第十四章:病床~初夏の風
結局、その日はすぐ入院することになった。入院する前から咳は止まらなかった。ただの風邪だと思ってやり過ごしていた。
人間の身体は不思議なものだ。入院してからというもの妙に激しい頭痛に襲われる事が多くなった。病室の天井が回転しているのかと勘違いして痛みが少し引いたりする。それでも痛みのピーク時はそれは夜も眠れない程だった。
入院中のベッドの上はこの世で一番考え事をするには適した場所なのかも知れない。
小学生の頃、学級対抗リレーのアンカーに選ばれて、1位でゴールする寸前に肩に斜めにかかった襷に脚が絡んで豪快に転んだ時のこと。
中学生の頃、体育館の裏で先生に見つからないようにこっそり家にあった親父のクシャクシャのタバコを吸ってクラクラしたこと。
高校生の頃、交流行事で盲学校に行って「翼をください」を熱唱して、そのあと盲学校の生徒代表挨拶をした子の言葉が胸に突き刺さったこと。
その子のことが好きになったということ。
それはお互いに好きだったとわかったこと。
舞がこの世で一番大事な存在だと言うこと。
病気になったことを舞に伝えなきゃいけないということ。
寝るまでずっと舞に伝えなきゃいけない言葉を探していたんだ。
入院してから3日間は検査の嵐だった。
狭い狭いトンネルに寝かせられてガーガーうるさい機械に入れさせられたり、へんな薬を注射されてものすごい身体が火照ったり。
とにかく疲れた。
明日は検査の結果が出ると担当医が話に来た。
今日は寝よう。
考え事をしないで済むな今日は…。
翌日、両親と共に検査結果を聞いた。
病院の会議室は妙に閑散としていた。
無機質に並べられた長机と椅子がある。
その一つに担当医は座っていた。
「どうぞ、お座りください。」
無機質な空間に無機質な声が耳を突き刺す。
「それでは、太一くんの検査結果をお伝えしますね。」
無機質な声とは対照的に担当医の顔はとても柔和だった。
「やはり入院前にお話した扁平上皮には3~4センチ程小さな腫瘍が見つかりました。」
やっぱりか…
「ただ手術すれば十分取り切れると思われます。ですのですぐとは申し上げませんが手術しましょう。」
母親は傍らで泣いていた。これは悲しい涙というよりは安堵感からくる涙だろう。
父親は僕の肩を掴んで首を縦に2回振った。
「とりあえず一度2日間だけ帰宅の許可を出しますね。手術はなさいますよね?」
僕はその質問をもう一度聞いた。それまでは気付かなかったくらい自分も不安だったんだな。
だって担当医のその言葉が耳に入らないくらい安堵感で包まれていたんだから。
手術をするかしないかの選択肢には悩む余地はなかった。
一時退院の許可を貰い安心した笑顔を残して両親は帰っていった。
退院は明日の午後になった。僕は久しぶりに外の空気を吸いたくなって病院の庭を散歩することにした。
人間の身体は不思議なものだ。
手術の恐怖よりもそんなに大したことがなかったという安心感からかどこも痛くなくなったように感じた。
外はもう初夏の爽やかさが包み込み柔らかい風が吹いていたんだ。