の肌に、蜃は触れる。舞香は黙ったままその顔を撫でた。頭から生えているのは鹿のように枝分かれした角。長い首から背筋にそって紅色のたてがみが生えており、全身の鱗は暗い土色で、腰から後ろの鱗は全部前に向かって逆向きに生えている。

 これは蜃の戦闘時の姿であるのだが、この蛟はまだ生まれてから日が浅い。蛟とは龍の一種で、この蜃は非常に特殊な生まれ方をするのだが、数百年の時を経なければ産まれないのは他の龍と同じだ。故に多くの術者は龍は式には不向きと考える。

 他にもっと使いやすい霊獣や霊鳥がいるからだ。だが、吉備家の巫女は代々龍を式としてきた。

 舞香の先祖にあたる吉備家のとある巫女とその子孫は、次第に廃れて行った“本家”から分かれ諸国を流浪し、龍を時には退治し、時には助け、今では式神として使役している――そんな歴史があった。

 舞香自身もこうして蜃を使役しているわけだが――

 ゴロゴロと雷にも似た音の蠢動もとい、蜃の声が体の中で響く。

 敵を見つけた時に発する威嚇。決して主に警告しているわけではない。蜃は敵の殺意に反応しているだけだ。


「行くよ」


 舞香が合図を出すと、蜃はガッと咢を開き霧を放出した。


「蜃の水気変じて、霧と化し、楼閣を建てませい」


 霧が宙を吹き抜け回り回り、どこぞへと消え去る。空中に豪奢な楼閣を残して。敵の気配が戸惑うように乱れるのを感じ、舞香はすっと動いた。足音も無く、地面の上を滑るように走る。円を描いて背後を取った。そこで彼女は息を呑んだ。

 敵は人間ではなかった。いや、影だけを見ればそいつは人間に近い。頭から角が生えて無ければ。


――式神、紅ノ前鬼


 役 小角(えん の おづの)修験道の開祖が使役したと言われる式神のうちのひとつ。だが、これは贋物だろうと、判断する。伝説の式神にしては霊力が乏しい。が、問題はそれではない。これが紅ノ前鬼であるとすれば……。

 ぞわっとした気配に舞香は身を翻した。髪を掠めて刃が飛んだ。水気で出来た刃――鎌鼬だ。やはりいた。


――式神、蒼ノ後鬼


 くるっと振り向き様に舞香は九字を切る。


「水は木を生む、雲を切り裂き貫け――雷霆きたりませっ!」


 蜃がくわっと口を開いた。

 頭上に黒雲が渦巻き、稲妻が蜷局を巻いた……が、それだけだった。


「蜃!!」


 舞香は切羽詰まって怒鳴るが通じない。蜃は子犬のように首を傾げただけだった。

 敵はこちらの事情に合わせてくれる程、親切ではない。パッと舞香は袖口から護符を落とし受け取るや否や、蒼鬼へと投げつけ突き立てる。

 護符には水気を込めてある。「遠隔力場」で発動、同時に術者自身の霊力が込められる。舞香は自分の霊気を残らず絞り出す程の力を込めた。


「ウ、が――」

「破裂しろ!!」


 蒼鬼が呻き、舞香が怒鳴る。轟!! と、蒼鬼の上半身が吹き飛び辺りに水が飛び散る。そして、蒼鬼の居た場所には一枚の符がひらりと落ちる。結果を見届ける間はない。斧を振りかざして紅鬼が背後から飛び掛かってくる。

 舞香は後ろに向けて飛び、背中から紅鬼に激突した。斧が肩を通り越して空振る。その獰猛な刃に怖気つく事無く、舞香は足場に、残った霊力の全てを込めた。肩にのし掛かり、勢いを殺し切れていない紅鬼の腕をがしっと掴むやいなや、一本背負いで投げ飛ばす。


「せぇいやっ!!」


 身固めを使ってなお、身体がみしっという音を立てるが、効果は上々。紅鬼は引っ繰り返って背中から地面に叩きつけられ転がる。

 舞香は腰から小太刀を抜き、逆手に構え跳んだ。二つに結われた髪が駿馬の尾のように、靡く。

 大きく目を見開いた紅鬼の身体に、銀の刃が突きたてられる。一瞬の後、紅鬼は一枚の符へと変化し、地面に落ち――そして燃えた。


「まただ……」


 舞香は歯ぎしりし、式神の消えた水の溜まった地面に視線を落とす。

 ここ数日、幾度か似たような式神或いは物の怪を倒して来たが、どれも例外なく跡形も無く消え去ってしまう。手加減を加え捕えようとしても、だ。あらかじめ設定された自爆装置と言ったところか。敵に渡るのを恐れての処置だ。これまで戦った式神は舞香の操る蜃のような系統とは違い、護符に疑似霊魂を込めただけの、いわば人形のような存在だった。

 能力は低いものの、作成は容易いし、大量に生産できる。そして掛かる霊気も少なく済むので、簡単に使い捨てが可能だ。

 蜃がそろりと降りてきて、舞香にすり寄る。戦闘時の龍の姿ではなく、蛟――蛇の姿だが小さな角が生えている――になっている。霊力を温存するための形態だ。

 舞香は複雑な気持ちで蜃のその体を撫でる。ざらりとした鱗は雨に濡れて冷たい。


「舞香」


 不意に自分を呼ぶ声が聞こえて、振り向く。長い黒髪と白い肌が霧の中に浮かぶその姿はさながら朧月のようだった。彼女は戦闘時の狩衣ではなく、栃煌高校の藍色の制服を着ていた。舞香は内心どきっとしたのを、どうにか隠した。


「月、私だけで大丈夫だって言っただろー?」


 いつもの調子を保とうと思ったが、息が少し上がっているせいか、上擦った声になる。蜃をちゃんと御する事が出来ていれば、と思わずにはいられない。あの程度の敵であれば簡単に倒せた。余計な緊迫を感じる事も無かった。


「うん、知ってる。だから手は出さないで見てた」

「み、見てたのか……」


 途端、舞香は肩を落とした。あんな恥ずかしいところを見られた。式神を御する事が出来ず、自分の手でどうにか――それも半ば強引に――敵を倒したというのは、あまり美しい戦いではない。陰陽師や物の怪退治を生業とする術者の類は、やたらとスタイルにこだわる者が多い。だが、月は違った。何故、舞香が恥ずかしそうにしているのかが分からないように、首を傾げた。

 その動作に少し救われたような気がして、舞香はホッと息をついた。月は今度は戸惑うような表情で切り出した。


「……ところで、私はさっきから全然状況が分からない」

「んー?」と舞香はしらばっくれる。月に送ったメールの内容は至ってシンプル『岡見女子学園に来て。陰の界で待ってる』

 ついでに、戦いになっているかもしれないが手出し無用とも送った。だから、月はこちらに来ても手を出さなかった。幻術は物の怪にだけ使用していたが、この霊気の霧の中で戦いを見たというのは、流石月と言ったところだろうか。


「これは怪異なの?」

「まだ、わかんないなぁ」舞香は答える。これは本当だ。なんといっても“現陰陽寮はそう考えている”のだから。


「でも、式神が……」

「暴れてた。うん。でも、誰が使っているのかが謎なんだ」


 その術者を探していたと、舞香は月に告げた。ただ、どう探せばいいのかは分からない。今のように式神を見つけても、術者を辿る前に自壊してしまうのだから。


「と、言うとこれは物の怪じゃなくて、人為的な怪異?」

「そう、なるねぇ」


 多くの場合、物の怪とは人の負の感情が寄り集まる事で出来、それがいるべき世界、陰の界から陽の界へと飛び出す事で怪異が起きる。だが、人為的な怪異はそれよりも、もっと単純だ。霊力で不可思議な事を起こして人に危害を加える――その一点に限る。小規模な物であると、単に霊力を使った違反事項――反しているかどうかは陰陽寮等の組織によって判断される――程度になるのだが。


「もしかして、昨日起きたっていう女の子の失踪もこれが関係してる?」

「うん……たぶんね。陰陽寮はまだ分からないとか呑気な事言ってるけど」


 言外に苛立ちを匂わせ、舞香は辺りを見回す。今日はもう出てきそうにない。

 今の所、式神が誰かを襲うような事件は起きていない。もしかしたら、見えない敵は遊んでいるのかもしれない。霧の向こうでほくそ笑んでいるかもしれない敵を舞香は睨む。


「碧に相談したら?」

「姉ちゃんに?」


 双子の姉――あの厳しく妥協を一切許さない姉の顔が思い浮かび、その浮かんだ顔から目を背けるように、首を横に振る。


「駄目だよ。どうせ。大体今日だって、大人しくしていろって言われたのに飛び出して来たし。後でまた怒られる」


 一年どころか、一日だって生まれの違わない姉に。たった数分、産まれるのが早かったというだけなのに。そう思わずにはいられない時もある。だが、舞香は同時にこうも思う。


――もしも、早く生まれても駄目な姉だったろうな


 碧と比べて舞香は顔つきも幼いし、姉と比べると背も若干低い。それに碧の方が責任感が強い。吉備家は姉さえいれば、安泰に違いない。僻みでも自虐でも無く、単なる事実として舞香はそう思う。


「碧は優しいよ?」


 それとも違うの? と暗に訊ねられているような気がして、舞香は黙った。分かっている。姉が神社を出るなと厳しく言いつけたのも、本当は舞香の身を案じての事だということくらいは。だけど、実際にそう姉の口から聞いたわけではない。なんとなく、そんな気がするというだけ。本当の気持ちを尋ねるのは怖いし、本心を聞けない気がする。


「これは私の問題なんだ」舞香のその思い詰めた口調は、月にというよりも自分自身に言い聞かせているようだった。そんな舞香の手に月はそっと触れる。


「ね、聞いて。私もちょっと前までは、舞香と同じ事考えてたよ。私自身の問題だから、他人は巻き込まない……て」


 舞香はじっと月が差し伸べた手を見つめた。誰の事を言っているのかは分かっている。月が昔から好きだった少年の事。


「だけど、それは間違いだって気が付いた。たとえ巻き込まなくても、碧は傷つくよ。舞香が一人で背負い込んでいたら」


 心の中で散々迷ったが、結局のところはそこに行き着く。舞香ははぁっと溜息をついた。幾分かいつものマイペースさを取り戻して笑う。


「姉ちゃん怒ってるだろうなぁ、話し聞いてくれるかなぁ。……あぁ、やっぱコワイ」

「私も一緒にいてあげるから」


 月が笑い、舞香も釣り込まれて笑った。蛟の張った霧の中で、笑い声は虚しく響き渡る。

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